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毒竜に花束を  作者: 剛毛戦士
【3章】
11/62

風の刃

 魔王の快進は続く。

 王国領の境となる巨門の前まで何者も障害とはならなかった。

 大通りが交差する巨大な広場にも近く、敵を迎撃するには最適な場所だった。

 急ごしらえに束ねられた槍衾と大盾の列が迎える。背後の高見台には多くの弓矢が引き絞られていた。

 亜人たちの突貫が押しとどめられる。人ならざる肢体が次々と石床に転がり、散っていく。

 魔王と毒竜はしかし速度を緩めない。薙ぎ、突き、避け、受け止め、その全てを蹴散らした。

 門はすぐ眼前に迫る。


 不意に一声。

「神の愛する世界を穢す魔王よ」

 声高らかに響く。

 魔王と毒竜は殺気を気取る。

 疾く、後方へ一気に跳躍した

 耐え難い熱風が鼻先を掠める。

 不可視の刃。

 瓦礫が舞い、石畳を深く抉る。

 二人は反転し、靴音する方に向き直った。

 教会の徒。黒い装束と軽鎧、白い外套。異端審問官。女。

「貴様の薄汚れた野望、ここで終いだ」

 赤い長髪を兜に納めながら宣告する。魔王と彼女を遠く隔てる空間そのものが揺らぐ。熱。高熱。焦熱。当てられた大気が風となって逆巻く。

 いつの間にか審問官の足元に黒油の溜まりが滲み、水位を上げて生じていた。

「二度と御目に入らぬよう、その血肉、悪心、共々塵芥へと還そう」

 彼女を頭に乗せて、黒油よりずるりと滑り出す巨大なる影。強靭な顎。幾重にも並ぶ鋭い歯列。鮫のような鋭角な頭先。か細く長い節くれ立った四肢に、鉤爪を有した巨大な六本指の手と足。尾は多くの節に分かれ、蚯蚓の如くうねる。首元に縺れた獅子の鬣を湛えた、超大な鰐。黒油に塗れ、ギラつく魔物が吼えた。


