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毒竜に花束を  作者: 剛毛戦士
【序章】
2/30

勇者と毒竜

 緑々漠々たる高原。

 重々しき病巣の如き灰雲の果肉の下、異なる二つの軍旗が聳え、敵意を揺らしながら相対していた。

 その片割れは低く劣等。銀糸縫われた青布に三首繋がれた孤狼が吠えている。所作も装備も人種すらも含めた落ち着きの無さが一団全体の蠢きを構成する。彼ら遍く、仰ぎ見上げて、頼りなく寄り集まっている。

 高き位置にて、天輪戴く鷲獅子は金装飾の紫布の中で竿立つ。旗本で理路整然と並び立つは白に塗られた鉄甲冑。教会の信徒たる王国の兵士と騎士たちが、身動ぎもせず、卑小なる敵軍を見下している。

 雲落とす陰が流れれば流れるほどに、戦場の沈黙は一段と張り詰め、丘上からは嘲笑う鼻息すら聞こえてくる。双方全ての人間は、震えた鬨の声、或いは、金喇叭の命ずるをただ待っていた。

 ごうごうと冷風が吹き抜けた。灰色に染まった一迅のそれはのちに来るであろう雨の匂いを含んでいた。カビと鉄をすりつぶしたような苦い味が、押し黙る兵たちの口内を舐めまわす。

 丘上の隊列はいまだ乱れ得ぬ。ただただその時を待ち、天高くへと槍先を向けて立つ。白銀の鏃の先端へ、ひとつの騎兵が躍り出た。沈黙の帷を切り、騎馬が興奮に低く嘶く。

 その騎士は、眼下丘下の匹夫の群れに宣告した。

「聞け!神への信奉を欠け、連合などという腐った手慰みに耽る痴れ者共よ!」

 至極真っすぐに面頬を向けて、間違いなどありはしないと、確かな信義を声に乗せる。

「貴様らは亜人種共と同等だ!下賤で浅ましく、愚かで醜く、勝利を知らない!故に奇蹟は我らの頭上に灯るのだ!」

 馬上槍を高く掲げる。背後遥か上空、雲間を切り裂いて輝光が降り注ぐ。研がれた闘争の端緒が鋭く光り、慄く連合軍の視線を白に眩ませた。

 騎士は翻り、自軍を鼓舞する。庇護此方に有りとした彼らの眼差しは、血に飢えた獣のそれといまや同義であった。

「勇ましき神の僕たちよ!我らが神の愛を裏切った報いを、この輝かしき光の剣にて刻み込むのだ!肉の一片、血の一滴にまで!」

 行け。その宣告を共なるにして金喇叭が叫んだ。軍功への衝動が歓声となって、紫旗が堰を切ったように雪崩込む。

 相対する連合軍はどよめくのみ。

 義勇の大人たちですら、暴虐の高波を前に恐怖する。少年兵にとってそれは殊更だった。幼きより剣と兜の輝きに憧れ、魔物退治の武勇に心躍らせた。だが、ここにはもう柔らかい高枕も、火照るような暖炉も、心地良い子守唄も、そんなものはひとつも無かった。後ろめたさすら投げ捨てて、思わず、脚が、後ろへ一歩進む。


 不意に、花の香りがした。

 震える肩が何かに少し触れる。

 柔く、懐かしく、暖かく。

 轟々たる鉄甲の足音響く戦場には似つかわしくないその感触。

 前へ歩み出るその背中。

 思わず連合軍兵士たちの視線が奪われる。

 人混み裂いて、闊歩続ける、ひとりの男。白に輝く甲冑、靡かせるは青き外套。金の瞳はくすむこと無く、前を。

 怯え狼狽える前線を置いて、王国軍の切先に仁王立つ。

 丘上より来る白銀の土砂流は止まらない。

 先頭扇動の騎士が馬走らせて、ひとつ大きく嘲笑う。

「最初の死体は貴様だ!」

 声は怒声となり、響く。

 馬上槍を構える。

 喇叭の音に熱浮かれる。

 尖突。

 槍の鋭牙が愚かなる甲冑に触れる。

 

 瞬時、一振り。

 直剣。跳ね跳ぶ馬頭。

 騎士の脇捉え、叩き落とす。

 ひとつ、ふたつに、半身を。

 両軍、一間動き、止める。

 音を止める。

 息すら止める。

 驚愕ではない。ただ、見惚れた。その輝きに、彼我の両者が。

 

