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呪歌  作者: 野中
25/27

おまけ・1

俺は、戦場生まれの、戦場育ち。


よって、物心ついたときから、考えていることはただひとつ。

自分の命を守る方法。

たったそれだけ。


ゆえに。

深く、悟っていた。




ユカと共に在ることは、自殺行為に等しいと。











◆ ◆ ◆











大国リ・ヒ。

東の太守の館。

そこで、太守の俺は、朝食は家臣と揃って取るのを日課にしていた。

メンバーは日毎に変わる。


席の配置と共に、前日までに側近のゼンが情報を公開しているはずだ。

ゆえに。

外部の人間も昨日の内に、知っていたに違いない。

残念なことに今日、朝の席にそろう顔ぶれが、手加減という言葉と無縁なことは。

それでも朝食の最中、刺客の群れが突っ込んできたということは、




「自殺志願者でしょうね」




ゼンが冷静に断定。

長い髪をまとめる今日のリボンは、オレンジ。夫婦仲は良好のようだ。

鞭を束ねる所作は慣れたもの。

優雅で上品。ただし。

その一振りで、あまたの頭部が果実のように弾け、絡み付けば手足を千切り取ると知れば、迂闊に感心もできない。

ヒュン、聴こえたのは、槍に血振りをくれる音。

続く、陽気な声。

「なかなか強かったよ。さすが、ヴァルのトラップを潜り抜けてきただけはある。でも贅沢言えば、もう少し腕を磨いてから来てほしかったな。そしたら、殺しがいもあったのに」


