Prologue 2 [The Void Emerges] 02
デコイルは眉をひそめた。
「それで、そのガブリエル様とやらは、一体何の目的で僕にそんなものを渡したんでしょうか?」
「…」
ガブリエルの意図など、俺には計り知れない。あいつの行動は常に常軌を逸している。そうだとしても、あいつは堕天神なのだ。
堕ちた女神。
神域の法を犯した女神。
傲慢で、利己的な女神。
俺は何度もガブリエルを理解しようと試みた。なぜ俺に執着し、あんな仕打ちをするのか。だが結局、あいつは狂っているという結論にしか至らなかった。
デコイルに端切れのような情報を与えたのも、ただの悪ふざけだろう。
それでも、俺の情報のすべてを渡さなかったことだけは、不幸中の幸いだった。もしすべてを知られていたら、今頃手遅れになっていたはずだ。
『神』といえば、エヴァという場違いな女神の顔が浮かぶ。
なぜAlphaに女神がいる。異世界から帰還できたというのに、次から次へと苛立たしい問題が噴き出してくる。
俺は首を振った。
「知らん」
「まあ、そうですよねぇ~」
「貴様、ガブリエルの仲間ではないだろうな?」
「仲間になりたいのは山々ですが、ガブリエルなんて名前、今初めて聞きましたよ。…まあ、女神の力は喉から手が出るほど欲しいですが、堕天神なんて正直わけが分からない」
「…」
「嘘じゃありませんよ。もし仲間だったら、僕が持っているあなたの情報はこんなに少なくありませんから」
デコイルが薄く笑う。
「…あなた、一体何者なんですか? 『千年の魔導師』なんてここらの人間が勝手に呼んでいる二つ名に過ぎない。あなたは数ヶ月前に突然Betaに現れた。大抵の奴は、ずっとダークテリトリーにいたとか、クリアすれば最強になれる隠しダンジョンに迷い込んでいたとか言っていますが…僕はどれも真実じゃないと思っています」
魔王を倒してAlphaに戻る約二、三ヶ月前、俺はそこでユウに出会った。あいつはずっとそこにいたのだと俺は知っている。
俺は、それ以前にどこにいたのかを誰にも話したことはない。ユウにさえもだ。そしてそれはユウにとっても大きな疑問だった。俺とユウがこの異世界に滞在している時間は等しいはずなのに…それまで俺はどこにいたのか。あいつは今もそれを疑っている。
話すつもりはない。
デコイルが言ったような噂を口にする連中もいるが、ずっとダークテリトリーに身を置いていたデコイル自身、それがデタラメだと理解している。他の噂も信憑性は皆無だ。
俺がデコイルに与えた答えは、こうだ。
「…異世界にいた。それだけだ」
「だから言ったじゃないですか~、噂はどれも嘘だって。はぁ、まあいいですよ。ここは目をつぶってあげましょう」
「貴様、女神の力を手に入れて何をするつもりだ?」
問いかけられたデコイルは、怪訝そうな目を向けた。
「僕のことに興味があるんですか?」
「…喋りたいんだろ?」
「まさか、自分の計画をペラペラと喋るタイプの悪役だと思っているんですか? 子供向けのアニメじゃないんですから。ガッカリだなぁ…」
ユウもこのガキも、なぜこうもゲームだのアニメだのの話を好む。
今の俺は、まだ何かに気づくこともなく、デコイルに返した。
「貴様はそういうタイプだろう?」
デコイルは手を振った。
「口が滑っただけですよ。それに、客観的に見れば悪役側なのはあなたと勇者様の方だ」
「…?」
「魔王は世界への侵略者であり、人間界に害をなす。ブラブラ…なんて恐ろしい言葉で洗脳されて、魔王さえ倒せば世界は平和になると勝手に思い込んでいる…」
「違うというのか?」
「半分だけ正解です。魔王だから世界を征服したくなるのは仕方ない。そういう存在ですからね。…ですが、魔王の存在は必要だった。魔王が死んだことで、他の脅威が介入できるようになったんですから…」
そこまで言うと、デコイルは背後の方向を指差した。
「ダークテリトリーの先には、何があると思いますか?」
「何を馬鹿なことを」
ダークテリトリーは世界の三分の二を占めている。全面積の約六十七パーセントだ。残りが人間界。
ダークテリトリーの先にあるのは人間界のはずだ。異世界とはいえ、この世界も球体なのだから。
デコイルが笑みを深める。
「答えてみてくださいよ」
「人間界だ」
「ブッブー、ハズレです」
「なぞなぞ遊びのつもりか?」
「ダークテリトリーの遥か先にあるのは、『虚無』ですよ」
虚無。俺はその言葉を心の中で反芻した。それが正しく理解できているのかは分からない。
「…」
俺が黙り込むと、デコイルは言葉を続けた。
「モンスターだろうと人間だろうと、種族もクラスも、すべてはスキルと魔法というシステムに縛られている。ですが、虚無という場所には、そんなシステムに縛られない生命体が存在するんですよ」
同時に、デコイルは何かを待つかのように視線を横に走らせた。
