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毒竜に花束を  作者: 剛毛戦士
【1章】
4/14

契約


目覚める。一人と一匹。


病的な雲の覆いを曙光が裂いて薙いでいる。

灰色の戦の跡地に、泥土と血反吐の溜まりが光輝いて、一面を彩る。

世界が呪いの始まりを祝福しているようだった。

「何故だ」

竜は自らに問うように呟いた。傷だらけだった身体は全てが癒え、呼吸も確かに整っている。その一方で己の内力の喪失感を強く感じる。灰緑と赤が配色された自身の巨躯は、かつてより小さく思えた。

二者の血と肉、魂をも均する契約が為した尋常なる再生。

そう、契約だ。


竜は嘆く。

何故、私は契約を交わしてしまったのだ――この男と。

忌々しく、傍らの人間を見下す。

歪なる鎧に身を包んだ魔王が背を向けて立っている。背筋を整然と正して、斧槍を構えている。

その視線の先は、兵の群れ。連合軍の旗を掲げ、甲冑や武具を擦り合わせ、此方にきたる。悍ましい畏怖を燃え尽きぬ闘志で覆って、魔王に挑まんとする。

勇者が率いた先の先遣隊を遥かに凌ぐ数量。故に、蛮勇で志を凝り固めていた。


勇者レドゥアよ、我が友よ――。

輝く泥土に塗れ、冷たくなった友を見やる。心中に渦巻く、悔恨の念。

赦せ――。

毒竜ゲオルギウスは両のかいなを地面に打ち付けて、咆哮を挙げた。まるで弔うように、天へと友の名を示すように、吠えた。


魔王が応える。

双眸が、赤く灯る。


喰らうぞ、ゲオルギウス。


声無き声の命令が、失意の竜の心内に響く。

斧槍が翻り、目一杯の勢いを以て、放たれた。

斧槍の投擲を以て会敵となった戦いは、一方的な殺戮と化した。ゲオルギウスは魔王の内にある力からは、先ほどまでの大きさを感じ得なかった。勇者レドゥアと毒竜ゲオルギウスの共連れと刃を交えた魔王は、もっと強く、冷たく、鋭かった。

魔王の力が万全に癒えてはいないことを知っていた。

身体の治癒にその胆力と尽力を使い果たしたに違いない。

だが、その程度では止まらない。引き千切り、縫い付け、砕き、裂く。

兵たちをいとも簡単に屍へと変えていく。

不完全に完成された動き。獣性に塗れた人間特有の狡猾さ。

醜い――その背に追い縋りながらゲオルギウスは、微かに恐怖した。

いまだかつてここまで欠けた存在を見たことはない。完全で、いつも正しかった、友の勇者レドゥアとは違う。醜くて、汚い、穢らわしい。

だが、同時に確信してしまう。


こやつなら、為せる――為してしまう。

祈りでも、願いでもない。

確信だった。

未だ霞がかる思考のままに、ゲオルギウスの身体は暴虐に塗れていた。

かつてレドゥアの仲間たちを薙ぎ払い、踏み潰す。

周囲の生命を己が内力と成す。この特性こそ強欲の化身たる竜族。

そして契約者たる魔王に均するために、喰らう。


裏切りの竜に連合軍は呪詛を吐きかける。

裏切り者め、恥を知れ。

言われなくとも、分かっている――毒竜の心に、心苦しさ。


迷うな、喰らえ。


心に響く、魔王の号令。悩むことすら潰すその一言。

揺らぐ贖罪の心。解放に惹かれゆく一方の自分。

心が乖離していくのを感じる。

殺してやりたい、憎らしい、魔王に。

ただただ忌々しい。己も、魔王も。

血の跡尽く剥がし、竜口、開く。

悍ましき虚ろの洞穴。人々は見る。腐臭に渦巻く、灰緑の雲塊。轟々と縺れ混れる、憤怒憎悪怨嗟。


レドゥア、レドゥア――。

もう、私は、貴方の傍にはいられない。


竜毒が、放たれた。

万物万象を遍く爛し、腐らせ、融かす。触れれば激痛、意識に灼熱生じる。苦しみ喘いで、痛みの中で、死す。溶けた人肉人血人骨人臓の泥濘が、増える、増える。腐臭が撫でれば、瞬く間に。

