第二章(2)
その女、先代の妾の一人ではないのか?
背が抉られたのは、間取り図があったからだ。
そして抉った相手は、それを他の誰にも見られたくなかった。
この考えは、穿ちすぎだろうか。
考え込む私の前で、イエルは顔を左右に巡らせる。
「ところでヴァルはどこ? アイツが姫さんのそばにいないなんて、雨でも降るかな」
私とフリーダはまず、沈黙した。
ヴァルは、私の友人で、幼馴染だ。
もっと正確に言えば、兄妹のように育った。
その縁で館にまでついてきてくれたが、血のつながりはない。
ヴァルは、捨て子だ。生まれは、教示者の村。
村八分にされていた私たちの家の前に、彼は捨てられた。
理由は、ヴァルが異端だったから。
私のように生まれが、ではない。彼の場合、能力だ。
教示者の両親から生まれながら、その力は歪み切った形で発露する。
よってヴァルは、その力を発揮することを好まない。
ゆえに、なのか…趣味が高じたトラップ作りは芸術の域にまで達している。
それはともかく、イエルが、ヴァルを捜している?
聞かなかったことにしたい。
「ヴァルを捜しているの、イエルが?」
「うん、そう。…なんか二人とも、天災に遭ったみたいな顔してない?」
フリーダは悪夢に耐えるように言った。
「また果し合いですか?」
私たちを見比べ、イエルは困り顔で頭をかく。
「果し合いなんて古典的な。オレとヴァルは気が向いたときにちょっと遊んでいるだけで仲が悪いわけじゃ…睨まないでってばフリーダちゃん」
「建物半壊が娯楽ですか」
「え、あの」
数ヶ月前、彼らが館の一角を壊したことは、まだ使用人たちの記憶に新しい。
「反省に、二人仲良く三ヶ月東府の便所掃除させられたじゃない、忘れたの?」
「その東府に新しい蔵が出来るから、防犯トラップについて相談したいんだけど」
イエルは目を瞬かせた。寝耳に水の顔だ。
…忘れてやがる。
私はフリーダと顔を見合わせた。
少し考える。
イエルとヴァルは揃うと、普通のやり取りがそのまま破壊活動となるが、どちらも公私の別をつける甲斐性はあった。
仕方なしに、私は頷く。
「見つけたら、伝えておくわ」
「伝言より命令が嬉しいなー。でないとヴァル、姫さんから離れないよ」
「言ったアナタが忘れそうよね」
「あはは、やだな、物事を覚えるなんて無駄な努力しないよ」
「しろ」
私は頭痛を堪えて話題を変える。
「ところで、アナタの無二の親友、ゼンはどこかしら」
「誰それ」
私はにっこり笑って手を伸ばす。
とたん、イエルが賑やかな悲鳴を上げた。
「あ痛、痛い痛いっ、耳、耳はやめて姫さん、あっでも美人にされると違う感覚が」
言葉すべてが余計な男だ。
世間では東の闘将と敬意と恐怖を込めて呼ばれるその男に、私は、数歩先に見える書庫の扉を指差した。
「アナタと違って勤勉なゼンは、書庫の鍵を預かってたわよね」
「すみません思い出しましたごめんなさい訊いてきます」
「ついでに持ってきて、開けてくれると嬉しいんだけど」
ここまでの道のりを忘れそう、と呟くイエルをどう脅すか考えた、その刹那。
書庫の扉が内側から押し破られた。
鼓膜を破りそうな騒音を伴って、中から突風の勢いで飛び出したのは、人体だ。
放物線を描き、回廊を飛び越え、茂みに頭から突っ込む。
枝が抗議の悲鳴を上げて撓り、朝露がきらきら舞い散った。
ぱた、と両脚が力なく地面に落ちる。
「…開いた」
イエルの呟きに、茂みから伸びた足が動いた。
「気を抜くと死にますね、ここは。…おや」
起き上がり、枝葉にまみれた笑顔を上げた相手に、私は咄嗟に微笑んだ。
太守の妻として、淑やかに。
「おはようございます、カーター様。この館に何か御用でも?」
書庫から放り出されたのは、中央府の官吏だった。
冷たい黄金の髪、濃紺の瞳。とっぽい青年。
