Chapter 9 Their World , Their Return 01
ドサッ……ドサッ……ドサッ。
体に伝わってくるのは、地震のような小刻みな振動だ。その揺れに合わせてベッドがギシギシと音を立てる。……寝起き早々、実に不愉快な感覚だ。
俺は重い瞼をこじ開け、自分の部屋で起きているこの奇妙な事態の原因を確かめようとした。
「おや? お目覚めですか?」
「は……?」
そこには、俺の上にまたがっている一人の子供がいた。肌が白く、女の子のように整った顔立ちをしているが、体の線からして男の子だろう。ボロ布を繋ぎ合わせたような妙なローブを纏っている。
「このままだと学校に遅刻しちゃいますよ」
その少年は、満面の笑みを浮かべて言った。
「その前に……お前、誰だよ……」
「説明はアイさんに任せます。それにしてもどうですか? 見ず知らずの子供に馬乗りになって起こされる気分は?」
「別に……何も思わん」
「ふーん、二人ともつまんないのー」
少し不満そうな声を漏らし、少年は俺の上からどくと、そのまま部屋を出て行こうとする。俺は起き上がり、混乱する頭で状況を理解しようと努めた。
少年はドアから出る間際、思い出したように言った。
「おっと、忘れてました。お会いできて光栄です、勇者様」
彼は爽やかな笑顔を見せ、さっきまでの態度が嘘のように行儀よく、静かにドアを閉めた。
休息を終えたばかりとは思えないほどの疲労感が押し寄せる。俺はこめかみを押さえ、ぐったりと吐き捨てた。
「あの馬鹿……どうやってデコイルを連れて帰ってきたんだよ……」
階下に降り、キッチンへ向かう。そこにはさっきの少年が座っていた。
そして、もう一人……。
俺は目をこすった。
エヴァでもリリィでもない女性。艶やかな黒い長髪に、鋭い紅い瞳。
俺が呆然としていると、彼女が口を開いた。
「いつまで寝坊しているつもりだ?」
「今度は誰ですか……」
「……? 寝ぼけているのか。俺だ」
この冷徹な声の主には心当たりがありすぎる。しかも、とびきり身近な奴だ。
「アイ!? お前なのか!?」
女性は静かに頷いた。
俺は頭を抱えた。
「待て、俺に双子がいるのは確かだが、あいつは男のはずだ……。それとも別のタイムラインにでも飛ばされたのか……」指を鳴らして思いつく。「ああ!? もしかしてアイの双子の姉貴か!? 瓜二つじゃないか!」
「……最初の推測の方がまだ脳みそを使っているな」
「毒を吐くなよ……。で、なんでそんな姿になってるんだ?」
俺が席に着くと、向かい側で少年が美味そうに牛乳を啜っていた。
「飲みます? 冷蔵庫にたっぷり入ってますよ」
「それは俺の家の冷蔵庫だ」
デコイルと思われる少年がクスクスと笑う。
女体化したアイが説明を始めた。
「……少し前に魔力を使いすぎた。これは魔力を急速に回復させるための手段だ」
「どういうことだ?」
「一般的に、女性体の方が魔力の回復効率が高い。この姿でいる方が回復が早いんだ」
そういえばリリィもそんなことを言っていた気がするが……。こいつほどの化け物でも、そんな効率を気にする必要があるのか?
「そんなに魔力を使い切るようなこと、何をしたんだ?」
「ヴォイドとの戦闘だ。……実のところ、今はもう戦える状態にあるが、特にデメリットもないからな。このままでいい」
双子の「兄」の口から漏れる年上の姉のような落ち着いた声に、どうにも調子が狂う。
アイが尋ねてきた。
「落ち着かないか?」
「兄貴が姉貴になって目の前にいりゃ、普通は戸惑うだろ」
「そうか……。アニメの主人公にはよく姉がいるだろう。喜ぶかと思ったが」
「現実は切り離して考えてるよ。誰が身内相手に興奮するんだ」
「……あまり言いたくないが、お前を誇りに思った数少ない瞬間だな、ユウ」
「褒め言葉として受け取っておくよ」
寝起きで思考がまとまらない中、目をこすりながら質問をぶつける。
「今までベータにいたんだろ」
「ああ」
「何をしてたんだ?」
アイが少年に指を向けた。
俺の視線を受けた少年が、ぱっと笑う。
「勇者様が僕の偽物と戦っていた時ですね。僕が本体に戻ったところでアイさんと鉢合わせしたんですよ。偶然というより、殴り込まれたって言う方が正しいですけど」
「やっぱり、お前が本物のデコイルなんだな?」
「そうです。こんなに可愛いショタだとは思わなかったでしょ?」
予想外じゃないと言えば嘘になるが、まあ、驚きはした。
聞きたいことは山ほどあったが、結局何も聞かずに溜息をついた。
アイが腕を組む。
