白銀の槍
殺気が走った。
白雷となって一撃がきたる。
魔王と竜が跳び退く。
間隙に突き刺さる白銀の槍。炸裂し、飛び散る雷光。
白雷が地面を抉る。石畳が弾ける。雷が瓦礫を伝う。歪鎧の表皮が焼き焦げた。
「"異端審問官"とは、つくづく教会も用心深いと見える」
ゲオルギウスはすぐさま魔王の傍らに位置し、遠方より飛来する影と対峙する。
黒の装衣と軽鎧、白の外套。白銀の槍を手にした男が、きたる。白髪を逆立て、不敵な笑みを浮かべながら魔王と毒竜を見下ろしていた。
教会の最高戦力部隊たる異端審問官、そのひとり。
審問とは名ばかりの排敵機構。彼らは往々にして腕の立つ戦士であり、強大な魔物との契約者であった。
彼が立つのは、巨蟲。
風で作られた無形の翅を往々しく翻して、鱗粉に全身を包んだ白の蚕蛾。鱗粉が辺り一面に綺羅びやかな粒子となって光り輝き、焚き火に当てられて広場を茜色に染める。
「シルフとは厄介だな」
ゲオルギウスが魔王に耳打ちする。だが、それは忠告のようで、嘲りに近かった。
魔王の双眸が赤く光り輝く。喰らうべき獲物を見定めた証。
ゲオルギウスは魔力のぶつかり合いの予感に高揚していた。ここまでの一方的な虐殺とは違う。滾る心の内を蒼き竜言として、燻ぶらせた。
「風も、嵐も、その内力としよう」
魔王は無言のまま大地を蹴った。追い縋るように斧槍を一投した。
巨なる美虫シルフは舞い上がる。実体なき風の翅をたなびかせて、風を捉える。衣たなびかせるような舞踊にて黒き一撃を避ける。
同時に舞い散る鱗粉は魔力の媒体となって、ゲオルギウスと魔王へと迫る。異端審問官が鋼鉄の槍を投じた。
まさに白銀の雷。
真っ直ぐと放たれたそれが魔王に怒涛する。
轟々とした雷先が触れるーー直前、魔王の身体が宙に浮いた。
炸裂。閃光。
地が抉れ、四方へ拡散する眩白の奔流。
「愚か者が、なぜ飛び出した!」
ゲオルギウスが魔王の肩に牙を立てて連れ去っていた。歪な指先から血が滴る。
敵のやりとりを尻目に審問官は槍先を翻した。
雷光が鱗粉を伝い、駆ける毒竜の頭先に回り込む。
「おのれーー」
吠える間もなく、炸裂。
眩光が影すらも呑み込んで広場を圧する。
収まった後、そこに残った姿を認めて、審問官は意外そうな吐息を漏らした。
出し抜けにシルフが急上昇。
飛び来る瓦礫を寸前で回避した。
駆ける音が近い。大地からではない。
側方。広場形成す外壁からだ。
ゲオルギウスは翼を持たない。故に、石壁を掴み、握り潰し、手放す。獣が如く醜く不格好な様子で、駆け、跳び、滑る。
「先手を取られたぞ、お前!」
背に乗る魔王に毒舌を吐きながら、忌々しげに牙を剥き出す。
「まだ手の内も見えてなかったというのに!」
数多くの武器を懐に抱えながら、じゅうと酷く焦げ付いた歪鎧が応えるように蠢く。先の直撃を毒竜は魔王を盾にした。だが、それでも魔王は無言であり、敵を睨み続けていた。
「やはり醜いな!神の敵よ!」
高笑いが高所より落ちる。
それを切っ先として、雷光が連続した。
またしても鱗粉を伝い、鋭角に軌道を変えて毒竜へと迫る。
「同じ手は食らわぬわ!」
竜は止まる。風によって人為的に作られた匂いの道筋を捉える。軌道が読める。
ぐう、と竜腕に力込める。
圧された石壁が砕け散り、上空に打ち上がる。
