Chapter 7 Visitor and Invader 03
「状況はどうですか?」
影さんは淡々とした声で尋ねました。一方、モンスターの方は様子を伺うかのように、ただじっと座ったままです。
アイさんの影である彼は、本来ならアイさんの姿に化けて、ユウ君やエヴァさんと一緒に学校へ行っていると聞いていました。ですが、今は影の姿のまま戻ってきています。
ああ、今日は休日でしたね。だからお二人はお出かけしていたんでしょう。
光をすべて吸い込み、何も反射させない漆黒の体。
白く細長い瞳に、爪のように鋭い指先。
「聖職者様?」
「あっ! はい! ユウ君が戻ってくるまで時間を稼いでいるところです!」
「そういう意味ではありません。こいつがどんなスキルを持っているかを聞いているんです」
少し恥ずかしくなっちゃいました。ユウ君を全力で頼りにしているのがバレバレですね。
私は説明しました。
「周囲の者の動きを遅くするフィールドと、自分を中心に衝撃波を出す手拍子。その二つの射程はほぼ同じです」
影さんは顎に手をやりました。
「道理で、さっき中に入る時、少しスピードが落ちたわけですね」
あれで「少し」なんですか……。
「それから、視界を奪う技、引き寄せ、見えない攻撃……そして一番危険なのが、中にいる者を攻撃する立方体を作り出す技です!」
「数が多いですね……」
「そ、そうですね……」
攻撃のバリエーションが多すぎます。高位のモンスターだとしても、これほど多くのスキルを持っているのは不自然です。今分かっているだけでも六つはあります。
そして、確信はありませんでしたが、私は付け加えました。
「視界を奪ってから立方体を作るまでは、連続攻撃だと思います!」
私が不安げにそう言うと、影さんはじっとモンスターを見つめました。モンスターは相変わらず動こうとしません。
「ふむ……」
影さんがホログラムのウィンドウを開き、指先でスライドさせました。
えっ……影さんもそれを持っているんですか? アイさんのスキルだから、そういうのは無いものだと思っていました。
「こいつ……モンスターではありませんね」
「え?」
「……『Void』です」
それを聞いて、私もウィンドウを開いてみました。すると、その個体のカテゴリーはモンスターではなく、確かに「Void」となっていました。
7 Void of Sin (七つの大罪の虚無)
第五位:Thanoros – The Eternal Sloth(永遠の怠惰)
影さんは頷きました。
「移動を阻害するフィールドは、名にある『怠惰』に由来するのでしょう」
「どういうことですか?」
「人間の原罪という概念ですよ。アイ様はよく、名前の意味から能力や関連性を推測するのがお好きでして……」
そこまで言って、影さんは肩を落としました。
「ですが、私はアイ様ほど賢くありません。ただのスキルですからね。ですから、アイ様や弟君のように頼りにはしないでください。期待は禁物ですよ」
「次元を割って入ってきた時は少し怖かったですけれど、私は頼りにしていますよ?」
「そうですか……では、期待を裏切らないように努めましょう」
そう言うと、影さんは低く身を構え、右手を顔に添えました。
「動きを遅くする能力があるのなら、それを補って余りある速さを見せるまで……」
漆黒の体から魔力が溢れ出します。そして、影さんは……。
スキルを発動しました。
「……『Form Change』」
影の体が歪みます。
表面が重なり合い、ねじれ、溶け合っていく。
そして、先ほどまで人の形をしていた影さんは、その姿を変えました。
「狼……!?」
真っ黒な狼。ですが、質感は影のまま。瞳もあの白い色のままです。
驚きましたが、それ以上に驚愕したのは、本来呼び出されたスキルが自らの意思でスキルや魔法を使うなんて、あり得ないことだからです。
まあ、アイさんの影ですものね。私の常識を超えていても不思議ではありません。これなら本当に頼りになりそうです!
