第二章(3)
食い下がるかと思ったが、
「…なるほど」
カーターは一歩下がった。
刹那。
槍が踊った。イエルの槍だ。
一拍遅れて、血がしぶく。カーターの血ではない。
むささびのように近くの樹上から飛来した人影から、両腕が血の尾を引いて高く跳ね上がる。
刺客か。
こんな手合いとの命のやり取りは日常茶飯事だ。
どさり、と第一の襲撃者が倒れる音を皮切りに、回廊へ黒衣の集団が奔流のようになだれ込んだ。
殺意と身体で周りを取り囲む彼らに、カーターは白けた顔になった。
「無粋ですね」
「アナタが?」
カーターが手配したのではないのか。
冷淡な私に、彼は頭をかいた。
「私なら、こんな無計画な真似しませんよ。…っと」
カーターは前へ踏み出す。彼の背後を、刃の軌跡が空振った。
私の頭上で空気が唸る。
見上げれば、ガキ大将みたいに笑うイエル。
頭上へ突き上げた彼の拳を中心に、水車みたいに回る槍。
刃を弾く澄んだ音が、上から雨みたいに降った。
「始末するよ、姫さん」
「気絶にとどめて」
「できたらね」
あっけらかんと、放胆な声が返った。水車が止まる。
槍の尻が、とん、と床を叩いた。
風のように軽やかに、イエルは黒衣の集団へ飛び込んだ。
盾だった槍は、すぐさま死の旋風と化す。
とたん、槍がどう動いたか。
幾人の目が追えただろうか。
束の間響いた刃の唸りが消え、槍がイエルの肩に乗ったと見えたときには、彼の周囲で、複数の人影が、糸が切れた操り人形みたいに崩れ落ちていた。
イエルを中心に、花開くように仰け反って。血は一滴も流されていない。
彼は、いつもと変わらない態度でだらしなく振り向いた。
見せたのは、心底落胆した顔。
「弱い」
苦手な勉強をさせられている子供の表情で、イエルは槍の柄を拳の中で滑らせた。
とたん、槍の尻が、背後から迫る相手の顎を強か突き上げる。
彼を横目に、サーベルを抜きながら、フリーダが囁いた。
「ヴァル殿のトラップは、作動しなかったのでしょうか」
「していたら、彼らあんなに五体満足じゃないわね」
私は低く身構える。
館の周囲には、ヴァルのトラップが設置してあった。
不心得者はそこで拷問より酷い目に遭う。
大概それで寄り付かなくなり、大半は館まで辿り着けない。
これが、闇世界で東の太守の館が恐れられる所以だ。
年に幾度か、館の使用人たちが巻き込まれるのはご愛嬌。助け出された者の反応は様々だ。
純潔を奪われたように涙を拭うものあり、引きこもるものあり、恍惚と目を潤ませるものあり。
おそらくそれは、ヴェールをめくってはならないシロモノに違いない。
それが、彼らに至っては、無傷。トラップの存在など知らぬげに。
「不思議ねえ」
私はわずかに仰け反った。
振り下ろされた棍棒が空を切る。背が、フリーダの背に当たった。
彼女に囁く。
「直接聞きましょう」
「仰せのままに」
二人同時に、地を蹴った。
身を沈めた私の足が、弧を描く。
瞬時に、数人の足を刈り取った。
倒れ込む相手を尻目に、私は顔を巡らせる。
はたと止めた視線の先で、冷たい黄金の髪が流れた。
カーターの背が、遠ざかっていく。
(まだ聞きたいことがあるんだけど!)