「この臭い、やはり慣れ得ぬよ」

 ゲオルギウスが嫌そうに耳打つ。

「"巨炎虫サラマンダー"、戦い辛い相手だ」

 魔王は毒竜の言に対して微かに頷き、一歩踏みしめた。斧槍構え、なおも歩を進める。

 審問官は確かな背筋を乱さないままに、その背から鉄塊と見紛う程の大剣を引き抜いた。

「我が名は"風の刃トリエル"」

 両の手で構えた両刃の剣に風が螺旋を巻く。ちりちりと空気を焼く音が広場を満たす。

「神から賜りし奇蹟を知れ」

 彼我の距離遠くにして、トリエルは、ひとつ薙いだ。

 魔王とゲオルギウスがそれぞれ跳び退く。

 風が刃となって虚空を裂いた。轟々たる音圧が石畳を剥ぐ。

 間髪入れず、第二波。

 魔王と毒竜は着地すると同時に駆け出した。

 サラマンダーが応じるように、重々しく、力強く、吼えた。トリエルを頭に乗せたまま、緩慢な動きで姿勢を屈めると、巨躯見合わぬ俊敏さで地を這った。

「距離を取るつもりか!」

 ゲオルギウスが魔王を摘み上げ、背に乗せる。

 サラマンダーが熱気を吹き出した。毒竜の爪先に撒き散らされた黒油が発火する。

 轟と瞬く間に灼熱が鼻先を掠めた。業火が立ち上がり、視界を緋色が埋め尽くす。

 魔王が轟々の奥から来る高音を捉える。

「わかっている!」

 毒竜が、ちぃと舌を打ち、魔王を振り落として距離を取った。

 間隙をトリエルの風刃が抉り取る。

 間一髪避けた両者だったが、空気中に撒き散らされた油分を垣間見て、動きを止めなかった。

 サラマンダーが鼻をかち鳴らして火花を飛ばす。油溜まりが炎を上げて退路を塞ぎ、爆発は連続して魔王と毒竜を追い立てる。

 隙を見せれば、そこへトリエルの風の刃が刺さる。大剣から放たれる無形の刃は直進し、毒竜に迫った。

 避けようと転換すれば、サラマンダーが作り出した熱気にその進路を歪めて追い縋る。

「おのれ――」

 避けきれない。

 首元に刻まれる焦熱。蒸発した毒血が大気に掻き消えた。

 脚が止まる。

 そこへ、爆裂。

 弾き出され、民家へと叩きつけられた。

 審問官の戦い方は、焦熱と風が余りにも噛み合いすぎていた。旋風は黒油を当たり一面に撒き散らし、熱気を遠くへ運んで背後にて爆ぜる。

「やはり、この臭い、やり辛いわ!」

 ゲオルギウスが血反吐飛ばしながら飛び起きる。二の句の爆炎をやり過しながら喚く。噎せ返るような熱気の向こうで閃光。トリエルの風刃が無数に分かれて、飛びきたる。

 巨躯の頭上にて風を纏い僅かに浮かぶトリエルは高熱の只中にいて汗一つかかず、至極冷静に一手一手を刺していく。

 狙いは毒竜に絞られたか。

「ならば好都合!」

 ゲオルギウスはシルフの嵐風を纏う。黒油の飛沫を弾き、熱気に歪む空気を整える。

 大気が膨圧。空刃がひしゃげて毒竜の傍らを駆けていった。

 攻撃が潰されたのを見取ってトリエルが叫ぶ。

「やはりソールを下したのは貴様らだったか!」

「だったら何だというのだ!?」

 ゲオルギウスは吼える。

 追撃の爆炎を避けて宙空に大きく跳躍したかと思うと、虚空にて風を足場として捉え、蹴る。体躯を投げ出して、一気に彼我の距離を詰める。

 ゲオルギウスの巨腕がサラマンダーの頭部を殴りつける。

 直撃。堅い鰐鱗に亀裂が入る。

 だが、サラマンダーは機敏なる動きで、竜拳振り抜こうとする力を受け流し、身を捩り、毒竜の長首へと噛みつきを繰り出す。ゲオルギウスは竜の言葉に魔力を込める。

「迸れ!」

 その青い咆哮は魔力の棘となり身体に纏う風に乗る。駆け巡り、サラマンダーの側面へと次々と突き刺さる。

 捕食の動きが、一拍、遅れる。

 毒竜は滑るように反転し、上下の顎を両の腕で掴んだ。彼女の胸元が瞬時膨れる。汚毒の備え。


「穢らわしい毒竜め」

 トリエルが螺旋の風を以て、膨張した胸甲を貫かんとする。

 毒竜から離れ、戦場を大きく駆け回り込んでいた魔王は、風刃の放出のために一度引かれた剣先を見逃さなかった。

 走狗の体勢を敢えて崩し、その柔軟な流れを力へと変えて、瞬時に槍をトリエルへと投げ飛ばす。

 審問官は視界の端に投擲を捉え、攻撃の構えを迎撃へと転じた。大剣を大盾として、槍を受け止める。刀身と槍先が触れ合ったその瞬間、閃光が爆ぜる。槍に込められた白銀の雷。蚕蛾の温もりを心の支えとした青年の奇跡。

 その強烈な威力を以てトリエルに言葉にならない呻き声を挙げさせる。視界と動きを、ひとつ、奪う。

 一方で、ゲオルギウスが毒の咆哮をサラマンダーの口内へと注ぎ込んだ。悍ましき灰緑と黒青の毒煙。その内から腐り落ちていく、絶する苦痛にサラマンダーが暴れる。毒竜の抑える力は強く、振りほどけ無いまま、倒れ込む。地に押し付けられて、のたうつ。尚も毒竜は吐き続ける。肉汁へと融け出し黒油と溶け合う。

 トリエルは二匹の魔物の掴み合いから投げ出されていた。毒竜を迎え撃たんと毅然と立ち上がる彼女へ、更なる投擲が襲う。円弧を描いて直剣。直線となった投槍。そのいくつか。

