共犯者
海峡の開門。
不落要塞の陥落。
王国領への侵犯。
魔王の一手によって、あらゆる勢力が動き出した。
王国領内部にも亜人種たちは点在していたが、永きに渡る討伐によってその勢力は弱かった。
故に外から押し寄せた力の波が彼らを色めき立たせた。
魔王の力の香り、壁向こうから我先にと入り込んでくる外の亜人種たちの臭い。
満たされたい欲望と衝動が、人間狩りに突き動かす。
連合軍は即席の攻略軍を編成し、王国領へと侵攻した。領内各地の要衝を報復の剣を以て襲う。
また、帝国すらも沈黙してはいなかった。海峡より繋がる運河に疾船を走らせ、一気に大架橋へと兵を進めていく。かつて教会を離反した原理主義者たちによって興された軍事国家の真の目的を知るものはいなかった。
王国軍は全ての神の敵に、徹底抗戦を強いられた。戦線は広く長く、その殆どで敗走するに至る。教会の威光も、もはやこれまでだったのかもしれない。
魔王とゲオルギウスの歩を塞ぐものはなかった。
真っ直ぐに、大架橋を目指した。
王国へと通ずる唯一の大架橋。
麓の丘上には要塞化した都市オルヴァルレートが関門の如く存在している。
人工の河川によって美しく整えられた街並みには、装飾に溢れ、教会の庇護の下にあることを内外へと示す。白石で造られた壁に囲まれ、尖塔の数々が防衛の備えとなっている。運河へと続く脈のような数多の河川は流通や往来に使われた。豪奢な粉飾に彩られた噴水が彼方此方で飛沫の内に虹を見せる。
神の威光を存分に受ける王都の玄関は、いまや炎と油と硫黄と、血と肉と泥と、剣と矢と槍と、あらゆる戦禍がその歯牙をかけていた。
帝国軍が高い丘上を更に高く見せる要壁を取り囲み、責める。
投石器、大バリスタ、破壊槌、大盾のファランクス。敵も仲間も兵士の屍を踏み越えて、砕城兵器が前線へと進み出る。奇蹟と称した大石がオルヴァルレートから飛来し、神の仇の数多を巻き上げる。奴隷兵を中心にした防衛隊の第一陣は丘下に展開されて、刃や血潮を交えている。炎と叫びと死臭が混ざって、両軍の境界線はまことに曖昧だった。
魔王とゲオルギウスは到着して、すぐに直感した。
この戦いは既に決している。手を下すまでもない、と。
拮抗していたはずの戦線は、帝国軍の投入した武装によって一瞬でその均衡を崩した。空中を飛びゆく無数の影。
「帝国軍もなかなか愚かと見える。無様で低能な劣等を従えるとはな」
ゲオルギウスは心底見下したように鼻を鳴らす。
人程の体躯、蝙蝠の如き翼、蛇の長首、鴉の襟毛。飛爬虫ワイバーンの群れが、喇叭の音に従ってオルヴァルレートを空襲する。高壁や尖塔に取り付き、弓兵や落とし石の備えを破壊する。
「誇り高き賢い竜とは全く比べものにならんよ」
弓矢や投石に落ちる飛爬虫を嘲笑う。
しかし、戦況はゲオルギウスの見下しを余所に、帝国軍側に傾き始めている。先頭にワイバーンの一団を係留することで飛空を為す戦闘艦が火砲を以て壁を打ち砕く。援護を失った防衛陣は大盾と長槍による波に呑まれ、大地は帝国軍を象徴する赤色に染め上げられていく。高梯子が次々と展開され、要塞の穴に掛かる。侵入を辛うじて堰き止めていた兵士たちは、ワイバーンに喰われてその任務を降ろされた。一人の帝国兵が切先となり、次に闖入が続々と、もはや止めることはできなくなった。
「ゆくのか?」
魔王の視線の動きと斧槍を握る手に込められた微かな力を察知して、毒竜は少し喉を鳴らした。
「なるほど。疼きを隠しきれぬようだな」
ゲオルギウスは魔王を迷いなき鏃だと密かに例えていた。力一杯に引き絞られ、乱れなく的中する。かつては、そこに意志も感情も込められていなかった。ただこの世の摂理のように、内力を弱きから強きへと移す自然の流れに近かった。
だが、いまや違う。微かに違う。
捨て置けと忠告した筈の、得体の知れない由来の無い感情が、魔王の身体に滲み出している。内力を貯める器に相応しくなればなるほどに、彼の夢の底に渦巻く赤い眼が焦熱を増していく。
教会への復讐。弟の裏切りへの応酬。憐れな妹の救出。成就すべきはその三つ。それが契約の理由だったはず。
魔王から人間性を嗅げば嗅ぐほどに、この男の歪さを知る。捨て置けないほどに、脆い。隔てた存在の輪郭は、薄氷の如き危うさだ。