咄嗟に身を翻す私。
刹那、追おうとした眼前に、黒衣が立ち塞がった。
カーターに気を取られ、私の体躯はがら空きだ。
目の前のことしか見えなくなるクセを治せ、とよく言われるが、こういう咄嗟の場合、私はよく間違ってしまう。
叩き込まれる痛みを予測し、息を止める。
拳が、鳩尾に埋まる寸前。
ボギリ、と鈍い音が響く。
相手の首が消えた。
背中から錘に引き摺られるように、相手は倒れ込む。
その向こう側に、見慣れた少年の気弱そうな上目遣いがあった。
彼は両手に、黒頭巾の頭を抱えていた。
その首が、伸び切るまで伸びている。
頚椎を砕かれ、歪な形で。
紙屑でも放り出すように、彼は絶命した肉体を横へ捨てた。
「余所見は危ないよ、姫様」
「カサネ」
いつどこから現れたのか。
意表を突かれた私の背後で、何かが倒れる音がした。
荒い息遣いに紛れる、怒声。
「放せっ!その小娘さえいなくなれば、わたしは!」
振り向けば、地面に突っ伏し、フリーダに膝で押さえられてもがく女がいた。
黒頭巾が外れ、露になった顔はうつくしい。
振り乱した髪の下、濃い疲労に縁取られた面立ちは、昨日会った女と酷似していた。
「アナタ、まさか」
詰問の寸前、私は口ごもる。
そばには、カサネがいた。
彼はタキに絶対服従の存在だ。
聞かれたことはすべてタキへ流れる。追及は免れまい。
その一瞬をついて、高潔な声が飛んだ。
「これはどういうことだ、イエル!」
声の後に、剣戟の音が続く。
抜き連れた白刃が火花を散らし、空を舞った。
それを追って、持ち主たちの首が一斉に飛ぶ。
複数の血しぶきが立つ。
稲穂でも刈り取るような力任せの太刀筋。
ゼンだ。
問答無用の惨殺に、捕らわれた女が蒼白になった。
ゼンの黒髪をしばる銀のフリルのリボンも、この場合には恐怖を増す小道具に過ぎない。
イエルはだらけた口調で答えた。
「朝の準備運動を少し」
「そのわりには、覇気がないな」
「弱いんだもーん。って、ぅげ」
愚痴まじりの軽口を叩くイエルが、途中で踏み潰されたカエルみたいな声を放つ。
「…た、大将…」
ぎょっと同じ方向を見遣った先で、クセのある赤毛が、朝の光の中に揺れた。
心の底まで同じ色に染め抜きそうな鮮やかな紺碧の瞳が、累々と横たわる黒衣たちを睥睨。
清冽でありながら、肌に痛く肩に重い存在感に自然と沈黙が満ちた。
タキが無造作に、手にしていた刃を横へ振るった。
それは既に血で濡れている。
直後、立っていた最後の一人が、血しぶきの中、膝をついた。
倒れる、とみるなり、その男は、
「成り上がり者が」
余計な一言。
その言葉を聞いたとたん。
鞘に納まろうとしていたタキの刃が、再度跳ねた。
直後、黒衣の右肘が断たれる。
「今」
淡、としたタキの声と同時に、今度は、黒衣の左手首が落ちた。
「貴様は」
そして、左肩。
「…なんと言った?」
最後に、右の二の腕。
タキの所作はごく無造作。
そのくせ、洗練されている。
優美にすら見える刃の軌道。
それを描く腕の持ち主は、無駄を嫌いはしても、過度に残酷を好む。
これが、慕われると同時に恐れられ、敵が多い所以だ。
顔は、常と同じ無表情。だが。
(…愉しんでる)
耳に楽しくない言葉を吐いた相手に苦痛で報復することを、子供のように無邪気に、タキは。
(…私相手でも、きっと)
同じようにできる。
今はまだ私に利用価値があるから、しないだけ。
自分への戒めのために、私はその光景を脳裏に焼き付けた。
とどめとばかりに、悲鳴で喉を引き攣らせる相手の腿から地面に刃を貫き通し、タキは悠然。
「…さて?もう一度聞かせろ」
相手は、痛みと恐怖で半ば失神していた。
気付き、つまらないと言いたげに刃を引き抜くタキ。
以前から、こうだ。
タキは、簒奪者、成り上がり者、そういった言葉には過剰に反応する。
彼が持っている劣等感を刺激するからだろう。
私はむりやりその光景から目を逸らし、周囲を見渡した。
倒れた黒衣たちは死者半分、生者半分と言ったところか。
確認する私の耳に、精神を穿つように重く低い、タキの声が届く。
「逃げた者は」
「えと、何人か、あっちに行きました。僕、追いましょうか」
