Chapter 11 Desire Loop 04
ヴェルモーラを捜しに教室を出る前、俺はエヴァの机に目をやった。ここ数日、彼女はヴェルモーラの何らかの能力のせいで様子がおかしかった。
はっきり言って、まともな意識を保っていられるのは俺とアイだけだ。
その能力は学校中の人間に影響を及ぼしており、それはエヴァも例外ではなかった。
エヴァは……女神だというのに。
俺は意識を失って眠っている少女を見つめた。大きな目はしっかりと閉じられている。
俺は彼女の手をそっと握った。
「エヴァ……俺は」
だが、言葉を紡ごうとしたその瞬間、エヴァの肩がピクリと跳ねた。
次の秒、その手のひらがひっくり返って俺の手を強く握りしめ、後ろへと激しく引っ張った。俺はそのまま床を転がった。
「は……?」
今の感触、火属性……いや、もっと刺激臭の強い気配だ。まるで火山の煤煙のような……。それは俺の知っている火属性ではなかった。それにそれが何であろうと、エヴァは女神だ。俺の知る限り、彼女にそんな属性の適性はない。
だとしたら、戦闘に慣れ親しんでいるかのような身のこなしと、この属性の気配は、一体なぜエヴァから放たれているんだ?
疑問が脳細胞の隅々まで覆い尽くす。そして……。
一振りで人間の首を撥ね飛ばせるほどの、鋭い爪を宿した指先が、俺の目の前で交差した。
「一体何が起きているのだ?」
エヴァはそう問いかけてきた。
けれど……これは本当にエヴァなのか……。
俺は相手を凝視した。瞳は鮮やかな真紅、開かれた唇からのぞく歯は、まるで猛獣のそれだった。
「お前、誰だ?」
俺は鋭く問い詰めた。と同時に、今の自分が「戦闘系のスキル」を使用できない状況にあることを改めて自覚した。つまり、目の前のエヴァの姿をした者が誰であろうと、もし敵であれば、俺は簡単に殺されてしまうということだ。
エヴァの身体をした何者かはその問いを受け止め、パチパチと瞬きをしながらこちらを見返した。
「おや? アイ様の弟ではないのか?」
「アイ様……?」
「まったくやれやれだ。アイ様があれほど、Void の能力はこれまで遭遇したものとは違うと警告してくださっていたというのに。この私にまで影響を及ぼすとは、相当自信を無くすな」
「一体お前は誰なんだ!? それにエヴァはどこにいる!?」
俺は叫ぶように尋ねた。
相手は眉をひそめ、それから首を振った。
「そうだ、アイ様は、お前が怒るだろうとも警告しておられたな。まあよい……魔法の効果を解除するとしよう」
その言葉が終わるや否や、彼女の身体が炎に包まれた。攻撃のためのものではない……魔法の効果をクレンズするためのものだろう。
数秒後、炎が立ち消えた時、俺の前にいたのはもうエヴァではなかった。
まるで「赤」から産まれたかのような少女だった。異世界でさえ見たことのない鮮やかな真紅の髪、そして爬虫類を思わせる縦長の瞳孔を持つ同色の眼。
チャイナドレスに似た衣服から大胆に露出した肌には、一部を覆うように鱗のようなものが確認できた。そして何より、頭上には一対の濃い茶色の角が生えていた。
その姿を見た瞬間、かつて聞いたデコイルの言葉が脳裏に蘇った。
「本当にいるんですよ、ドラゴンは。おかげで私のダークテリトリーは、少なからず壊滅させられましてね……」
少女は堂々と胸に手を当てた。
「私の名はベル。古代のドラゴンの一柱であり、灰の地を統べる者だ。ようやく会えたな、アイ様の弟よ」
ドラゴン……本当に実在したのか。
俺は目を見開いてベルを見つめた。おそらく、今の俺の顔は、おとぎ話の生物に遭遇した子供のようになっているに違いない……。
「は……初めまして、ベル」
「あ! アイ様!?」
アイが眠っていることに気づいたベルはビクリと身体を震わせ、すぐさま駆け寄ってその場に膝をついた。鱗の混じる手のひらで、アイの太ももに触れる。
俺は声をかけた。
「Absolute Isolation にも効果があったみたいだな」
「アイ様……」
ベルは唇を噛み締めた。この二人の関係は一体どうなっているんだ? 俺はこれまでベルに会ったことがないし、随分と親しげに見えるが……待てよ、これは「親しい」の範疇に入るのだろうか……?
