第4話 核石
「ミハエルは、持ち直した」
ギルド本部への道すがら、ガルドが唐突に言った。昼食の席では一言も触れなかった話だった。
アルクは歩みを止めた。
「腹の傷は、塞がったそうだ。熱も下がった。さっき医院で、癒し手がそう言っていた」
「……そうか」
「お前に礼を言っておけ、と。名前を聞きそびれたらしい。『知らない人が、朝ごはんの話をしてくれた』と」
隣を歩くリーナが、そっと彼の袖を引いた。アルクは視線を前に向けたまま、短く息を吐いた。
「礼なら、いい」
「俺が言っておく。それでいい」
ガルドはそれ以上は何も言わず、左膝を引きずりながら先を歩いた。
ギルド本部は、石造りの大きな建物だった。扉をくぐると、熱気と汗と煮込みの匂いが一度に押し寄せる。吹き抜けの広間には、剣や杖を持った男女が行き交い、壁一面の板に、依頼の札が無数に打ち付けられていた。《北街道 灰狼群駆除》《城壁外 巡回護衛》《薬草採取 銀露草 高価買取》。
「これが、冒険者ギルドだ」
ガルドが顎で示した。
「魔物の討伐と採取を請け負い、核石と素材を売って食っている連中の集まりだ。街の財布でもある。口の悪い爺さんが、その胴元でな」
広間の奥、窓際の小さな机に、その老人はいた。
六十がらみ。右目が白く濁り、左目だけで世界を睨んでいる。丸い拡大鏡を額に上げ、木の椅子にふんぞり返っていた。
「おう、ガルド。珍しいツラを連れてきたな」
「ブラム。こいつの鑑定を頼む」
「自分で言えんのか、そいつは」
ブラムが片目でアルクを睨む。アルクは懐から、小さな革袋を取り出した。オットーが、出立の朝に押しつけてきたものだ。「お前の取り分だ。受け取れ」と。
袋の口を解き、中身を机に置く。
拳ほどの大きさの、灰色の石。表面は滑らかで、陶器のような光沢がある。
ブラムの手が止まった。
鑑定用の拡大鏡を目に下ろし、石を手の中で転がす。爪で叩き、耳に当て、鼻を近づけ、最後に、息を吐いた。
「……おい、小僧」
「アルクという」
「アルク。こいつをどこで手に入れた」
「アシュフェンの村で。魔物が止まったあとに、村の者が取り出した」
「止まった?」
ブラムは身を乗り出した。
「魔物が止まるわけがあるか。核石は、魔物を殺したときに砕けるか、欠けるかするもんだ。こいつは、傷ひとつない。しかも、まだ中が、眠ってるように静かだ。完全に停止したまま取り出された核石なんざ、俺は五十年やってて初めて見た」
「ブラム」
ガルドが低く制した。老人は舌打ちして、背もたれに戻る。
「分かった。詮索はしねえ。だがな、こいつは値がつく。高い値がな」
その時だった。
広間の人混みを割って、灰色の法衣の男が歩いてきた。胸に鐘の紋章。教会の調達官だ、と胸の札が示している。穏やかな笑みを浮かべているが、目は石から離れない。
「失礼します。その核石、教会が買い取りましょう」
男は、懐から金貨を三枚、机に並べた。
「ギルドの相場の、五割増しです。結界の補修に、核石は不足しておりまして」
金貨の光が、机に落ちる。
リーナが息を呑んだ。三枚は、彼女が一年かけても稼げない額だった。ガルドの顔は無表情だったが、視線だけが、アルクに向いている。
ブラムが、鼻を鳴らした。
「教会は、いつも気前がいいな」
「適正な対価を差し上げているだけですよ」
アルクは、金貨と、石と、調達官の顔を順に見た。
金は、必要だった。リーナの薬代も、医院の寝台も、今は教会の善意に頼っている。この金貨があれば、少しは自分の足で立てる。