閃光、閃光、閃光。白雷のいくつかの盾となる。
抜け出た雷蛇の舌先を速度を以て避ける。
「役に立ってみせろよ、お前!」
魔王への毒吐きを蒼の魔力へと変えてシルフへと放った。
宙空の敵を撃ち落とさんと、魔の棘が石壁を沿って駆ける。
蚕蛾はやはり舞うが如く、反転し、身を捻じる。
そこへ転回した剣の一投。
審問官が槍にて撃ち落とす。
だが、更なる二投、三投。
魔王は落ち捨てられた武具を移動の最中に拾い上げ、次々に投擲する。
獣性と暴虐が空へ追い縋る。
隙をも与えぬ蒼と鉄の射出に、シルフの高度を落とすに至る。
投擲の中で、魔王が命ずる。
竜が再び吠える。
「わかっている!」
石壁の角、シルフに近づいたその角から、勢い良く跳び出した。
見てくれをかなぐり捨てた歪な暴力が遂に潔白に触れる。だが、閃光が弾ける。
ゲオルギウスが体勢を崩す。竜躯が頭から落ちる。
だが、シルフもまた無事では済まなかった。繊毛に覆われた身体に傷がひとつ。魔力を安定させようと風の翼を翻す。
その束の間を捉え、魔王が竜背を駆けた。混乱の中で一気に距離を詰め、ゲオルギウスからシルフへと、審問官へと飛び掛かる。
彼もまた待ち構えていた。乱れた気流の中でも槍先を確かに定め、突き出した。
白雷。奔流が歪鎧に突き刺さる。
いや、違う。
斧槍の先に受け止めた。そして、身体へと雷が駆け巡る前に、迷いなく背後へと投棄した。
魔王の勢いは止まらない。
拳が審問官の驚愕した横面を殴り抜けた。
突貫、そして、堕落。異端審問官は鞍から滑り落ちる。
「貴様は羽虫だ、如何なる虚飾をされようともな!」
ゲオルギウスの闘志に狂った咆哮が駆け昇る。
剛腕を壁に突き刺し、落下を逃れていた毒竜は上下に反転し、再度跳んだ。
遂に、蟲体を掴んだ。
膨大な魔力を前に、竜としての破壊衝動が猛り狂っている。組んず解れつ。抱き寄せ、噛みつき、爪を立てる。シルフは嵐の悲鳴を上げる。抵抗に暴れれば暴れるほど、辺り一面に鱗粉が飛び散り、焚き火に当てられて、空間そのものが燃え始める。
落下。
魔物、人間。ふたつになった影が広場へと叩きつけられる。
審問官は背から地に落ちた。その身体には未だ魔王が取り付いている。苦痛と憎悪に表情を歪ませたまま、歪鎧を蹴り飛ばす。彼我の距離がしばし離れる。
傍らではゲオルギウスが鳴き叫ぶシルフを焚き火に押し付けるのが見て取れる。暴れ狂う無形の翅。風が吹き荒れる。
異端審問官が駆け巡る嵐の中に血反吐をひとつ吐いて、そして笑った。
出し抜けに黒の装いを脱ぎ捨て、上裸となる。
傷一つない肌に浮かんだ電紋が、赤い木の枝のように広がっていた。
「噂に違えぬ猛者ぶりだな、魔王よ!」
審問官の叫びに呼応して電紋に光が灯り、脈打つ。
魔王は応ぬまま、大地を蹴る。ヴォルフガングの折れた得物を拾い上げ、翻した。
審問官は諸手を広げて待ち構える。激しく鳴動する電紋。掌より雷が槍の形を成す。物質としての刃がそこに成った。
魔王の欠け槍を咄嗟に受け流しながら、審問官が叫ぶ。
「貴様の首ほど」
それは憎悪と功名心、そして闘争本能によって信仰を剥ぎ取られた、人間性の発露。
「この俺に、"白銀の槍ソール"に相応しいものはない!」
閃光。雷槍が長さを変える。大きく横薙ぐ。
直撃。
魔王が横合いに仰け反る。
