第一章(5)
その小屋は、街の外れにあった。
木戸を開ければ、中には、西日が斜めに差し込んでいる。
後ろ手に軋む木戸をしめ、なにもない場所を斜めに横切り、私は小屋の中央に至る。
とろりとした蜂蜜みたいな夕陽を半身に受け、残りを影に埋めた私は跪いた。
教示者として、心の中、すべての魂の安らぎに、祈りを捧げながら。
小屋の中には、既に、その祈りに過敏に反応するものがあった。
床に伸びる影は、私のものがひとつきり。
それが突如、ゆら、と揺らいだ。
刹那、どっ、と突風が吹き荒れる。
心の中で呟いているだけの、私の祈りの声を掻き消そうとするかのように。
(…いる)
乱暴な歓迎に、私は静かに目を閉じた。
熱波が、周囲で渦巻く。
敵意が、全身を圧迫した。
暴力的で無差別な殺意が、発狂している。
それが小屋の中のすべてだった。
私は意識を凝らす。
小屋には私以外、誰もいない。
なのに、頭上から力づくで岩が圧し掛かってくる感覚に、骨が軋んだ。
錯覚ではない。
長居すれば、首の骨が折れるだろう。危険だ。
だからこそ。
放っては、置けなかった。
私はふと、目を開く。
手放しの泣き声が聞こえた。
吹けば飛びそうに、細くはかない声だ。そのくせ、心臓を直に貫く。
周囲の狂乱に反し、私の心がしん、と沈む。
木の葉のように、雑念が散り落ちる。
胸の奥が無心になった。意識を集中する。
私の中で花開くように鮮やかに、満ち行くものがあった。
ひかりの泡が、身体の奥底からわいてくるような感覚。
やわらかであたたかなひかりだ。
溢れ出すそれに逆らわず、意識を巡らせる。
ピィン、と絃を爪弾くに似た音が響いた。
私を中心に波紋を描いて清水めいた清澄さが広がっていく。
風が止んだ。
私は腕を差し伸べた。
たちまち、敵意の牙が抜ける。
大気が飼い主に忠実な犬のように、私に甘えながら周囲を巡った。
(…いいこ)
何かを迎える形で広げた両腕を、私は押し上げられたように天へ差し伸べた。
ふ、と足元の小石が浮き上がる。
直後、屋根目がけ、突風が吹き貫いた。地上から、天へ。
豪雨の勢いで、さかしまに。
息が詰まった。
屋根が飛ばなかったのが不思議なくらいだ。
私自身、浮き上がりそうになる。堪える以外、術もない。
それは、唐突に止んだ。
ばらばらばらっ、と小石の礫が気抜けた風情でなだれ落ちたときには、小屋に充満していた息苦しさはきれいさっぱり失せていた。
漂うのは、穏やかな夕暮れの気配のみ。
私は小さく吐息した。
祈り終えたあとは、ほんの少し、虚脱感に襲われる。そして、達成感。
乱れた髪を撫で付けながら呟いた。
「倉庫に借りた小屋で怪我人続出するから、ちょっと見てほしいってねえ…」
無論、ここへ私を差し向けた、オリガへの愚痴。
とんでもないものを宿主にしていたものだ。
私は数刻前のオリガを思い返す。
いくら彼女が感じない人間でも、私に見てくれと言うからには、原因が分かっていたはずだ。
教示者を呼ぶなり、人を遠ざけておくなりすべきだった。
折角買ったのに、お金が勿体無い、と言う前に、人命第一に行動してほしいものである。
私はふと我に返った。
「無理か」
守銭奴め。
膝を払って立ち上がる。
頭を振れば、身体から石の礫が落ちた。
私は小屋の隅を見遣る。もう、何もいない。目を逸らし、出口へ向かう。
早く館へ戻らなくては、日が暮れる。タキはもう戻っているだろうか。
「釣果は、どうだったかしら」
小屋の外へ踏み出した、刹那。
私は右腕を振り上げる。反射だ。
とたん、腕に、重い衝撃が走った。
頭上を振り仰げば、右腕が短刀を持った腕を受けとめている。
切っ先はぎりぎりで、私の額に届かない。
私の顔に十字に重なる腕の影が落ちた。
この程度の危機は茶飯事だ。今更、驚きはしない。
