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呪歌  作者: 野中
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第三章(6)

ヴァルはいつもの笑顔だ。

なのに、目だけは無邪気な残酷を湛えている。


「アンタたちがくれた情報は、姫さんじゃなく、太守殿に流したけどね。ゼン殿には秘密だったけど。でもおれに対して、アンタたちは巧妙に姫さんに対する計画は隠していた。中央府の官吏の方は、おれの目的に気付いていたわけかな。…なんにしたって、姫さん攫ったからには、関係全部ご破算だよね」

床下から、重いものを引き摺るに似た震動が伝わる。

ゴルベは四つん這いに逃げようとした。

ヴァルは、片手でチョーカーの飾りを掴む。


一角獣のカメオ。

蓋を開ければ、土が入っている。

なにもかも違う彼が唯一受け継いだ、教示者と同じ体質。


「なかなか強い霊符みたいだね。いい調子。それとも、これだけアンタの敵が多いってことなのかな」

「わ、ワシの敵だと? なぜそんなものが寄って来る…っ、あの霊符は敵の目を欺くための」


「まあそうなんだけど、今ここで起きていることは霊符の力のせいなの。おれにはね、教示者と逆の力があるんだ。その力で霊符に干渉したら…ほら、どうなるかな」


ゴルベは、愕然とヴァルを凝視した。




「霊符の作用が…裏返される…っ?」




「正解」

「だ、誰かっ! 外の霊符を破って来い!!」

返事はない。逃げ出したのか、邸内の瘴気に昏倒したか。いずれにせよ、ゴルベを守る者はいない。笑顔のヴァルは、冷徹に富豪を見下ろす。

「さっきの話の続きをしようか。姫さんを…、どうした、って?」

もう心臓が止まったかのような顔で、ゴルベはヴァルを見上げた。

これ以上は、いけない。

私は転がり込むように食堂に飛び込んだ。


「ヴァル! もう、いいわよ」

「―――――姫さんっ?」

間髪入れず、ヴァルが駆けてくる。

思わぬ安堵に、私はへたり込んだ。

伸ばされたヴァルの手に掴まりながら、切れそうな息をこらえて言った。

「力を、抑えて」

「あ、うん。ごめん」

潮が引くように、スッと邸内の不浄が引いていく。

霊符が正しく作用する。

ゴルベに恨みを持つ死者たちの無念の唸りをわずかに残し、消えていく。


夜なりの静けさと明るさが舞い戻ってきた。


安堵した瞬間、私は胸をきつく押さえる。

痛みが、尋常でない。

たちまち、ヴァルの顔が泣きそうに歪んだ。

「…おれが来たから」

「違う」

一言で、精一杯だった。

石みたいに全身が強張って、力の抜き方が分からない。

息すら半ば止めて、色をなくした耳朶を、切羽詰った声が打つ。


「ユカ姫様っ!?」


フリーダだ。

どさくさに乗じて逃れられたのか。

すぐ横に、微風を伴い、跪く気配がした。

漂う、爽やかな緑の香り。

再会を喜ぶどころか、強張った身体では顔を上げることもできない。

全神経総動員で、ようやっと苦鳴を噛み殺す。


「まさか、毒の種が」

言葉を切るのに続き、何かを床にぶちまける音がした。

フリーダが、手にしていた袋の中身を引っくり返したのだ。

「この袋に、取り上げられたもの全部入っていました。とりあえず、腕輪を」


「フリーダ、その間取り図は」

左手を冷たいものが掠める感触と同時に、戸惑うヴァルの声が落ちる。

「先代が隠匿した宝への手がかりです」

「五枚、揃ったんだね。そこへ行って、番人を倒せば…っ」

一旦かがやいた声が不自然に途切れた。

「これは…」

ヴァルは乱暴に紙を掴み上げる。

彼が、ふ、と一度息を詰めたとたん。




パリン、と薄い陶器が割れる音がした。私の胸元で。




ヴァルとフリーダの動きが止まる。