そして、毒竜は思わず息を呑む。毒雲が途切れるほどに。

そうだ。

魔王は歩みを止めない。

構わないのだ。

耐え難き悪臭の煙中を、歪鎧の外皮を灼けつかせながら突き進む。

連合軍の遁走を追う。

進む。屍をその道程に撒き散らす。

腐りかけた己の身体を、他者の命を喰らうことで瞬時に癒す。

ああ、何ということだ――。

ゲオルギウスは、絶望に、思わず血肉滾るのを感じた。未だかつて竜の劇毒を身に受けて構わぬ存在が居ただろうか。

この男はやはり、魔を喰らう。

だからこそ、魔王と呼ばれるに相応しいのだ――。


不意に牛鳴が如きが轟いた。

角笛の崩れた旋律。

亜人種の群れ。人に成りきれなかった、欠け満たすを欲す者たち。

何処から、と問い。答える声もなく。

稜線飛び越えて、丘上から数多が駆け下りる。

入り乱れた。棍棒、なまくら、手斧、尖った木枝。暗緑色の肌と醜く卑小なる躰。子鬼ゴブリンに類する醜態どもだ。唾液の夥しきが連合軍の背後を突くように襲い掛かる。

三者が入り乱れる。

「幾度も見ても」

突然の闖入にゲオルギウスは忌々しげに竜歯をかち合わせた。兵士とゴブリンの混合を薙払いながら、毒吐く。

「下賤で醜い連中よ」

魔にも人にも属さない、中途な存在。誇り高き竜の唾棄するところ、この世摂理の汚点である。ただただ欲するがままに喰らい、攫い、交わり、継ぎ接ぎし、被り、飼い、飲み、欠けを埋めようとする卑小。故に、この戦場においても、敵という概念すら無い。人を分解すると、その直場にて嬌声挙げ部品を弄ぶ。白い歯を抜け穴に嵌める。毛髪付いた頭の皮を自らの禿頭に貼り付ける。足引く個体は尻の肉を多く咀嚼する。惨惨たる有様。残りが眼の前にいようと関係なく、刹那的に宴に興じている。

だが、魔王の前には全てが敵だ。

この場並び立つのは毒竜だけでいい。ゲオルギウスの背に乗り、駆け上がる。跳ぶ。

ゴブリンの群れを割って、その懐中へ飛び込む。

大きな体格を誇る群れの頭目が、魔王と会敵する。でっぷりと張り出した腹部。毛髪無き白桃色の柔肌。類するは豚鬼オーク。

如何に歪んだ鎧が近付こうとも、亜人たちはやはり人の形であれば、何でも構わないのかもしれない。群れが遠巻きに囃し立てる。大量の眼球を首飾りにした頭目が嗤う。

魔王が一歩近づく。

オークは唸った。魔王の狡猾さ滲む赤き双眸に固唾を呑んだ。

欲しい。かしこくなりたい。欲しい。

口端に泡を飛ばして、稚拙に雄叫び、大斧を振り上げた。

それは一瞬。

黒の横一閃。

刈り取る。

首が跳ねる。天高く。

下卑た煽りの声が止まる。

豚頭、泥濘に落ちる。膝を着く膨躰。

静止。音も、動きも。

目を奪われたのだ。

ゴブリンたちの目には恐怖はない。憎悪もない。これは、力への憧憬。

魔王が血潮を浴びながら一歩。

もはや死骸には一瞥もくれず、ただ前へ。

子鬼たちがふたつに分かれ、魔王の前に道が出来る。

歪鎧はオークの大斧を拾い上げて、連合軍の背を追って駆け出した。

主従が生じた。堰を切って、その瞬間。

魔王の敵は、もはやひとつ。

連合軍の殲滅に駆けるその黒い背中。

ああ!見ろ!と一兵が叫んだ。

指差す先、魔王。そして、追随する亜人の群れ。

口々に泡吹いて、嬌声を挙げながら転がり走り来る。

その目は渇望に溢れんばかりであった。コレに着いていけば、もっと満たされる。通った跡には人の欠片がいっぱい落ちている。欲しい。

もっと、もっと。

暴虐殺戮の波が押し寄せる。

混乱を極める人の兵士たち。

数多の口から放たれる叫びが何重にも木霊する。

悍ましい。魔王め。助けて。死にたくない。

敗走は、死に損ないは、許されない。

魔王の刃先は告げる。残酷に、無感情に、無関心に。

死ね。神の徒よ。苦しめ。絶望しろ。

奪われ虐げられた持たざる者たちから、最後に残った命すらを簒奪していく。


ゲオルギウスは考えを改める必要があった。その選択肢だけは、残されていた。



程なくして、殺戮は終わった。

静かなる荒野。

毒竜は泥中から勇者レドゥアの身体を掬い出す。水溜りの上澄みにて冷たく固い躰を洗う。その所作に、竜心は痛く締め付けられる。肺を熱が押し上がり、吐息噛み締めると、雫になって溢れた。ひとつ、ふたつ、後は嗚咽に消えて。

彼の剣を墓標にして、丁重に弔う。天を仰ぎ、その魂の行方を見定める。だが、あの眩しすぎる光は何処にも見つけることは出来なかった。

「可笑しいか?竜が人のように祈る姿は」

背後にて物言わぬ魔王にゆっくりと視線を巡らせながら、ゲオルギウスは自嘲した。

「身体は単なる器にしか過ぎない。魂の在り方のみがこの世で最も崇高な誉れだ」

しかし、と友の剣を見つめる。

「私は、温もりを忘れたくないのだ。レドゥアの手を、その柔らかさを。私に契約を迫らなかった、その優しさを」

そして、彼女は魔王を正面へと捉え、憎しみの籠った視線を投げかける。

「目的を達したとき、殺してやる。それが私の死と同義であってもだ。お前は仇、友を奪った敵。忘れるなよ」

竜の瞳膜には、先程まで陽炎や熱気に歪み揺らいでいた魔王の輪郭が、いつの間にか、はっきりと見えていた。

それは戦場の火照りが冷めたからなのか、耐え難い憎悪が為した像なのか。どちらでも良い。仇と認めたのは変わらない。

去り行く背に、魔王の真名を嘲弄した毒のひとつでも吐いてやろう口を開いたが、暫し思案し、口を閉じた。

――お前には、独りが相応しい。

鼻息ひとつ荒く。

魔王の背を追った。


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