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二つの紅い目。
四つ。六つ。
無限に増える。
満ちた聖杯から血があふれるように、無数の紅が侵攻しててくる。
「お、おい。来ているぞ! こんなところに居て良いのか!?」
オットーは上ずった声を上げる。来たは良いものの、今更怖くなったらしい。
「臆病者は帰って下さい」
「だ、誰が臆病者だ!」
「ローラン、補助を頼むわ」
「はい」
オリヴィエとローランが詠唱を開始したのはほぼ同時だった。
「光よ満ちよ。邪を隔てて線となし、悪を飲み込む盾となれ! セイント・シールド!」
まるで海が割れたかのようだった。
オリヴィエたちの両脇を、淡く光る二つの壁が真っすぐ森まで走った。
二者間を繋ぐ道のようだ。
そして同じく詠唱を終えたローランの手から、赤い光がオリヴィエに移った。恐らくは能力を高める付与魔法だ。
オットーは結界と魔物を交互に見た。確かにこれは結界のようだ。しかし――!
「何故モンスターを隔てるように結界を張らなかった!? このままだとあいつらがここに来るぞ!」
「ええ、ここに誘導しているのです」
「は!?」
オットーはオリヴィエの言っている意味が全く分からなかった。
まるで亡者の唸り声のような音がする。
深淵の森が叫んでいる。
喰らえ、喰らえ、食らい尽くせと。
魔物どもが速度を上げる。
オリヴィエたちに向かい矢の如く疾駆してくる。
「ひっ!」
オットーは腰が抜けて尻餅をついてしまった。
まるで壁のように、風より早い速度で迫る魔物ども。
オリヴィエが再び杖を両手で持ち、詠唱、というより祈りを始めた。
「神よ、どうかこの者たちに救済を与えたまえ」
「この者たち」の中に自分も含まれるのではないかとオットーは気が気ではなかった。
先頭は一匹のゴブリンだった。
間近に迫っている。
オットーにはその光景が、まるでスローモーションのように見えていた。
オリヴィエは下半身を落とし、上体を捻り、ピタリと静止した。
時間が止まったか思われた次の瞬間、彼女の身体が大気を巻き込んで前進した。
暴風が間近で生まれたかのような風切り音。
スパァン! と破裂するような音。
えげつない運動エネルギーを持ったゴブリンの身体は、後ろのモンスターも巻き込んで、諸共にぶっ飛んだ。
拳だ。
オリヴィエが、渾身の力でゴブリンをぶん殴ったのだった。
「えええええええええええ!?」
オットーは思わず鶏のような叫び声を上げていた。
しかし終わりではない。
オリヴィエは遅れ到達するモンスターたちを、同じく片っ端から殴り倒していく。
二者間の衝突は、まるでゾウとアリのようで、戦いにもなっていなかった。
殴られた魔物たちがお手玉のようにポンポン宙に舞っていく。
全て一撃で殴り飛ばしているのだ。
モンスターたちの悲鳴が闇夜にこだましていた。
「オラぁ! もっと来いやぁ!」
※オリヴィエの声です。
オットーは開いた口が塞がらなかった。
オリヴィエは、確かにモンスターを己の力で遠ざけていたようだ。
拳で。
こんなの守護聖女じゃない。鉄拳聖女だ。
「お、オリヴィエさん! あそこ!」
オットーの隣で同じく座り込んでいたキュルルが森の方を指さした。
「あれは!? 」
オットーも高い声を上げる。
ズシン、ズシン、と文字通りの地響きを立て、一匹のモンスターが迫って来る。
紅い目は邪悪に光り、口元からは鋭い牙が覗く。そしてその体躯は城壁の如く分厚く巨大だ。
「あれはオーガか!?」
形としては認識していた。だが、それほど巨大なものだとは。
「オリヴィエさん、気を付けて下さい。あいつ、凄く力が強いんです!」
「私の方が強い」
超絶脳筋な即答が返って来てキュルルは言葉を飲み込んだ。
オリヴィエは地面に置いていた水晶を手に取ると、独特のフォームで大きく身体を捻った。
呼応するかのように空気がうねる。
次の瞬間、戻る力を使って、弾けんばかりに腕を振った。
まるで砲弾のように飛んでいく水晶。
曳く光の、真白な直線の先。
ズドン、と城が崩れるような、凄まじい音で命中したのだと分かった。
轟音がこだますると同時に、オーガの身体がジャイロ回転しながら森に帰宅していく。
オーガの身体から弾かれ、戻って来た水晶が転がって来た。
そしてオットーの靴の先端をゴリリと通り過ぎた。
「ぎょわああああああああ!!!!!!」
途端にオットーは発狂してゴロゴロと草原を転がり始めた。
「どうしたんですか、オットー様。発情期ですか」
「違ぁう! 何だあの水晶は!」
「水晶?」
オリヴィエは首を傾げる。
「お前がさっき投げた水晶だよ! めちゃくちゃ重かったんだが!」
「ああ。あれ1トンくらいありますからね」
オットーは再び口を開けたまま固まった。
聖女だと思っていた女が、モンスターを片っ端から殴り飛ばす武闘派だったのみならず、人知を超えた怪力を持つ化け物だったのだ。彼女の方がよっぽどモンスターだ。
キュルルが「あれを使えるのか」と驚いたのは、重すぎて動かすことすら出来なかったからだ。
「さて、今日はもうモンスターは湧かなそうですね」
オリヴィエはキュルルに向き直る。
「ま、こんな感じで結界を使うと良いんじゃないですか? 一網打尽に出来ますよ」
固まっていたキュルルは、突如滂沱の涙を流し始めた。
そのまま立ち上がると「無理ぃいいいいいいいいいいいいいい!!!」と叫びながら街の方へ駆けて行ってしまった。
「ちょっ、キュルル!」
オットーは追おうにも足指がバキバキだった。
「じゃ、私たちは帰りますね」
「ちょっ、ちょっと待ってくれ!」
「お断りします。今日だって、本当は戻って来る予定じゃ無かったんですから」
「お、お前はこのオールドガーデンの民がどうなっても良いのか!」
オリヴィエの足がピタリと止まった。
「都合が悪くなると民を盾にするのですか。本当にクズですね」
オリヴィエのオットーを見る目は、今までのどの瞬間よりも冷たく、凍えそうだった。
実際彼女のパワーを目の当たりにしていた彼はガクガク震えていた。
「す、すまなかった。許してくれ。そして今の俺にはお前が必要だ。どうか力を貸してくれないだろうか」
オットーは自然と土下座の体勢を取っていた。地面がやけに遠く見える。時間は永遠に感じる。何ということをしてしまったのか。何という奴をないがしろにしてしまったのか。その後悔が無限に繰り返されている。
「お断りします。今更頭を下げられても、私はブーメランではないのです。まあ慰謝料はたっぷり払ってもらいますけどね」
オットーは言葉を発することも出来なかった。
「ホーランド家かワナキオ家のどっちかに頼んでみて下さい。彼女たちにもしっかり謝れば、許してくれるかも知れませんよ」
その言葉と共にオリヴィエと、その従者の足音が遠ざかっていった。