 赤の噴出すら置き去りにして、輝きは地を蹴った。

 

 誰かが呟いた、勇者。

 

 その勇姿たるや、もはや鬨の声。ひとつの鼓舞も、正当化する言葉すら要らない。

 ただ切先となり、遍くを薙ぐ。敵意を薙ぐ。皆目を薙ぐ。道が、出来る。これこそ、"軌跡"。

 剣も槍も、彼を留めるには役者不足である。一、ニ、三、そして、数多那由多の剣戟と閃光。王国の兵士騎士たちの褪せた血潮では、その純然の光を翳らすことは出来なかった。ただのひとつも。

 だが、勇者が突出すればするほどに戦線は閉じる。立つ位置変えれば、光の中に人影有り。人であるならば血を流す。殺せる。喇叭の音が再び形を取り戻す。色めき立つ教会の信徒。剣戟の柄を握り直し、孤身奮戦の背に迫る。

 刺せ、刺せ、斬り殺せ!

 

 ど、震――。

 武具と血肉が舞う。

 鞭尾翻り、剛腕猛り、長首撓り、迫る凶刃の数多を滅する竜の姿が、勇者の傍らにあった。

 皆が勇姿に目を奪われていた。故に、緑の旗本向こうから四肢駆けつける巨影に気づかなかった。

 緑の鱗肌、赤のライン、翼持たぬ長大な巨躯、長き首と尾を震わせて、毒竜が勇者レドゥアの背を護っていた。

「友よ、礼を言う」

 光輝はここで始めて振り返り、人としての微笑みを醜き竜に向けた。歓喜鼓舞するが如く、毒竜は応じて唸り、厳かなる竜言を空へ詠う。

「滅せよ」

 それは万物万象への指令。虚空にて顕れたる蒼光の幾筋。原初たる言葉はこの世の魔力の本流。教典に遠く忘れ去られた尋常の摂理が、教会の下僕たちを滅多に貫いた。

 これぞ、魔。竜が魔物に類するとされる理由。彼ら魔物は道理と法則の礎を定める魔の根源である。遥か信仰に奉られた瞳で、人は今一度思い知った。

 この戦場の中で、勇者レドゥアのみが蒼と踊っていた。直剣を振り切る、その間隙を魔棘の襲来が埋める。魔力による支援は、混戦より遠方、射手の弦引き絞る手を留めさせ、或いは、勇者眼前にて戦乱織り成す手を塵芥へと還す。

 白甲冑も青外套も、どちらも傷ひとつなく、蒼の奔流の中で軽やかに翻り、信仰剥がれた悲鳴の数多を斬り伏せる。

 教会の対極に位置する暴竜すら勇者と共にあり、敵を激烈に葬る。

 その事実。

 音は勇者と毒竜の傍にだけあった。連合軍の皆々は、いまだ沈黙の内にあった。口を空け、耳を澄まし、目を見開く。食い入るような衆徒視線の中、誰かが呟いた。

 正しきは此方にある、と。

 別なる声が挙がる。

 もっと近くへ、あの光の下へ。

 口々に吼える。

 集え、集え、彼の剣に我らの刃を継ぎ接ぎ、身を寄せよ。

 震える者は、もはや居なかった。彼らの寄る辺は、眼前にて敵を屠っている。虐げられたる力無き者たちの憧憬、羨望、そして、信仰。

 ああ――いま、堰を切る。

 個々たるは勇者の剣によって綴じられ、毒竜の咆哮によって勢いづき、全の一つへ。

 勇壮喚起、闘志奮起。取り戻せ、奪い返せ、我ら踏み躙られた尊厳を。

 歌が始まる。

 鉄が触れ合い、飛沫が飛び散る、その陶酔の旋律。

 原初たる、この世の形。

 これこそ、戦である。

 

 押せ、押せ、押し込め!押し込め!

 潰せ、潰せ、踏み潰せ!踏み潰せ!