それでも襲撃者に目を見張ったのは、相手が艶麗な美女だったからだ。
細身で、どう見ても、荒事とは無縁だ。私は困惑した。
無骨な男相手なら、蹴り上げておしまいなのだが。
それに、相手をどこかで見た気がした。どこでだったか。
私が記憶を探る合間にも、相手は息を詰めて手に力を込める。
たとえそれが全力でも、大地に接した教示者相手では、象に立ち向かう蟻同然だ。
祈りの間、私のそば近くには誰もいない。
フリーダもヴァルも控えているが、この状況に気付くには、遠い場所にいる。
己の命は、己で救わねばならない。
私は微動だにせず、尋ねた。
「私に、個人的な恨みでも?」
女の双眸に、憤怒の烈火が噴き上がる。
「前太守の娘…っ! 何でアンタが、生きて、笑って、幸せを掴めるんだ!!」
彼女は私を突き飛ばした。
私には風が吹いたほどの感覚もない。
不動の私の前で、女は逆によろめき、後退する。
憎悪に顔を歪ませ、両手で短刀を握り締めた。
荒い息が、火みたいな声を撒き散らす。
その息を押し殺すように、意表外のことを口にした。
「あの噂、流したのはアンタだね」
「なんのこと」
「とぼけんじゃないよ!」
彼女は全身で、怒声を絞った。
「太古の金貨!先代が、…あの男が隠したって宝の噂だよ!」
女は、窮鼠の勢いで突きかかる。
私は足を引いて、身を開いた。
何もない空間を駆け抜け、つんのめりそうになった彼女は危うく踏みとどまる。
不自然な体勢で、振り向きながら叫んだ。
「六年前、アタシは太守の館から必死で逃げた。ようやく解放されたんだ! あの男を思えば、今のドブん中みたいな生活でも極上だ。忘れちまいたい、もう関わりたくない!」
なのに、と女は唾を吐いた。私に向けた切っ先が震える。
彼女はひどく怯えていた。
私より十以上は年上の、妙齢の美女だが、かなり憔悴している。
肉体ではなく、精神的な疲労の痕。
女は歯の間から、荒い息を吐きだす。その様子はどこか病的。
私は感慨もなく言った。
「父が憎いなら、なんで生きているときに殺さなかったの」
憎悪をぶつける相手を間違っている。
「死んで六年も経って、私に憎しみをぶつけられても迷惑だわ」
「被害者面するんじゃないよ!アンタは娘としてあの男に愛されていた! だから金貨のことも知っていた。教えてもらったんだろう?だったら、同罪だ」
女は引きつった笑いを浮かべた。
「死んでも、あの男はアタシを苦しめる…アタシは身を守るためにこうするしかない!」
女が滅茶苦茶に振り回す刃から、私は身をかわす。
沈んだ声で尋ねた。
「アナタ、父の何だったの」
「ハッ、今更何を…あの話を流したってことは、アタシを、いや、アタシたちを捜していたんだろ?」
毒々しい眼差しが私を射抜く。
「アタシはアンタの父親の妾の一人さ」
言われて、気付いた。
彼女の面立ちは、母に似ているのだ。
私の母も、妾だった。
教示者だった母は、一片の土も身近にないとき、手篭めにされたのだ。
妊娠するなり、母は放り出されたから、私は父親と一面識もない。
父とのつながりは、母が慰謝料代わりに彼の元からかっぱらって来た数冊の本だけだ。
母も祖父も私を愛してくれたが、教示者一族からも、他の何からも忌まれた私だ。
父親に幻想など抱いていない。
抱ける相手でもない。
彼女は父親の、妾か。私は首を傾げた。それで?
「それこそ、今更よ。六年前、タキは妾たちの逃亡に気付いたけど、追わなかった。なのにどうして今、私が追わなければならないの」
「金貨がほしいんだろう!!」
「あの噂、本当なの?」
「白々しい…っ!」
私の話をまったく聞く気もない彼女の目は本気だ。
その様子に、私は頭から否定した事実を見直さずにはいられなくなる。
即ち、先代の未回収の財産は、
実在、する?
