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呪歌  作者: 野中
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おまけ・3

回廊を行けば、風が思わぬほど冷えていることに気付く。

もう、冬だ。


狩猟の季節。




近く、東の領地の端で、狩祭が執り行われる。


館のものは、ここのところ出立の準備に追われていた。




俺たちも、しばし東府を空けるための引き継ぎ作業に追われている。

慌しいのは、俺もユカも同様。

だが、休憩時間になると、俺の足は自然と太守の館の裏庭へ向いていた。

ユカに伝えるべきことがあったのだ。


ユカと会えるかは分からない。

なにしろ、約束などしていない。

会えないならそれでもよかった。

けれど、予感がした。




会える。




…いつもだ。

こういうとき、いつも、ユカは俺が行く先にいる。

もしくは、あとから必ず現れた。


俺の予感を肯定するかのように、

「…さま、ユカ姫様っ」

裏庭にさしかかったところで、聞きなれた声が、耳に届く。


フリーダの声だ。近い。


普段は氷のように硬いのに、主人のユカに対しては、心配性の姉のような語調になる。

フリーダは、心の底から、ユカを敬愛していた。


フリーダの調香の腕前は天才の域にある。

一時それで暗殺の仕事に手を染めていた。

理由があったとはいえ、ユカはそんな女を「気に入った」というだけで侍女として引き抜いた。

あまつさえ、フリーダが人を殺せる香りを作り出すことが可能と知っていながら、彼女が生み出すかおりすら平然と身につけるのだから、たいした心臓だ。


あらゆる意味で恩人であるユカに、フリーダが心酔するのは当然だろう。

ユカに対するえこひいきの激しさと盲目っぷりは、太守の館の中でも全力で突き抜けている。

「なりません、そのようなこと、わたくしどもが」


「だって同類だもの、心配になって」

踊るような軽やかさで答えたのは、ユカ。



…同類?



疑問に感じながら、俺は回廊を曲がった。視界が開ける。

そこはもう、裏庭だ。

その端の方にあるのが、枯れた池。


池の縁、ふたりの女がいた。

長い袖を襷でまとめ、袴をはいて、しゃがみ込んでいるのがユカ。

おろおろ、隣で中腰になり、止めようとしている侍女がフリーダ。

侍女は真摯な顔できっぱり断言。

「雑草など、ユカ姫様の心配に値する存在ではありません」

直後、首を傾げた。


「同類とは、どういう意味ですか?」


普通、真っ先に疑問に感じるのはそこだ。

相変わらず、順番のおかしな娘だ。

ユカは答えない。


代わりに、フリーダを横目に、力瘤でも作るように、細い腕を振り上げる。

手には、小さな移植ごて。

ヤル気だ。


…まあそうだろうな。

俺は納得。

ユカという女、何かを簡単にあきらめたりできる性格ではない。

明るく、ユカは言った。

「フリーダは戻って。アナタには、他の侍女たちに出立準備の指示してもらわないと」


「な、なりません。お願い致しますから、ユカ姫様…」

言いさし、顔を上げるフリーダ。

この女にしては珍しく、途方に暮れた風情。

フリーダにあんな顔をさせることができるのは、ユカくらいだ。


フリーダは助けを求めるように、顔を巡らせる。

途中、俺に目を止めた。




不自然な速さで、繰り返される瞬き。ぱちぱち。


とたん、呼吸に合わせ変わる、フリーダの表情。

驚愕、否定、肯定、





そして最後に、―――――絶句。


一拍後、唇を震わせる。

やがて戦慄に満ちた声で言った。




「…た、太守様…っ」




刹那、ユカの動きが止まる。

今にも、大地に突き立とうとしていた移植ごてがぎりぎりで宙に停止。


しかし、敵もさるもの、ユカはすかさず、よそ行きの声で言った。


「まあ旦那様、急なお渡り、いかがなさいましたの? 思いもかけずお顔を拝見できる嬉しさはなにものにも勝りますけれど、いやだわ、私、こんな格好ですのよ?恥ずかしい」


顔を見れて嬉しいと言いつつ、ユカは振り向かない。

おそらく、よき妻の仮面を被り損ねた表情をしているに違いなかった。


俺はしばし黙考。

まずは、ユカの言葉を、この数年間培った、俺的ユカ語翻訳機能で濾過。

結果、脳が理解した言葉は。


―――――来るなら来るで構わないわ。けど、事前連絡は入れろって前から口を酸っぱくして言ってるでしょうが。ほんっきで、右から左へ聞き流してるのね?自分の立場や影響力を考えて行動しなさい、周りが混乱・迷惑するの!っていうか、さてはサボりかこの野郎。