「魔王が死に、虚無と人間界を隔てていたダークテリトリーは、主を失って消滅したも同然。そうなれば、この世界はあいつらの侵入を止める術を持たない…」
「ダークテリトリーの先に、正体不明の何かがいるとでも言いたいのか?」
デコイルは人差し指を振り、俺の言葉を遮った。
「正体不明じゃありません。あいつらは『Void』です」
「は?」
「意味はそのまんまですよ。虚無から生まれた、名前も呼称もない生命体。だからそう呼ばれているんです」
「誰がそう呼んだ?」
俺が問うと、デコイルは薄く笑った。
「僕ですよ」
その瞬間、俺とデコイルは奇妙な揺らぎを感じた。ベルもその方向へ鋭い視線を向ける。
「アイ様!」
俺は攻撃に備える。デコイルの様子を見る限り、こいつによる不意打ちではなさそうだ。…何者かの侵入か。
俺は謎の衝撃を受ける直前、瞬時に手を前に突き出した。
デコイルもまた、手を掲げる。
「「 Vos 『Aegis Wall』 」」
俺とデコイルの魔法が同時に発動した。俺の前には黒い無機質な壁が現れ、デコイル側には歪な形状の紫色の壁が立ち上がる。
だが、壁を叩いたのは攻撃魔法ではなかった。自分の体がどうなろうと構わずに突っ込んでくる、人形のような『何か』の群れ。目の前の光景は、押し寄せる人形の波のようだった。
それも数百、数千という単位。視界が埋め尽くされるほどの人形たちが、絶え間なく壁に衝突し続ける。
中級から上級に位置する『Vos』級の魔法、それも防御に特化した魔法だ。本来なら、これにダメージを与えられる攻撃などそうそうない。
それなのに、壁に亀裂が入り始めた。
一撃のダメージは微々たるものでも、これだけの数で衝突され続ければ、耐えきれなくなるのも無理はない。
デコイルは腕を組み、崩壊しかけている壁を見つめた。
「僕のはともかく、アイさんの壁が保たないなんて。数が多すぎるんでしょうねぇ」
「ベル…大丈夫か?」
俺はデコイルを無視し、壁の背後に避難したベルを振り返った。古竜とはいえ、正体不明のこの数を相手に炎上を放つのはリスクが高すぎる。ベルの判断は正しい。
「大丈夫です…ですが…こいつら」
「ああ…召喚を解除する」
「アイ様!?」
「…意見は求めていない。戻れ」
言い放つと同時に、古竜ベルの召喚を解除した。足元に魔法陣が浮かび、瞬時にその姿が消える。
デコイルは首を傾げてそれを見た。
「いい判断ですね。古竜といえど、こいつらの相手は務まりませんよ」
「…貴様、こいつらのことを知っているようだな?」
「クスクス、決まっているじゃないですか」
俺は目を細め、呟いた。
「Void…」
「ええ。虚無から生まれた生命体。ゆえに目的も持たず、ただ強さのみに固執する。…これほどの数が押し寄せてきたのは、アイさんの気配を感じ取ったからでしょうね」
「貴様の逃亡計画か?」
「最初はそうしようと思ってたんですよ~、でも目の前にして分かりました。そんなのは下策だって。隙を見て逃げようとしたところで、あなたに殺されるのがオチですから」
「ああ、その通りだ」
目の前にひしめく無機質な人形たちは、膨大な数のVoid。デコイルの言葉を信じるなら、こいつらはスキルや魔法といったシステムに縛られていない。
ならば、奴らは何を基準に強さを得ている?
完全に情報の欠落した存在、か。
俺は舌打ちした。
デコイルはガックリと肩を落とす。
「これだけの数はさすがに不味いですね。あなたは余裕でしょうけど、僕はどっちに転んでもセーブポイントに戻るしかなさそうですし…」
「ゲーム用語で喋るなと言ったはずだ」
「逃げても逃げなくても死ぬって意味ですよ。…いっそのこと、World Keyを差し上げますから、僕を見逃してくれませんかね?」
状況は予想以上に最悪だ。数千のVoidが魔法の壁に押し寄せ、隙間から漏れ出した個体が動き始めている。体がボロボロになろうとお構いなしだ。
俺は首を振った。
「…World Keyは後だ。貴様はこいつらに詳しい。俺の助手(手下)として動け」
デコイルは再び肩を落とした。
「あのですねぇ…かつて戦った悪役が仲間になる展開っていうのは、何度も死闘を演じた後の話ですよ。僕とあなた、まともに顔を合わせるの今日が初めてじゃないですか。共闘なんて……」
このガキ、本当にユウに似た口を叩く。
そう言われた俺は、いつもユウに言っていた言葉を口にした。
「…漫画と現実を一緒にするのはやめろ、デコイル」
同時に魔法の壁が砕け散った。無数のVoidが俺たちへと襲いかかる。最終ダンジョンの壁は崩壊し、周囲の部屋まで見渡せるほど開けた空間となった。
デコイルは無邪気に笑った。
「漫画じゃありませんよ。アニメです」
そう言い返しやがった。
俺は構わずスキルを起動させる。
これだけの数を相手にできるスキルは限られている。俺はその一つを選択し、デコイルもまた楽しげに叫びながらスキルを放った。
「Shadow Army」
「Shadow Replica!!!」