再度、閃光。雷槍がまたしても長さを変える。此度は短身へ。引き絞り、突き出される。
だが、魔王は姿勢を深く落とした。そして両腕を地面に突き刺し、獣が如く突貫する。
ソールの懐。
接敵。
欠け槍の刃を握り締めて胸元へ斬りかかった。
だが、ソールは笑った。
後方へ大きく躍動。閃光をふたつ。両腕に雷槍を握り、後退しながら突き放った。
着弾。
魔王は衝撃に圧され、背後へと弾き出される。歪鎧が深く焦げ付いた。
だが、それすらも魔王は反応していた。上体を天仰ぐように反らせ、本体の衝撃をやり過ごす。引き戻すと、追撃に走った。
距離詰める。
欠け槍は最早短刀が如くに手折られ、素早い斬撃を可能としていた。懐に潜れば、魔王の勝ちである。
だが、潜れなければ。
ソールは後方へ後方へとステップを踏みながら、やはり双雷を繰り出す。互いの速度変えて槍撃を連ねる。
魔王は身を捩り、捻り、避けた。
ソールはなおも嗤った。
閃光。槍の先。魔王の背後。爆裂。
圧撃が魔王を背から弾き、ソールの懐へと誘う。
狡猾なる審問官は既に腕引いていた。大槍にて射止め得る位置へと誘導したのだ。
放たれる一撃。
腹部に深々と突き刺さる。電荷を纏った血潮が噴き出す。
しかし、魔王の双眸は翳らなかった。
一気に接近した。腹に突き立てられたまま。
「さすが魔王だ!」
ソールの声に焦燥は見られない。ただ純粋な悦びがそこにあった。彼は股ぐらを熱くしていた。
接近に合わせて自らは後退る。
空いた片手より雷槍の突きを繰り出す。これ以上近寄らせぬ、と連撃を放つ。
血潮を雷光に蒸発させながらも、魔王は連突を身を捻って躱す。
両者の間に飛び交う鱗粉と風にも構わず、ただひたすらに直進を続ける。
「愚直だな!」
上体突くならば躱される。ならば、とソールは歩み出る足先を狙う。
連打のひとつが足甲を捉えた。貫き縫い付ける。
魔王は進行のリズムを留めた。
その一拍。
一際強い閃光を放ち、足先を爆破。
魔王の姿勢が崩れる。
「死ね!」
止めの一撃を顔面に突き通さんとソールは一歩前進に転じた。
二人の人間の戦いの傍では二匹の魔物が離れ、組み合い、吠え、鳴き、引裂き、叩き、火の粉と飛礫を撒き散らす。
上を取ったゲオルギウスが拳を振り上げた。
不意にシルフが大きく嘶く。
各部の噴出孔が開口し、暴虐たる風圧を吐き出した。竜体覆いかぶさったまま蟲体を一気に押し上げる。
「往生際が悪い!」
姿勢を正しながら、ゲオルギウスは拳振り抜いた。
だが、目に見えぬ圧力がそれを弾いた。
空間に鱗粉の巨塊が玉を為していた。
シルフの絶叫。そして、巨玉の破裂。
細かなる粉は無数無量の刃となって竜鱗を抉る。竜血迸る。
ゲオルギウスは引きずり降ろされ、大地に落ちた。
呻く。
再び空中に舞い上がったシルフ。鱗粉を噴出孔に掻き集め、放つ、更なる追撃。
空刃がゲオルギウスの身体を深く切り刻んでいく。
此度は彼女が絶叫する番であった。
地に伏せ、どくどくと大量の血を垂れ流す。
シルフは勝ち誇ったように嘶き、止めの一撃を放たんと噴出孔へと空気を吸い込んだ。
「やはり羽虫よ!」
ゲオルギウスが嗤った。
長首しならせて、毒息を吐きつけた。
轟々と、轟々と、無尽蔵に吐く、吐く。
黄緑の毒雲が瞬く間に噴出孔へと吸い込まれていく。
シルフが異常を察知する。噴出孔を一瞬閉じる。一気に開孔、ため込んだ毒煙を必死に吐き出す。