おそらく、こんな感じで間違いない。


構わず、俺は回廊を降りた。

ユカの元へ向かう。

慌てて、数歩退くフリーダ。

離れた場所で、恭しく頭を下げる。

俺はフリーダを一瞥、軽く顎を引き、応じた。

頭上の木陰に感じる気配は、ナツメか。


俺はユカの背後で足を止めた。

「ユカ、いつ庭弄りが趣味になった」

「草木に呼ばれたから、応じたまでよ」

俺が呼んでも振り向かないのにか、とは言わない。

いつものことだ。

頑なに、まるくなった小さな背中へ、俺は声を落とす。



「…この地は、均さないことに決定した。池は、埋める」



ぴくん、ユカの肩が揺れた。

俺は言葉を続ける。


「朝食の席でユカがいいかけたのは、このことだろう。ヴァルがお前から預かった伝言は聞いたが、仕事をしていれば、お前が言いたかったことには気付く」

俺はかつて池だった場所を見下ろす。

水が枯れた理由は。



―――――確かさ、あれってオレのせいじゃなかったっけ。あれ、違ったっけ?



思い出したのは、執務室での、イエルの言葉。

正確には、イエルばかりのせいではない。

ヴァルにも、顔を背けて気まずげにしているゼンにも、責任の一端はあった。

イエルとヴァルは仲がいい。

ある意味、喧嘩友達だ。




遊びと称してぶつかり合った挙句、館がひとつ、壊滅したことがあるていどの。




傍迷惑な天災と称される二人のぶつかり合いは、東の領において、俺の代が始まって以来、いくつもの安っぽいきらびやかさに彩られた伝説として、歴史に汚い足跡を残していた。


