おまけ・2
執務室にこもり、仕事を始めた頃合だ。
ヴァルがひょいと顔を出した。
窓から。
「お邪魔しちゃうよ、太守殿」
返事も待たず、部屋に入った。
身軽。
首元で踊ったのは、チョーカーに取り付けた一角獣のカメオ。
「…きさま」
一気に不穏を漂わせたのは、ゼンだ。
生真面目なゼンと、いい加減なヴァルは水と油。
六年も共に過ごしながら、歩み寄りどころか、年々、間の溝を深く掘りまくっている。
互いに。
目も向けないヴァルに、ゼンが厳しい声で言った。
「扉から入れと何度言えば理解できるのかね」
ヴァルはあっけらかん。
「理解はしてるよ? 実行しないだけで」
「…よし、分かった。つまり、言葉ではなく、力で訴えなければ理解できない、と」
とたん、ゼンの手元から、鞭が滑り出た。
いつもながら、どこに隠しているのか。
まあ、いい。
俺は少し考える。
室内でいくら鞭が唸ろうと、俺は構わない。
だが、仕事が滞るのは望ましくなかった。
結論。
暴れるのは後回し。
「ゼン」
呼べば、ゼンが押し黙る。
俺は書類を机の上に置いた。
ヴァルに顔を向ける。
「どうした」
「あーぁ、忘れてるね? 太守殿」
へらへら笑い、猫背の男が近づいてきた。
途中、俺の手元を指差す。
「ユカに言われたでしょ。オレに刺し傷見せに行けって。どうせ忘れるだろうからって、ユカがオレにいいにきたの」
猫背のこの男、ユカの幼馴染で、兄弟のような存在だ。
教示者だが、異端の中の異端。
ゆえに、その力は日頃から抑えられていた。
そういった事情に、ヴァルは劣等感があるのだろう。
生まれ持った能力とは無関係の、トラップの技術、そして医術に精通し、その道で、達人の腕前を振るっている。
ヴァルは改まった態度で、机の前に立った。
動かない俺を見下ろし、困ったように首を傾げる。
「えーと、…診てもいい?」
ヴァルの見立て、腕は一流だ。
接触に対し、特に忌避感はない。
何度も診察を受けている。
主治医なのだから、診ると宣言したなら、診るといい。
いちいち、こうやって断りを入れるのはなぜなのか。
疑問を察したか、ヴァルは嘆息。
「あのね、太守殿って迫力あるんだよね~…。こうやって眼の前に立つだけでも心臓に悪い。アンタって存在自体に力があるらしくって、霊魂がそばに寄っただけでじゅわっと蒸発しちゃうって光景も、何度だって見てるわけよね?色んな意味で危険な感じ。でもアンタの機嫌の良し悪しなんて、見ただけで分かんないのよ、オレ。ユカじゃないんだし。アンタ、わかりにくいから、一応確認するのは自衛って言うか」
だからさあ、と力なくヴァルは繰り返す。
「診てもいい?」
俺にも自覚はあった。
周囲は俺を怖がっている。
ほんの少し。
知っているからそれなりの対処はしている、と言った俺に、いつだったか、ゼンとイエルは黙って目を逸らした。
納得いかない風情のようだったが、どこに納得いかなかったのかが、よく分からない。
俺は立ち上がる。頷いた。
ユカが手当てしたあともそのままの手を差し出す。
ヴァルの肩から、わずかに力が抜けた。
手際よく布を外す。
傷口を診ながら口を開いた。
「そうそう、ユカから伝言。さっき言いかけたことは忘れて、だってさ」
「…さっき?」
なんのことを言われたのか、咄嗟に俺には分からない。
反応したのは、ゼンだ。
「朝食の席でのことではないでしょうか。ユカ姫様は太守様に話しかけておられましたが…、その途中で、刺客が動いたので会話は途切れてしまいました」
几帳面なゼンのことだ。
気になっていたのだろう。
俺も思いだす。
確か、妾の館を取り壊したついでに、庭の景観がどうの、と言い始めた官たちがいる、という話題の最中から、ユカは何か言いたげにしていた。