 短刀を抜き、咄嗟に弾く。幾筋かが鎧を貫き、血飛沫が散る。

 投擲を続けながら、魔王が迫りくる。

 気づけば、両者眼前。

 トリエルは身を引く。

 しかし、遅い。

 血錆びた欠け刃が兜を弾き飛ばし、トリエルの顔に歪な直線を描いた。


 絶叫。

 憎悪。

 呪詛。


 それら三つは同時に起こる。

 彼女は大剣を翻して、刃の横腹にて魔王を弾き飛ばす。彼我距離、大きく離れる。

「この、痴れ者が――!」

 ぼたぼたと滴る血潮を手で抑えながら、トリエルは吼えた。

 サラマンダーもまた、ゲオルギウスを辛うじて投げ飛ばし、溶解した肉とも血とも定められない泥土を溶け落ちた身体の穴から撒き散らす。荒い呼吸のまま、トリエルの背後へと回り、魔王と毒竜へと対峙する。

「私の、顔に――傷、をッ――!!許せない許せない許せない!穢らわしい!穢らわしい!!」

 審問官の毅然とした姿勢はもはやなく、そこにあるのは女だった。

 ゲオルギウスは魔王の傍らへと転じ、崩れた形相の審問官とその従僕に向き直る。

「見ろ」

 彼女は嘲笑った。

「剥がれたぞ、信仰の虚飾が!見えるぞ、醜い人間性が!」

 魔王はゲオルギウスの煽りに賛同するかのように、一つ、吐息を以て、作り笑った。

 ゲオルギウスは更に煽る。

「その熱に浮かれた頭では理解出来ぬだろうが!貴様の奇蹟は民草すら、信仰の浄土であるこの街ですら、今まさに汚く呑み込んでいるのだぞ!」

 轟々と迸る火炎流がノイエヒルダの街並みを呑み込んで暁色に染め上げていた。毒竜はトリエルの信仰が尽きるまで煽りきる。ソールの記憶を使ってまで。

「醜い痴れ者は貴様だ!"グリゼルダ"とやらが微笑むはずがなかろう!」


「黙れぇッ!!」

 審問官が大剣を振り上げ、大地に突き刺した。そして、懐より抜き出す、火打ち石。

「その減らず口もッ!嫌らしいニヤケ面もッ!一片も残らず、浄化してやるッ!燃やし尽くしてやるッ!」

 もはや彼女に見えているのは、穢らわしき過去の情景だけだった。

 大剣に叩きつける。火花。彼女の血反吐とサラマンダーの肉汁と黒油が混ざりあった小河に火の粉が乗った。

 瞬時。

 燃ゆる。

 浄火が渦を巻く。

 巨炎虫を巻き込んで、炎の旋風が夜天を赤く染め上げる。

 曙光の如き焦熱がサラマンダーを包む。

 悲鳴。

 絶叫。

 傷まみれた皮膚が焼け落ち、腐りつつあった肉が削がれる。

 変貌する。

 太陽のように輝く光の内に揺らぐ蜥蜴の影。

 御伽噺におけるサラマンダーの姿がそこにあった。

 小太陽の如きサラマンダーは業熱に悶絶しながら、のたうち、暴れ、叫び、狂う。

 身体の動きに渦巻く焔は触手となって海峡の至る所に突き刺さる。敵も、味方も、トリエルも、もはや彼には分からない。ただひたすらに親とみなした彼女の香りに縋るように、助けを、愛を、追い求める。雛鳥が親を必死に追いかける様に良く似ていた。

 トリエルもまた、その赤き長髪を振り乱して狂った。獣の如き姿勢に崩れて、大剣を無我に振り回す。螺旋の風に炎を迸らせて、辺り一面を破壊し尽くす。

 サラマンダーがすぐ背後に着く。悍ましき叫びとともに四方八方へ噴き出す業火がトリエルの動きに追随し、波状となってひとつの攻撃となる。

 敵の距離も方位も状況も、何も見えていない。絶叫し、吠え、猛り狂う。まるで御せぬ劫火のように。

 ゲオルギウスは彼女たちの攻撃を回避しながら、満足気に言い放つ。

「これでいい!至極単純!奴らの取り繕った冷たさに、薄ら寒さすら感じておったわ!」

 不意に業炎の列。竜言を頼りに欠け刃の大剣より放たれた炎の連鎖は、最早爆炎と化して竜体にて弾けた。

 毒竜が思わず倒れ伏す。魔王がその前へ出る。

 トリエルは気配取る。

 大剣と風刃を振り回しながら距離を詰める。

 魔王は雷槍を一投。

 着弾。後方へ一気に弾き飛ばす。

 しかし、彼女の暴虐の剣撃は止まることを知らない。

 獣じみた動きで飛び起きると、四肢にて地を駆ける。

 熱気に焦げついた肺から、掠れて潰れた金切り声で叫ぶ。

「あの御方は私を美しいと言ってくれた!あの御方は私を正しいと言ってくれた!あの御方は!あの御方はッ!」

 グリゼルダ様は私の顔を愛してくれたのに――。

 