池が枯れたのも、数多い伝説のうちのひとつ。

あのときは、とばっちりに腹を立てたゼンまで参戦、蒸発したか、底が抜けたか、はっきりしたことは記憶にないが、とにかく池は枯れ、長い間放置されていた。


この際、安全を期して、この地は均してしまえばどうか、と意見が出るのも無理はない。

確かに、転がり落ちると危険だ。

けっこう、深い。

ユカは、深刻な声で言う。

「私だって、ここが危険だって分かってるわ」

ヴァルのトラップがないことから、人の行き来が頻繁なことは容易に想像がつく。

となれば、ますます放置は望ましくない。

ユカは、ぽつり。


「均すことに、反対ってわけじゃないのよ」

「他に方法があるなら、無理に周囲まで掘り返すような真似はしない」

俺は少し躊躇った。

…これからすることは、俺にはかなりの勇気がいる。

ゆっくり、足を動かした。

そっと、―――――前へ出る。




ユカの隣に立った。




俯いていたユカが、顔を上げる。

気丈で、したたかな表情。

だが、俺が隣にいることは、何も言わない。


俺はどうしても強張ってしまう身体から、努力して緊張を抜いた。


俺はユカの隣に相応しい男になれたのだろうか。

刃で脅すようにユカに妻問いした、あの日と比べて。


俺は慎重に、ユカを見下ろした。

この娘はめったに折れない。

笑わない。

笑っても、ほとんどが、演技。

そういった表情も好きだが、俺は、ユカの本当の笑顔が一番好ましいと思う。だが。


今日も、ユカの笑顔は見れまい。


落胆しながら、俺は足元を指差した。




「綿霧草」




言えば、ユカの目が丸くなる。

盛んに瞬きする表情は、幼い。

なぜ驚くのか。

分からない。


分からないまま、俺は言った。

「ユカは好きだろう。雑草のクセに、気難しいあの白い花が。…この池の縁には、毎年咲く」

俺はユカの手元を見遣る。


ぱっと、ユカは移植ごてを胸と足の間に押し込んだ。

隠したつもりだろうか。

俺は言葉を続けた。

「だから、この周辺の地を均すことには反対だったのだろう。雑草だが、どこにでも根付くわけではないからな、群生している光景は珍しい。しかも、咲く季節は冬だ」


「だから、反対はしてないってば」

ユカは唇を尖らせる。

「植え替えればすむ話だもの」

「植え替えて、簡単に根付く種類ではないのは、東の領のものなら、誰でも承知だ」

ユカは唇をぎゅっと引き結んだ。


怒っているのか、拗ねているのか。どちらでもないようで、どちらでもある気がした。

そのうち、くすぐったそうな顔で、遠慮がちにぼそぼそ。

「…なんで、知ってるの」

「何がだ」

「綿霧草。…私が、気に入ってるって」

確かに、俺はユカからは聞いていない。しかし、


「ファランから聞いた」


ユカは、唖然となる。

ぱくぱく、酸欠の金魚のように、口を開閉。

それはわずかの間だ。


口を閉じた。

冷静な顔に戻る。

いつもの、どこか皮肉げな。

それでいて、安心したような、残念なような。

「そうよね」

俯くユカ。


「誰かに聞かなきゃ、分かるはずないわよね」


俺には、ユカの言いたいことがよく分からない。

聞き流し、池に目を戻す。

「この池も、好きだったろう。特に、泳いでいた鯉を見るのが」

ユカは鼻を鳴らした。


「それも、ファランから聞いたの?」


ファランというのは、革命後の俺たちに一通り貴人の作法を叩き込んだ女だ。

先代の太守に直に接し、仕えた侍女たちのうち、たったひとり、最後まで生き残った女。

当時、既に初老の域にいた彼女は、二年前田舎に引っ込んでしまった。


俺は少し考える。

記憶を探り、答えた。

「いいや」

ファランから、池のことを聞いたことはない。

ユカは目を見張った。


俺を見上げる。

何かを探すように。






かつて、ユカは俺に言った。


―――――私が狂ったら、私を殺して。


なんでもしてやる、そう言った、俺に。

たったひとつ、ユカが願ったこと。


だが、俺は思う。

ユカの心がゆがむことは、きっとない。

ユカの双眸は、健やかだ。

濁りひとつない、菫色。

この俺を真っ直ぐ映してなお、歪まなかったこの女なら。


狂わない。


それは俺の願望か。

確信か。

俺に判断はつかなかった。


だが、おそらく、他人の言葉に意味はない。

未来など、誰にも見えない。

ユカにとって、この問題は、自分自身が乗り越えるほかないシロモノだ。



太古の名門の血。



繰り返された近親婚で、濁りきり、狂気に支配された一族。

ユカは、その末裔。


ユカは、身体の内側を流れるその血を恐れ、疎み、ついには死すら、望んでいた。

同時に、絶望の誘惑を叩き伏せることができるほどの強さを持っている。

ユカの中では、矛盾しきったものが、混ざり合って、複雑な均衡を保っている。

そんな女が、俺に願った。


―――――私を殺して。


ユカが、俺だけに見せる弱さ。

俺だけへの、甘え。


気負いなく、決心はついた。




ならば、殺そう。




その時がくれば。

落胆はさせない。

