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呪歌  作者: 野中
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第一章(2)

大国リ・ヒ。

その東の太守タキ・オーウェルは、東府の隣に位置する館に住む。


傍目には、門番も舟をこいでいるような敷居の低い館だ。

と言うのに闇世界では、忍び込みたくない館の筆頭に上げられる。

肝試しのつもりで忍び込んだものは、二度目の訪問に誘われても泣いて嫌がるともっぱらの噂だ。


平和と剣呑両面の顔を持つ館は今、朝のひかりの中穏やかにまどろんでいる。


その静けさを乱さない足取りで回廊を横切り、客室に訪れた私は戸惑った。

誰もいない。

どうしようか、と立ち止まる。

とたん、手元の盆に載った銀製・ガラス製の茶器がわずかにぶつかり合い、玲瓏とした音を立てた。

宥めるように抱えなおし、顔を巡らせる。


と、新緑に囲まれた庭先を薙いだ目に、夫である青年の姿が映った。


東の太守、タキ・オーウェル。

私は目を細める。



目立つ男だ。



大概の人間が見上げるほどの長身と鍛え抜かれた体躯、そして物静かで鷹揚な所作は、自然と衆目を集める。

クセのある赤毛、紺碧の瞳、褐色の肌合いは粗野な印象が強いが、黙って立つ姿には、つい襟を正させる威厳があった。


近寄り難いが、まず間違いなく、都でも引く手数多な美丈夫だ。


おかげで隣に立つと私は肩身が狭い。

せめて、私の容姿が持つ色彩があかるければまだマシなのだが、残念ながら、黒髪・菫の瞳・象牙の肌では、並んで立つとやはり、夜を連想せずにおれない。しかも少しばかり不吉な。

(まぁ生まれ持った資質はどうしようもないけど、せめて足を引っ張るようなことにだけはなりたくないわね…)