けれど、これを受け取れば、また一つ、借りが増える。ミレイユに会った日に結んだ「頼み事を聞く」という約束。そこに、金を重ねる。
彼は、村でリーナが背負ったものを思い出した。
「ギルドの相場でいい」
調達官の笑みが、凍った。
「は?」
「ギルドの普通の値段で、売りたい。教会の金は受け取らない」
「理由を、伺っても」
「借りは、増やしたくない」
それは、あまりに素直な答えだった。ブラムが、白濁した目をぐるりと動かして、くつくつと笑い出した。
「ほう。金より、借りを嫌う奴か。珍しい。いい度胸だ」
調達官は何かを言いかけたが、ガルドの視線と目が合い、口を閉じた。金貨を懐に戻し、丁寧に頭を下げる。
「承知しました。では、また」
男が去ると、ブラムは机の引き出しから、銀貨を数え始めた。
「銀貨四十枚だ。教会の半分以下だが、いいんだな」
「いい」
「馬鹿だな、お前」
「ああ。そう言われることが多い」
ブラムは笑って、袋に銀貨を詰めた。それから、声を落とした。
「その代わり、ギルドの登録は済ませろ。後ろ盾なしでウロウロされると、こっちも面倒だ。それと」
彼は机の下から、大きな板を引きずり出した。街と周辺の地図に、赤い釘が無数に打たれている。
「魔物の目撃記録だ。見たけりゃ、勝手に見ろ。お代はいらん。気に入ったからな」
アルクは地図を覗き込んだ。
釘は、街の周囲にまばらに散っていた。ただし北北西の方角、街から遠く離れた一点に、異様に密集している。アシュフェン村の向こう、灰の森の奥。灰の口の方角だった。
「昔は、この辺りは静かだったんだがな。ここ数年で、増えた」
「いつから」
「五年前くらいか。ちょうど、先代の大司教が亡くなって、ミレイユ様が座に就いた頃だ」
アルクは、釘の分布を目に焼き付けた。
隣では、リーナが薬草のカウンターで、籠から銀露草を取り出していた。担当の女性が目を見開く。
「こんな上質な銀露草は、久しぶりです」
「お母さんの薬の、残りなんです。余った分で、全部ではなくて」
「いい値をつけます」
受け取った銀貨は、八枚だった。リーナは掌に載せたそれを、じっと見つめた。
「……自分で、稼いだ」
「そうだな」
「ねえ、アルク。蜂蜜、買っていい? 母さん、昔から好きなの。最近、全然食べられてなくて」
「リーナのお金だ。好きに使えばいい」
「うん」
彼女は嬉しそうに笑った。その笑顔を見て、アルクは、銀貨四十枚の重さを、少しだけ理解できた気がした。
ギルドを出ると、昼下がりの光が石畳を白く照らしていた。ガルドが先に行き、リーナが蜂蜜の店を探して小走りに駆けていく。アルクは、ゆっくりと広場を歩いた。
何気なく、城壁の塔を見上げた。
三十六基ある結界の節点塔の一つが、通りの先にそびえている。HUDは、受動的に周囲の信号を拾っていた。何も意識してはいなかった。ただ、さっき掌の中で転がした核石の、微弱な信号の残響が、まだ視界に残っていた。
その残響と、塔から漏れる信号が、重なった。
アルクは、足を止めた。
冒頭の識別符号。通信の握手の手順。全体の構文。核石が発する信号と、結界塔が発する信号は、同じ形をしていた。
魔物と、街を守る結界が。
――同じ言葉で、話している。
背筋に、ゆっくりと冷たいものが這い上がった。広場のざわめきが、遠くなる。
「アルク?」
リーナが、振り返った。蜂蜜の壺を、両手で抱えている。
「どうしたの? 顔、真っ青」
「……いや」
アルクは首を振った。何でもない、と言いかけて、口を閉じた。
塔の上で、結界の膜が、ちらりと揺らいだ。