周囲の大気は灰緑に塗りつぶされる。
しかしそこに毒気は残っていなかった。
絶叫、絶叫、絶叫。
既に染み込み、血流に溶け込んだ毒。
シルフの全身を内側から溶かす、解かす、熔かす。
浸食穴が無数に開け放たれ、風圧が灰緑を切り裂いて弾き出す。
石壁の内側を無色と緑の嵐が暴れ狂う。
「無様!」
竜の嘲笑いが蟲の苦痛と絶望を上塗りするかのように響いた。
巨蟲の絶叫に、ソールの攻撃が思わず止まる。
「クソッ!」
視線がちらと伴侶の方へと泳ぐ。
余裕も戦闘への昂りも全ては契約の保証があったからこそ。
故に、歩みが、ひとつ、リズム崩した。
魔王の赤き双眸はそこを捉えた。
既に深々と突き刺さった雷槍に肉を焦がしながら、閃光の柄を掴んだ。
雷光が歪なる身体を駆け巡る。
「何――」
驚愕にソールが視線を戻す。
だが、遅い。
力ずくで引き寄せる。審問官の足が浮く。
「おのれ――」
ソールは電紋を明滅させ、雷槍を消そうとした。
しかし、遅い。
魔王の腕は引き戻そうとしていた裸腕をひしと掴んだ。
引く。
彼我瞬く間に触れ合う。
「このクソがッ!」
ソールがもう片方の腕を翻し、雷槍を召喚する。
顔面にぶち込めば、殺せる。
だが、双眸はなおも赤く滾る。
ばきり。
灼熱が腕を駆け巡った。
ソールが吠えた。痛み。絶えがたい痛み。
いとも簡単にひしゃげられた腕。
しかし、魔王は聞く耳を持たない。
聞こえない。弱者の叫びなど、懇願など、疾うの昔に聞き飽きた。ただその刃先で命じる。
死ね、と一言、仕草のみにて。
生命が落ちる音は同時だった。
風の嘶きが中途にて潰れる。
槍は石畳に虚しく鉄音を響かせる。
この瞬間こそ正しく契約の履行。魔物と人間。その両者の生の果てを以て、契約は尽きた。
ゲオルギウスは魔王を見つめる。
魔王は、跳ねた審問官の首元から飛沫く血潮を顔を上げて浴びている。その赤い瞳を器として内力として受けとっている。宿り行く、ソールの内力を己のものとして喰らっている。僅かな火花が身体を巡っていくのが見て取れた。
毒竜もまた胸中の猛りが熱を帯びるのを感じ取る。彼女の毒混じりの血液に、シルフの嵐風の力が染み込んでいく。
これこそ竜の権能。そして、契約者たる魔王にも齎された簒奪の能力。
両者は暫しの間、受け皿になることを享受した。
城塞の内は、正しく、戦場であった。連合軍の兵士たちが勝利の雄叫びを挙げている。王国の鎧から装飾を剥ぎ取り、住民を失った家屋から糧食を略奪する。木杭の先には王国軍兵士たちの死骸を掲げている。路地の至る所で斬首の私刑が執行されて、街は血肉に汚れていく。
憐れだ――この日、幾度となく反芻した彼女の言葉は、今、その意味を変えて、世界を定義する。
まさしく、憐れだ。
「ああ、私は間違っていたのかもしれぬ」
そんな憂いを誤魔化すように、ゲオルギウスは物言わぬ魔王に毒を吐く。
「お前がいようがいまいが、この世は腐っていたのかもしれぬな」
向けられた赤い視線。何も感じることは出来なかった。
ただ、彼女の心内に魔王が応じた。
熟した果実は腐りゆく。
「ああ、そうだな」
ゲオルギウスは哀しげに頷いた。
「忘れていたよ、永らく、な」
友レドゥアの輝きが恋しかった。世界を彩ったそれは、眩しくて、美しかったのだから。




