Chapter 12 Embrace Sync 01
俺は襲いかかってくる生徒の一人をいなして別の方向へ受け流した。スキルを使わずとも、護身術の心得くらいはいくらか身についている。
一方のベルは、生徒たちを次々と殴り飛ばしていた。中には教室の壁に激突し、そのまま壁をなぎ倒す者までいる始末だ。
「ベル!」
「何だ!」
「殺すなよ!」
俺がそう告げると、ベルは生徒の胸ぐらをつかみ上げたまま、こちらを振り向いた。
「ならどうしろと言うのだ! 無抵抗のまま殺されろとでも言うのか!?」
「気絶させるだけでいい!」
「無茶な注文をつけるな!」
ベルの言い分にも一理あった。生徒たちは単に意識を失っているだけではないようだ。脳のリミッターが解除されているらしく、その身体能力は俺やベルとほぼ互角に近い。
だがそれゆえに、彼らは身体を動かすたびに筋肉が悲鳴を上げ、引き裂かれ始めていた。
ここに至って、俺はアイがエヴァを学校に来させないという選択をしてくれたことに、心から感謝した。
しかし、エヴァのことだけを心配していればいいわけではない。この人たちは無辜の一般人だ。もし誰かが死ぬようなことがあれば……それは俺の責任になる。
ヴェルモーラをこの世界に引き寄せたのは、俺なのだから。
魔王を殺したのは、俺なのだから。
俺は誓ったはずだ……誰も死なせないと。
少なくとも、俺の目の前では。
数が多すぎる……窓から飛び降りるか? いや、だめだ……。もし彼らが自分の身体を顧みずに俺とベルを追ってきたら、ここは校舎の2階だ。俺は平気でも、彼らの肉体が耐えられるはずがない。
たった2階の高さなら命に別状はないかもしれないが、彼らの肉体疲労の度合いを考えれば、これ以上リスクを増やすわけにはいかった。
1クラスにおよそ30人。1年生から3年生までの3階建ての校舎で、各学年5クラスずつあるとすれば、全校生徒は合計で400人以上。
今この周囲にいるのは2年生だけだ。ということは、この階にいるだけでも100人以上ということになる。
100人……。
リリィのスピードブーストによる補助がなくても、なんとかなるはずだ。
「ベル! そっちは任せた、持ちこたえてくれ!」
「何をする気だ!?」
「殺さずに無力化するんだよ!」
俺は手を刀の形に構え、生徒の群れへと突っ込んだ。
これまでに培った格闘技術と、俊敏な身のこなしを駆使し、生徒たちの間をすり抜けながらその手刀で彼らのうなじを打っていく。威力を半分に抑えての打撃だったが、意識を刈り取るにはそれで十分だった。
手刀を振るう。
肉体が崩れ落ちる。
再び振るう。
また別の肉体が倒れ込む。
その動作をひたすら繰り返していく。
……すべてを終えて振り返ると、俺の側には何十人もの生徒たちが床に横たわっていた。次はベルの側へ向かい、同じことをしなければならない。
だがそうする前に、階下と上の階から地響きのような騒音が聞こえてきた。1年生と3年生の狂った群れが、この階へと押し寄せてこようとしている。
上の階と下の階へと繋がる階段を完全に封鎖しなければならない。俺はスキルウィンドウを開いた。
なぜだか分からないが、周知の通りすべての攻撃スキルが使用不可になっているにもかかわらず、最も基本的であり、異世界へ行った時に最初に手に入れたあのスキルだけは使用可能だった。これも攻撃系のスキルに分類されるはずなのに。
シルヴィに起こしてもらったからだろうか……。いや、理由はどうでもいい!
俺は躊躇うことなく、スキルを発動した。
「Shining Sword!」
手のひらに光の剣が形成される。俺はその剣を振るい、階段に隣接する教室を叩き斬った。その一撃によって崩壊した教室の瓦礫が、階段の上下を塞ぐ防壁となり、見事に進路を完全封鎖した。
あとは、この階へと通じるベル側のルートが残されているだけだ。
俺は足首に力を込め、床に並ぶ気絶した生徒たちの身体を飛び越えて走り出した。その一跳躍の距離は、およそ教室2クラス半に及んだ。
「助かる!」
ベルに向かって短く声をかけ、先ほどと同じ作業を繰り返した。
……ついに、操り人形と化していた2年生の生徒全員を気絶させ、この階へ至る両側のルートをすべて遮断することに成功した。
ベルが驚愕の表情を浮かべながら、俺の方へと歩み寄ってくる。
「お前ほどの激しい動きをしておきながら、なぜ汗の一滴すら流れていないのだ?」
「……言われてみれば、俺も自分のスキルに不気味さを感じ始めてきたよ……」
マナの代わりに SP を消費する俺の仕様。そのおかげで、SP が完全に枯渇しない限り、俺に疲労の兆候が現れることはない。その上、SP の回復速度は極めて速いため、実質的に俺が疲れることはないと言っても過言ではなかった。
あのデコイルの手のひらのような、奇妙な攻撃を受けでもしない限りは、だが……。
「……それで……この人間たちはどうするのだ?」
ベルは廊下に、あるいは壁の崩壊した教室へと彼女自身によって投げ込まれ、横たわっている生徒たちを見回した。
死人が出るとすればベルの仕業だろうが……彼女なりに手加減しようと努力していたようだから、おそらく大丈夫だろう。
俺は腕を組んで答えた。
「ここに放置していくしかない。ヴェルモーラはもうすぐ準備が整うと言っていたが、あいつの準備が完了するのをのんびり待つ気は一切ないからな」
「捜し出すのだな?」
ベルがそう口にしたその瞬間、全員の首筋にあるハートの紋章が怪しく発光し始めた。
「今度は何だ!?」
