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呪歌  作者: 野中
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第一章(4)

大通りは活気に満ちている。


へんぽんと翻る色とりどりの布。

溌剌と駆け回る子供たち。

威勢の良い客引きの声。

食堂から立ち昇る煙の賑わい。

華麗に四肢を空に投げ打つ大道芸。


明るさと熱気が螺旋に渦巻く中を、私は男装で堂々と闊歩した。


顔を隠さなくとも、ここでは太守の妻の顔など誰も知らない。

勘付かれたら厄介だとは、重々承知している。

民にとって前太守の娘など、忌まわしいだけだ。

たとえ現太守の妻であっても、私は太陽の下、大手を振って歩ける存在ではない。


殊勝に弁えてはいる。

だが、過剰に身を竦めるのもおかしい。

通りの真ん中で私は隠れもせず大きく伸びをする。


颯爽と前を行くフリーダが笑顔で振り向いた。

「見えて参りました。オリガ様の茶屋でございます」

私は手で作った庇の下、目を細める。

フリーダの白い指が示す先に、群青の暖簾が見えた。

微風にはためく向こう側には、人の頭が幾つも覗く。

「相変わらず繁盛しているみたいね」

「正午に伺うと使いを出しております」


店の前へ差し掛かったときだ。

ヴァルが後ろから、手荒に私を引き寄せた。

直後、フリーダも横っ飛びに跳んで、道を開ける。


面食らう眼前を、矢の勢いで店から飛び出したものがある。

それは向かいの店の壁にぶち当たり、地面で雑巾みたいに伸びた。


雑巾には手足が生えている。人間だ。


モメ事の気配に、大通りの人々が動きを止めた。

とたん、二人目が車輪の勢いで地面を転がり出た。

人垣が割れ、障害物もなく砂煙の尾を引いて、大通りの真ん中まで転がり出る。

摩擦で止まることは止まったが、伸びたきり動かない。

直後、悲鳴を上げる二つの影が店から放り出された。

きれいな放物線を描き、頭から地面に突っ込む。半ば顔が埋もれ、沈黙した。

目を回している全員が、筋骨隆々とした大男だ。


小石みたいに蹴っ飛ばせる体格ではない。計、四人。


背中をヴァルに預けた私は呟く。

「あれ窒息するわよ」

私の右肩に顎を乗せたヴァルが、どうでもよさそうな声を出した。


「触ったらバイキン感染るよ、絶対」

「…放っときたいのね?」


力強く同意するが、放置はよろしくない。

助けるべきか悩む私の前で、茶屋の暖簾を潜って一人の男がぬぅと顔を出す。

長身痩躯、くすんだ金髪に、日焼けした肌。

煙管をくわえた薄い唇から、煙が場違いな呑気さで流れる。

私たちを一瞥し、彼は目だけで笑った。


「驚かせて悪かったね、アンタたち」

右腕を懐手に、彼は悠々と大通りに進み出る。

自然体で、道の真ん中に立った。

「その図体で、茶屋で子供に絡むってのは、みっともねえよ、お前さんら」

肺を膨らませ、うまそうに一服したあと、何が愉しいのか笑って指を鳴らした。

「気絶した相手に説教もしまらねえなあ」


「ヘルマン」

茶屋から、凛とした声が飛ぶ。男が振り向いた。

片手で暖簾を避けた少女が、視線の白刃で倒れた男たちの姿を薙いだ。

「それ、邪魔にならないところへ捨てに行きましょう」

「承知いたしました、お嬢様」

男は、恭しく頭を下げた。少女は、店の中を振り返り、声をかける。

「ご馳走様でした。また、来ます」

「毎度―」


暖簾を潜って現れたのは、初夏の空に相応しい、際立って瑞々しい少女だ。

乳色の肌の上、麦穂色の髪が流れる。

見惚れかけ、はたと私は目を落とした。

その少女の背後、何か動いた気がしたのだ。


とたん、少女の袖にくっついた小さな人影と目が合う。少年だ。

年の頃は、カサネと同じくらいだろうか。大きな黒い目を見張った彼は、蒼白だった。

目がおどおどと、ヴァルを向く。


明らかな怯えがあった。


私は、少年に負けないくらい目を見張る。彼の気配は普通と違った。


声をかけるより先に、無骨な指輪をはめた少年の手が、少女の袖を強く引く。

「どうしたの、カイル」

虚を突かれた顔で少女が振り向いた。

