クルーセル
戦闘の音が一間黙する。
大広場は魔王と毒竜が拵えた死骸に溢れ、内へと至るための道は血肉の山によって塞がれた。
呼吸を整えた両名の視線の先で、大聖堂の荘厳な石扉が開かれる。
現れたる黒衣と黒鎧。異端審問官の一人。
その表情は戸惑いと断固たる思いの両者によって固いものとなっていた。
「久しいな⋯⋯」
審問官は魔王に語りかける。
ある名前を喉元に滑らせかけ、返り血に塗れた歪鎧に躊躇い、そして、一呼吸の後に断じた。
「かつての名と姿は疾うの昔に捨てたようだな、魔王よ」
審問官は一段一段ゆっくりとしっかりと踏みしめて、大広場へと下る。
その途中で、兜を被った。
素顔が、黒鉄の奥へ消える。
斧槍とボウガンを取り出し、その手に握り締める。
彼の背後には巨白馬。
獣性に塗れた嘶きを燻ぶらせて、猛々しく荒れ長い鬣を逆立てる。捻じれながら天に向かう一角。
「なるほど貴様が魔王の旧知“クルーセル”か」
簒奪したソールとトリエルの記憶を以てゲオルギウスが感づく。
「“ユニコーン”と契約するとは、まったく愚かしいな」
異端審問官クルーセルと巨白馬ユニコーンが、魔王と毒竜の前に立ちはだかる。
竜は知っている。ユニコーンは人の欲望を餌にする狡猾なる種族。教会の信徒には似つかわしくないほどに下卑たる存在なのだと。
ユニコーンが獰猛なる嘶きと共に竿立ち、一角を天へと高く上げる。
いつの間にか空を厚く覆っていた灰混じりの黒雲が轟いて、豪雨が一気に土砂降った。
視界を遮るほどの水音の覆いが滝落ちる。
不意。
その向こうで金属音がひとつ。
ゲオルギウスが察知し、魔王を背から振り落とす。豪雨の中、矢尻が空を切る。濡れた金属が軋むような乾いた音が一つ鳴り、次の瞬間、空間そのものが引き裂かれた。衝撃に圧っされ、地に伏せる毒竜と魔王。
ガキン、ガキン、ガキン――。
彼我の姿すら隠す大滝の如き雨中で同じ音が連続する。
「火種も無しに⋯面妖な!」
ゲオルギウスは吐き捨て、回避する。魔王もまた側方へと走る。魔王との間で次々と白圧が爆ぜ、距離を離せざるを得なかった。
クルーセルの連弩。鏃に込められたのは水を喰らって爆ぜる炸薬。教会が奇蹟を分解して開発に至った兵器。
それは、水を操るユニコーンと相性が、良すぎた。
ゲオルギウスが爆裂の回避のために跳ぶ。着地点の石畳が、泥濘んだ。水溜りが性質を変えて高い粘度の罠へと転じていた。
「おのれ――」
焦るゲオルギウス。ユニコーンが突貫する。太槍の如き一角を辛うじて避け、体当たりを受け止める。
「ゲヒャヒャッ!威勢が弱いなぁ!竜の嬢ちゃんよぉッ!」
野蛮で下卑た嘶きを毒竜へと浴びせる。
「もっと聞かせてくれや、竜の悲鳴をなぁ!」
「クズめ」
毒竜が毒息の構えを見せる。が、ユニコーンの一角が光る。ゲオルギウスの口に大量の水飛沫が注がれ、呼吸を堰き止める。
「楽しいなぁ!死合わせだぜ!」
魔物の死闘の一方で、魔王は無色の爆発に追われていた。
回避の中でも装填の隙を捉え、大きく弧を描きながらクルーセルとの距離を見定めていく。
ここだ――。
斧槍の柄の先を背後の地面へと叩きつける。反動をバネに一気に前進。矢線の連なりの内側へと潜り込む。大剣を振り被る。
「獣風情の考えなど――」
クルーセルは後退しながら、己の斧槍、握る柄の位置を刃の根本へと直す。
「看破するのは容易い!」
懐刀のように振るい、魔王の一撃に刃を叩きつける。魔王の剛に対する、柔の動き。流線によって刃先の流れを変え、攻撃を大地へと逸らす。大剣は石畳を砕き、石礫が飛散する。大きな隙。クルーセルは兜の前頭部に備え付けられた刃を以て、上体を一気に曲げて魔王を斬りつける。
地に刺さった大剣が旋風を巻き起こす。強烈な風圧が審問官を吹き飛ばす。無数の風刃は鎧を浅く傷つけるだけだったが、彼我を引き離すだけで役目としては充分だ。
「小狡い獣だ」
クルーセルは即座に体勢をたてなおし、ボウガンの先を向ける。
魔王は側方へと跳び、連撃を避ける。
巨白獣が乞うた大雨は更なる勢いを増して、戦いの輪郭を混ぜ合わせていく。
毒竜の毒が防がれたのは一瞬だ。彼女は瞬時に呼気の組成を毒から炎へと転じた。口元を覆う水泡を焦熱にて白霧へと破裂させる。そして、そのまま消えぬ赤の火線は懐のユニコーンへと突き刺さる。
