Chapter 10 Affection Field 05
「改めて自己紹介を。私は Void 第2位、ヴェルモーラです」
青空を背景に、ヴェルモーラは微笑みながら言った。ここは屋上だ。
俺たちが何も答えないのを見て、ヴェルモーラは不満げに唇を尖らせた。
「もう、せっかく仲良くしたいと思っているのに」
「貴様が『人』であるはずがないだろう」
アイが皮肉を込めて吐き捨てる。
ヴェルモーラは笑った。
「『千年の魔導士』とまで謳われた方が、そんな言葉尻を捕らえてどうするんですか?」
そこまで知っているのか。
確かにその二つ名は秘密ではない。ベータの人間ならアイをその名で知っている。だが、ヴェルモーラは……ダークテリトリーのさらに先を起源とし、魔王が倒された後にようやくこちら側へ干渉してきたはずの Void が、なぜその情報を掴んでいる。
アイとデコイルの話では、魔王の死後、Void たちは侵攻の準備を整えていたが、姿を現したのはここ数日のことだ。
具体的には、俺がアヴァリスと戦った日の前後に重なる。
つまり、この Void は極めて短期間でアイの情報を調べ上げたということだ。大した価値のない情報とはいえ、それ以上のことを知られている可能性も考慮すべきだろう。
ヴェルモーラが視線を俺に移した。
「そしてユウ君は、魔王を討伐した勇者様、ですね? 考えてみれば、お礼を言わなきゃいけないわ」
その言葉に、俺は眉をひそめた。
「あなたがいなければ……私の仲間たちはダークテリトリーを越えることはできなかった。ふふっ、本当に恩人だわ。勇者様」
「……」
俺は奥歯を噛み締め、絞り出すように言った。
「もしエヴァを傷つけたら……」
「それはあなたの責任になりますよ? あなたがいなければ、私がここでこうして踊り回る機会もなかったんですから」
挑発だ。
ヴェルモーラは、俺が何を感じているか完全に理解している。
異世界を救うために魔王を倒した。だがその結果、Void がこちら側へ越えてくる道を作ってしまった。……もし誰かに危害が及ぶなら、それは自分の責任だ。
こじつけかもしれないが、俺自身もそう考えていた。
すべては、俺のせいだ。
だが、たとえそうだとしても……。
俺はヴェルモーラを射抜くように見た。
「そんな真似はさせない。なぜなら、俺は勇者だからだ」
「あら! カッコいい」
「子供じみた挑発はやめろ、ヴェルモーラ。無駄だ。あいにく今、横に口うるさい兄貴分がいてな。あんたの誘いに乗ったりしたら、後で頭を小突かれる」
隣に立つアイに言葉を送ると、彼は一瞥をくれた後、短く肩をすくめた。
ヴェルモーラはつまらなそうな顔をしたが、すぐに元の笑みに戻った。
「……少なくとも、あの女の人があなたにとって大切だってことは、覚えておきますね」
彼女はそう言い残したが、もはや何を言われようと気に留めるつもりはなかった。
スキルが戻り次第、こいつを仕留める。
俺がそう決意した時、アイがため息をついた。
「……目的は何だ?」
「世界征服なんて、つまらないことじゃありませんよ」
ヴェルモーラが笑う。アイは目を細めた。
「俺が知る限り、貴様らは強さを渇望する生き物だ。ゆえに強者を討つことを目的とし続ける……名に違わぬ空虚な存在だ。だが、今貴様がしていることが、それとどう繋がる?」
「私たちのことをよくご存知ですね……。ええ、私たちは空虚で、ガランドウ。ただ強さを求めることだけが魂に刻まれている……」
ヴェルモーラは一歩近づき、アイの首元に近い胸板に手のひらを添えた。
「強さとは、敵を排除する力だけではありません。私は『色欲』の象徴。……いいえ、私自身だからこそ、求めているのはあなたたちが理解しているような強さではないんです」
「なら、何を求めている?」
その問いに、ヴェルモーラの額にある赤い宝石が微かに光を放った。
「私は、すべての人に『魅了』されてほしいんです」
愛されるのではない。
ただ、魅了されること。
純粋な好意などいらない。ただ誰もが自分に、抗いようもなく惹きつけられること。
アイが口を開いた。
「なら残念だったな。たとえ世界中の人間が貴様に溺れたとしても、俺たち二人は例外だ」
ヴェルモーラは首を振り、手を下ろした。
「本当に残念です。他の方はもう『そうなって』しまったのに。あなたたち二人だけ……。これも、私たちが求める強さの一つなのかもしれませんね……」
彼女は後ずさった。
「そうなって」しまった……。
エヴァの異変は、やはりヴェルモーラの能力によるものだった。そしてクラスメイトの態度を見る限り、もしかすると……この学校中の人間が、すでに彼女の術中にあるのかもしれない。
俺たちに起きている変化は、攻撃に関連するすべての行使を禁じられていることだけだ。
ヴェルモーラが指を立てた。
「あ、そうだ! あなたたちは私の仲間を何体か片付けたようですね?」
「さあな……数えていない」