 辺り一面は、炎に溶け、建築は砕け、人も亜人種も巻き込まれて、もはや目茶苦茶だった。

「愉快だ!黙らせ甲斐があるというもの!なぁ、魔王よ!」

 焦げ付いた身体をしならせて毒竜は跳んだ。

 建物の壁伝いに回り込む。

「去ね!」

 毒づくように蒼の魔力を放出し、体纏った風衣に混ぜ込むと、一斉に放った。

 狙いは今なお大口開けて迫るサラマンダーの側面。

 次々と深々と魔棘は刺さり行く。

 だが、勢いは止まらない。気にも留めない。ただ母に追いすがる。

 ゲオルギウスは即断し、巨体を避けるように横合いへ位置を変える。

 元居た空間を大口が石畳ごと吞み込んだ。

 噛み砕かれた瓦礫が、火花を散らしながら巨炎の奥へ消える。

 そのままサラマンダーは頭を振った。長大な顎が地面を抉り、尾が横薙ぎに振り抜かれる。焼けた石畳が弾け、家屋の壁面が崩れ落ちた。

 ゲオルギウスは跳ぶ。

 爪先が触れる寸前、壁面を蹴る。身体を捻り、風衣を足場にしてさらに跳躍する。

「御せぬか!」

 嘲笑にも似た声を上げる。

 だが、サラマンダーは答えない。

 答える必要すらなかった。

 その頭部は、ただ一つの方向だけを向いている。

 トリエル。

 母。

 そこにいるはずのもの。

 焼け焦げ、腐り、血を流し、怒り狂っている。それでも彼には、それが母だった。

 ゲオルギウスが横合いから魔棘を叩き込む。

 一つ。

 二つ。

 三つ。

 青い棘が鰐のような巨躯を貫き、焼けた肉から血が噴き出す。

 それでも止まらない。

 サラマンダーは一度だけ身体を揺らし、突き刺さった魔棘を振り払った。

 再び咆哮。

 熱風が街路を薙ぐ。

 建物の窓が一斉に砕け、屋根瓦が吹き飛ぶ。炎を孕んだ黒油が雨のように降り注ぎ、石畳のあちこちで火柱が立ち上がった。

 その向こうから、巨大な顎が迫る。

 ゲオルギウスは身を翻した。

 僅かに遅れて、牙が空間を噛み潰す。

 がちん、と凄まじい音が響いた。

 空振り。

 しかしサラマンダーは止まらない。

 顎を閉じた勢いのまま頭部を振り、長い尾を鞭のように振り抜いた。

 ゲオルギウスは腕を交差して受ける。

 衝撃。

 鱗が軋み、巨体が横へ吹き飛ぶ。瓦礫の中へ叩き込まれる。

「ぐっ……!」

 それでも毒竜は倒れ伏さない。

 瓦礫を押し退け、血の混じった唾液を吐き捨てる。

 その眼が、再びサラマンダーを捉えた。

 もう一度。

 今度は、もっと近く。

 魔棘を纏わせた風を身体の周囲へ巻き上げる。

 サラマンダーが吼える。

 ゲオルギウスが応じるように牙を剥く。

 二つの巨影が炎の向こうで交差した。

 青い魔力が走る。

 灰緑の肉が裂ける。

 爪が鱗を抉る。

 顎が空を噛む。

 毒竜はその巨躯を滑るように駆け、背後へ回り込む。毒血滴らせて、倒れ込むように街路時に降りた。即座に頭を向ける。

 しかし、サラマンダーは振り返らない。

 振り返る必要がない。

 母の気配だけを追っている。

 その前方では、トリエルが敵と戦っている。

 大剣を振り抜く。

 風が爆ぜる。

 炎が膨れ上がる。

 それを追うようにサラマンダーが吼え、劫火を吐き出す。

 風が炎を煽り、炎が風を呑み、二つの奇蹟が巨大な渦となって街路を走り抜ける。

 その中心にいるトリエルは、もう何も見ていなかった。