東府に行ったのではなかったのか。
東府と太守の館は近いが、間違うほどではない。
カーターははにかんで立ち上がる。
「おはようございます。ご婦人の前で、みっともないところを…。やあ、平服もお似合いですね。佇んでおられるだけで、場が華やぐ」
「ありがとうございます」
社交辞令に私が微笑むと、カーターは何度か瞬きして頭をかいた。
その目が、イエルの耳を引っ張る私の手を見る。
何か言われる前に手を離し、私は口を開いた。
「書庫へいらっしゃったのですか」
「ええ、許可は得ていますよ」
ほら、と示したものを、近付いてきた彼は私に手渡す。緑の房がついた鉄の棒。
書庫の鍵だ。
「太守が、許可を?」
聞いていない。
来客がある場合の連絡網は、端々まで行き届いているのに。
カーターは何食わぬ顔で、頷いた。
一見穏和だが、隙がない。
冷淡な瞳が私を観察している。
フリーダたちを見ようとして、私は思いとどまった。
微笑を崩さず、言う。
「申し訳ありません、お茶もお出しせず」
「そんな、お構いなく」
「そうだわ、そろそろ朝食の時間ですので、食べていかれてはいかがでしょうか。お連れの方も」
「連れ?」
瞬間、虚を突かれた顔になり、ふと、剃刀みたいな冷たい鋭さが覗く。
それはすぐさま、気弱な笑みにすりかえられた。
「いえ、私はひとりですが」
「あら、すみません。では、勘違いですね。先ほど書庫から出られたときのご様子からして、中にお連れの方がいらっしゃるのかと思ったのですが」
少なくとも、書庫の中で彼は一人でなかったはずだ。
カーターにとって、敵か味方かはいざ知らず。
しれっと言えば、さらっと返される。
「ひとりですよ。手伝ってくれる部下の一人もいれば、助かるのですが。…っと、失礼」
彼が自分の身体の脇を撫でるなり、その手に布袋が現れた。
どこにしまっていたのか、奇術のように取り出した袋の口をあけ、掌の上に丸薬を複数転がす。
やっぱり、毒々しい紫色だ。
それらを白湯もなく飲み下し、カーターは一息ついた。
「すみません、私はこれがなければ生きていけないのです」
「出すぎたことを言うようですが、過ぎれば毒になりますよ」
眉を潜めて言ったのは、本音だ。
彼はなぜか嬉しそうに笑った。
「肝に銘じておきます。ですが、倒れるわけにはいきませんからね。微力ながらも、全力を尽くさなければ。私を東府へ派遣したクラン宰相のご期待を裏切るわけにはいきません」
クラン宰相。その名に一瞬、息が止まった。
笑顔が保てず、表情を消す。
驚愕を殺せたのは上等だ。
果断残酷、冷酷無比な赤の宰相。大国リ・ヒの支配者たる聖上の懐刀。
カーターは彼の息がかかっているのか。
クランについては、嫌な話ばかりが記憶に粘りついている。
伝染病が出た村を焼き討ちにかけ、全滅させた。
あるいは、推し進めていた政策に横槍を入れた者たちを暗殺し、平然と実行した。
また、他国との戦争の際、孤立した仲間を見捨て、人命より勝利を優先させた。
そして、横領事件が起きた際、疑わしいというだけで、幾人もの官吏の首をはねた。
彼の仕事は迅速で、間違いはない。
ただ、あまりにも情がないため、感情が反発するのだ。
その宰相が、東府に目をつけたのか。
気に食わなければ、罪状をでっち上げるくらいのことはやりかねない。
とは言え、タキは六年前、中央府から正式に太守として認可が下りている。
今頃になって、何をしようと言うのか。
カーターは困ったように微笑んだ。
とたん、陽射しが凍ったかと思う寒気に襲われた。
目の前の男が、見知らぬ別人に変わった心地に、足が竦む。
「そう警戒なさらないで下さい。正統のアナタには、悪いように致しません」
彼の手が伸びた。
ハッとしたときには、左手の甲に触れられる。