私は夫の周りに、客人と、側近であるゼンの姿を認め、私は深呼吸。

ぴんと背筋を伸ばす。

平静に、太守の妻としての仮面を被り、表情を取り澄ました。

昨夜の騒ぎの名残など、間違っても残さない。


衛兵が一人、客室の外に立っていた。

私に気付くなり無骨な所作で頭を下げる。

お疲れ様、と声をかけ、私は初夏の庭へ滑るように進み出た。

「失礼致します」


そっと石の卓上に盆を置く。

全員が顔を上げた。

すぐさま、客人が紹介を待たずに笑顔で立ち上がる。

彼の黄金の髪が冷たく陽光を弾いた。

「お初にお目にかかります。中央府より視察に伺いました、官吏のカーターと申します」

おっと。

私は内心、面食らう。


紹介より先に声をかけてきたか。

身分を考えれば、ほとんど無礼すれすれの行為だ。

それは分かり切っているから、問題は。


これが、相手の頭が元から足りていないのか、意図的な行動か、ということ。

判断するには、私の手元にはこの官吏に対する情報が圧倒的に少ない。


では、ここは無難に出るか。

なんにせよ、相手は官吏。

訪問の名目は視察。

喧嘩を売っても損をするだけ。


私は淑やかに頭を下げた。


「はじめまして。東の太守、タキ・オーウェルの妻、ユカと申します」

カーターは、濃紺の瞳で眩しげに私を見つめる。

「お会いできて光栄です、奥方様」

「こちらこそ、光栄です。お時間がありましたら、ぜひ、都のお話をお聞きかせください」

カーターは微笑んで着席した。

「喜んで。実は私も、東府のことをお聞きしたかったのですが、よろしいですか」


私は社交辞令の笑みを返す。

「どのようなことをお知りになりたいのです?」

「お勧めの特産物と言ったら、なんでしょう。実は知人から、土産を頼まれているのですが、どうも食べ物ばかりしか思い浮かばなくて」

私は控えめに微笑んだ。

盆から銀器を取り上げる。

太守の客人の給仕は、妻が執り行うのが慣例だ。

薫り高い茶を淹れ、それぞれの前に置く。


私が来るまでどのような話をしていたものか、揺れぬ水面のごとく平静なタキと、影に徹したゼンからは片鱗すら読み取れない。


「そうですね…高価でもよろしいのなら、藍染はいかがです?この辺りの藍は、目が覚めるような発色ですよ」

「それはいい!仕事の合間に探してみます」

カーターは重大事件が解決した口ぶりで言った。にこにこと続ける。

「助かりました。もうひとつお聞きしてよろしいですか」

「どうぞ」


「この東の地で、もっとも『よい土』がどこにあるか、教えていただけませんか」


思いもかけない質問だった。

いや、まさか真正面から私にそんな質問をする人間がいると思わなかったと言うべきか。

唐突に背後から殴りかかられた気分だ。

私は慎重に感情を抜き取った笑顔をカーターに向ける。

わざと質問の意図を外した答えを返した。


「土壌のことなら、ゼンが一番把握しておりますよ」

太守の側近の名を出せば、中央の管理を名乗る男は首を横に振る。

笑顔を消さず、彼は身を乗り出した。

「『よい土』を所望しているのは、中央府の知り合いの教示者なのです。奥方様は、太古の名門の血を引かれるだけでなく、高名な教示者でもいらっしゃる。奥方様しか、知り合いが求める答えはお持ちでないでしょう?」


