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呪歌  作者: 野中
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第二章(1)

早朝の空気は、爽やかだ。


小鳥のさえずりに目を覚まし、私はむっくり起き上がる。

寝覚めはいい方だ。すぐさま寝台から抜け出し、夜着を脱ぎ捨てた。

前日用意していた着物に腕を通す。

緑の帯を締めた。

いつもよりキツく。

気合を入れるためだ。

身支度の最中、顔を見せた侍女が、親愛に満ちた微笑を浮かべる。

「おはようございます、ユカ姫様」

「おはよう、フリーダ」


普段着は自分で着るようにしている。

ただ正装だけは、一人で脱着が不可能なつくりだ。

誰が考えたにせよ、人手に困らない金持ちに違いない。

今日は客人もないから、気楽なものだ。


状況は、寛ぐことを許さないが。


「本日は、いかがなさいますか」

「書庫へ行くわ。妾探しはナツメに任せたから、番人の詳細を調べようと思って」

かしこまりました、と細い指先で襟元を整えてくれるフリーダから、爽快で少し冷たい緑の香りが漂う。


「ユカ姫様、昨夜はよくお休みになられましたか」

私は苦笑する。フリーダも心配性だ。

「眠れないほどの痛みじゃないわ」

「…眠り香を、焚きましょうか」

遠慮がちな申し出に、私は首を横に振った。

たとえ苦痛でも、自分の身に起こることを自分に誤魔化したくない。

のみならず。


時折忘れるが、私に忠実なこの侍女の手綱は、慎重に捌かねばならない。

猪なみにどこへ突撃するか分からない女性なのだ。




フリーダの調香の腕は、悪魔的である。


不眠香、媚薬、自白剤、催眠薬。

あらゆる劇薬が彼女の指先で産声を上げた。

貴婦人の装飾である花の香を咲かせるときもあれば、神経を狂わせる香りを調合し、時には死に至らしめる。

一言で、天才だ。


別の言い方をすれば、良識が無い迷惑な人。




真面目できれいで格好いいお姉さまだが、気は抜けない。

彼女が好意のつもりでも、うっかり麻薬中毒になりかねなかった。


一見まともに見える危険人物を従え、私は部屋を出る。

大股に、書庫を目指した。

白い柱で支えられた回廊は、まわりの草木に輝く朝露のひかりで、少しまぶしい。

「朝食まで時間があるから、先に書庫の鍵、もらって来ようか」


「書庫の鍵はゼン殿が管理しています。この時間ですと、衛兵の詰所かと」

フリーダの瞳が、わずかな嫌悪と疑念で曇る。

「理由を聞かれたら、なんと言いますか?ゼン殿にバレてしまったら、すぐ、太守様に報告されてしまいます」

「いくら勘がよくても、ゼンだって千里眼じゃないわよ」

書庫の鍵を借りるくらいで呪いのことまで見通せまい。

フリーダはぎこちなく笑う。

「そうですね」


苦手でも、ゼンの有能さをフリーダは認めているらしい。

納得したと思ったら、フリーダは表情を改めた。

意を決したように言う。




「ですがユカ姫様。今回の件、太守様にはご報告なさった方がよろしいかと」




「昨日言ったわよね。内々に処理するって」

「ご意向は理解しておりますが、隠し通すことは難しいのでは」

「どうして?」

フリーダは冷たい彫像みたいな美貌に、ふっと含羞の色をのぼらせた。


「その、同衾なさったときに」



咄嗟に私は表情を作り損ねる。



「ユカ姫様?」

「あ、あー、そうね、うん、頑張るわ」

私は心の中で、自分に舌打ちした。

頑張るって、何を。


私とタキの関係が刺々しいことを、側近一同知っているはずだが、時によく分からない反応をする。


今のフリーダのように、本当の夫婦か恋人に対するような。


まぁ、実際の関係までを声高に吹聴して回っているわけでなし、夜を共にすごすこともあるのだから、身体までしっかり夫婦、と思われていても不思議はない。

それだけ私とタキの演技が素晴らしいのだろう。

…と自賛したところで、やりにくい。


反応に困った私の脳裏を、六年前のタキの顔が過ぎった。

まだ少年で、水底のような静けさを双眸に湛えている。

今の彼より随分幼いが、やはり、可愛げなど欠片もない。


はじめて会ったとき、タキは十五で、私は十。











出会いは最悪だ。


彼の手には血刀が握られていた。

私は、殺されると思った。


ともすると消え失せそうな勇気を必死でかき集め、タキを見上げる所作ひとつにも、私は命懸けだった。

見ることひとつに、全神経を集中させた。

無感動に私を見下ろす彼の背後には、数人の男女が固まって震えていた。

タキは彼らを長剣で示して、言った。


―――――そこに、太守の館の使用人たちがいる。争いの中運良く生き残った者どもだ。俺は旧きを悉く抹殺する覚悟で剣を握っている。太守の娘、お前は彼らを助けたいか。


命の瀬戸際に立たされた見覚えのない連中が、縋るように私を見た。




今更、と叫びたかった。


目の前が歪むほどの怒りが暴発する。




関係ない、突き放してしまえ。


すべてが生まれ変わろうとする破滅の際に、無視し続けた子供を、太守の娘と頼るのか。

責任を取れ、というのか。

理不尽だった。


なにもかも。


私はそれまで、太守の館の外で育てられた。

懐妊直後に捨てられた母は、祖父を頼り、森の中の小屋で、私を産み、育ててくれたのだ。

他の教示者たちは太古の名門の血脈と通じた母を蔑み、親たる祖父を詰り、私を罪の結晶として決して受け入れようとはしなかったが、家族は全身で私を愛してくれた。

私は私だ、と。


罪などではない。

我らと同じ血を受け継ぐ、可愛い家族だと。

―――――お前がこの世に生まれたことに、感謝を。

そう、言ってくれた。

そんな彼らの存在が、私の世界の、…すべてだった。ゆえに。


…実の父親であろうと、太守とは完全に無関係の存在だと思っていた。


それが。

(今更、―――――いまさらっ!)