少年の亜麻色の髪がパッと揺れ、俯く。代わりに、少女と私の目が合った。

生命力の塊みたいな緑の瞳が、私を映し出す。


意表を突かれた。真正面から見つめあい、咄嗟にお互い声が出ない。


一息ついて、私は静かに微笑む。

少女は一瞬怯んだが、すぐ笑顔で会釈した。

裾を払い、凛とした彼女は茶屋を後にする。

袖に少年がくっついて、その後ろに気絶した男四人を片手で引き摺った青年が、飄然と続いた。

鮮やかな退場。

通りが元の流れを取り戻す。


彼らの背が見えなくなるまで見送り、私は茶屋の暖簾を潜った。

感心しながら、呟く。

「きれいな子だったわね」

「きれい?うん、顔立ちは姫さんに似てきれいだったけど、姫さんの方がもっときれい」

当然といったヴァルに、私は呆れる。

「私あんな美人じゃないわよ」

「姫様はおきれいです」

ふたりの贔屓目も困ったものだ。

呆れると、私と同じ表情でふたりは顔を見合わせた。


不毛な反論をするより、話題を変える。


「あの子にくっついていた子、…気付いた、ヴァル」

見上げれば、ヴァルは猫背で首を傾げた。


「なんかいたね…うん、そうだ。あれ、教示者だった」


「あの子に仕えているのかしら。だったら、お金持ちのお嬢様なのかもね」

教示者を一族のために使役できるのは、相当の金持ちか権力者だけである。


教示者の血統も、太古の名門と並び、はるか古来より続いてきた古い名門だ。

ただし、自然と共にある前者と、政を行う後者とではそりが合わず、長年の仇敵でもある。




これらの因習を横目に、二つの血統の混血たる私は生まれた。


そのことについては、また語る機会もあるだろう。




教示者とは何か。

迷える魂の、途切れた輪廻の糸を結び、引導を渡す存在のことだ。

祈りによって、毒や病を退けることも可能だった。

よって不浄を退ける聖者と呼ばれるが、己の祈りを力に変えて現実に具現化し、それがたまたま奇跡と呼ばれる、異能者に過ぎない。

ただし、異能の代償か、生まれつき非力だ。

そして、病気がちになりやすい。

放っておけば衰弱死する。

ところが、大地に接しているときは、剛力を発し、素手で大木を引っこ抜くことも可能だった。

よって 常に教示者は土を身につけて過ごす。これはほとんど自衛の手段だ。

土の種類によって力の大小が変わるわけではないが、『よい土』であればあるほど、教示者の力が発揮しやすいことは事実である。


カーターが探していたのは、それだ。


私の左手首で、重なった環が涼やかな音を立てた。

その中の一つに蓋があり、土が入っている。

音に誘われたように腕輪を見下ろし、ヴァルは息だけで笑った。

片手が自身のチョーカーの飾りを弄る。

「でも弱いよ、あんなの。おれを怖がっていたしね」

「アナタは特殊だもの」


「姫さんは怖がらないじゃない。だから好き」


臆面もなく言うなり、ヴァルは溶けた砂糖菓子みたいな笑顔を整った顔に浮かべた。

この男のおかしな頭を、一度医者に診せるべきかと私は真剣に考える。

ところが、ヴァル自身が医者なのだ。しかも、すこぶる有能な。


世の中間違いだらけだ。


私は、顔見知りの給仕の娘たちに挨拶しながら店の奥へ歩を進める。

紅の垂れ布がかかった一室の前で立ち止まると、中に声をかけた。

「オリガ、いる?入るわよ」

返事も待たずに布をかきあげると、花に似た香のかおりが鼻腔をくすぐる。

栗色の髪を揺らした肉感的な美女が、籐の椅子に腰掛けて壁の鏡を覗き込んでいた。

「あら、本当に来たのね」


「使いから話は聞いたでしょう?」

私たちは鏡越しに目を合わせる。

オリガはひらひら手を振った。


「だってユカは、何日も前から来る日を決めて、結局その三日くらい前に行かないって連絡してくる方が普通じゃない。当日に連絡よこして、当日に来るなんてはじめてよ」


オリガの、私と同じ色の瞳が、獲物を狙う猫みたいにひかる。



「で?いきなり来た理由はなに?太守様と痴話喧嘩?旦那が浮気した?それとも、アナタの浮気心を刺激する男がいるの?禁断の恋ね、相手は誰!」



私は相手の頭に手刀を叩き込んだ。

オリガは首を竦めて涙目で振り向く。

「私とタキの関係は円満よ」

冷淡に言って、私は引き寄せた籐の椅子に腰を落とした。