まだ、その確信はもてないが、彼女の必死さは本物だ。
もし、その前提を真実と考えるなら。
彼女が死の危険にさらされる理由とはなんだ。
とはいえ、まともに尋ねても、私の言葉が歪んで届く彼女相手では会話にもなるまい。
仕方なしに、私は迂遠に尋ねた。
「昨夜、番人に会ったわ。黒い影みたいなヤツよ。知っている?」
一瞬、彼女の動きが鈍る。歪んだ口元が戦慄いた。
「噂が広がり始めてから、まとわりついてくるよ、連中。朝も昼も夜もずっと! じっと見ているんだ…奪われないように! ああもうっ、気が狂いそうだ!!」
「奪われるって、何を」
聞けば、我に返ったみたいに、女は目を瞬かせる。
「百歩譲って、金貨が実在するとして。手に入れるためには先代の妾たちを見つけなきゃならないってこと?」
私の言葉に、迷子みたいな顔になり、半歩足を引いた。
ようやく、私との会話にある食い違いに気付いたようだ。
(…ここが正念場、かしら)
私は慎重に、相手の出方を待つ。
「なに…まさか、本当に、知らないのかい」
女の惑いに、私は静かに言葉で踏み込んだ。
「何を」
「アンタの父親は、アタシたちの身体に」
彼女はハッと息を引く。顔から血の気が引いた。
限界まで見開かれた目が、私の背後を凝視する。
同時に、唸る空気が私の後頭部に迫った。
咄嗟に横へ身を投げ出す。髪が数本持っていかれた。
間合いを取る最中、胸の中心に痛みが走り、転倒しかけた私は危うく姿勢を立て直す。
見上げれば、影が、ひかる白泥みたいな落日を背に黙然と立っていた。
「…番人」
浮いた白い仮面は、私でなく、女を見る。
喉が裂けたみたいな悲鳴を置きざりに、女は脱兎と化した。番人は追わない。
代わりに、長い両腕を、水平に持ち上げる。とたん。
腕が糸みたいに細長く伸びた。
拳が矢の勢いで飛んだ先で、蔦のように彼女の首に巻きつく。
息が止まり、たたらを踏んだ彼女の背後へ、瞬きのうちに番人は迫った。
意図を察し、私は思わず怒鳴る。
「やめなさい!」
「姫さんっ!」
「ユカ姫様っ?」
私の声に、ヴァルとフリーダの声が重なる。
悲鳴が呼子になったのか。そのとき、女は番人に抱擁されていた。
黒い布が、彼女を柱にはためいたと見えた、次の瞬間。
女の身体が跳ねた。
下腹部から、血塗れた闇色の棘が突き出す。
毬栗みたいに、びっしりと。
時が止まった一瞬後、女はうつ伏せに、番人は背中から地面に倒れる。
番人の両手足が、己の身体を支えた。
たちまち、ぐるんっ、と首がまわる。
白い仮面が、蹲った私に向いた。私は身構える。
端から、相手を無傷で見送るつもりなどない。
身体の前後が逆になった番人が、四足で駆け出す寸前、私の視界をひとつの背中が遮った。フリーダだ。
銀の髪が流れ、一歩踏み出すなり、サーベルが跳ね上がった。
一閃。
仮面が吹き飛び、返す刃で、番人は股まで両断された。
とたん、蝿の大群が一斉に飛び立つ音がして、影が霧散する。
仮面だけが大地に落ちた。
これが、呪いの種を吐き出すのだ。仕留め方なら、調べた。
思い出しながら私は、指先を噛む。
指の腹が裂け、血が流れた。
裂けた指の腹を仮面の額に押し付ける。仮面が慄くように震えた。
構わず、額に太古の文字を書き記す。たった一文字。
「消えなさい」
瞬時に、仮面が四散した。霧と化して、消滅する。成功だ。
私はつめていた息を吐き出した。血を流す私の指先に、フリーダが布を巻く。
「あの文字は」
「滅ぶ、という意味があるわ」
倒れた女へ目をやると、屈み込んでいたヴァルが顔を上げ、首を横に振った。
「毒にやられたね」
「さっきの、番人の棘?」
「おそらく」
私が彼女の横に膝をつくと、紫色に乾いた唇が震える。
「背…中、を。見、て」
私は他の二人と顔を見合わせる。
ヴァルが無言で、彼女の襟を掴み、引き下した。
とたん、目に映ったモノに、重い息がもれる。