私はそう思いながら、自分に回復魔法をかけ始めました。
おっと、その前に。
「『Attack Boost』! それから……『Speed Boost』!」
私は影さんにパラメーター上昇のスキルをかけました。影の狼に二色のオーラが宿ります。
「エデンの園による防御力上昇もかかっていますし、バフを重ねても効果は重複しませんから、これで十分なはずです」
私がそう告げると、影さんは頭を低くしました。
「ええ、どちらにせよ……」
白い瞳が細められます。
「一ダメージも食らうつもりはありませんから」
その言葉を最後に、狼は跳ね上がりました。
その動きだけで周囲の空気が削り取られます。私の目から見ても……これは……。
「ゆ、ユウ君よりも速いんですか……?」
黒い影が飛び交い、元々動きの遅いタノロスは翻弄されるばかり。フィールドの減速効果も、狼の影さんを止めるには至りません。
電光石火の攻撃が何度も繰り出されます。その時、影さんの動きが変わりました。
視界を奪われているんですね!
「影さん! 右に動いてください!」
私は叫びました。
「そのまま走り抜けて! 引き寄せられます!」
影さんは指示に従い、タノロスから離れようとしました。ですが、引き寄せの範囲は減速フィールドよりも広かったのです。
影さんは吸い寄せられ、見えない攻撃がその体に直撃しました。
白い瞳が揺れます。かなりのダメージを負ったようです。
この距離なら……!
「『Heal』!」
私は影さんにスキルを放ちました。緑色のプラス記号が影の体中を舞います。
しかし、本当に恐ろしいのはここからでした。
「[]!!!」
言葉にならない咆哮が響き、立方体が出現しました。
影さんは拘束から逃れようと跳躍しましたが、跳ね返されてしまいます。
いくら影さんの防御力が私より高いとはいえ、あのスキルは強力すぎます!
ヒールを使い続けなきゃ!
そう思った、立方体の中で攻撃が放たれる寸前。
「『Form Change』」
影さんが再びスキルを使いました。黒い体が不自然に歪みます。影の形態を再構築している最中なのでしょうか。
ヒールを使おうとしましたが、今の影さんには受け付けられません。
「どうして……!?」
立方体の外からの干渉を拒んでいるわけではありません。私がスキルを使えないのは、影さん自身が原因でした。
そして立方体が霧散したのと同時に、影さんは人間の姿へと戻りました。
鋭い指先をタノロスへと向けます。
「[]?」
タノロスは、なぜ自分の攻撃が効かなかったのかと困惑しているようでした。
影さんは嘲笑うかのように白い瞳を向けました。
「『無敵時間(I-frame)』をご存知ですか? Void」
タノロスが脅威を感じ取ったのか、ぶよぶよとした手を上げました。影さんを弾き飛ばそうと手を叩く構えをしますが……遅すぎます。
「Dorn……『Void Purge』」
呪文を詠唱することなく、魔法が発現しました。
ま、魔法まで使えるんですか!? しかもDorn級だなんて!
