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呪歌  作者: 野中
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第一章(1)

火の回りが早い。頬を、熱気が炙る。

壁を這いのぼる灼熱の舌を横目に、私は廊下を駆け抜けた。

あと数刻もすれば、館は落ちる。

私は最後の角を曲がった。


「行くわよ」


隣の侍女に声をかけると、涼やかな面立ちが頷く。


裏口は目の前だ。

私たちは加速。

直後、火達磨になった扉を蹴破った。

刹那、左右へ身を投げ出す。

寸前まで首があった空間を、水に似たひかりがたばしり過ぎた。

ひかりの尾を引いたのは、一振りの山月刀だ。


数人の男たちが、扉の周りを半月状に取り囲んでいた。

私の動きは、反射だ。

じっくり考えている時間などない。いつも。


二撃目の寸前、私の膝が撓む。

直後突き上げた砲弾なみの肘打ちが、相手の腹に食い込んだ。

男が胃の中身をぶちまける向こう側で、山月刀が宙を飛ぶ。

侍女の足が跳ね上がるなり、持ち主の肘を強か蹴りつけたのだ。

と見る間に、彼女の踵が男の口に振り落とされた。


悲鳴に混じって、折れた前歯と血の珠が散る。


私たちは、間髪入れず地を蹴った。

男たちの集団、その合間をすり抜け、駆け出す。

闇に紛れてしまえば逃亡は容易い。

直後、追跡しようとした男たちが棒立ちになった。

いきなり面食らった目が、私を射抜く。


それもそうだろう。



この状況で、私が足を止めたからだ。



急停止した私は、樹上をちらと見上げる。

…物騒この上ない気配がしたのだ。


これから皆殺しする準備をしていますよ、という不穏がひしひし迫るように降ってくる。



横目に目を向けると、心得顔の侍女が頷く。

ここは、否定に首を横に振る場面だ。

不穏の肯定は望んでいない。


それでも念のため、小声で尋ねた。

「フリーダ、ナツメは何をしようとしているの?」

樹上にいる相手は、おそらく私の知り合いだ。

ならば答えはだいたい予想がついていた。


忠実な侍女はきっぱり断言。




「ユカ姫様の敵はすべて、殲滅いたします」




「問答無用でそれをしたら、私たちも連中と同類じゃないの」

不愉快な相手と同じ穴の狢になるのは御免被る。

逃げるが勝ちと思ったが、仕方ない。


私は大木を背に振り向いた。


「見逃してあげるわ。去りなさい」


男たちは、一瞬怯む。

すぐさま罵倒が迸った。


「貴様のほうが不利だ。頭が弱いらしいな、簒奪者に身を売った淫売め」


実際、この状況で、私のほうが、『逃がしてあげる』もなにもない。

追いつめられているのはどちらか、一見してあきらかだ。

しかし残念ながら、真実とは、奥深いところにある。

今、一歩でも動けば命がないのは、男たちの方だった。

それが、揺るぎ無い真相。


背後、樹上の気配に神経を尖らせ、私は辛抱強く男たちの言い分に耳をすませる。


「教示者でありながら、仇の妻になった堕落の徒。汚らわしい」


目新しい台詞はない。

無感動に私は、胸の前で腕を組んだ。

「私を殺せば気がすむの」

男たちの目は、計算高くひかっている。

用心深く、間合いを狭めてきた。

「殺しはしない、まだ」

「殺すのは、簒奪者タキ・オーウェルをおびき寄せる餌にした後だ」


私は表情を消す。

口の中いっぱいに砂を詰め込まれた気分だ。