オリガは友人だが、隣国セ・シャから来た役人の妻だ。

旦那は主に外交担当である。

迂闊なことは話せない。

懐こいようで、探りを入れているのは顔を見れば一目瞭然だ。


ちなみに彼女は、菓子店の経営者でもある。

人気は上々で、全国展開が夢だと聞いた。

オリガは唇を尖らせる。

「円満たってさ…。太守様、よそで女性に誘われるでしょ、時々。腹は立たない?」

夫を愛する妻として正しい模範解答を、誰か教えてくれないものか。



「後継ぎの問題があるからね」



私は言葉を濁す。

正直言えば、私たちの間に夫婦の契りなどない。

が、そんなこと、言えるはずもなかった。誰にも。

事情を承知しているのは、タキと私、お互いだけだ。


東の太守夫妻は鴛鴦夫婦。国内外問わず、そのように噂されている。


同時に、派手でこそないものの、タキの女遊びのことも時折人の口の端にのぼっていることは、知っていた。

妾こそ迎えていないものの、お手つきになった女は多い。ただし、玄人ばかり。

うまく遊んでいるのなら、それに越したことはない、と私は思う。


醒めていると言われそうだが、単に現実主義なだけだ。

何度も言うが、私たちの間に男女の愛はなく、あるとすれば、

(兄妹の絆って感じよね…)

…家族、ではあるのだ。

前太守亡き後の波乱を潜り抜けるには、信頼関係が必要不可欠だった。

絆も生まれる。


ただし同志愛で、色気は皆無。



きれいに紅をさしたオリガは、立ち上がり、黒檀の机に近付く。

上に置いてある茶器を取り上げた。

フリーダがそれを制し、茶器を預かる。

こういうとき、いつも彼女が給仕の役を買って出てくれる。

目でフリーダに礼を言い、私に向き直るオリガ。、


「わたくしならイヤだわ。ま、ユカと違って後継ぎをそれほど気にしなきゃならない立場でもないけどね。夫は三男だし」

元の椅子に腰掛け、オリガは肩を竦めた。

口元を、持っていた扇で隠す。

「太守様人気なのよ。ま、ああいう方だからね、妓女たちが騒ぐのも分かるわぁ」


「アナタ、私を慰めたいの、けしかけたいの」

「遊んでいるのよ」


「そう、怒らせたいのね」


朗らかな笑顔で私は一言。

欠伸をしながらヴァルが戸口の真横へ移動して、腕を組む。

オリガが慌てて首を振った。

「旦那取られないように気をつけろって言っているの」

「他人のことより自分はどうなのよ」

たちまち、目にも鮮やかな美女が、童女みたいにべそをかく。

「それがね、聞いてよユカぁ」


オリガの、旦那に対する愚痴は恒例だ。

のろけに変わるのを話半分に聞きながら、私は自分の夫のことを考えた。

タキが上等の中でも上等の男だとは知っている。


とは言え、取られるも何もない。




過去、彼が私に課した数々の行状が、脳裏にまざまざと蘇る。


囮に使われるのは序の口。

「逃げろ」と崖から突き落とされ。

あるいは混戦の中放置され。


病が流行りだした日には秘境の薬草を採ってこいと極寒の山奥で遭難させられる。


無茶苦茶なようで、実力ギリギリの所を見極め課せられるから、全部力技で乗り越えてはきたが、並ではついていけない。

千年の恋も冷める。

おかげで雑草のようにしぶとくなった私は、タキにとって、健康で頑丈で長持ちだけが取り得の女に違いない。

私にとってタキは鬼畜。


こんな私たちが今更どうなるというのか。




―――――そろそろ午後の茶会でも、と言う時刻になって、フリーダが淹れた茶で一服しながら、オリガは健やかな声で言った。

「あー、すっきりした。聞いてくれて、ありがと」

「うん」「そうね」のふたつを交互に使っていただけの私は、相談料を請求する。


「御礼は吉庵の新作でいいわよ」

「もう包んでいるわよ」

オリガは目を輝かせた。商売人の輝きだ。

吉庵はオリガの茶屋の名である。

私が館でオリガの店の菓子を配れば、いい宣伝になると彼女は言う。


「いい? 今度の新作はタダモノじゃないわよ。心して食べてね」

「それ、いつも言っているじゃない」

「甘い! 今度は、こだわりが違うわ。やはり食事はまず、素材なのよ。素材が命! その旨味をどこまで引き出せるか、どうやって他とうまく調和させるか、そこで腕と知恵がモノを言うの。今回はね、まず水から厳選して」