腕環が涼やかな音を立てた。不覚だ。
私は心の中で舌打ちする。
「うつくしく聡明で慈悲深い教示者。噂と違って、痛々しいほど気高い」
手の甲を、指先がなぞった。
指が絡む。
撫でられたのは、昨日、傷つけた指だ。
胸が悪くなる。
包帯越しに触れるなり、睦言めいたカーターの声調が、冷えた。
「けれど、彼は簒奪者です」
一瞬で、脳が煮立った。
指を振り払い、射殺す勢いで視線を突きこむ。
「けれど、彼は支配者です」
毅然と私は宣言する。
「民に選ばれた、正統な」
私の左右に、フリーダとイエルが立った。私を守るように。
カーターはにっこりと微笑む。
皮肉の絡む感嘆が彼の双眸に浮いた。
「アナタも、選んだのですか」
「はい」
「父親を、殺した男を?」
「はい」
私は厳かに頷いた。迷わない。
誰に聞かれるまでもない。
何度も自問自答した。
頭が痛くなるほど考えた。
前太守がどんな男でも、嫌悪しかないとしても、父は父。
自分の身体に流れる血は捨てられない。しかし。
父親を殺したタキを、愛すことはできないが、共に歩くことはできる。
彼を、尊敬していた。どれだけ嫌っていても。
カーターの口調が、ふと変化した。探るように。
「では、アナタはご存知なのですか」
「…なにをです」
「…東の太守、その目的を」
目的?
聞くなり、
(そんなことを尋ねるアナタの目的はなにかしらね)
私は内心冷ややかに吐き捨てた。
彼はここへ、何をしにきたのだろう?
カーターの言う、目的とは、おそらく。
タキが、革命を起こした理由、だ。
そして、一傭兵から太守の地位まで上り詰めた、…その先の目的。
残念だが、私とて理由など知らない。聞いたこともなかった。
確かに、不思議には思う。
タキに、権力欲はない。地位や名誉など、鬱陶しい、と不味いもののように躊躇なく捨ててしまう男だ。
つまりは、野心がない。
財産にも無頓着。
困っている人間がいたところで、視界にも入れず、どころか、存在に気付かず踏みつけて進むようなところもある。
タキは他者の弱さに疎く、残酷だ。
それも、過度に。
タキは強者だからだ。
一人で生きていける人間。そして迷いなく、弱いものは踏みつけてきた。
他者を慈しむより、自分が生き残るための糧に変えて。ゆえに。
誰かのために立ち上がった、などという姿は冗談でも想像できない。
そんな人間がなぜ、革命の先頭に立ち、それまで、誰もが本能的に恐れた、太古の名門の血筋を殺してみせたのか?
そして、今なお、タキが東府の発展に精力的な理由は?
東の太守になった結果、タキが得られたものは、色々な意味で先代の負債ばかり。
タキが、それを知らないで甘い汁を吸うために太守になろうとしたなら、もくろみ外れもいいところだったろう。
しかしそれはない。タキは、頭がいい。
先代の跡を継ぐなど、面倒事以外のなにものでもないと分かっていたはずだ。というのに。
革命は成り、東の領地は以前より確実に活気に溢れ、豊かになった。
それを考えると、
(どういうわけか、考えれば考えるほど、タキは進んで貧乏籤引いたとしか思えないのよね…)
本来なら、面倒くさいとそっぽを向いている男だ。
なのに、なぜ。
(目的、ね)
無論、私とて、興味がない、とは言わない。
人なみに、好奇心だってある。
けれど。
気が向けばそのうち、タキ自ら話してくれる、と思うのだ。
第一、そういうことを考え込む暇は、今はない。
なにせ、東の領地は、未だ問題だらけだ。
私は頭を振って、ろくな解答を出さない思考を振り払った。
答えの出ない思考を辿るより、分かりやすい証拠が、目で見られる場所にあるではないか。
答えを待っているカーターに、私は明快に答える。
「知りません。ですが、東の領地、その現状が、答えでしょう」