俺という存在は、ユカのためにあるのだから。


俺は、そっと思いだす。

遠い昔、ユカと出会った頃のことを。

俺にとって、すべてのはじまり。


戦場近くにあった、森。

その奥に建った、見捨てられたような掘っ立て小屋。

そこに転がっていた大勢の、血まみれで、心も身体も壊れきった役立たずの兵士たち。

そんな者たちのため、あの娘は危機に敢然と立ち向かった。

今も鮮明に思いだす。

俺が俺になった瞬間を。


ユカは、生みの親だ。

俺という存在の。


いのちの恩とはまた別の、返そうと思っても、返しきれない恩だ。

自然と俺は、ユカの願いをかなえようと思った。

むろん、容易ではない。


が、流れを掴めば、怒涛のように、歴史は流れた。


革命の日、太守を殺すしかないと思い定めた太守の家臣は、ただの傭兵にしか過ぎない俺を利用した。

知りながら、俺は利用された。

目的が、一致していたからだ。

なにより、手を組んだほうが、話が早く進んだ。


殺されるとき、太守がどんな顔をしていたか。

…本当は、太守がどんな男だったか。


すべて、覚えている。

流布した話とは別の素顔と、真実を。

いや。


噂がすべて嘘だったわけではない。

正確に言えば、世間に流れた話は、あの男の一面…ほんの一部に過ぎない。

だが、俺はあの男について、口をつぐんだ。

語る必要を感じなかったからだ。


第一、ユカが、俺の言葉を信じるとは思えない。

なにより。


ユカは何も知らなくとも、真っ直ぐ迷いなく、歩いていける。


もし、ユカが望むなら、話は別だ。


そのときがきたなら、語ろうと思う。






俺は顔を上げた。

そろそろ、休憩時間が終わる。

仕事に戻らねば、ひとりでイエルの相手をしているゼンの血管が切れるに違いない。

「タキ」

踵を返した俺の背後で立ち上がる気配。


振り向けば、ユカが驚いた顔をしていた。

意外な発見をした表情にも見える。

「なんだ」

促せば、おそるおそる口を開いた。




「…昔、タキはこの池の鯉を釣って、食卓に並べたわね? あれってもしかして…」




たちまち、俺は苦い気分になる。

思い出したか。

そう、まだ池がかつてのとおり、水を湛えていた頃。


ユカが鯉を気に入っていることに気付いた。




だから、釣った。捌いた。


あとを託した料理人たちは、なぜか青ざめて言葉を失っていた。




そして。

―――――ユカには、見事に、泣かれた。

料理人たちが青ざめていた理由に、その時気付いた。


自分の勘違いと共に。


泣くばかりで終わらないのが、ユカという女だ。

半日以上くっついて回られ、子供の拳で背中を叩かれた。


痛くはなかったが、堪えた。


俺は学習した。

池で釣りはしない。




言い忘れていたが、俺の表情は、ほとんど動かない。

理由など知るわけがない。

生まれつきだ。

だが、ユカは俺の感情を読み取る天才だった。


俺は返事もしなかったのに、謎が解けた、と言わんばかりに、見開かれるおおきな瞳。

ユカの顔の曇りが晴れた。




「いやがらせじゃなかったんだ!」




かと思えば。

俺は面食らう。

ユカが、腹を抱えて笑い出したからだ。

嘘や演技ではない。


本当の、笑顔。


「た、タキ、アナタって、アナタって、もぉ…っ」


俺が笑われているようなのは、この際、どうでもよかった。

きっと、今日は何でも許せる。

笑いすぎて、目尻に浮かんだ涙を拭きながら、ユカは晴れやかに言った。

「しょうがないわね。じゃあひとまず、あのときの罰として」

俺に近づいたユカは、いたずらげに下から覗き込んでくる。


「ここの花が咲いたら、私と一緒に見てくれない?」


やはり、よく分からない女だ。

それのどこが罰なのか。


昔から、ユカの望みはささやかすぎる。


その程度でいいのか、と眉を寄せる俺に、ユカは満面の笑みで言った。




「そしたら、許してあげる」














◆ ◆ ◆














つないだ、数多の命。

断った、数多の命。


その上を、俺は進む。

誰のためでもない。

俺のために。

生きるために殺し、助ける。


俺は、戦場生まれの、戦場育ち。


物心ついたときから、考えていることはただひとつ。

自分の命を守る方法。

たったそれだけ。


とはいえ、ちゃんと、俺は悟っていた。

ユカと共に在ることは、自殺行為に等しいと。




―――――私が狂ったら、私を殺して。




ユカのことを考える。

ユカのしあわせを考える。

守る方法を、考える。


俺が物心ついたときから、考えていることは一つきり。


今も昔も変わらない。

けれど。


もしかすると、俺は自らいのちを断つかもしれない。


昔は想像もしなかった、『死』を噛み締める毎日。けれど、










―――――私はアナタと共にいたい。










ユカの望みがある限り、俺はきっと、一生、幸福なままだろう。











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