俺は正面に剣を構えた。まさか、気絶させただけでは不十分だったというのか。
幸いにも、事態はそうはならなかった。しかし、それを手放しで喜んでいいのかは分からない。なぜなら、その直後に起きたのは、紋章が彼らの首筋から徐々に侵食するように広がり、全身を覆い尽くすと同時に、その肉体がまるで床に吸い込まれるようにして消え去っていく現象だったからだ。
俺はその光景を理解できずに見つめていたが、それによって廊下は気味が悪いほどにがらんどうになり、先ほどまでの大混雑がまるで冗談だったかのように静まり返った。
「この世界の人間は、あのようにして死ぬのか?」
「俺は殺してない。あれもきっと、ヴェルモーラの能力によるものだろ」
「おそらく、そうだな」
「胸糞悪いな。意識のない人間を連れ去って、一体何をする気だ……」
推測できるとすれば、エネルギー源として利用するということだ。それなら、準備に時間がかかるという言葉とも辻褄が合う。
つまり、現在起きている事態のシーケンスはこうだ。
まず、相手に願望の幻影を見せる。
それが満たされると、ヴェルモーラの操り人形となる。
正式にその後、その肉体は回収され、ヴェルモーラのエネルギー源となる。
この手のパターンは異世界で嫌というほど経験してきた。相手がヴェルモーラであろうと、この法則から大きく外れることはないはずだ。
空は相変わらずピンク色に染まったままだ。
そうだ……先ほど俺が全員を気絶させた時、あの群れの中にアイの姿はなかった。少なくとも、アイはまだ願望に呑まれて操り人形にはなっていない。
アイほどの存在になれば、ヴェルモーラといえども常人より時間がかかるのだろう。だが……今、アイはどうなっている。まだ教室で眠ったままなのだろうか……。
「ユウ……」
ベルが震える声で呟いた。
俺はその視線の先へと目を向けた……。
「嘘だろ……」
一人の人影が、俺たちの方へと歩いてきていた。
漆黒の髪、そして今は完全に生気を失った真紅の瞳。
「アイ……」
アイが俺たちの方へと歩み寄ってくる。
俺は目を凝らした。
「あのハートの紋章……まだほんの一部しか現れていない。ということは、完全に支配されているわけじゃないんだな」
「先ほどの人間たちのような、不自然な動きでもない。……だが……」
ベルは複雑な表情を浮かべた。
俺は彼女に告げた。
「あいつとは戦いたくないだろ?」
「うむ……私にはアイ様を傷つける権利などない。たとえアイ様がどのような状態であろうともな」
「お前は下がってろ。俺がなんとかする」
ベルは素直に従い、一歩退いた。俺は前へと歩みを進める。
正式にどこかおどけた調子で話しかけた。
「異世界にいた時……俺とお前は一度も戦わなかったよな。俺たちの初陣が、お前が敵に操られたこんな形になるなんて、皮肉なもんだよ」
「……」
俺の理解では、紋章が完全に形成されて初めて操り人形になるはずだ。しかし、現在のアイはそうではない。ということは、この歩行はシステム上の何らかのエラーによって引き起こされている。
支配されているわけではないのだ。
おそらくはただ……今見ている夢の景色に、心を奪われているだけ。
俺は身構えた。
「ま、それはそれとして。魔術師と剣士じゃ……お前がどれだけ強くても、俺の方が有利だと思うぜ。特にそんな状態のお前相手ならな」
「……」
「お前が接近戦もこなせるのは知ってるが、本職の剣士にどこまで通用するかって話だ」
アイは接近戦を得意とする魔術師であり、ギルドでも屈指の槍の使い手であるクロエに勝利した実績すらある。
だが、それは相手がクロエだったからだ。純粋な接近戦の技術に関して言えば、俺の方が確実に上だ。
それはつまり、俺に勝機があるということであり、ここでの勝利とはアイを気絶させることを意味する。
いまだ攻撃スキルは Shining Sword 以外使えないが、それはアイも同じ条件下にあるはずだ。剣士である俺のパラメータの方が、肉弾戦においては絶対に有利。
なのに……なぜかベルは、俺の背中に向かって終始、拭いきれない不安の視線を送り続けていた。
「覚悟しろよ、アイ」
俺が地を蹴って突進しようとした、その瞬間だった。
「……Steal」
「は?」
手の中にあった光の剣が、システムの不可解な力によって強引に手の中から引き抜かれ、彼方へと吹き飛んだ。そして、アイはその剣を右手で平然と受け止めた。
確かに Steal は攻撃系のスキルではない。単に相手のアイテムやスキルを強奪するだけのものだ。
俺はアイテムを一つも身につけておらず、使用可能なスキルも光の剣だけだった。そのため、Steal の効果は100%の確率で光の剣へと集中したのだ。
だけど……Steal って、シーフのクラスのスキルじゃなかったっけか……。
俺はすぐさま、もう一本の光の剣を形成することを選択した。奇妙なことに、通常であれば次のオブジェクトを生成した時点で最初の剣の効果は消失するはずなのだが、剣は依然としてアイの手の中に存在し続けていた。
「剣ってのは、そう簡単に扱えるもんじゃないぜ」
俺は不敵な笑みを浮かべて言い放った。
しかし、その時――。
「ユウ、構えろ!」
「どういう意味だ!?」
「あれは……」
ベルが、尋常ではない緊迫感を漂わせて叫んだ。
「死ぬぞ」
刹那、いや……それよりも早く、野生の生存本能が脳内で警報を鳴り響かせた。
俺は条件反射で即座に剣を突き上げた。それと同時に、大気を引き裂くような猛烈な勢いで振り下ろされたアイの剣が、激しく激突した。