「どう勘違いしているか知らないけど、あの男は私のために指一本動かしたりしないわ」

私たち夫婦の絆は、政略のみ。


時に利用し合う、…最近は利用されっぱなしだが…夜の生活とも無縁のキヨラカで思いやりに満ちた関係だ。


真実の響きは黙殺され、失笑が湧いた。

「東の太守夫妻の睦まじさは他国にまで知れ渡っている」

「どんな悪女だろうと、惚れた男は、健気に庇うか」

軍配が上がったのは、当人の言葉より、事実無根の噂。


私は根気よく、誤解の修正を試みた。



「太守の館の一つがこうも容易く落ちたのはなぜだと思うの」



ようやく、周囲に戸惑いが満ちる。

男たちは、忙しなく視線を交錯した。

私の指摘より先に、罠に踏み迷う違和感がとっくに芽吹いていたに違いない。

コトはあんまり速やかに運びすぎていた。


それこそが、最大の違和感。



なにせ、彼らが相手取るのは、大国リ・ヒの東の太守、タキ・オーウェル。



『怪物』と呼ばれる男だ。



六年前、弱冠十五で大軍を率い、前太守を弑し奉り、満場一致で次代の座に就いた一傭兵。

冷酷無比、勇猛果敢、常勝不敗の支配者。

血に飢えたような業績と、過度なほど残酷を好む行動と裏腹に、沈毅重厚の性質で、中央からの信頼も厚い。


剣技どころか、頭脳でも右に出るものは滅多にいまい。






その彼を、出し抜け遂せたと?






私は微笑んだ。悠然としているふうに、見えるだろうか。

「あの男はね、アンタたちをまとめておびき出すために、私を囮に使ったのよ」

妻ユカ・オーウェルが、戦死者の祈りのため山裾の館へこもる。

意図的に世間へ流された情報に、タキの行政悉くに非を唱える男たちは、飢えた野良犬みたいに食いついた。

残念だが、囮に使われたような女に人質の価値はない。

どころか、囮になったなら、自力で抜け出せとか言うに決まっている。


表面は余裕を崩さず、私は理不尽さに心中で荒く鼻息をついた。


「囮…だと」

「まさか。それで館ひとつ、見捨てるものか」

「ましてや、太古の名門の血を引く最後の一人である、妻を」


否定した男たちの頬を、焦燥が痙攣させた。

彼らの心に絶望的な理解が、暗黒の翼を広げる。

現状はすべて、タキの掌の上。彼らは崖っぷちに立っている。


私は皮肉な目で男たちを見据えた。

闇で女の尻を追い回すのは平気でも、正面から戦いを挑まれるのは不得手らしい。


そのとき、館が燃え盛る音に紛れて、私は遠くに豪雨じみた音を聴いた。

同時に、微かな震動が、足を駆け上がる。大地を叩く鉄蹄だ。

私は迫りくるそれに、気付かないふりを装う。

騎馬の編隊が、館へ殺到していた。

おそらく、東の太守の近衛部隊。


タキは、賊を一網打尽にするつもりだ。


とたん、炎の逆光の中、よく通る声が響く。


「これは罠だ、撤収しろ! 命を惜しめ」

男の中の一人が身を翻した。

くすんだ金髪が見えた気がしたが、闇と炎の逆光で、容姿までは分からない。

瞬く間に闇に溶けた背中に、残った者は唾を吐いた。


「臆病者め」

(いいえ)

今逃げた者は、これ以上ない利口者だ。

私に向いた目が血走っているのを見て、私もとっとと逃げたくなった。


だが、そういうわけにもいかない。




私が逃げれば、彼らは皆殺しだ。




でき得る限り、それは避けたい。

…だからと言って、できなければ、それまでだけど。


「罠としても、この女を人質にすればいいだけの話だ」

「だけじゃない。例の噂も真実かどうか、確かめよう」

(噂?)