 緑の旗本、熱を孕んだ怒声は遍く現実のものとなっていく。成功は更なる増長を呼び、丘上へと赤で舐めあげていく。一人二人、五人、また、十七人、ああ、また数多、八人、三人、ああ、また那由多。数え切れない程の聖絶な骸が泥土に打ち捨てられていく。悲鳴怨嗟絶叫懺悔、それら全てを作り出す血に欠けた刃先は、ひとつの勇姿とひとつの暴力によって真っ直ぐに正当化されていく。

 

 我先に、奪い返せ、と。

 

 もはや戦争を織り成す剣は連合軍の一人一人の手の内に移っていた。勝機に当てられた戦団を止めるすべは一つ。王国軍にとって、敵兵たちの剣を向けるべき先を示している一灯を潰すのが先決であった。

 雄叫びレドゥアへと迫り、剣かち合う。一兵が微かな熱帯びる鍔迫り合いに力を込める。

「死ね!仇なす者よ!」

 頬当貫いてまで、直剣向こうの顔に呪詛吐く。

 勇者は瞬間、眉尾を下げた。しかし、掻き消すように刃を翻した。

 美しい軌跡。撫ぜるが如き、袈裟斬り。兵士は膝を付き、もはや動くことも叫ぶこともなかった。だが、レドゥアはその罵詈雑言に滲んでいたテノールを聞き逃すことは出来なかった。

「恨んでくれていい。弔いは決して忘れない」

 幼き血の流れるを良しとしたこの世の罪を、一言断じて背負う。

 少年兵の亡骸を後に、次なる敵へと剣を向ける。

 勇者の一間の瞑目を毒竜は視線の端に捉えた。

 ――優しき貴方、目も眩むような戦場でも、その姿変わらぬ。

 だが、すぐに竜頭を敵一団へと転じ、剛腕にて薙ぐ。一薙を生き残り、深き傷に叫ぶ声。竜は踏み潰す。これは必然とばかりに。

 ――これが我々の場所、我々の土地、我々の国。

 竜はひたすらに暗じる。十字架の下で、冷たく爛れ腐っていくこの世の姿を嘆き、故に、なお反芻する。

 ――だから、貴方が、ただひとつ暖かった。

 醜き戦場の中だからこそ、その竜心を穏やかなる微風の元へ、そよぐ思慕の帷へと還す。

 ゲオルギウスは微睡むように意識だけを戦から想い出へと遠ざけた。

 鱗肌に夥しく返る熱赤は、心地良い穂波の金に塗り直す。甲高い怨嗟絶叫は、焚き木の小気味良い跳ね音へと変える。喉元塞ぐ血肉硝煙の臭いは、勇者振る舞った煮兎肉の柔き味へと包む。

 輝き優しさだけを、ただ見つめて。永劫長命の一瞬でも構わない。その姿を目に焼き付けた。

 もう二度と、冷たい独り夜など欲しくないから。

 

「眠っているのか、愛しき友よ」

 竜の耳元に鈴の音のような心地良さが転がる。その音を境に、羨望に眩んでいた視界に、想い人の微笑みが像を成していく。

「見えるかい?」

 レドゥアが指し示す声に、ゲオルギウスは意識を再び現し世に戻す。

「僕たちは勝利した」

 勇者は大局を語った。

 泥土に汚れた紫旗が遠く翻り、王国軍の一兵の遍くが逃げ転がっていく。いつの間にか丘上には三頭戦狼の緑旗が、天に高く、高く掲げられていた。

 

「君のおかげだよ、ゲオルギウス」

 笑顔が、輝き、咲く。

 籠る言葉は、毒竜の胸元へ熱となって伝わった。

「ありがとう、本当に」

 

 ――何故だ。

 竜の瞳膜が薄く滲む。

 知っているからだ、覚えているからだ。

 永き天輪の内で、ずっとずっと、見て見ぬふりをしてきた。

 人の夢は、儚い。

 だから、この愛しい微笑みも、一瞬の内に、終わるのだろう。

 

「城塞への道は拓かれた!緑旗翻し、進め!本隊は眼前だ!」

 毒竜の声無き嘆きに、気づくことはなく、勇者レドゥアは丘上に踊り立ち、声高らかに宣言する。

「正義は我らに有り!」

 一層に色めき立つ連合軍。

 緑の旗は列無しで突き進む。

 逃げ退く最中の敵兵たちすら追い抜いて、進む。もうあとずさる必要など無いのだ。

 

 ああ、駄目だ――。

 雲は、太陽と竜心を、灰色に覆って、高原は鈍色に色褪せていく。

 青の外套が遠ざかる。

 竜爪を伸ばしても、もはや届かない。

 ――行っては、ならぬ。

 友との明暗の差、激しく。

 思慕がこの手から離れていく。

 羨望も愛しき微笑みも、ひとつの眩しい光へと還っていく。

 還ってしまう。


 ――もう少しだけ、名を呼んで欲しかった。

 友の呼称ではなく、私の名を――。


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