 大剣を振り下ろす。

 魔王は身を捩った。

 欠け刃が鼻先を掠め、石畳へ突き立つ。

 一瞬の隙。

 魔王の手に雷槍が現れる。

 そのまま踏み込み、剣の腹を貫いた。

 熱で赤く焼けていた大剣の刀身が、耐え切れず中途から砕けた。

 破断。

 それでも女は止まらない。

 折れた大剣を引き抜く。

 もはや剣ではない。

 赤熱した鉄塊。

 それを両手で握り直し、魔王へ叩きつける。

 直撃。

 衝撃が石畳を震わせ、示す先を失った熱風が周囲へ爆ぜた。

 魔王の身体が後方へ滑る。

 女は逃がさぬと跳びかかる。

 魔王は拳を突き上げた。

 鉄塊と拳が激突する。

「焼き殺してやるッ!」

 再びの爆裂。周囲の瓦礫が中空へ投げ出される。

 歪鎧がひしゃげていく。

 しかし、魔王は避けず、一撃を受け、女をそこに留めた。

 トリエルの背後にサラマンダー。

 そしてゲオルギウス。

 四者が直線上に配された。

 

 ここだ。

 

 魔王の号令が、ゲオルギウスの心内に響く。

 そして、即断。

 心得た、と彼女は毒の咆哮を以て応じる。

 有機を等しく溶かす霞の雪崩がサラマンダーとトリエルの背後、魔王の正面へと押し寄せる。魔王もまた、攻勢へ転ずる。トリエルの刃先を後ろへの踏み込みで避けたかと思えば、その足で石畳を蹴り飛ばし、得物を大剣の刃に沿って滑らせながら、懐へと迫る。袈裟に斬りつけながら一気に姿勢を落とす。短刀による反撃が彼の頭上にて空を切る。直剣の振り抜きは勢いを留めず、そのまま地面へと突き刺す。鍔に脚を掛け、跳ぶ。

 見上げたトリエルの形相。毒息の濁流に押し出されたサラマンダーの焼け爛れた体躯が、彼女を攫う。押し潰され、両者は縺れるように灰緑の雪崩に呑み込まれて高壁へと叩きつけられる。

 こびりついた肉塊は、ひとつ。

 欠けは今まさに、満たされ、契約は果たされた。



 異端審問官と魔物の腐った肉と血の匂いが、魔王と毒竜の内力へと宿る。ゲオルギウスは血に熱を感じる。魔王は歪鎧に包まれた肌に風の爽やかさを感じる。

 海峡の、固い門扉は放たれた。街は炎と毒気に焼け爛れ、腐り落ちても尚、亜人種たちの略奪と支配が続いている。朝日の下で行われるはずだった営みの喧騒は沈黙に取って代わった。人は皆、亜人種が満ち足りるための素材となった。

 王国領の境を跨ぐ魔王。ふと、振り返る。

 ゲオルギウスは街を見つめている。その顔を手で覆い、嘆く。

 

「ああ、レドゥア――。私は、なんてことを⋯」

 彼女は友の光から自ら遠ざかるを思い知った。もう引き返せない。だってレドゥアの手の感触が、もう思い出せないのだから――。

 鉄の足音が傍らに、竜は見下ろした。魔王が懐にて彼女を見上げている。差し出す汚れた布切れ一枚。トリエルの外套を千切ったもの。

 ゲオルギウスは自らの鱗肌に雫が滲んでいるのを知った。涙。そんなもの遥か昔に忘れたはずだった。

「改めて、お前は忌々しい」

 苦々しく、憎々しく、毒言を吐き捨てて、顔を背けた。魔王を跨ぎ、その先を進んだ。

 魔王は暫く先を歩く彼女の背を眺め、次第に、ゆっくりと静かに後を追った。

 地獄と汚れた布切れをそこに残して。



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