いかん、また長くなる。

オリガの短い息継ぎに、私はすかさず口を挟んだ。


「店の評判は上々みたいね。いつも満員御礼じゃない」

「だから今その理由について言及しようと」

「噂で聞いているわよ。店で働いている子達も感じがいいし、また行きたくなるって」

私は早口に言った。

オリガから料理の話をまともに聞けば、日が暮れる。

「うふふ、それほどでもあるけどね! 教育は厨房以外でも怠っていないわ」


経営者の性格を反面教師にすれば、きっとうまくいく。


ちらと静かな周囲を見遣れば、ヴァルは立ったまま舟をこいでいた。

フリーダは真面目な面持ちで控えていたが、欠伸を堪えているのが分かる。


「ねえ、オリガ。これも噂なんだけどね」


上機嫌のオリガに、本題に入るべく私は身を乗り出す。

無理を押して外出した目的は、奥さんの愚痴を聞くためではない。

「聞いたことある?前太守の、隠し財産の話。まだ未回収って言う」

噂話に精通している彼女は、記憶を探る目になった。

「わたくしも詳しくは知らないわ。先代が、人知れず隠した宝があるってこと以外は」

「宝とか財産、って言っても、モノは何かしらね」

「それなら、太古の金貨って誰かが言っていたわね」


私はこめかみを押さえる。

おとなしく話を聞いていたりおだてたりしたのは、話をあっさり聞きだしたい下心のためだったが、結論まで呆気なく出てしまった。


「あの浪費家だった先代が、そんなものを使わずに隠したの? かんっぺきに、与太話ね」

気のせいか、胸の中央の痛みが悪化する。

昨夜の番人が守る何かの正体がつかめたと思ったが、どうやら糠喜びだ。


いや、私だって分かっていた。

先代の隠し財産の噂なんて、与太話か、よしんばそういうものがあったとしても、妙な曰くつきのものだ、と言ったのは私自身。


(…いえ、でも)

この噂話には、不審な点が多い。

こんな噂が、なぜ、先代亡き後六年も経って広がり始めたのか。

広めたのは誰だ。

どうもことのはじめから、作為を感じる。

(探るとしたら、…そこね)

あきらめるのはまだ早い。

ばかりでなく、番人と関連性があるなしに関わらず、調べておくべきことでもあるだろう。


オリガが柳眉をひそめた。

「だとしても、食いつく連中だっているわよ」

私は先ほどのならず者たちを思い出す。

次いで、昨夜の騒動も。

「そうね、六年前よりマシにはなったけど、領地は落ち着きにはまだ程遠い…、この辺りも物騒だしね」

「もしかして、さっきモメていたとき、店にいた? ごめんねー、驚いたでしょ」

「あの筋肉達磨どもを放り出した人たちって、何者? 女の子は、お嬢様って言われていたけど」

妙な三人組だった。

教示者だった少年といい、やたら意識に引っかかる。

宝の前をそれと気付かず素通りしたような、もどかしい感覚。

オリガは嫣然と微笑む。

「お得意様よ。エマさんって言うの。三度の食事より、お菓子が好きなんですって。きれいな方よね。どこのお姫様かしら。どうも、ゴルベ様の客人でおいでのようだけど」


「ゴルベ?あの成金下品男」


私はたるんだ白い肌と揺れる腹を持った肥満体の小男の姿を、記憶から引き出しかけ、叩き沈める。

「似てないから親戚じゃないわね」


「でもゴルベ様、商才は秀でた方よ。確かに、似てないけど。…あら、そう言えばエマさん、顔立ちはユカに似ている気がするわ」

「目が悪くなったんじゃないの、オリガ」

「かわいそうな人を見る目で見ないでよ」

ムッとしたオリガは、何を思いついたかすぐ目を輝かせた。




「そうだ、ユカ。外へ出てきたついでに、ちょっと見ておいてほしい場所があるんだけど」








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