視線がそこに集中した。

拍子抜けするほど呆気なかった。

痛みが薄れ、痺れが引いていく。

毒の種に奪われていた体温と感覚が戻ってきた。


肉体の強張りが湯に溶ける氷みたいにほどけていく。

次いで、呼吸が楽になった。

見張られた二人の双眸に、目を丸くした私が映る。

「…もしや、エマ様たちが…?」


フリーダの呟きに、私はわずかな混乱の中で頷いた。

手足に力が漲っていく。

「番人を、全部倒したのね。なら、太古の金貨は、彼女の、―――――っ?」

私とヴァルは、弾かれたように振り向いた。

室内からでは見えないが、向いた先には、太守の館があるはずだ。


ヴァルが、水中で息を吐くように言った。



「なに…これ…。すごい、怨念」



「…どうか、したんですか?」

感じ取れないフリーダの戸惑いに首を横に振って、私はヴァルを見上げる。

「宝の在り処は、太守の館なの?」

「…うん。正確には、敷地内にある妾の館だね」


察してはいた。

察しては、いたが。


やっぱり、最悪に、悪趣味だ。


私は顔をしかめた。

けど、感情より質問を優先。

「じゃ、妾たちは場所を…うん、知らなかった、でしょうね」

「そう、館にいたとしても一室に閉じ込められてたから、…分からなかったろうな」

なんにせよ、逃れた以上は、近寄りたい場所とも思えない。


ヴァルは取り上げていた間取り図を、ひとつひとつ並べた。

「おれ、この間探検したばかりだか分かるの。これ、館の一階から三階、それから地下と屋根裏の間取り図だね」

屋根裏、という言葉と同時に、黒子のような点がある紙を取り上げる。

「右にある線のしきりは、東の壁、上にある線のしきりは、北の壁。周囲のしきりがなにもないのは、地下の真ん中かな」

「なら、財宝がある場所は」

屋根裏を描いた紙には、右上に角がある。

角の中には黒子みたいな点がひとつ。


「屋根裏の、北東」


答えは最初から、目の前にあったのだ。

図を記されたのが、よりにもよって、妾たちの背であったことが、場所を声高に叫んでいた。


なのに、館に閉じ込められて過ごした彼女たちは、それを知らず、ただ番人たちの無言の視線の前で怯えきっていた。




なにもかも、あまりにも意地が悪い。




カーターも始末に終えないが、先代のやりようも腐っている。

しかも、辿り着いたら辿り着いたで、最後の罠があったことも、ついさっき明らかになった。

太守の館から感じる怨念の絶叫は、宝に触れたせいだ。

触れたらそうなることを、先代は知っていたに違いない。

いくらなんでもやり過ぎだ。

だが。


(…なんとなく、分かるのよね…)


私は、嘔吐するほど、前太守のことを考えたことがある。

そのせいか、彼の考えが理解できるのだ。おぼろげに。

彼は、子供の悪ふざけのように、残虐と非常識を繰り返した。

それは確かに、彼の悦楽でもあったろう。とはいえ。


その行為が、歪んだものだと彼は知っていた。

記録の端々から彼を知るに従って気づいたことだが、…父は、聡明でもあった。

頭が良かった。

利口な人間が、周囲の反応に無関心であるはずがない。


自分の行動がもたらすものに、気付かないわけがない。

彼は、周囲の苦痛に気付いていた。

それもまた、彼の喜びであったことが、彼から歯止めをなくした。

なくなってしまった。

だから、やり続けた。やりすぎなほど。

しかし、それは。


(待って、いたんじゃないかしら)


自分では止められない自分の狂気を止めてくれる、誰かを。

過剰なほどエスカレートした彼の行為は、それ自身が。




…悲鳴、だったのではないか。


ここまでやった男を、まだ野放しにするのか、という、世間への挑戦ともろともの、かなしい叫び。




(タキに、狂ったら殺してと願った、私のように)


