憐れ
殺戮の如き戦いが一間終わった。
ゴブリンたちは人間の臭いを嗅ぎつけて周辺の集落へと散っていった。
そこでも血と絶望の餐で満ちるだろう。しかし、魔王は意に介さない。
「聞こえるか、彼らの悲鳴を。お前の所業は世を変えるものではない」
遠い無辜の民の悲鳴を聞き取りながらゲオルギウスは苦々しく毒を吐く。
「どうしようもないほどに腐らせる。歪んだ統治よ」
丘上に立った魔王は遠く真っ直ぐ見据えている。
王国の支配下に下った城塞。連合軍が攻め落とさんと今なお突撃を繰り返す要所、エルヒルダ城塞都市。
レドゥアが達するはずだった目的地。
無言の魔王にゲオルギウスは嘆息する。
「もはや条理には興味が無いと見える」
底知れぬ赤き瞳が竜を見上げる。兜の内の表情は知れない。ただ、業火と輝きだけが、渦巻いている。
「……お前は、いったい何者だ?」
魔王は答えなかった。
連合軍は大群にて押し寄せ、投石器に攻城塔、太矢投射器、果ては人造の魔巨兵であるゴーレムすら用いてエルヒルダを取り囲んでいた。しかしながら、かつては難攻不落と言われた城塞。門扉は固く、周囲を囲む城壁は高く分厚い。内からは火のついた大岩や矢が飛び来たり、兵たちを巻き上げては射留める。
戦の音は止まず、叫びと鬨の声は次から次に立ち上がる。
背後より近づく影に気づく者は少なかった。
轟々と風を切り、高所より竜が大地に飛び伏せた。両の腕が土を巻き上げ、灰煙を纏う。
最後方の兵たちが振り返り像を捉える前には、既に斧槍の一投が彼らを中空へと放り投げていた。
戦場の空隙を押し開くように毒竜が地を駆け入る。爪、牙、鞭尾を振るい竜鱗にて人肉を刻む。
連合軍と王国軍の戦いに入り混じった闖入者に兵士たちは恐れ慄く。
歪なる影は毒竜の攻撃の一間を埋めるかのように前進し、斧槍、なまくらの剣、拳、折れた槍、あらゆる手段を以て敵を薙いだ。
魔王の噂以上の殺しっぷり。新たな従僕として毒竜を従えて、殺戮に興じている。
化物、悪魔、人でなし。
呪詛を浴びる。今だかつてここまで濃厚な怨嗟を、ゲオルギウスは知らなかった。
「憐れだ」
竜は呟いた。
魔王の刃先の前で人々は叫ぶ。助けて、神よ、何故こんな、救いはないのですか。
「憐れだ」
竜は嘆いた。
だが、兵士たちは本当の絶望を知らない。だから、憐れだった。
殺戮に興じる魔王の内。燻る、どうしようないほどの焦燥と危機を、ゲオルギウスは微かに感じ取る。
これほどまでに人間性の底に己自身を沈めてしまった存在を、竜は知らなかった。立ち止まる選択肢を失った人間は、希望の糸ですらない形無き一筋の光を掴もうと藻掻き苦しむ人間は――。
「憐れだよ、お前も、同じく」
竜は確信した。
喇叭が響き渡る。
金切り声のようなそれに従って、硬い大門の前にて立ち往生していた多くの兵と攻城兵器が反転する。
城塞に叩きつけるはずの大鉄の太矢が、たったふたつの影へ放たれた。ひとつ、ふたつ、いくつ。
棘壁と成った矢と矢と矢が迫る。
「どうするつもりだ、お前よ」
魔王はすばやく視線を巡らせた。
そして、矢壁迫るなか毒竜に命じる。
ゲオルギウスは忌々しげに、首を低めながら走り出した。魔王は手綱も鞍もなくその背に飛び乗った。
ゲオルギウスが横合いに大きく跳ぶ。猛烈なる飛翔は音すらも置いていくかのようだ。
矢の大群は虚空を穿ち、泥土を大きく巻き上げた。
装填を急ぐ声。きりきりと射出兵器が回頭する音。
「せいぜい振り落とされるなよ」
城塞裏手へと向けて回り込むように駆け出した。
追い縋る太矢投石。立ち塞がる槍先の群れ。
ゲオルギウスは速度を上げ、魔王は斧槍にて切り開く。血肉構わずに止まらず、駆ける。
城塞側面に辿り着く。
速度緩めぬまま、ゲオルギウスが見て取る。
戦いの振動に震える城壁の一部に、多くの砂埃を落とす部分がある。
塗られた漆喰に隙間。老いた石壁。
毒竜が吼える。駆ける四肢に力込め、速度強める。