丁度心臓の上あたりに、数本の線が走っていた。刺青だ。描かれているのは。
「間取り…?」
どこかの、家の間取り図だ。
形が異なる四角が幾つか固まっている。
それにしても中途半端だ。
右側だけはしっかり縦に線を引き、区切ってあるが、他の三方は半ばで途切れている。
いや、そもそも。
(…これが何かって言うより)
子供の落書きのように見えるのが、一番、ぞっとした。
垣間見えたのは、底なしの悪意。
なのに、無邪気にすら、感じられる。
とたん。
突如、けたたましい嘲笑が女から跳ね上がった。
彼女は残る命すべてでもって、私を罵倒する。
「ざまあ見ろ、これでアンタも逃れられない! 生かしておくもんか…あの男に関わるものすべて! 苦しみぬいてっ、死ぬがいい!!」
憎悪むき出しの顔が、固まった。
彼女の意思より先に、身体が生きることを放棄したのだ。
糸が切れた人形みたいに、彼女の頭が地面に落ちた。
刹那、私目がけて巨大な顔が迫る。
真っ赤に裂けた口で、臼みたいな歯を噛み鳴らす青白い女の顔だ。
死んだばかりの女の魂の、無惨な変容。
私の眼前で、ガッ、とそれを掴む手があった。
怨念となった霊体を、生身で掴む常識知らずを、私は一人しか知らない。
ヴァルは、眠そうに笑った。
「死んでおきなよ」
魂が、彼の手の内で、卵みたいに砕け散る。
感じ取れないフリーダは、目を瞬かせたが、女の遺体を険しい目で見下ろした。
「どう致しますか、この女」
私は疲労に目を伏せる。
「丁重に弔いましょう」
× × ×
日が暮れて、私は庭先の槐の木にもたれた。
夜着の上に引っ掛けた上着の裾を、夜風が揺らして吹きすぎる。
「ナツメ、いる?」
「ああ」
樹上から声が落ちた。
声だけでなく、桃色の布の塊が幹を伝って手の内に転がってくる。
まるい。やわらかい。受け止めた私は、つい、微笑んだ。
「ブタさんかしら」
「暇潰しに作った。ヴァルのヤツ、金魚の出来損ないと言うんだ」
つぶらな瞳で見返してくるぬいぐるみに、私は肩を震わせて笑う。
ナツメには悪いが、ヴァルの意見にも同感だ。
ナツメとヴァルは、私が太守の館へ来る以前からの友人だが、ナツメの感性は、昔から奇抜だった。
私の部屋は、ナツメの頓狂な作品のおかげで賑やかだ。
フリーダは微妙な表情をするが、これも慣れたら可愛い。
ナツメが気遣う声で言った。
「ヴァルから聞いたが、毒を受けたそうだな。解毒は可能なのか」
「毒の種を残した番人と同じ宝を守る他の番人を、すべて倒せば解けるわよ。もしくは、連中が守る財産の場所を掴めば、ね」
「痛むか」
「心配性ね」
一拍置いて、ナツメは生真面目に確認する。
「ユカに毒の種を植えた番人は、先代が隠匿した財産を守る存在、なのだな」
「ええ。隠し財産の実在は、ほとんど、確実でしょう。だとすれば、…あの番人の製作者は先代ってことでしょうね」
皮肉な気分で、私。
つまり、私は実の父親によって、現在毒に苦しめられているというわけだ。
ひとまず、十中八九、隠し財産は存在すると考えていい。
(けどきっと、まともなものじゃない)
私は確信していた。
あの女性の背中を見た時に、はっきりと。
それは、顔も知らない父親の奇怪な性癖を知る不快さ、というより、自分のいやな面を突きつけられているようで、気が滅入る。ろくな噂のないその男の血を、私は確実に引いているからだ。
もし、隠し場所に辿り着けたとしても。
鬼が出るか、蛇が出るか。
相変わらずの、雨垂れめいた口調で、ナツメ。
「しかしなぜ、噂が流れたのが今なのだ」
「誰が噂を流したのか、私にも分からないわ。これも、調べるべきことよね」
「ふむ、そうだな。了解した」
「いつも悪いわね」
「なに、仕事でもあるが、お前のためなら、どうということもない」
「…ありがと」
情報収集で、ナツメ以上に頼りになる相手もいない。
ナツメは、ふと思いついたように、ぽつり。