元々不自然にブレていたタノロスの体が、魔法を受けることでさらに歪んでいきます。
「[____]!?」
「独り言は他所でやってくれませんか。耳障りです」
そして、タノロスの体はひび割れ、次元が震えました。最後には、タノロスは何かに飲み込まれるようにして姿を消したのです。
私は、戦いに終止符を打った影さんを、目を輝かせて見つめました。
すごいです……アイさんのスキルというだけで、これほどまでに強いなんて。
スキルも使えて、Dorn級の魔法まで使いこなす。もしかしたら、高位の冒険者よりも強いかもしれません。
「リリィ様、次元を閉じていただけますか」
「あっ! はい、すぐやります!」
辺りを埋め尽くしていたエデンの擬似次元が消え去りました。戦いが終わると、影さんは大きく一つ溜息をつき、その場にへたり込みました。
「か、影さん!?」
私は駆け寄って彼を支えましたが、その感触は少し不思議なものでした。これが「影の肌」なんですね。
「アイ様から分けてもらった魔力が底をつきました……」
アイさんから魔力の供給を受けない限り、使い続ければいつかは尽きてしまいます。そして魔力がなくなれば、影さんは消えてしまいます。
「わ、私、魔力を分けられます! 耐えてください!」
黒い体が徐々に薄くなり、透き通っていきます。
影さんは首を振りました。
「アイ様の魔力でなければ意味がないんですよ。……まあいいでしょう。私はアイ様のもとに戻るだけですから」
完全に消滅するわけではないと聞いて安心しました。でも、それでも……。
「リリィ! クロイチ!?」
ユウ君の声が聞こえました。振り返ると、ユウ君とエヴァさんが走ってくるのが見えました。
二人は戦いが終わっていることに気づき、少しだけ安堵したようです。
影さんは笑いながら尋ねました。
「弟君、頼んでいた物は買ってきてくれましたか?」
「バカ言え! Voidと戦ったんだろ!? それで、魔力が切れたのか?」
ユウ君が焦ったように聞きます。
「一滴も残っていませんよ。スキルも魔法も使わざるを得ませんでしたからね。まあ、万が一のために取っておいた予備でしたし」
「そうか……」
「クロイチ……」
エヴァさんは複雑そうな顔で影さんを見つめていました。きっと女神の力で何かできないか考えていたのでしょうけれど、影さんは手でそれを制しました。
「何をそんな顔をしているんです。私はアイ様のもとに戻るだけですよ。アイ様がまた何度でも召喚してくれます」
「それは……」
ユウ君は拳を握りしめましたが、やがて力を抜いて首を振りました。
「そうだな。じゃあ、あいつのところに戻ったら、一発殴っておいてくれ」
影さんは小さく鼻を鳴らし、こう答えました。
「自分でやってください」
その返答に、ユウ君は笑いました。
「でもさ……お前、一番弱い影のくせに、Voidと戦えるなんてな……」
影さんの瞳がピクリと動きました。
「どの口がそれを言っているんですか、この犬っころが」
「ん? 犬じゃないぞ。猫だ」
「あの毛むくじゃらめ……本当に癪に障る女ですね」
影さんがアイさんのもとへ戻る前に、私は声をかけました。
「影さん、本当にありがとうございました」
「護衛を命じられていただけですから。ですが……一応、受け取っておきましょう」影さんはユウ君とエヴァさんの方を向きました。「弟君をよろしくお願いしますよ、女神様」
「何を今更しんみりしてるのよ。死ぬわけじゃないんでしょ、クロイチ」
エヴァさんはアイさんとあまり仲が良くないからでしょうか。影さんに対しても、どこか素っ気ない態度です。
影さんはユウ君に言いました。
「今夜見る予定だった映画は、また今度ですね」
「……分かってるよ。無理すんな、またな」
そして、影さんは消えました。
どこかへ流れていく黒い残滓だけを残して。私はその光景を見つめながら、心の中でもう一度お礼を言いました。影さんがいなければ……私はきっとタノロスにやられていました。
本当に頼りになるスキルですね。
「さて、どうしたもんかな……」
ユウ君が大きく溜息をついて言いました。
「そうですね……」
私が呟くと、エヴァさんが口を挟みました。
「まさか、アイが帰ってくるまで待つって言うんじゃないでしょうね?」
「……あいつが張っていた結界は、Voidの侵入でダメージを受けているはずだ。待とうが待つまいが、もうすぐ帰ってくると思うぞ」
「どうしてそんなに言い切れるのよ。一週間も姿を消しているような奴なのに」
私もエヴァさんと同じ意見でした。アイさんがいつ帰ってくるのか、今の時点では想像もつきません。
でも、ユウ君はいたずらっぽく指を振りました。
「確信があるのさ。どれだけ長く姿を消していても……」ユウ君は満面の笑みで言いました。「近況報告の一つもなしに我慢できるような奴じゃないからな」
その時の私は、まだその言葉の意味がよく分かっていませんでした。数日後、ユウ君の言ったことが信じられないほど正しかったことを知って驚くと同時に、『やっぱりこの二人、本当に双子なんだわ』と納得することになるのです。