だが、白獣は嗤う。
白の姿がどろりと溶ける。熱気の光線と反応した水飛沫が爆発する。
「マジで危ないお嬢ちゃんだ!」
口笛。大聖堂の屋根。上にユニコーン。一角を掲げ、水気を貯めた。
振り下ろされる。水圧の剣――。
クルーセルは決して攻め入ろうとはしない。ただ矢線に終止する。
魔王は追い縋る。雷槍の投擲や風の刃。だが、いずれも暴雨の帷に身を隠す審問官を捉えることはできない。接敵すれば斧槍によって拒まれる。
衝動を臆した冷静。取り繕った無感情と信奉。詰めに欠ける応酬は、魔王にとって忌諱すべきこと。
それはユニコーンにとっても同じであった。
ゲオルギウスの足元の泥濘みは未だ彼女に纏わりつく。水圧の刃が眼前に迫りくる。毒竜は風を纏う。風の圧を高める。内力を更に高めて、風力を回す、回す、轟天す。
泥濘みごと巻き込んで水竜巻を打ち上げる。刃がそれを切り裂く。実体は失せる。飛沫だけがそこに撒き散らされる。
ユニコーンに突き刺さる魔力の棘。意識外からの一撃が、白馬の実態を捉える。痛みに嘶く。一角を振り乱して、辺りに目茶苦茶に攻撃を振り下ろす。
ゲオルギウスの矛先はもはやユニコーンにはない。
一進一退を繰り広げる魔王の傍らへと転ずる。
魔王の背後からクルーセルへと飛び掛かる。
審問官はボウガンの連撃により応じる。
鏃のいくつかがゲオルギウスの鱗肌に突き刺さる。
爆裂。爆裂。連爆。
悲鳴が轟く。
「この痛み、必ず返せよ!」
同時に、怨嗟。
魔王がクルーセルの懐へと迫る。両者の視線が、一間かち合う。
斧槍と大剣の連撃。避けきれぬ、その刃捌き。鎧にぶち当たり、体勢が崩れる。
捉えた。
魔王は、更なる追撃を加えていく。
「このッ――」
クルーセルは魔王の連打に晒され、反撃もままならない。
「裏切り、者めッ!」
ただひたすらに血反吐に混じえて叫ぶことしか出来なかった。魔王は変わらず刃を叩きつける。
「ぐ、がッ――」
そこへユニコーンの敵味方問わぬ乱撃による飛沫がクルーセルを吹き飛ばした。
遠く倒れ伏し、兜が転がる。武器もまた手から離れていた。
得物を拾い上げようと、這いつくばる。伸ばした手の甲を斧槍の先が突き刺した。
「ぎゃあ――」
審問官は痛みに叫ぶ。情けなく甲高い声が続く。魔王は、それを黙らせるようにクルーセルの顔面を蹴りつけ、踏み飛ばす。武力から遠ざけられた審問官の輪郭は泥と痣にくすんでいく。
クルーセルの背後に投げ飛ばされたユニコーンが無様に倒れ伏す。竜の言葉は蒼い魔棘となって白馬に次々と突き刺さり、泥濘んだ地面へと縫い付ける。彼もまた契約者と同じく悲痛に嘶いた。
轟雨は小雨へと転じていた。痛みに喘ぎ、背を向けてまで、這い逃げ行く審問官へ魔王はゆっくりと歩みを進める。その後方ではゲオルギウスが大きな水飛沫を散らして着地した。彼女は傷口に魔力を巡らせて回復させながら、魔王の動向を視界の端に捉えている。
「くそ、くそッ!何故、何故こんな――」
毒づくクルーセルの太腿に斧槍の先が突き刺さる。
絶叫。
「嫌だ!嫌だ!」
呼吸とも言葉ともつかぬ喚き。こんな筈じゃない、くそ、どうして、いやだ、死にたくない、助けて、誰か、お願い――。
「殺さないで、殺さないでぇ!」
クルーセルは、自分が何を口走っているのかすら分からなかった。
ただ、生きたい。
その欲望だけが、残った。
振り上げられた大剣の影に、恐怖に怯え、両腕を挙げて顔を覆う。
だが、魔王には聞く耳すら無く。
語る口も無く。弱きを見る目も無い。
故に刃は落とされた。
「ひぃぃッ!」
クルーセルは目を閉じた。
音。
鈍い。
衝撃。
顔の近く。
大剣は石畳に刺さり、クルーセルは傍らにあった。
「あ、ああ――」
股間から立ち上る湯気。
涙と鼻水と泥雨でぐずぐずになった顔が、呆けたまま赤き双眸を見上げる。
ゲオルギウスが呆れて溜息を吐いた。
「自ら内力を手放すとは⋯⋯」
魔王は自らの手のひらを見つめていた。宿る力。斧槍の武術。人の身で会得する、ソールやトリエルなどに在った奇蹟からは程遠い修練の結実。それでも力は力だった。
「もはや殺す価値もないな、ゆくぞ魔王よ」
毒竜が大架橋へと進みだした。
魔王もそれに倣う。
クルーセルはただその背を見つめることしか出来なかった。