ドラゴン、か。
異世界ベータには、間違いなくドラゴンは存在しなかった。
確かにアイは俺の知らない多くの力を持っているが、異世界に存在しないはずのドラゴンと知り合いだなんて……一体どこで知り合ったのか、疑問が湧き上がってくる。
それ以上に重要な問いは「どこで」なのか、だ。
アイが俺と出会う前の期間、具体的には俺が魔王を討伐して元の世界に戻る前の2〜3ヶ月ほど……。要するに、それ以前にアイがどこにいたのか、俺は全く知らない。
アイが現れてからは、様々な噂が飛び交った。アイはダークテリトリーにいて出てきたばかりだとか、高難易度のダンジョンに迷い込んでいたとか。だが、そんなものは誰がどうとでも言えるただの噂に過ぎない。
俺は質問できる立場にいた……というか実際に尋ねたが、一度も答えを得られたことはなかった。
結局のところ、俺はその期間にアイが俺と出会う前……アイがどこにいたのかを全く知らないのだ。
堕天した神の玩具。
さらにこのドラゴン……灰の地……。
聞いたこともない。
「おい、アイ様の弟」
ベルに声をかけられ、俺は我に返った。
「あ、ああ」
「お前はどうやって私を目覚めさせたのだ?」
「別に特別なことはしてないぞ」
「ならば、Void の力は私のような種族に対しては、効果が薄いと解釈できるな……。では、お前はどうして目覚めたのだ?」
「ええと……仲間に少し手助けしてもらったんだ」
答えながら、俺は無意識に右手の甲をさすっていた。
ベルは目を閉じた。
「ならば……私にせよお前にせよ、アイ様を目覚めさせることはできぬな。まだよく分からぬが、大抵この手の力は、術者を倒せば自然と霧散するものだ」
「だろうな。でもヴェルモーラがどこに消えたのか分からない。それに……俺は攻撃スキルが使えないんだ」
「そのこともアイ様から聞いている。だからこそ、私を呼び出されたのだろうな?」
ベルは拳を握りしめながら言った。
「私のパラメータは、スキルに頼らずとも、Void と渡り合えるほどに高いのだ」
彼女は誇らしげな表情を浮かべた。
俺は首を振った。
「それはそうかもしれない。俺自身、使えないのは攻撃系のスキルだけで、パッシブや他のアクティブは残っている……。だけど、これだけじゃヴェルモーラと戦うには不十分な気がするんだ」
「それほど強いのか?」
「よく分からない」
今の俺は攻撃スキルを使えないが、身体能力を一般の人間以上に引き上げるパッシブスキルやパラメータは維持されている。使用できるのは攻撃以外のスキルだが、その数も決して多くはない。
まだヴェルモーラと戦ったことはないが、ヴェルモーラが「攻撃スキルの使用禁止」という制限しか設けていないということは、スキルを使えない相手となら、ある程度渡り合える戦闘力を持っていると想定すべきだ。
だが、俺がそう答えると、ベルはかすかに煤の臭いが混じるため息を吐き出した。
「お前……本当にアイ様の弟なのか?」
「耳にタコができるほど言われてるよ」
「準備の心構えが、あまりにも行き当たりばったりではないか? まるで何も考えていない愚者のようだ」
まさかのダメ出し。
しかし、ベルは言葉を続けた。
「……だが……私は嫌いではないぞ、お前のような奴は」
「は?」
ベルは手のひらに拳を強く打ち付け、大きな音を響かせた。
「私も、難しく考えることは嫌いだからな! スキルが使えようが使えまいがどうでもよい! ヴェルモーラはどこにいる!? 私とお前であいつをぶっ飛ばしに行き、早くアイ様をお目覚めさせようではないか!」
俺は一瞬呆気にとられ、それから笑い出した。
「はは、分かった。ヴェルモーラを倒しに行こう」
「ぶっ飛ばす!」
「ああ! 木っ端微塵にしてやろう」




