教会の庭
王都の中心に位置し、行政と神事、軍事、あらゆる全ての職能を担う教会の中枢。"教会の庭"は隔絶されるかのように崖上に建てられ、巨大な聖堂と回廊、各所礼拝堂と複合的な施設である。白を基調とした装飾は厳粛で豪奢であり、太陽の光に照らされて教会の威光を王国全土に降り注いでいた。
その回廊のひとつにて、薄ガラスに滲む白光に照らされて、美麗がそこにあった。たおやかになびく長髪は金色にきらきらと輝き、装束は正しき礼節に則って端麗なる身体を包む。
くっきりとした顎は細く、頬は微かな薔薇色に染まる。何処か憂いを帯びたまつげは長く多く、眉は白の柔肌にすっきりとした彩りを添える。唇はふっくらと桃のように色づき、少女に見紛うほどであった。
類まれなる容姿を湛えた青年グリゼルダは扉を開け放ち、色彩鮮やかな花園へと降りていった。
「グリゼルダさまだ!」
幼き声のひとつが呼び声となり、子どもたちが遊ぶ手を止めて駆け寄ってきた。
「やぁ、トマス、エミリー、ジョッシュ、ルイにアシェリー」
グリゼルダの蒼き眼が微笑みの下できらりと輝いた。
「今日はもうおつとめはおわったの?」
純真無垢なる声に懇願が滲む。
「ああ、暫くは」
「やったぁ!」
子供たちが喜びの声を上げる。
「今日もおはなしを聞かせて!」
少女が抱きつかんばかりに足元へ引っ付いて離れない。
グリゼルダはなだめるように子供らの背に手のひらを添えながら、ゆっくりと噴水の縁に腰掛けた。
「じゃあ今日はある兄弟王子のおはなしをしようかな」
グリゼルダの鈴の音のように心地良い言葉に子どもたちは一斉に目を輝かせる。
「ご本じゃないの?」
ひとりが不思議そうに訊ねる。
グリゼルダは微笑みを崩さず答える。
「ああ、そうだよエミリー。この話は特別なんだ」
膝元に顎を乗せてきたエミリーの頭を撫でながら、子どもたちの顔を見回し、話し始める。
それは、ある小国に生まれた金の瞳を持つ兄弟の物語。
風土に恵まれ、神の優しさに包まれたその国は長く平和であった。
兄王子は賢く、よく詩を書いた。弟王子は美しい声の持ち主で、兄の詩を歌にして諳んじてみせ、兄を喜ばせた。
こうしてできた歌に二人は名前を連ねるように書き込み、その数はとてもたくさんだった。
このように二人はとても仲がよく、幸せだった。
だけど、弟王子には誰にも言えない秘めた気持ちがあったのでした。
「秘めた気持ち?」
子どものひとりが疑問を口にする。
グリゼルダは彼に微笑みを向ける。
「ああ、そうだよ。兄さんのことを、ひとりの男性として愛していたんだ」
子どもたちにどよめきが響き渡った。
「それってだめなことです、グリゼルダさま」
「なぜ駄目なんだい、ジョッシュ?」
すっくと立ち上がった一人にグリゼルダは促すように訊ねる。
「教えに反してます」
「うん、教義の内容は何だったかな?」
「男は女を愛し、女は男を愛せ。そして親兄弟姉妹を愛してはいけない」
「そうだね、よくできました」
頭を撫でられたジョッシュは照れ臭そうに、そして半ば恍惚とした表情で座り直した。
「だから、弟王子は罰を受けることになるんだ」
長くの間、弟王子の胸に巣食っていた罪。知られなければ彼が死ぬまで秘密になっていただろう。
だが、神はそれを赦さなかった。正さねばならなかった。
あるとき、兄王子は神のお告げを夢に見た。実の弟が自分に向ける眼差しが、なんと熱く、欲深いものなのかを知ったのだ。
ここからが弟にとって最上の罰となった。兄は弟を見なくなった。視線を返さなくなった。次第に二人の距離は離れ、弟は孤独となったのだ。
耐え難い苦しみに弟はその本性を顕すことになる。兄王子が大切にしていた羊の命を奪い、四肢と内蔵をバラバラにしてしまったのだ。泣き笑い狂い叫ぶその姿はまさに竜となっていた。
兄は悲しむよりも、怒り、憎しみ、剣を手にした。神の後光は彼に味方した。
三日三晩の戦いが続いた。国の全土を跨ぎ、一進一退の攻防を繰り返す。
子供たちの眼は次第に英雄的な兄王子の一挙手一投足にくぎ付けとなった。
最後にそのまま尚も自分を見ろと吼える竜を、一薙に切ったのだった。
「そのあとはどうなったの?」
子どもたちが色めき立ち、麗しき話者に顔を寄せる。
「兄王子の勇気ある行動に神は賛辞を送り、彼の国は最後まで平和に包まれていましたとさ」
わぁーと歓声が上がる。英雄譚と教義の正しさ、なによりも自分たちの神が正義だということに、喜び勇み、沸き立つ。
グリゼルダはその様子をただ微笑み眺め続ける。
子どもたちの間で兄王子と竜のごっこ遊びが始まる頃に、グリゼルダはおもむろに立ち上がった。
「もう行ってしまうの…?」
「ああ、急ぎの用があるみたいだ」
すっと前を見据える彼の視線を子どもたちが追う。
黒衣に身を包んだ男が庭園に入ってくるところであった。
「異端審問官さまだ!クルーセルさま!」
子どもたちは自分たちの英雄に群がるように走り寄る。
どっと寄せる抱きつきに堅い表情を崩しながら、男はグリゼルダに口を開く。
「やはりここにいたのか、グリゼルダ」
グリゼルダは微笑みのままに蒼い瞳を向ける。子どもたちの勢いに気圧されつつある幼馴染に穏やかな声色でゆっくりと答えた。
「ここにいれば探しやすいだろう、クルーセル?」
「まぁ、そうだが」
涼し気なグリゼルダにうってかわり、クルーセルは身体の至るところに登られて苦しげに呻く。悪い気はしないようだったが。
「こうも滅茶苦茶では話すこともできやしない」
「だそうだよ、みんな」
ぱんぱんと手のひらを叩く。
名残惜しそうに子どもたちが離れ、笑い声をあげながら花園の各所へと散っていった。
クルーセルは着衣を整えながら、息を整える。
そして、重々しく言った。
「ソールが討たれた」
「そのようだね」
遊びに興じる子どもたちを眺めながら、グリゼルダは静かに答えた。
クルーセルはその綽々とした様子に驚き、声を上げた。
「知っていたのか」
「魔王の強さは神託通りだね」
「神託どころではない。エルヒルダ城塞も落とされた。大損害だ」
クルーセルが忌々しげに吐き捨てると、裏切り者めと、呟いた。
ちらりと蒼い瞳を向けたグリゼルダは姿勢を正し、しっかりとした足取りで歩み始めた。
「このままでは王都に至るのも時間の問題だ。神事が終わるまで足止めしなければ」
追い縋るようにクルーセルが言いつなぐ。
「ソフィアに…、いや、"神の胎"に危険があってはならないのだろう?」
グリゼルダが振り返る。
微笑みを絶やさず頷いた。
「そうだよ、クルーセル」
後ろ手に手を組んで、にっこりと、花開くように。
「"神の胎"は僕たちで守らなくちゃね」
花の香りは微風に連れられて、子どもたちの遊ぶ声はりんりんと鳴るように、穏やかなる平和な日であった。