狼のように精悍な顔に浮かぶのは、浮かれきった笑い。

日頃、敵に対して、弱い弱いと繰り返しボヤく男にしては珍しい。


この男は、イエル。

槍遣い。

世間では、東の闘将と呼ばれている。


一見、ねじの緩んでいそうな男だが、ねじが飛んでいるというのが正解だ。


常に強い敵に飢えている。

渇きは尋常でない。

ちらちら俺を見るのは、無意識だろう。

応じ、俺は目を向ける。

とたん、


イエルの顔に浮かんだのは、怯え。

同時に、安堵。


そして、-------歓喜。


笑みで隠していた飢餓感がかすかに薄れた。

イエルは目を逸らす。

ヤツは言う。



『絶対に』かなわない相手がいることが、嬉しいのだ、と。



俺を見て、子供のように無邪気に。


「面倒が好きだねイエルって。片付け、誰がすると思ってるの」

おどおどした口調が遠慮がちに響いた。

ばさり、聴こえたのは羽音。

それは、小柄な少年の肩の上から聞こえた。

ソラという名の梟。

何事もなげに少年の肩の上、目を閉じている。


先ほどまで、部屋の隅に設置した止まり木の上でまどろんでいたはずだが。


少年の名は、カサネ。

席に座ったまま、カサネはずっと動いていない。

というのに、場に居合わせた全員の中で、殺した数は、この少年が一番。

彼の足元で、わずかに陽光を弾いたのは、鋼線。

あしもとに散らばるのは、血味噌の海。

骨まで細かく粉砕されたやりようは、残忍極まる。


カサネのそういったところが、俺の気に入っていた。

傷つけ、苦しめ、最大限痛めつけ、相手の心を追い落としながら殺す。

考えただけでも胸がすく。

実行すれば、爽快だ。

だが今日のカサネのやりようは、まだおとなしい方だった。


「すくなくとも、アナタでもありませんね、カサネ」

響いた声は、氷点下。

女。

カサネは身を竦ませた。

仔犬のような怯えも露わに、小さくなる。

銀細工師として高名でありながら、既にこの歳で、腕利きの暗殺者とは、とても思えない。

たまに、謎だと感じる。




こういったところと、顔色ひとつ変えず人体を切断する精神がどのようにして、カサネの心に同居しているのだろう。




俺は視線を転じた。

短い銀髪の頭が折り目正しく下げられる。

いたのは、凛々しい顔立ちの娘。

「申し訳ございません、太守様、ユカ姫様。すぐ、片付けます」


俺は剣を鞘におさめる。

俺の隣で、溌剌とした声。

「謝んなくっていいわよ。フリーダのせいじゃないでしょ。それにもう、食事どころじゃないわ」


ふいに、横から手を取られた。

見下ろす先には、黒髪。


「どうしたのよ」

しげしげ、俺の指先を眺めた菫色の双眸が、不意に俺を見た。

瞳に宿るのは、真夏の太陽めいた、生命力に満ちたかがやき。

これが、ユカ・オーウェル。俺の妻。

太古の名門、そして教示者の血を身に宿す、うつくしい女。


あまりにもはっきりとした命のかがやきが輪郭を縁取るこの麗貌は、見る者の血を奇妙なほどざわつかせる。


おそらく、ユカはその点、自分に無知だ。

自身の存在感と発言力の強さに気付く様子もなく、はきはき言い放つ。


「らしくないわね、怪我なんて」

居合わせた全員の目が、俺を見た。

俺ただ、眼の前の女を見下ろす。

ユカは懐から手布を取り出した。

俺の指先にできた、ほんの少しの切り傷を押さえる。

手早く巻きつけた。

足元を一瞥し、ため息。

「それも、こんな子供に負わされるなんて。刃に毒が塗ってあったらどうするの。…すぐ、ヴァルにみてもらって」


そこには、少年の遺体。

暗殺のために鍛えられた子供。

今際の際に、子供が何と言ったか、…この場で、聴こえなかった者はいないだろう。

ユカが俺を見上げる。目を細めた。

微笑む。挑戦的に。




「まさか、動揺したの?父の仇って言葉に」




俺は少し考えた。

が、内側にあるのはがらんどう。

答えは湧いてこない。

ユカに、淡々と返す。

「さあな」


自分の気持ちなど、俺には分からなかった。

自分の心が、この世で一番の謎だ。

俺自身にも掴めない俺のことなど、誰にも分からないだろう。

他は、大概洞察できる。

簡単に見通せる。

と言っても、見通せるだけで、理解や共感とは程遠い。

自身の心を理解しない者が、共感を知ることは生涯あるまい。


それでも、ユカは違った。

俺以上に俺を知ることに成功している。


こんな俺を、まっすぐ見つめ、理解しようと努力を怠らなかったこの娘だけは。

ユカはおそらくこの世で一番の、そして唯一の、俺の理解者。

だから俺は、自分の手綱をすべて、この娘に預けている。

ユカの与り知らぬところで。


依存だろうか。

そうかもしれない。

だが俺は本能で察していた。




こうすることが正しい。




ユカに預けることで、俺ははじめて、うまく歩いていける。

人生という道のりを。


幼い頃、いっとき、俺を育てた男が言った。

世界は矛盾だらけだ。

弱過ぎる者は生き抜けない。

強すぎる者には生きにくい。

過ぎた強さは、いたずらにお前を苦しめるだろう。


俺を見つめ、沈痛に言った。

やはり俺には、理解できなかった。

それでも、本能が、理解した。

彼の言葉に、是と頷いた。


俺は強いのか。

弱いのか。

その程度のことも、俺には分からない。


ただ、あるべきままに受け入れ、ただ、生きてきた。それだけだ。


養い親から見れば、それは、うまい生き方でなかったのだろう。

彼から見て、過ぎた俺の力が俺を生き難くしていたのだとすれば、やはり、ユカに何か、俺の致命的なものを預けている現状は、均衡が取れている状態のはずだ。

なにもかも、自分で持っていることのほうが、おそらく俺には危険なのだ。


実際、危機感はいっさいなかった。

昔より、呼吸がしやすいくらいだ。


全てを察したわけではないだろう。

が、ユカは俺の気持ちを俺以上に正確に察したはずだ。

ところが、周囲はそうはいかなかった。


たちまち、緊張。


なにせ。

ユカの父を殺したのは、俺だ。

それは周知の事実。

いっさいを承知で、俺たちは夫婦となった。ただし。

肉体関係はない。

周囲がどう思っているかは、知らないが。

ただ、側近連中は、ユカのことを奥方、とは呼ばない。

大概、『姫』と呼ぶ。

とはいえ、察しているだろうと思っていれば、思わぬ気遣いをされたりもするから、どうもよく分からない。

正確なところを知る必要もないことから、俺は周囲の思惑を、曖昧なまま放置している。


俺の顔に、ユカは何を見たのか。

鼻を鳴らした。

つまらない、と言いたげ。

「顔色も変えないのね。冗談よ」

普通なら、小憎らしいと取る態度だ。


だが、ユカという女には、妙なところがある。

どれだけ悪態をついても、さっぱりしているのだ。




不思議なほどに、汚れない女。


まとうのはいつも、晴れ晴れとした明るさ。




放たれる言葉は、どこかいたずら。

と言うのに、ユカの指先は、労わるように俺の手を撫でた。

ユカの手首で、連なった細い腕輪が、小さく鳴る。


思わぬほど小さく繊細な指先の感触は、やたらくすぐったい。

だが手を引っ込める気にはなれず、俺はなんとなく、

「お前は本当に、」


感じたことを口にした。




「俺の身体が好きだな」




とたん。


俺は面食らう。

ユカが突如、空気にむせたからだ。

器用なことだ。

俺は一言も言っていない。

芸をしろ、など。


昔からだが、愉快な女だ。


気付けば、周囲に満ちていたのは、生温い空気。

刺客を皆殺しにしたばかりの、殺伐と室内で、なぜこうなるのか、時に起こる現象だが、これも俺にはよく理解できない。

ユカ以外には氷の侍女・フリーダすら、微笑ましげに俺たちを見ていた。


何かをぐっと飲み込むユカ。


次いで、とてもきれいに微笑んだ。

意地でも、これ以上動揺は見せない、といった風情。


そこでようやく、俺は気付いた。

なにか、間違ったらしい。

しかし、どの辺りだろうか。


自分でもよく分からないが、自信があった。

俺が、ユカのことで判断を間違うはずはない。


第一、本当に俺が嫌なら、突き飛ばせばいいのだ。

ユカならそうする。

できる力もある。

教示者としての力だ。教示者の一族が条件付で発揮する怪力。


一族から追放されたとはいえ、ユカも、もれなくそれを体得していた。

かつて俺は、ユカが巨大な岩を石ころのように蹴飛ばした現場を目撃したことがある。

というのに、ユカは今まで俺の腕を力いっぱい跳ね除けたことがない。

本人にとっては力いっぱいの時もあるらしいが、俺には、とてもそうは思えない程度の力だ。

ユカは、加減している。


…ともすると、無意識に。


案の定、ユカは否定はしなかった。代わりに。

「タキだって私の身体好きでしょ?」


胸を張った。

よく分からないが、ヤケになった口調。

同時に、俺の身体に、感触が蘇った。

ユカの肉体の感触だ。

もう、身体で覚えている。

何度も、抱きしめた。

子供にすぎなかった頃から、ずっと。


しなやかで、やわらかく、あたたかい。


最近はますますとろけるような感触に変わってきた。

そのくせ弾力があって、無防備に密着されると困惑する。とはいえ、

「何を言っている?」


ユカはやはり、よく分からない女だ。


いまさら、なぜわかりきったことを訊くのか。



「当たり前だ」



なぜかユカは、負けた、といった顔になった。





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