太守の娘? どういう冗談だ。

怒りに煮えたぎる私の目を覗き込み、タキは運命そのもののような厳粛な声で言った。






―――――救いたいなら、俺の妻になれ。






十の貧乏臭い小娘とも言えない痩せっぽちの童女を、そういった対象として見る趣味は、彼にはない。

その妻問いは、あくまで、『太守の娘』に対するもの。

私の血統に、タキは求婚したのだ。

私の人格は、無視。


なんたる侮辱。


怒りのあまり、声もない。

ひどいくらいの激昂に、心が壊れそうになる。

荒れる感情の手綱を取るのが精一杯だ。

返事もできない私の前で、後ろを向いたタキは無造作に剣を振り上げた。

とたん、理解した。


彼は、やる。脅しではない。本気で。


タキにとっていのちなど、なんの重みもないのだ。

刹那、私は彼の腕に縋った。見捨てられない。

彼らの死を見届けたところで、一時私の激情が満足しても、残る後味は苦すぎる。

追い詰められた十の幼子に、追い詰めた十五の少年は訥々と語った。




私がタキの妻となるなら、世間から、女として考えうる限りの侮辱と軽蔑と罵倒で尊厳を踏みにじられるだろう、と。


それを承知か、と剣を握った腕を下ろした。




そこで、気付いた。

この状況は、彼が私に用意した言い訳だった。

脅されて仕方なく選んだ道だ、と言える逃げ道。

彼は己が悪役になることで、私が館へ戻りやすいように配慮したのだ。

無論、タキは彼らを殺すことにも、何の感慨もなかったろうが。



タキは誠実な求婚者だった。ないのは、愛情だけだ。



それでも、彼の手を取ったとき、私たちは共犯者になったのだ。

タキは入り婿としてオーウェルの名を継いだ。そして、私は。

言い訳しなかった。

自由意志で彼を選んだ、と胸を張った。

脅しに屈したからというより、自分で選び取ったという方が、前へ進む力になる。

当然、私は悪女として見られるようになったが、構うものか。


共犯者意識と、東府の安寧と言う目的を一にするゆえの信頼。

これが、私とタキを結ぶ、唯一にして絶対の、強固な絆だ。


逆を言えば、それ以外にはなり得ない。



…扱いの粗雑さには文句を言いたいが。











フリーダは真剣に言う。


「隠しておいて、意図しないときにバレたらいかがなさいます」

私はこそこそ。

「バレないようにするのよ」

「ユカ姫様のお命に関わる重要なこと、他の者が知っていて、ご自身だけ知らなかったとなると、太守様のお怒りを買うのは必定です」

正論だ。

少し、決意がぐらついた。


「ユカ姫様を放任なさっているようで、太守様の独占欲は怖いくらいです。先にユカ姫様の口からお話しになられたほうが、後々問題が少ないかと」

異議あり。

私は決意を再び固めた。

「だって…」

悲しげな顔を作り、目を伏せる。



「ただでさえ忙しいタキに、私のことでこれ以上の負担と迷惑をかけたくないんだもの」



本音だが、これは事実の一面であった。もっと正直に言ってしまえば。




―――――タキに借りを作りたくないから、追い詰められた現状を明かしたくない。