コノヤロウ。


卓子が石でよかった。でなければ、引っくり返していたかもしれない。




太古の名門の血統たる前太守は私の父親で、タキはその命を奪った張本人。




中央府の官吏であるカーターが、事情を知らないはずがない。

それを、この場で口にするとは。


私たちに、悪意があるとしか思えない。


私は呼吸を整え、冷静に答えた。

「教示者ならば、その質問がどれだけ恥かご存知のはずです。土は、己の足で発見するのが常識です。掟を重視する教示者の言葉とも思えませんが」

「…そう、なのですか?うわあ、申し訳ありません」

「アナタが謝罪なさることではありませんよ」

ついカーターを宥めたが、これは失敗だ。


安堵したのか、彼はまた新たな爆弾を投げ込んでくる。




「よろしければ今度、奥方様の祈りを拝見させて頂けませんか。無論、教示者としての」




図に乗るな。


と言うわけにもいかず、私はことさら優しい口調で謝罪した。

「申し訳ございません。折角のお申し出、お受けしたいのは山々なのですが、私の祈りは死者と、死に近いものにしか届かないのです」

「死に近いもの?」


「なんの不自由もない健康な方が、私の祈りの最中そばに居られますと、魂が肉体から離れます。即ち、死です」


カーターは虚を突かれた顔をした。

「…噂にはお聞きしていましたが、なるほど、都で話題になるはずです」


ろくな噂ではあるまい。

私は微笑で聞き流した。


合間、探るように、私はタキと目を合わせる。

逸らされることなく、かち合う視線。

紺碧の瞳は、感情と無縁なくらい澄んでいた。

吸い込まれそうになるのを引き剥がし、視線を移すと、彼の斜め後ろには、黒髪に蜜色の瞳をした黒衣の腹心が立っている。

彼は控えめに目を伏せ、そ知らぬ顔をしていた。

どうにか澄ました表情を変えてやりたくなった私はゼンの髭を見る。


とたん、彼はさりげなく顎を押さえて隠した。


カーターがからかいまじりに微笑む。

「太守ご夫妻の睦まじさも有名ですよ。確か、ご結婚は、タキ様が十五、ユカ様が十の時で、今年で六年になりますね。どうです、ご懐妊の気配などは」

直球だな。


さすがに心の中で辟易する。

無視できたなら、どれだけ心が平穏になるか。

心から残念だが、できない以上、微かにはじらったふりで、私は座ったタキの背後にそっと回りこむ。

「天の御心のままです。…そればかりは」


われながら寒い演技だ。


眼下に見える、夫の広い肩と背。

大嫌いな男だが、後姿は好きだ。…悔しいことに。

私は目を伏せる。


カーターはハッとして、焦ったように意味もなく何度か頷いた。

「そ、そうですね。…ええと、ぶしつけな質問をして、申し訳ありません」

拍子に袖の中で、何かがじゃらりと音を立てる。

「ああ、すみません。少し、失礼します」


彼は袖から布袋を取り出した。掌に丸薬を五つ零す。紫色だ。目にも毒な色合いである。


「私、病弱でしてね。定期的に薬を飲まないと身体が保たないんですよ」

優男の顔が気弱に笑い、丸薬を煽った。茶で一気に飲み干す。よく喉につまらないものだ。

湯呑みを置いて、彼は人懐こい笑顔を浮かべた。

「では、タキ様。これから私は東府へお邪魔致します」


タキは義務感だけの声で応じる。

「話は通してある。結論が出る目途はいつだ」

「遅くとも、七日後までには」

七日?


私の心臓が調子外れに一拍跳ねた。当然、うまく隠したが。


ごく自然体で立ち上がり、踵を返す寸前、カーターは思い出したように尋ねる。

「そうだ、あとひとつお聞きしたいのですが」

濃紺の瞳に、面白がるひかりが踊った。タキは無造作に応じる。

「聞こう」

「巷で最も名高い噂話をご存知ですか」

私は首を傾げた。中央府の官吏が、いやに俗っぽい話だ。

(昨夜の男たちも同じこと気にしてたけど…世の中平和な証拠って思っていいものかしらね)