「……お前のスキルは、どこまで戻った?」
「スキル? ああ、太陽神の力が少し戻ったくらいかな。でもさ……聞こうと思ってたんだけど、最近ゲートキーパーを倒しても全然スキルが解放されないんだ」
本来なら、亀裂を守るゲートキーパーを倒すことでスキルが解放されるはずだった。だが、デコイルと戦う前からその兆候は止まっていた。
太陽神の力を使えるようになったのも、女神であるエヴァに蘇生された影響だろう。蘇生がトリガーになって解放されたに過ぎない。
アイが顎に手をやる。
「……そこが限界ということだろうな」
そのまま頬杖をついて続ける。
「そもそも、ゲートキーパーを倒してスキルが解放されること自体がイレギュラーなんだ。ましてやお前の封印はエヴァの手で壊されている。最初からお前の封印状態はおかしなことになっていた」
この世界に戻った際、俺とアイは世界のルールによる封印を受け、スキルの使用を制限された。
アイは自力でそれを打破し、俺はエヴァの助けを借りた。
アイには何の問題もなかったが、俺の場合は「封印解除状態」であるにもかかわらず、すべてのスキルが使えないままだった。
これまではゲートキーパーを倒すことで、異世界時代に使っていたスキルを思い出してきたが……。
「つまり?」
俺が聞き返すと、アイが結論を口にした。
「……これ以上ゲートキーパーを狩っても無意味だということだ。残りのスキルを解放するには、別の方法を探すしかない」
「お、おう……」
「その方法が何なのかは、まだ分からんがな」
「……」
「まあ……今ある手札で、ヴォイド相手に立ち回れることを祈るよ」
こいつ、やっぱりヴォイドのことを知ってるんだな。
俺は腕を振り上げて強がってみせた。
「余裕だって! 昨日も一体仕留めたばかりだ」
「ほう」
「そういえば、クロイチはどうなった?」
あの日、クロイチとリリィがヴォイドを倒したが、もともと活動限界が近かったクロイチはそのままアイの元へ戻ったはずだ。
アイが軽く瞬きをする。
「クロイチ?」
「ああ、クロイチだ」
「……ああ、『Prime』のことか。……戻ってはいるが、無理にドーン(Dorn)級の魔法を使わせたからな。再度呼び出せるようになるには、まだ時間がかかる」
俺とアイで呼び名が全然違うが、まあいい。「クロイチ」と名付けたのは俺自身だ。
それにしても「プライム」か……。
「二人とも、学校には行かないんですか?」
デコイルがいつの間にかお菓子をつまみながら尋ねてきた。
「もうそんな時間か……。アイ、今日はお前も学校に来いよ」
「ああ」
「あと、元の姿に戻っておけよ」
この姿で行けばクラス中がひっくり返る。何より、身内びいき抜きにしてもアイのこの姿はかなり美人の部類だ。
アイが首を傾げる。
「言われずともそうする。だが、少し遅れるぞ」
「また何かするのか?」
「女神の家へ行く」
そう言って立ち上がると、黒い霧が視界を遮った。一瞬のうちに、アイの姿は元の男へと戻っていた。
アイは拳を握りしめる。
「よし、回復完了だ」
「エヴァのところか? お前、エヴァに妙な真似するんじゃないだろうな」
俺が茶化すと、アイが俺の頭をポカッと小突いた。
「しない。……ただ、あの聖女をしかるべき場所に送り返すだけだ」
「あ、そうか。リリィをここにいさせたのは、ベータに帰す手段がなかったからだもんな」
俺は納得して頷いた。
「で、まさかまた影を身代わりにして登校させるつもりじゃないだろうな?」
「今まではこのクソガキの件で忙しかっただけだ」
デコイルが反論する。
「人聞きの悪い言い方ですねぇ」
「……状況が変わった。亀裂にゲートキーパーはもういないし、ヴォイドは亀裂を通らずに世界を越えてくる。お前もこれ以上ゲートキーパーを倒すメリットはない」
だから、とアイが告げる。
「残りの亀裂は、俺が暇な時に少しずつ閉じていくことにする。……本当に暇になった時にな」
勤勉なんだか怠惰なんだか。
俺は溜息をついて立ち上がった。
「それで、結局なんでデコイルを連れてきたんだ?」
デコイルに目を向けると、彼はただニコニコと笑っている。
アイは鼻を鳴らした。
「こいつはヴォイドの情報に詳しい」
「そういうことか」
「詳しい話は後だ。それよりお前も経験したんだろう? あの『ムーブセット』とやらを」
「ああ、経験したよ。まあ、剣技でなんとか受け流せたけどな」
「へぇ……」
アイは興味深そうに喉を鳴らす。
そうして俺たちは、歩いてすぐのところにある女神の少女の家へと向かった。