これは私の願望だろうか。

父を調べるにつけさらに分かったことは、…彼が孤独だったと言うこと。

そのせいか、他者への接し方に無知だったこと。

だからといって。


彼がしたことを、許せるわけもない。

狂気を宿す血のおぞましさを、受け入れられるわけもない。

ただ、前太守も、己の血へのおぞましさと恐怖を抱いていたのなら。

…母と、私に対する仕打ちも、少しだけ、許せる気がする。


私は小さく息を吐いた。

「これはもう、絶対財宝を手に入れなきゃ終わらせられないわね」

憤然と言った視界を、突如鳥の羽ばたきが過ぎる。梟だ。

フリーダが呟いた。


「ソラ?」

鳥の軌跡を追った先で、悲鳴が上がる。

踏み潰されたモグラみたいな声。ゴルベだ。

すっかり忘れていた。

こっそり逃げようとしていたのか、ソラの嘴と爪、大きな翼に追い立てられ、食堂へ倒れこむ。

這って、私たちに手を伸ばした。


「た、助けてくれ、止めてくれっ。なんだ、この鳥は!」

誰も駆け寄らない。

一旦迷ったものの、足を踏み出しかけた私の頭上から、何かがぼてっと落ちてくる。

見下ろせば、八の字眉の下から見上げてくる、気弱な琥珀の瞳と目があった。

「カサネ?」


「よかった、姫様。無事だったんだね。ごめんね、僕役立たずだ」

「莫迦ね、そんなことないわよ」

私は屈んで少年の頭を抱き寄せる。

「いきなりいなくなってごめんね。心配で、不安だったでしょう。カサネも無事でよかったわ」

うん、と頷いて、遠慮がちに頬を寄せてきた。

私はぎゅう、と頬を押し付ける。


「もー真っ暗だから、カサネみたいな可愛い子が出歩いたら誘拐されるんじゃないかと私不安で不安で」

「カサネにそんな心配するの姫さんくらいだよねー…」

疲労気味のヴァルが何か言ったが、よく聞こえない。

「何か言った?」


「いやいや。でも早く、出発しよう? 急げば、エマって子達、助けられるかも」

「そうね」

身を離した私はカサネに手を貸して、一緒に立ち上がる。

「カサネも一緒に戻ろう? 太守の館へ」

「うん。あ、でもちょっと待って。おつかいが残ってるんだ」

言ったカサネの肩に、ソラが舞い戻った。


「おつかい?」

「太守様の言いつけ」


カサネは、とことこゴルベに近寄る。

疲労困憊の態で壁の隅に蹲っている富豪を気弱に見下ろし、カサネはおどおど小さな声で言った。

「太守様からのお言葉です」

「太守? お、お前は、単なる銀細工師だろうが」

カサネの片手が、ゴルベの鼻先まで持ち上がる。

太守という言葉に、ゴルベの瞳に本能的な恐怖が浮いた。


カサネの語調は変わらない。





「邪魔だから、死んでくれ」





言葉の意味を理解しないゴルベの瞳に、宙を飛んだ肉片が映る。

それは、切断された彼の指先だった。


瞬きのうちに、すべての指が輪切りにされる。

肉の断面は手首に至り、あっという間に肩へ届いた。

足は、既に膝から下が血の海に消えている。

魚みたいに解体されていく身体でのたうち、激痛の絶叫で、ゴルベは己の血の海に波紋を押し広げた。


「な、なぜ、なぜ、なぜだっ! あれほどワシは東府に貢献した! そのワシをゴミのように片付けるのか! ここまで東府が巨大になったのが、若造一人の力と思い上がるか、ひよっこがっ!」

「…でも、アナタ一人の力でもないよね」

同情に満ちた声でカサネは言った。

「アナタがいなくなった後、ちゃんとそれなりの弔いはするって、ゼンが言ってた」


「ゼ、ゼン、だと? なら、ならば、太守たちは、すべて」

「大丈夫だよ、心配いらない。安心して、死んでね」

カサネは、絶対の信頼を浮かべた目で言葉を重ねる。



「僕知ってるよ。太守様に従っていれば、間違いないんだ」



ゴルベの頭が輪切りにされた。

眼球が潰れる。

声が消えた。


その光景を目に映しながら、私はぐっと堪えた。

やはり、こういうことには、まだ慣れない。

いや。

(慣れたくない、というのが本当かもしれないわね)

慣れてしまえば。


…取り返しのつかないことになりそうで、怖いのだ。

私の血に流れる狂気。

その化け物を、少しでも飼い馴らすためには、こんなことに対する慣れは必要ない。


私の耳元で、眠そうにヴァルが言った。

「ゴルベがいなくなれば、税金や検閲を免れていた密輸経路のこと、どうとでも誤魔化しが効く」

私は口元を強く引き結ぶ。


ゴルベがいなくなれば、彼の下で働いていた者はどうなるのだろう。

家族、そして、私に救いを求めた女。

タキのことだから、悪いようにはしないだろうが。

少し、胸が苦しくなった。


解けたはずの呪いが続いているような感覚がある。

なにせ。




始末されるということは、ゴルベの代わりの者はいくらでもいると言うことだ。

私自身の末路に重なる。


いやな、連想だ。




血が飛び散る濡れた音が止んだ。

残されたのは、肉片と血の海。

そこに、ゴルベの姿を重ねることは不可能である。


カサネの手首に、糸のようなものが巻きつく。鋼線。

骨も粘土みたいに両断する彼の武器。


カサネの副業は、暗殺者である。

ナツメと彼は兄弟弟子だ。


カサネは気弱な上目遣いで振り向いた。




「お待たせ。帰ろう」







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