表情と台詞、フリーダの心臓を撃ち抜いたのはどちらだったのか。

フリーダはハッとなった。

女主人にとことん甘い侍女は、主人に対し疑惑と言う濁りを持たない。

「…も、申し訳ありません、ユカ姫様…っ! 健気なお心も知らず、わたくし…!」

潤んだ目元を拭い、力強く頷く。


「分かりました!わたくしもう何も言いません」



しめしめ。私は胸を撫で下ろした。



「ありがとう。絶対、内緒ね」

「もちろんですとも」

知った者は即死です、とフリーダの目がきらりとかがやいた瞬間。


「女同士の秘密?なんかやらしー」


彼女と私の間に、突如ぬっと顔が突き出された。

「…イエル殿。盗み聞きですか、品の無い」

猛毒を吐くようなフリーダの声に、私は背筋が寒くなる。

国宝級の図太さで、イエルは開けっぴろげの笑顔を見せた。


「うん、聞いた聞いた。で、なんて言ってたっけ?」




国宝級の莫迦だった。




興味ないことには鳥なみの記憶力の槍使いは、それより聞いて聞いて、と身を乗り出す。

「街の衛兵からの報告書見ていたんだけど、昨日の夜、河原に女の遺体が上がったみたいなんだよ。その背中の肉が、ごっそり抉られてたんだって」

私とフリーダは顔を見合わせた。

頭に詰まっているのは綿だと決め付けたくなる笑顔の中で、イエルの目だけが鷹みたいに底光る。

「ゼンじゃないけど、物騒だからさ、やっぱ外出控えた方がいいよ、姫さん」


「その女性の身元は分かっているの?」

返事でなく質問を返した私に、イエルは気にした様子もなく簡単に答えた。

「割り出すのも時間の問題じゃない? 発見が早かったから、背中以外身体はきれいなモンだったってさ。かなりの美人みたいだから強姦目的だったのかもね…、それにしては猟奇的…って、ごめんなさい」

フリーダの一瞥にイエルは、首をしめあげられたような顔になった。

フリーダは抑揚のない声で言う。

「発言にはお気をつけ下さい、イエル殿」

「はい。すみません」


母親に怒られた悪戯小僧のように、イエルはこれ以上なく情けない顔で謝った。

微妙な緊張感に頓着せず、私は横から声をかける。

「その女性、どこの誰か分かったら教えてね、イエル」

「いいけど。ほんとはさ、大将がこういう話題、姫さんの耳に入れたがらないから、これ話すのもお叱り覚悟なんだよな」

「当然です」

「ほらフリーダちゃんも睨むし」

「なんで話してくれたの」

目を見張った私に、イエルは悪びれない。


「や、ちょっと脅かすつもりで。昨日は何も言わなかったけど、ゼンに賛成だし」




逆効果とは考えないらしい。




引っ張ればどこまでも伸ばせそうなゆるみきった笑顔を見ながら、私は首を傾げる。


私は、昨日の女を土に還した。

背を抉ることも、河に投げ捨てるなんて真似もしていない。

河原で発見されたのは別人だろうが、果たして何者なのか。


胸で息づく毒の種が痛む。



自分が置かれた状況と、河原の女が不気味につながった。







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