私の脳裏で、 昨夜見たばかりの番人の姿が瞬いた。

胸の中央に、鋭い痛みが走る。


タキは淡々と呟いた。

「前太守…先代の隠し財産の話か」

「さすが。ご存知でしたか。ええ、未回収の宝が、この街のどこかに今も眠っていると」

カーターが目を輝かせる。

「実在しますか?」

「くだらん」

タキはにべもない。


「代々の太守の財産は、すべて東府の目録に記されている。隠匿などない」

「失礼致しました」

タキは穏やかだったが、カーターは思わず姿勢を正す。

深々頭を下げた。

「では、これから東府へ向かいます。お忙しい中、お時間を割いていただいて、ありがとうございました」

控えていた衛兵が、カーターを先導し、館の中へ消えていく。

なかなか図々しい男だが、どう判断すべきか迷う。


見送りながら、私は小声で尋ねた。

「何を調べに来たの」


同じく、前を向いたままのタキは響きのいい声で答える。

「リ・ヒに大掛かりな密輸経路がある。不法に税を免れ、安全面で信用が置けない物流だ。その一部が、東の領地内にもあるそうだ」

「東府が関わっていると疑われているの?」

「表向き」

「彼が調べたいのはそれだけ?」


「ユカはどう思う」

「興味はないわ。ただ、不愉快ね。私の血筋がどうのと」

私は感情をどこかに置き忘れた声で言った。


同時に、太守の妻としての仮面をかなぐり捨てる。






太古の名門と言うのは、特殊な血筋を指す。


世界初の帝国、その支配者たちの知識と血を受け継いだ血統のことだ。

始原と言われるその帝国は、やがて分裂し、現在幾つも存在する王国の祖となった。

ただし、各王家には太古の名門の血は一滴も流れていない。


太古の名門の血統は、中央の政とは程遠い辺境の領地を与えられ、血を繋いだ。

とは言え、血が薄れ、知識が失われ、気位だけが高い厄介者と化すのは時間の問題だった。

やがて治めるべき民の反乱が起こり、一門は次々没落し、死に絶えた。

中でもリ・ヒの東の太守、即ち私の父の家系は近親婚を繰り返し、血の純度を保ったために他家より長らえたが、異変が起きた。

近親婚の末路か、精神が、凄まじいまでの異常をきたしはじめたのだ。

異常性は坂道を転がり落ちるように年々破滅的になっていった。


前太守だけでも、いくらでも逸話がある。


幼子を異常に疎み、目にすれば必ず殺したため、誰もが必死に彼の目から子を隠した、とか。

庭先の甕で、気に入らない使用人を煮殺したこともあるそうだ。

のみならず、無法にもたびたび国境を侵し、中央府に逆らい、東の領土を孤立させ、抜き差しならないところまで民を追い詰めた。

彼は、政にも戦にも無能だった。

地方を律すべき中央府は、その血筋ゆえに彼の無軌道を見て見ぬふりで過ごした。


よって東の民は、平和を自ら勝ち得ねばならなかった。


彼らの意志を剣で導いた者が、タキだ。

欲の赴くまま暴虐の限りを尽くした太守は、タキの軍勢によって六年前滅ぼされたが、タキはまず真っ先に、打ち倒した相手の後始末に奔走させられたと言っていい。




繰り返すが、その前太守が私の父。




実のところ、彼の異常な性癖のため、会ったことがなかった。顔さえ知らない。

それでも、娘は娘だ。

タキが娶る意味は、確かにあった。


自覚している。

私は残忍さと血筋にしか価値を見出せなかった男の娘。


おかげで私には、潜在的な恐怖がある。

いつ、自分が狂うか分からない。まともなつもりでも、既に狂っているのかもしれない。

いくら父と私が別人でも、その血からは、逃れられない。一生。

この不安を突かれると私は脆い。だから。

…タキには、感謝していた。


この男がいれば、意地を張れるからだ。


弱さを見せてたまるか。

いつだって対等でありたい。

この、冷酷だが強い男が、一目置く存在になりたい。

難題だが、それがどうした。

目標が遠くにあればあるほど、それを目指して私は立っていられる。崩れ落ちずにすむ。

周囲が私に向ける目や言葉など、知ったことではない。


とはいえ、言われ慣れていようと、言われて嬉しいはずもなかった。






「あの役人、喧嘩売りにきたのかしら」

「遊戯の駒に喧嘩など売らんよ」

「ふぅん。アナタと同類ってわけ」

「声に棘があるな」

「あら、少しは刺さった?」

ひたとタキの両肩に手を置いて、地底から這い出る亡者じみた声で言う。




「昨夜のことだけどね。私を囮に使うのはいいけど、事前連絡くらいしたらどうなの。おかげで予定が無茶苦茶よ。だけじゃなくって、館ひとつ壊すなんてどういうつもり」




呼吸ひとつ分の間があった。


「そんな気分だったからな」

返った声は平静だ。

ただし、タキは振り向こうとしない。

間があいたことといい、これは別に、私に後ろめたいわけじゃない。

昨夜自分が何をしたか、思い出すのに少し時間がいったのと、別にそれほどたいしたことでないと判断したためだ。

つまりもう、タキにとって昨夜の出来事は、軽く掃除をした程度の意味しかもってないってことで。

私は唸った。

「気分?非戦闘員の使用人だっているのよ」


「逃がせなかったのか」

「全員逃がしたに決まっているでしょ」




「だろう。できると思ったから、俺は実行した」




誤魔化されるものか。思ったが、飛び出しかけた罵倒は詰まり、不発に終わった。


その言い方は卑怯だ。


ちらと上げた私の目に、太守の館・本館越しに、優美な建物が映った。

前太守が建立した三階建ての建築物だ。あれは妾専用の館だった。今は誰もいない。


どうせ壊すなら、あれを壊せばよかったのに。


そのときだ。白けた私の耳に、やたら快活な声が届いた。

「仲いいねえ、大将、姫さん」

「あ、その、お邪魔だったら、僕ら退散するから…、ほら、行こうよイエル」

気弱な声があとに続く。

私は額を押さえた。




節穴が二対。










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