「噂の操り手が先代、ということはないか? 無論、本人は死んだが、彼の意思を受け継ぐものがいる、という可能性は」
「まさか。それはないわよ」
間髪入れず、私は否定。
「そんな人物がいたとしても、…先代自身は、噂を広めるつもりはなかったと思うわ」
「なぜだ」
「番人を作った時点で、本当に隠すことしか念頭になかった気がするのよ。噂を広めて探させるつもりはなかったんじゃないかしら」
「ならば、妾たちの背にあるという刺青は」
「イヤガラセ、ね。…彼女たちへの」
そうして、一生自分に彼女たちを縛りつけておくつもりだったのだろう。
死んでも、彼を思い出すたび、恐怖と不快で顔をゆがめるだろう彼女たち。
先代の目的は、それだ。
なにせ彼は、それ以外の人との関わり方を知らなかった。
刺青は、財産を探させるためではない。
実際、刺青の存在を知っていても、それが財産の在り処を指すと承知で、彼女たちは探そうともしなかった。
それだけ、前太守を恐れていたのだ。
思い出したくない、関わりたく、なかったのだろう。
彼女たちを縛るのは、二重三重の、嫌悪と憎悪と、…恐怖。
私にはよく理解できた。
無論、父親に共感がもてるから、ではない。
決してそれは、あり得ない。
けれど、タキの妻となってのち、…先代のことを調べたのだ。理解しようと、した。
自分の中にどんな血が流れているのか知りたかった、というのもある。だけでなく。
…怖いもの見たさ、というのが本当のところだ。
彼の行状を知ることは、より不快になると分かっていたが、曖昧なままでは、…怖かった。
そして、考えた。
父親の異常な行動、その原因と結果に至るまで、彼の思考を必死で辿った。
気分が悪くなるまで。おかげで何度か吐いた。
そんな頃、タキは私に言った。
いや、今でも、思い出したように幾度も同じことを口にする。
―――――してほしいことがあれば、なんでも言え。俺にできることなら、なんでもしてやる。
何の気負いもない、淡白な語調。
とはいえ、彼なりに、私をこちら側に引き入れたことは、悪いと思っているのかもしれない。
積極的にまつりごとに関わっていったのは、私なのだけれど。
言われて考えたが、改めて口にすべき願い事は私になかった。
私がやりたいことと、タキが指し示す方向は、常に一致していたからだ。
ただ、…ひとつだけ。
―――――なら、お願い。
縋るように、言った。
―――――私があの人と同じ、狂った非道をひとつでもしたら、殺して。
たとえば、ヴァルやフリーダ、ナツメにはこんなこと、頼めない。
私みたいなのを、それでも好きだと言ってくれる人たちには。
その点、タキは都合がよかった。それに、誰より信頼できる。
タキの答えは、一言。
分かった。
余計なことは何一つ言わず、促した時と同じ、淡、とした口調で。
(あの約束があるから、安心できるのよね…)
タキならきっと、間違わない。
過たず、殺してくれる。だから。
こうやって平然と、先代の行状を口にすることもできる。
「でも母さんの背中に、あんな刺青はなかったわ」
ふと気付いて、私は呟く。
「最後まで一緒にいた愛妾たち、なのかもしれないな」
「六年前の戦乱のときまでってこと?」
ナツメは答えた。
「人数ならはっきりしている。そのとき生き残っていたのは、五人だ」
五人。
(にしても生き残っていた、ね)
「今も、生きてるのかしらね…?」
私はつい、気の毒そうに言った。
妾館の中で行われていたのは、愛欲の行為というよりも、拷問まがいの殺戮だったことは、東府の記録に詳細が残っている。おかげで、私は拷問に詳しくなった。思い出したくもないが。
気を取り直して、私。
「逃亡した彼女たちの行方は掴めた?」
「まだだ。戦中の混乱に紛れて逃げたとなるとな。もう少し、時間をくれ」
「分かった」
胸の中央の、痛みが強まる。