突貫。衝突。竜拳振り抜く。
瓦解。
基盤の緩かった古い壁が、いとも簡単に崩れ落ちた。
土埃、煙、巨大なる影。
横合いから突如現れた乱入者に城壁内の王国兵が驚愕した。
振り返り、武器構え、迎撃の構えすら遅い。
恐れ慄く暇もなく、斧槍が彼らを地に叩き伏せる。
剛腕としなる首が隊列を薙ぎ、兵士たちは血肉となって四散した。
追撃に振りかぶった竜腕を魔王が制す。
「抜けろ、というか」
ゲオルギウスが魔王の厳令に物申す。
魔王はただ無言にて頷く。
目的は殺戮に非ず。
毒竜はひとつ唸ると、乱れた隊列の中に間隙を作って走り抜けた。
その背後から崩落した石壁を跨いで多くの連合軍兵士が雪崩込む。
歓声、叫び、怒声。剣戟、喇叭、風抜ける轟音。
戦場は彼我を混じえて混沌とした。
戦禍。
至るところから火の手が上がりだす。
だが、混乱が入り込んだというのに、家屋のどれもが静かだった。
生活の跡を残して、もぬけの殻である。
戸は開いたまま。卓上には食器が残され、干された衣服も風に揺れている。
それでも、民の音だけがない。
子供の泣き声も、女の叫びも、家畜の鳴き声すらも聞こえない。
戦場の怒号だけが、遠く後方に響いていた。
ゲオルギウスは呟く。
「民草は何処へ……?」
魔王は答えず、無言のまま、小高い丘に建造された城へと竜の走りを進ませた。
道中、誇らしく名乗りを上げる騎士の数名と兵団のいくつかを貫いて、尚進む。
城前の広場へと至る。
目にした光景に、ゲオルギウスが言葉を絞り出すように紡ぐ。
「ああ、なるほど。故に、人間は醜いな…」
広場中央に巨大な焚き火。民草を積み上げた薪木。脂臭く、噎せ返るような黒煙。
良く燃えている。
苦悶の表情が、ぽっかりとした虚空の眼窩が、疑問で開いた大口が、ゲオルギウスを、見つめている。
絶句する毒竜を置いて、魔王はその背から降り、歩む。
その歩み寄りを気取った豪奢な騎士たちが振り返る。
「この騒ぎ、やはり貴様のせいか、魔王よ」
その内で最も光り輝く鎧を着込んだ神の徒が歩み出る。
「歪なる神の敵よ、ここで天誅を食らうがいい」
大盾構え、王国の旗付く長槍を重々しく掲げる。
「神と王の名に誓って、ナイト=ヴォルフガング参る!」
勇み、往々と突撃する。
だが、敵ではなかった。戦いにもならなかった。
ヴォルフガングは魔王に敗れ、手のひらを地へと押し付けた。
「いずれ貴様に神の裁きが下る!」
血反吐と共に顔を上げる。
「我々が正しかったと思い知るがいい!」
暗き兜の内で嗤う。
「忌むべき存在め、神はーー」
呪詛が途切れる。血肉が大地に朱を咲かせる。四肢と臓腑が飛び散った。
魔王の代わりに、竜がその巨腕で黙らせたのだ。
「もう沢山だ……」
竜は意に介さぬように、骸に塗れた道程を振り返る。
「奇蹟を信じぬ者に、神の威光など無駄だろうて」
そして、魔王を見やる。
「此奴はそんな領域になど、もはやいないのだから」
無言のまま魔王はひとつの書物を拾い上げる。
ゲオルギウスが、ちらと覗き込む。
魔王の指先が頁をさらりと捲る。
竜眼が絶え間なく文字を追い、毒竜はその内容を知った。
「聖ヒルダの奇蹟の記録……」
そこに書かれていたのは業火に身を投じ、“受難”の果てに人々を導くための“神託”を得た聖女ヒルダの奇蹟。薪木の配置はまさに書物にある当時の現場の再現に近く、微かな香と献花の匂いも混じる。
「これのために、この街の民草たちを焚いたというのか?」
"受難"の再現を、騎士たちは為そうとしていたのかもしれない。得られるのは"神託"などではないだろうに。
そして、と傍らの魔王を覗き込む。突貫は、これのためだったというのか。
「お前はいったい——」
二人の間を抜ける風音。
未だ遠くに鳴り止まぬ戦の音。
火が水分を弾けさせる音。
いずれの音もその答えを出してくれることはなく、ただ静かだった。




