Chapter 12 Embrace Sync 03
背後からドタドタと足音が響いてきた。
「片付いたぞ、ベ……ぶふぉっ!?」
俺は腹を押さえてうずくまった。
そして、顔を上げて赤き鱗を持つ少女の姿を睨みつける。
「何で殴るんだよ……ベル!」
ベルは険しい瞳で俺をにらみ返してきた。
「いくら弟とはいえ、アイ様を傷つける者など、この私が絶対に許さん!」
「事情は分かるけどさ! 少しは状況を見てくれよ!?」
「目には目を! 歯には歯をだ!」
「そもそも俺がいつお前を殴ったってんだよ!?」
これまで竜族に会ったことはなかったが、どうやらこの女、少々頭が硬いらしい……。
まあいい、そこまで本気で殴られたわけじゃない。主従関係の現れってやつだろうか……。せめてこれくらいの反抗の意思は見せてもらわないとな。
俺はため息をついた。
「……こいつ、どうするかな」
首筋の紋章はまだ半分も現れていない。少なくとも、ヴェルモーラがアイを完全に人形にするまでには、まだかなりの時間がかかるはずだ。その点だけはひとまず安心できる。
紋章は願望が満たされた時に完成する。アイの場合、何らかの理由で普通の人よりも時間がかかっているか、あるいはアイ自身が抗っているせいで進行が遅れているのかもしれなかった。
ベルは膝をつき、アイの手を握りしめた。
「……アイ様は、今どんな夢を見ておられるのだろうな」
完全に閉じられたその瞳が何を見つめているのか、俺にもベルにも分からない。だが、その眠り顔から伝わってくる悲痛さは、誰の目にも明らかだった。
俺は提案を口にした。
「どうすればいいか分からないなら、このまま置いていくしかない。重要なのは、一刻も早くヴェルモーラを片付けることだ」
「そうだな、私もその意見には同意する。……だが、アイ様をこのまま残していくのは……」
「何も何時間もかかるわけじゃない。だけど、ここで悩み続けていたら余計に危険だ。やるべきことは、早くヴェルモーラを見つけ出して決着をつける、それだけだろ」
ベルはアイの手を強く握りしめた後、自分に言い聞かせるように小さく頷いた。
「うむ、お前の言う通りだ……。だが、せめてあそこの部屋の中へお運びしよう」
そう言うと、ベルはアイの身体を抱え上げて教室へと入り、机の上に丁寧に座らせた。そして、できる限り楽な姿勢になるよう手際よく整えていく。
アイのことをここまで心配してくれる者がいることに、俺としても少し救われる思いだった。
俺が異世界でアイと再会する前の空白の期間、ベルはずっとあいつの側にいたのだろう。それを知れただけでも、かなり心が軽くなった。
ベルは心配そうな様子で教室から出てくると、喉の奥でフンと息を吐き出して言った。
「さて、ヴェルモーラはどこにいる?」
「最初の質問に戻ったな……。俺の予想じゃ、案外近い場所にいると思うぜ」
俺は窓の外、ピンク色に染まった空が差し込む廊下の先を指さした。
「最初は、ヴェルモーラの能力に囚われているから空が異常に見えるんだと思ってた。だけど、もしあれが能力のせいじゃなく、ヴェルモーラ自身から直接放たれているものだとしたら?」
「と言うと?」
「ヴェルモーラは外にいるはずだ。それに、学校中の人間に能力を行使している以上、この敷地内からそう遠くない場所にいるに違いない」
「確たる証拠のない推測だな」
「ああ、何の確証もない。だけど、外に出れば何か手がかりが見つかるかもしれないだろ」
「分かった」
言い終えるが早いか、ベルは廊下の窓を突き破って外へと飛び出した。
「おい!?」
確かに2階だし、落ちたところで竜族の身体には何の影響もないだろうが、他に方法はなかったのかよ!?