私は、何気ない所作でぬいぐるみを胸に抱きしめた。ナツメが年齢不詳の声で言う。
「今日死んだ女の背にあった間取り図はどうした?」
「フリーダが紙に書いてくれたわ。どこの間取り図なのかしら」
「場所が分からなければ、動きようがないな。まさか、妾館ではあるまいな」
「それなら、妾の彼女たちが真っ先に気付かない? なにせ、そこで住んでたんだもの」
「まあ、違うとは思いたいが…誰かに確認はさせるべきだろう。それ以外とすれば、先代が所有していた館のどれか、か? …潰していくにしても数が多い。それに、随分遠いところにあるものも…」
ナツメの言葉に、私も少し、気が遠くなる。
地道な作業しかない、というわけか。やはり。
気を取り直して、あかるく言った。
「ひとまず、先代の妾たちを捜しましょう。隠し財産に近付くことが解毒の一番の近道だもの。宝を手に入れようとすれば、いやでも番人たちと対面するわ。番人たちは、宝の安全が最優先だから、宝の危機が訪れたら、隠し場所へ大集合だろうし」
私は首を傾げた。
「なんにしても、解せないことが多いわね」
「色々とな。まずは…噂の出所か?」
「そう、それに。ほら、昨日」
促せば、合点がいったようなナツメの声。
「館が炎上した場所に、番人がいたことか」
「あの場所に先代の愛妾がいたんだと思う?」
一拍、ナツメは沈黙。生真面目に、返答。
「あそこにいたのは男ばかりだ。先代が男色家なんて聞いたことがない」
「冗談よ」
「真顔で言うな」
私は肩を竦める。
「大体見当がつくけどね」
「…あそこに現れる理由があるとすれば、それはなんだ?」
思考をまとめながら、私は口を開く。
「番人はね、守るものを奪われる危険性を宿したものを自衛として排除することもあるけど、…だから、妾たちも付け狙われているんだろうけど…、仲間を倒した相手も殺そうとするの」
「待て」
ナツメが口を挟む。
「ならば今後、お前は番人たちに狙われるというわけか。今日の番人は、消滅させたんだろう? 最初のヤツは毒の種を吐き出させてしまったのだから、倒した、とは言えない」
「そうね…まあ、連中もそう勤勉じゃないから、しょっちゅうじゃないと思うわ。安心して」
「…お前と言うヤツは…」
けろっと言えば、ナツメは呆れ返った。
けど実際、私に危機感はない。
だいたい基本的に、完全な安全が私に保障されることなんて、決してあり得ないのだ。
なら、いつもと同じ。
「私ならなんとかなるわよ。今までだって、なんとかなったし、ナツメたちもいるしね」
「まったく…」
ナツメも、それ以上は同じことを繰り返さない。別のことを言った。
「ではあの場にも、番人と接触して倒したために、追われていた誰かがいた、と?」
「剣で番人を倒したのなら、かなりの腕前だわ。毒の種も受けなかったんなら、相当ね」
「あれは、剣だけでも倒せるものか。毒の種も残さず」
「構造上、可能、ではあるけど…、相当、難しいわ。力、速さ、急所を突く精確さ…どれが欠けてもいけない。よほどの技量の持ち主でないと。もしくは、教示者の手助けもあって倒せたか…」
いずれにせよ、気にかけておかねばならない。
隠し財産の話を間に受けて、追いかけている誰かは、他にも確実にいるのだ。
「昨日の番人が、誰かを追ってきたとして…、途中で標的がユカになったのはなぜだ」
「太古の名門の血に反応した可能性が高いわ。彼らを消滅させる知識を持つからね」
「つまり自衛、か」
迷惑な話だ。
東の、前太守。
生きていても厄介だったが、死んでもこれほどの面倒を残している。
私は頭痛を覚えてこめかみを押さえた。
「仕返ししてやりたいけど、相手が死者じゃぁ、ね。まぁ地獄で、いやでも顔を合わせるでしょうけど」
ヴァルが混ぜ返す。
「あの世でやり返そうにも、抹殺志願者が列を成していそうだな」
ふん、と鼻を鳴らして応じた。
「全部蹴散らすまでよ」