「そう急くな」
だからこそ、彼女は魔王と並び立つを選んだ。竜の血に意志を委ね、人の澱みに身を沈める。ゆっくりと身じろぎ、魔王に頭づくように背を低める。
「乗れ。此方の方が疾かろう」
これはレドゥアとは成し得なかった。友情も、思慕も、憧憬も、そのどれもが足り得ない。罪を共にした二人だからこそ、有り得た可能性。
魔王はゲオルギウスの背に乗る。その時に、ひとつ撫でた、と彼女は思った。温かで柔らかかったレドゥアのものとは異なる、冷たく硬い。ぎこちない。
だからこそ魔王の手だと知った。
崖を駆け下る。
驚愕に振り返る帝国兵たちを蹴散らして、更に前へと、前線へと疾走る。
叫びと怒声は走狗となって、魔王の到来が全体に伝達されていく。大盾を翻し、槍先を転ずる。この場において最も高い驚異に対して戦場にある全てが立ち向かう構えを見せた。
バリスタや投石器が転回し、魔王へと暴虐を放出する。
ゲオルギウスは点在する仮組みの補給地に身を隠し、見張り台を登り、跳ぶ。
砕城兵器を身体全体で踏み潰し、吐息にて周囲を薙ぐ。灰緑の吐息が兵たちを吹き飛ばし、喉から肺へ、体の内から腐らせ、融かす。大盾により毒煙を防ぎ切った生き残りたちは蛮勇に任せて突撃する。ゲオルギウスは牙と牙とを打ち鳴らした。毒の飛沫に小さな点火。即座、周辺一帯が劫火に爆ぜる。サラマンダーの炎を完全に自らのものにしている。兵たちは灰へ、塵芥へと還る。
焦熱の帷の向こうから風の刃。
これこそトリエルから簒奪した奇蹟。賢明に遠巻きから隙を伺っていた一団の胴体を軒並み分断する。範囲に漏れた側面にも、炎と毒を送り届けた。戦場という名の未開の渾沌が魔王と毒竜の刃によって切り拓かれ、道ができた。
そこを、走る。悍ましき灰緑の毒竜とその背に乗る残虐なる魔王。
崖を駆け上り、高梯子を足掛かりに、壁を越す。熱気を孕んだ風圧を以てオルヴァルレートの内へと着地する。衝撃で路から石畳が引き剥がされ、宙に浮かぶ。ゲオルギウスは赤き視線にて周囲を一瞥した。憎悪と恐怖に塗れた形相が並ぶ。
レドゥアと共に追い求めた他者を慈しむための温かさは、もはや――
やはり、見出だせぬ――
彼女は咆哮とともに圧縮した空圧を解き放った。焦熱が瓦礫を抱えて飛散する。突如として空襲した魔王と毒竜に迎撃の構えをとることも叶わず、攻勢と防衛の両兵士たちが血肉に散っていく。
オルヴァルレートの整然美麗な街並みが血飛沫に汚れ、信仰の楔としての機能を曇らせる。高き尖塔も、教会の屋根も、戦火に呑まれて崩れ行く。白石の舗装路は武具の爪に深く傷つき歪んでいる。整備された河川は血反吐に濁り、絶望に澄み渡る。街を包んでいた鐘の音と讃美歌は剣戟と叫びに変わった。
見出だせぬ――見出だせぬ――
ゲオルギウスは魔王を運ぶ。駆けて進む。追い縋る怨嗟を振り払うように、レドゥアの光と温かさを求めるように、戦禍を踏み潰し、並ぶ死骸の大口を跳び越え、大架橋の直前、大聖堂が抱える大広場へと至る。
ひた走るゲオルギウスの心内に魔王の声が響く。毒竜の焦燥に近い嘆きに、初めて反応を見せた。
――過去はいつだって今よりも光輝いていて、目が眩む。
だからこそ消えない悔恨として進む意志に纏わりついてくる。
止まれ、諦めろ、と囁き嘯きながら。
だから、前だけ見てろ、ゲオルギウス。
俺がお前の全てを晦ましてやる。
そうすれば、もう二度と迷うことはないだろう?――
眼下の兵士たちを大剣と斧槍によって血肉の麻袋へと仕分ける彼の心内は、穏やかで、波風はひたすらに凪いでいた。斧槍を投擲し、空けた片手で飛び交う矢を握って防ぐ。大剣の欠け刃に旋風を纏わせ、高所の弓兵の一団を薙ぎ払う。
毒竜もまた大広場を殺戮の園へと咲き乱しながら、魔王の慰めに少し、笑う。
「竜は二言は許さぬ。やってみせろよ、お前」
「ああ」
短い返答だった。
それ以上、言葉は要らなかった。
ゲオルギウスは僅かに眼を細める。
罪を背負う者同士。
互いの目的を知り、互いの行く先を知り、それでも並んで歩く。
始めて行われた実のある言葉の応酬は、確認に終わった。
互いに互いを共犯者に認めた瞬間だ。