あ……上下の移動ルートをすべて封鎖したのは、この俺だったな。
自分にも一部原因があると思い至り、俺は首を振ってため息をつくと、ベルが飛び出したのと同じ窓から外へと跳んだ。
たった2階の高さだ。着地で体勢を崩すようなヘマはしない。不気味なピンク色の空を背景に、俺は校舎に背を向けて立った。
ベルが口を開く。
「お前の推測は、あながち間違いではなかったようだな」
その言葉を聞き、俺もベルと同じ方向を見上げた。
……校舎の頭上、そこに直径15メートルほどの奇妙な球体が浮かんでいた。それは完全な球体で、不気味な灰色を帯びている。
さらに、校舎の内部からその球体に向けて、数百本もの怪しげなオーラの線が繋がっているのが見えた。
あの数は、まさか……。
「眠っている奴らから、エネルギーを吸い上げているのか?」
「おそらく、そうだろうな」
不自然に滞空するその球体は、まるで何かの卵のようだった。
「準備中って言ってたのは、こういう意味だったわけか」
「エネルギーが満ちれば、あれが孵化してヴェルモーラの完全体となるのだろう。下級のモンスターに酷似した生態だな」
下級モンスターにあんな真似ができるわけがない。竜族特有の極端な価値観にはついていけないが、まあ、本質的にはそういうことなのだろう。
「あぁ……最悪だな」
寄生型のモンスターと同じだ。
まさかこんな、目の上のタンコブみたいな場所にいたとはな。だが、自分を責めるわけにもいかない。さっきまでは校舎内でのトラブルに追われていて、こうして俯瞰で周囲を見渡す余裕がなかったのだから。
つまり、ヴェルモーラは最初からずっと俺たちの頭上にいたというわけだ。
だけど、あんな巨大な的を晒しておくなんて、むしろ自殺行為なんじゃないか?
いくら高い位置にいようと、羽がなくても俺の跳躍なら十分に届く。その上、空中浮遊のスキルは攻撃系スキルには分類されていない。あの球体は、俺にとって格好の的でしかないはずだ。
飛行能力を持つベルがいれば、なおさらだ。
まさか、準備が完了するまでは絶対に破壊されないとでも高を括っているのか?
あるいは……。
「どんなに攻撃を仕掛けようと、攻撃スキルを使えない人間には、準備が整う前にあれを破壊することは不可能なのか?」
そう思考が至った、その時だった。
あの独特な、幾重にも重なる声が再び響き渡った。今度は校舎内ではなく、周囲の空間全体に木霊するように。
「その通りですよ、勇者様」
ヴェルモーラが嘲笑う。
「この繭の防御力は極めて高いのです。純粋なステータスのみの攻撃では、いかに勇者である貴方といえども、破壊される前にこちらの準備が完了してしまいますわ」
「そうかい……」
球体……空に浮かぶ繭が、ピキピキと音を立ててひび割れ始めた。
「……本来なら、この段階にはもう少し時間を要するはずでしたの。ですが、アイくんから得られたエネルギーが予想よりも遥かに膨大だったおかげで、何倍も早く進みましたわ。本当に興味深い。もしアイくんの願望が完全に満たされていたなら、私はどれほど強くなれていたかしら……」
彼女は再び声を上げて笑った。
「まあ、残念なことに、彼の願望は何年費やそうが決して満たされることはないようですけれど。ですから……これだけで十分ですわ」
繭が完全に弾け飛ぶ。
それと同時に、システムのアラートが目の前にポップアップした。
……アイやデコイルから聞いた話では、ヴォイドの攻撃はあらかじめ決められた『ムーブセット』に従う。そのルールは知っていた。そして最も重要なのは、その段階をスキップすることはできないという点だ。
必ず順番通りに発動しなければならない。
先の「アヴァリス」との戦闘でも、第1ステップと第2ステップはそこまで強力な技ではなかった。
たとえヴェルモーラが完全体になったとしても、より強力なステップに移行する前に叩き伏せればそれでいいはずだ。
そう考えていた、まさにその時。
視界に飛び込んできた通知の内容に、俺は耳を疑った。
『Move Set』 Crimson Sequence
Final Step – Scarlet Bloom
「最初から……最終ステップ、だと……」
俺は目を見開き、完全体となったヴェルモーラとの決戦に向けて、武器を構えた。