アイが素っ気なく答えると、ヴェルモーラは言葉を継いだ。
「生まれたての雑魚のことではありません。私と同ランクの Void ……アヴァリス、タノロス、そしてダイモーラですね?」
「恨みでもあるのか?」
「私にそんな感情はありませんよ。むしろ、少し嬉しいくらい。……弱い Void に、存在価値はありませんから」
そこでヴェルモーラは、俺とアイを不気味なほど虚ろな瞳で見つめた。
「弱ければ、強さを求めることすらできないでしょう?」
アイは喉の奥で笑った。
「ふん、なら貴様はさぞかし強いんだろうな?」
「それは追々。でも、こうしてあなたたちと知性を持って会話ができていることが、一つの証明だとは思いませんか?」
ヴェルモーラは俺たちの脇を通り抜け、屋上の扉へと向かった。
俺が戦った個体は、意思疎通ができなかった。多少言葉を発することはあっても、意味をなさないものばかりだった。だがヴェルモーラはどうだ。人間と……。
……いや、魔王と話しているような感覚さえ覚える。
扉を開け、階段を下りる間際に、彼女は言った。
「授業に遅れますよ。まあ、あの授業は少し始まるのが遅くなるでしょうけど。……人間って、本当に操るのが簡単ですね」
俺はその言葉に不安を覚え、問い返した。
「どういう意味だ?」
「教室に戻ってみてください。言ったでしょう? 楽しいことが起きているかもしれないって」
俺はアイと顔を見合わせ、教室へと階段を駆け下りた。
……本来なら授業が始まっている時間だ。だが廊下には、他クラスの生徒たちが俺たちの教室を窓越しに覗き込んでいた。
教室の中から、激しい怒号と争う声が漏れてくる。
俺は野次馬など無視して、勢いよくドアを開けた。……そこで目にしたのは、二人の男子生徒が取っ組み合いの喧嘩をしている光景だった。
エヴァが自分の席に座ったまま、微動だにしていないことに少しだけ安堵した。
だが、喧嘩というにはあまりに凄惨だった。床には血が飛び散り、溜まりができている。
争っている二人は、俺とも親しい友人たちだった。最近はエヴァと一緒にいることが多く、彼らの輪からは離れていたが、本来なら兄弟のように仲のいい二人だった。
あいつらが喧嘩などするはずがない。
たとえしたとしても……ここまで激しくなるはずがないのだ。
俺は二人を引き剥がそうと駆け寄った。
「山田! 田中! 何やってんだよ!?」
二人は答えない。互いを睨みつける瞳には、明確な殺意が宿っている。
顔には無数の傷があった。爪で引き裂いたのか……田中の腹部にはペンが突き刺さっている。
喧嘩の域を超えている。殺し合いだ。
彼らは俺の存在など眼中にない。拳を振るい、爪を立て、獣のような唸り声を上げて相手を殺そうとしている。
幸いなことに、スキルは使えずともパラメーターは健在だ。身体能力は常人を遥かに凌駕している。俺はその力で二人を強引に引き剥がし、別々の方向へ突き飛ばした。
だが、それでもなお二人は、恐ろしい形相で互いを睨み合っている。
……これほどの大怪我をしているのに、なぜ周りの連中は黙って見ているんだ!? 止めようともしないのか!?
そう憤った瞬間、山田と田中が再び飛びかかろうとした。
……気絶させるしかない。
二人の顎に拳を叩き込もうとしたその時、あの独特な重なり合う声が響いた。
「喧嘩はやめてくださいな」
それだけ。ヴェルモーラのたった一言で、すべてが静止した。
山田と田中は硬直し、ヴェルモーラの方へと首を向けた。
「何か問題でも?」
「田中の方がヴェルモーラさんと長く話していました。許せません」
「山田の方がヴェルモーラさんに見つめられていました。許せません」
二人は、それが当然の理由であるかのように言った。……互いを殺そうとするほど、正当な理由であるかのように。
俺は叫んだ。
「そんな理由で!? お前ら……!」
言葉が続かなかった。
これもヴェルモーラの能力のせいか。
だが今の俺には、彼女に手出しをすることができない。
「……」
後から入ってきたアイは、ただ腕を組んでその光景を見つめていた。
ヴェルモーラは微笑んだ。
「私のためにそこまでしてくれてありがとう。でも、もう授業の時間を過ぎています。早く手当てをしてくるか、そうでなければどこかへ行ってしまいなさい」
「「はい」」
山田と田中は教室を出て行った。外で覗いていた野次馬たちも、いつの間にか霧散している。
残ったクラスメイトたちは、倒れた机を淡々と片付け、ロボットのように静かに席に着いた。床の血溜まりを、気にする様子もなく踏み越えて。
自分の席に戻る直前、ヴェルモーラが俺を振り返った。
「言ったでしょう? 楽しいことが起きるって」
俺はしばらく沈黙した。
そして、笑みを浮かべた。
「ああ……」
自分の口から出たとは思えないほど、冷徹な言葉を告げる。
「……必ず殺してやる、ヴェルモーラ」
「お待ちしていますね。……勇者様」