指先までぴんと緊張し、カサネが進言した。タキは首を横に振る。
「構うな。聞く相手には不足せん」
「これだけの人数が忍び込むとは、トラップが作動していなかったのかね」
地面を一瞥し、命のあるなしを見極めたゼンは、そのうちのひとりを掴み上げた。
右足の膝と左手の肘が、逆方向を向いている。頭巾を剥いだ。
現れたのは、頬骨の突き出た、痩せた男の顔だ。
とたん、フリーダの取り押さえた女が鋭く息を飲んだ。
彼女は乱れた髪の向こうで、愕然と呟く。
「…誰?」
「仲間じゃないの?」
質問に我に返った女は、ぎらつく目に私を映す。
「黙れ、人殺し!昨日、あの子を殺したのは、アンタでしょうっ」
「もしかして、河原に上がったって言う?」
「とぼけないでよ!」
正解だ。遺体で河原に上がった女も先代の妾なのだ。
言葉を重ねようとしたところで、
「ひ、姫さんっ」
イエルが切羽詰ったように、口の前で人差し指を立てる。
あ、と口を押さえたが遅い。
「ユカ」
タキの呼びかけに、私は深呼吸する。
取り乱すな、と自らの命令を碇のように穿ち、顔を上げた。
タキと視線が真っ向からぶつかる。彼は厳かに言った。
「何を知っている」
「何か知っていたら、話すわよ」
タキの目が細められる。
私は思わず身構えた。
とたん、我に返ったようにタキは鋭さを消す。
「うそつきめ」
そこに許しの響きを感じ取り、私は目を見張った。
タキは無言で私を手招くように軽く手を上げる。
来い、ということだ。
とりあえず、言及する気はないらしい。
なんとなく、悪いことをした気分が、私を素直に従わせた。
ゼンの、片手にぶら下げた相手を恫喝する声が耳に届く。
「意識があるのは分かっている。貴様、あの女の仲間ではないのかね。…今すぐにでも、死んだふりの必要をなくしてやろうか?」
神罰を下すように尊大な口調。
それに怯えたわけでもないだろうが、男はぱかりと目を開いた。
「…手間はかけんさ」
落ち着いた声だ。嫌な感じがした。
とたん、男は舌を突き出す。止める間もない。がちり、と歯がかみ合う音が続いた。
凍りついた間を置いて肉片が地面に落ち、口の端から血の筋が伝う。
ゼンは表情ひとつ変えなかった。
血で喉が詰まり断末魔に痙攣する男を、投げ捨てた瞬間に忘れた顔つきで、獲物を物色する目を周囲に向けた。
私は小さく息を吐く。こういうことには、未だ慣れない。
だが、逃げるわけにいかない以上、忍耐以外の方法はなかった。
すくなくとも、どんな残酷を前にしても、失神するようなことはなくなった。平然と見物できる。
ただ少し、疲れるだけだ。
私はタキをちらと見上げる。
私がまだこういう状況に慣れていない、など、彼は想像もしていないに違いない。
…と、私としては考えたい。
それが恨めしい、というわけではない。
むしろそちらの方が、私にはありがたかった。
弱味を見せたくない、というのもある。と同時に。
頼りないと思われたくないのだ。
足手まといにはなるつもりはない。そんな事態に陥るのは屈辱だ。
しかし、おそらく。
(…気付いてるわよね、これは…)
私は内心舌打ち。
でなければ、イエルに、無惨な事件の話は私にするな、と口止めしたりしないはずだ。
思えば、散々いろいろなことに私を巻き込みながら、残酷な場面に出くわすことは、意識して避けている節がある。
無論そう感じるだけで、現実がどうだったかは、私の図太さを見れば分かるだろう。
かと思えば、先ほどのようなことも平気で見せ付ける。
(そう、見せ付けてる)
彼は私を守りたいのか、遠ざけたいのか。
タキの考えが読めないのは、行動が矛盾しているせいだ。
ひとまず疑問を押し隠し、私はさし伸ばされていたタキの手を取った。
隣に立つ。
一方的な状況と、真正面から向き合った。
彼は無言だ。
目前の自決など遠い世界の出来事のように泰然と構えている。
せっせと死者生者問わず黒頭巾をはがしていたイエルが、呑気に言った。
「ゼンー、見覚えある?この顔」
呼びかけに、いやいや近付いたゼンは、何に気付いたか、眉根を寄せる。
「盗賊だ。貴様が指揮する、盗賊の討伐隊に参加したとき、見た覚えがあるぞ」