一時疑問に感じたが、すぐさま合点がいく。


「噂って、先代が残したっていう金貨の…隠し財産の話? ばっかねぇ、浪費家の先代がそんなもの残してるわけないじゃない。あったとしても、絶対妙な曰く付きよ」


私は心底から呆れた。

噂を耳にはしていたが、それを鵜呑みにする者がいるなど、今の今まで想像もしなかったから。

だが、彼らは本気らしい。

数本の腕が、問答無用で私に迫る。

触れる、寸前。



私が見たのは、ひかりの筋だ。



瞬く間に雨と化したひかりの真下にいた男たちは、雷に打たれたように立ち尽くす。

直後、彼らは白目を剥いて顔から地面に突っ込んだ。

見下ろせば、男たちは、胎児みたいに身を縮め、痙攣している。


雨と見えたのは、短針だ。

急所を穿たれた彼らは、しばらく動けまい。

だが、生きている。

私は背後の樹上を見上げる。

「助けてくれてありがとう、ナツメ」


「殺さないようにするのは一苦労だ」

鬱蒼と枝葉を茂らす木の上から、気怠い声が落ちる。

性別年齢、一切不明の声だ。

「私の目がないときもそうしてちょうだい」


ささやかな要望は、丁寧に無視された。


「ヴァルがそろそろここへ来るぞ、ユカ」

そのとき、耳に、呑気な鼻歌が届く。

私は蹴破った扉へ顔を戻した。

中は、蟻一匹潜る余地もなく炎が詰まっていた。

と言うのに、鼻歌は火の奥から響いてくる。


刹那、炎のカーテンを平然と掻き分け、眠そうな目の青年が顔を出した。


黒目黒髪の彼は、無傷の顔でおっとり周りを見渡す。

「あれぇ。コッチも多かったんだねーえ。大概、表へ追っ払ったんだけど」

猫背で男どもを見下ろし、足先で小突いた。

彼に声をかけるより先に、私は闇の向こうへ耳を澄ます。

剣戟の音や怒号が乱れ飛んでいた。庭先で、交戦が始まったようだ。


鉄蹄の音が、地鳴りめいた勢いで聴覚を満たした。


ナツメが不快げに言う。

「役立たずだな、ヴァル。今まで館の中で何をしていた」

「ちゃんと仕事したよ。サボりたかったけど」

欠伸をしたヴァルの目が、不意に一点を凝視した。


「なに、あれ」


視線を追った先で、倒れた男たちの合間に、一筋の黒煙が立ち昇る。

炎を背に、それはあっという間に、闇色の柱となった。

と見るなり、長い手足が現れ、ぺた、と四つん這いになる。

拍子に、鼻部分が嘴みたいに突き出た白い仮面が露になった。

姿は猿に似ていたが、動きは蜘蛛だ。


仮面は不器用に動き、倒れた男たちを覗き込みはじめた。何かを探すみたいに。


私は目を瞬かせた。一瞬記憶の時間が逆戻りになる。

鳥を連想させる仮面。

闇が凝縮したような四肢。

この奇怪な姿には、見覚えがあった。

あれは遠い昔、母の膝で繰った本の挿絵そっくりだ。だとすれば。


ヴァルが、不快を隠さず呟いた。

「うわ、気持ち悪。なんだろね、あれ、生き物じゃないよ」

「すごいわね、ヴァル。分かるの」

「えへ、そう?すごい?」

「ええ、時々」

ヴァルが何か言うより早く、私は続ける。






「あれは番人よ。作り手の命令を守る使命感だけで出来たお人形」






フリーダは青灰色の目を瞬かせた。

「人形? でも動いています。意思があるみたいに」

「意思ではないわ。使命感ね。…太古の知識なら、あの手のモノを作ることも可能よ。だいたい何かを隠すために作られるんだけど。どうして外をウロついているのかしら…何か秘密が暴かれようとしているのかもしれないわね。製作者でない以上、詳細は分からないけど」