「太守殿も平気みたいだし、傷口にも異常なし。刺客の刃を受けたってのに、…運がいいね? じゃ、伝えたから」
手当てを終え、念のために、と飲み薬も置いて、ヴァルは踵を返す。
おそらく、俺の手当てなどより、ユカからの伝言の方が大事だったに違いない。
それでこそ、俺も安心できる。
こうだから、ヴァルにユカを躊躇いなく預けることができるのだ。
ヴァルは迷わず、窓へ向かう。
苦々しげに見送るゼン。
途中、何を思い出したか、いやいや声をかけた。
「ヴァル、今朝破られたトラップのことだが」
「分かってるって」
振り向かず、ひらり、手を振るヴァル。
「…一生、忘れられなくなるくらい刺激的なモノ、仕掛け直してくるから」
低い声。
へらりと笑う顔が、いい具合に本気だ。
「頼む」
俺に頷き、ヴァルは窓から消えた。
入れ替わりに、執務室の扉が開け放たれた。
現れたのは、イエルだ。
とたん、執務室の空気が、いっきに賑やかな雰囲気になる。
「あーやっと辿り着いた」
表情はなにやら強張っていた。
どうやらまた、迷子になっていたようだ。
なぜいつも必ず、目的地と逆方向にイエルの目が向くのか、俺に理解できたことはない。
同じ時間に食堂を出て、なぜこれだけ遅れて到着できるのか謎だが、これでも早いほうだろう。
ひとまず帰巣本能らしきものが発動するらしく、太守の館や東府から出ることはないのだが、通常の通路を通っている限りは引っかからないヴァルのトラップに片っ端から引っかかり、敷地内にいながら、昔は、数日行方不明になることがザラだった。
時折、目撃証言が出るが、その頃には別の場所に移動しており、出向いても、決して会えない。
よって、行方不明の間は珍獣扱いになる。
最近は、マシになってきたから、ひとまず学習しているのだろう。
と思ったところで、考え直す。
(いや、本能的な男だから、とヴァルがトラップの一部に本気の仕掛けを施したと言っていたな)
命の危険がある場所には、イエルは決して近づかないらしい。
ヴァルはきっと、それを逆手に取ったのだ。
ゼンが驚いた声を上げる。
「ど、どうしたんだね、早いじゃないか。…まさか!」
イエルという同僚をもった為に、日常的に人の倍以上の気苦労を強いられることになった被害者は、夢を見ているような声で言った。
「ようやく、生まれたときから付き合っている病も、キミに愛想を尽かしてくれたのかね!」
東の闘将・イエルが、方向音痴という重病に冒されていることを知る者は、少ない。
無事目的地に着けた安堵感も手伝ってか、イエルは朗らかに言い放つ。
「あはは、ばっかだな、お前と同じで、一生オレの面倒見てくれるらしいぜ、心の友よ」
「その無駄な人生、いますぐここで終わらせてやろう」
ゼンの声に本気が宿る。
まあ、いつものことだ。
聞き流し、俺はイエルの背後へ目をやった。
どうやら、イエルがいつもより早く到着したのには、理由があるらしい。
俺の視線に、初老の文官が所在なげにイエルの背後から現れた。
「あのぅ…、お時間、よろしいですかな、太守」
温厚に笑んだ文官は、ここのところ、太守の館の庭の改修工事を詰めている一人だ。
表向き私邸とはいえ、客人を招く公的な場にもなる館は、俺一人で采配をしてよい場所でもない。
頷いた俺の前に、文官はいそいそやってきた。
彼も慣れたもの、ゼンとイエルの殺意半分の会話を聞き流し、設計図を丁寧に机の上に広げる。
東府、および東の太守の館の人間は、毎日メキメキと図太さに磨きがかかっていた。
最後の決定を下す会話をはじめながら、俺は設計図を検分。
ざっと視線でなぞったとき。
あることに気付き、俺はかすかに目を見張った。