「太古の知識? ならば作ったのは、太古の名門の血を引く誰かと言うことか」

樹上から落ちた声に、私は首を横に振る。

「私じゃないわよ。でもなんで、あんなものが、今更…しかもこんな場所に」


動きに反応したか、ぐるん、と番人の頭部が回った。

一回転半で止まる。

嘴の先が、私を向いた。

指差すみたいに。


とたん、満身が総毛立つ。番人から吹き付けたのは、悪意。


それを認識する暇もない。

気付けば眼前に、肉薄した闇色の姿があった。

瞬時に、フリーダとヴァルの腕が撓る。

彼らの指先から、きらめき走ったのは、三条の刃。

同時に樹上から、銀の針が投擲される。

すべての切っ先が過たず、標的を貫いた。


ヴァルの匕首は眉間に、フリーダの短剣二本は両眼に、柄まで沈む。

ナツメの短針は、仮面を含めた闇色の肉体を針鼠と化した。

番人は炎上する館を背景に、頭から仰け反る。

風に吹かれた木の葉みたいに、身体が浮き上がった。

闇色の肉体が一瞬で風化し、夜闇に流れ去る。


遅れて、三本の刃に貫かれた仮面と、短針の束が、まばらに地面へ落ちた。


振り向くヴァルの首で、チョーカーの飾りが跳ねる。一角獣のカメオ。

「見掛け倒しだね」

フリーダは何も言わなかったが、ヴァルと同意見の顔をしていた。

ナツメが雨垂れめいた口調で呟く。

「誰が作った人形か知りたいものだな」

「少なくとも、お前より器用なヤツだな」


仲間たちの応酬も上の空で、私は違和感に目を上げる。

違和感を見定める直前、現実感のない答えを、否応なしに目の当たりにした。


館が、屋根も壁も柱も、炎もろともヤスリで削り取られるみたいに消えはじめる。

火勢が原因の崩壊とは思えない光景だ。透明の巨人が、屋根から館を食っているみたいに見えた。

炎が館を燃やす音はうるさいほどなのに、倒壊の音は一切ない。


なのに、消えていく。


私は唖然と口を開いた。

ヴァルが口笛を吹き、後頭部で腕を組む。

「ほらほら、見てよナツメ。使用人を姫さんと一緒に逃がしたあと、中にいた賊を殲滅するために仕掛けたトラップが作動したみたいだ。ちゃんと仕事しているだろ?…って、痛ぇっ!!」

幼馴染の顎に、私は問答無用で拳を食い込ませた。

仰け反り倒れるヴァルの前で、仁王立ちになる。


「だからって、館を壊す? 壊すのは一瞬でも、作るのにどれだけ時間がかかると思っているの。最近、壊しすぎよ、ヴァル」


「や、火は賊がつけたんだしさ…あ、ぼ、暴力反対! …太守殿の命令なんだってば!」

言葉の途中で拳を振り上げた私は、ヴァルの言葉に顔をしかめた。

「タキの?」

「そ、太守殿は承知の上。今頃、館の崩壊に巻き込まれるのを避けて、撤収しているよ」

確かに、乱戦の音が消えている。とは言え。


再び、私の拳骨がヴァルの脳天に落ちた。

情けない顔でヴァルは痛みを堪える。


「タキとグルだったのね」

ヴァルは、私の一睨みに黙りこんだ。



彼の真価が発揮されるのは、トラップだ。

ヴァルに必殺の意図があれば、逃れられる者などいない。

彼が壊すつもりなら、壊れないものもない。従って、


「私たちも逃げるわよ!」


ボンヤリしていたら火に巻かれる。

倒れている賊たちのことまで構っていられない。


仲間たちの尻を叩き、最後に駆け出そうとした私は、地面に落ちた仮面を見遣る。




とたん、戦慄が身体を貫いた。咄嗟に身を翻す。フリーダの前に立ち塞がった。




それは、一髪の差だった。

私の胸に、何かの破片が突き立つ。

それは着物を貫き、皮膚に埋まった。致命傷に至るものではない。

なのに衝撃で、膝が崩れかける。


「ユカ姫様っ!?」


悲鳴が上がり、背中を二本の腕が支えた。フリーダだ。

「大丈夫」

肩にかかったフリーダの手を軽く叩き、私は仮面を見遣った。

落ちていたはずの場所から白い姿は煙みたいに消えている。

突き立っていた刃だけが所在無げに転がっていた。


とたん、破片が突き立った胸の中央から体内へ、火を噴きつけられたような感覚が突き抜ける。

烈火は刹那に末端まで焼き尽くし、唐突に消えた。

高熱に似た怠さを残して。


舌打ちがこぼれる。相手が誰かは知らないが、してやられた。


だとしても、今は構っていられない。

「行くわよ!」


震える足に鞭打って、フリーダの手を引き駆け出す。







向けられる敵意と怨嗟を蹴散らして、私は夜の闇に紛れた。












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