第45話 叶わない願い
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※1/15 加筆修正を行いました。
夜明けを迎えた朝日がテントの隙間から漏れ、一筋の光となって私の瞼を刺激する。
大して強い光でもないのにその光がどこか眩しく感じて、私の目は開かれた。
寝ぼけてまだ瞼が開ききってはいないものの、視界に映る早朝特有の妙な薄暗さと静けさが別の世界のように感じさせる。
上体を起こし、自分を覆っている臭う毛布をとっぱらう。テントの中を見渡すがどうやら私一人のようだ。奴隷商人はどこで寝ているのだろう。
このまま彼のもとへ行ってしまいたい気持ちをなんとか抑えて四つん這いになりながらテントの出口へ向かい、垂れている一枚の布をめくった。
布一枚に遮られていた先には木箱に腰をかけ、ひとり焚き火の様子をじっと眺めるギルバザークの背中が目に入った。
その後ろ姿は背が丸まっていて寝てるのか起きてるのか分からない。だけど焚き火は消えていないところを見ると起きているように見えた。
あの様子からして、ずっと夜は起きていたんじゃないのか。
なぜ眠らなかったのかは分からないけれど、その理由を私が知る必要も無いと感じる。
テントの入口をくぐり抜けると、自分の足が土を踏んだ音に男は敏感に反応した。
「起きたか。そこに座れ」
振り返りもせず一言、ギルバザークは呟くように告げ、軽く指をさした。その方向にはギルバザークが腰掛けているのと同じような木目の粗い木箱が置いてあった。
私はなんの反応も示さず、静かに男を通り越して言われた木箱へ向かう。そしてギルバザークと向かい合わないように横を向いて座った。
お互いを見ることも無く沈黙が流れる。しかしその沈黙はすぐに破られた。
「ひとつ貴様に聞きたいことがある」
真剣な表情でギルバザークは私を見据えると、私の足下に何かを投げてきた。
金属の甲高い音を立てながら地面に放り出されたのは私が着けていた隷従の首輪だった。こんな憎たらしいものを見せてきて今更何を聞きたいのか。
「……なに」
あからさまに不機嫌な態度で返事をして余計な話をしたくないという意思表示をギルバザークに叩きつける。だが怯むこともなく淡々とギルバザークは続けた。
「夜中、貴様が寝ている間にコーキ殿に渡す用の隷従の首輪を探していたのだが、それが見当たらないのだ」
ギルバザークは声音を低くしつつも焦っているのか、いつもより早く口を回した。
だが私にとってはむしろ都合がいい。そんな煩わしいものを渡す必要はないから無くても全然構わないし、この男にとって隷従の首輪を渡すのは形式上必要なだけであって、今回の契約だと必要不可欠じゃない。
なので私はどうでもいいとばかりに素っ気なく言い放った。
「そんなもの知るわけない」
「知らないならいい。聞いてみただけだ」
私の態度に腹を立てるでもなく、ギルバザークは淡々としてこちらを見ようともしない。逆に冷めたギルバザークの態度に段々こっちが腹立ってくる。なんなのまったく。
「となると、やはりあいつしか……」
イライラする私を差し置いてギルバザークはひとりでブツブツと思案顔で顎に手を添えた。
そんな様子を馬も見ていたのか、昨日と同様に不機嫌そうに鼻を鳴らし鳴き声を漏らす。しかし昨日とは違ってギルバザークはまったく馬に構いもしなかった。そんなに重要なことなの……?
するとギルバザークは何かを決心したのかおもむろに立ち上がった。
「街の中で契約はしたくなかったがやむを得ん。今すぐコーキ殿へ会いに行くぞ」
そう言いながら何か切羽詰まった様子でギルバザークは身支度をし始める。変に焦るギルバザークを見て流石に私もつい一言声をかけてしまう。
「……これから彼が来るんでしょ? 待たないの?」
「そうも言ってられん事情ができた。私の命に関わるやもしれんからな」
なんのことかさっぱり分からない。私にとって奴隷商人の命なんて心底どうでもいい。むしろさっさとくたばれと思っているくらいだ。だけれど、彼に早く会え………彼のもとに帰れるならそれに越したことはない。
「分かった」
「早くしろよ」
「言われなくても」
と、お互いに急いで身支度を整え始める。焦燥を覚えるギルバザークとは違って私の心は少し浮き足立っていた。
もうすぐで自由の身になれる。その事で頭がいっぱいになって本当ならいてもたってもいられない。この件が終われば私はやっと人に戻れるんだ。それに、この件が片付いたあと、ちゃんと彼にお礼を言わないと。「ありがとう」ってちゃんと彼の顔を見て言わないと。じゃないと氷人族は心まで冷たい人間と彼に思われてしまう。それは……すごく嫌だ。
それに彼はああ言ってたけれど、今はまだ元の世界へ帰る方法が全く分からない状況なはず。だから今度は私が彼の役に立つことをしないと。彼が無事に自分の世界へ帰れるように助けないと。でなきゃ、貰った恩が大きすぎて返しきれない。
そう一人頭の中で今後のことを考えていると、急に気配を背後に感じた。
ただ草木が擦れあって出すような音ではなく、地面を踏み歩くような音が聞こえた気がした。
その違和感に妙なざわつきを覚えて後ろをバッと振り返る。変な汗が額ににじみ出てこめかみを伝って頬を流れる。
しかし後ろを見てもそこには誰もおらず、ただ薄暗い森の入口しか見えなかった。
(……気のせい?)
変に気になり出すとさっきまで浮き足立っていた心がザワザワと落ち着かなくなり、静かな森を見たせいか余計に心が焦りを覚える。
早くなる心臓の鼓動をなんとか諌めようと深く呼吸していると不意にギルバザークが話しかけてきた。
「おい、そろそろ行くぞ。もう隷従の首輪はお前が使っていたものを再利用する。本当ならちゃんとした新品を使いたかったが、既に無いものは仕方ない」
気を張ってしまっていたからか、急に話しかけられたからか、私は肩を少し跳ねさせてギルバザークの方へ向き直る。
するとギルバザークはチョーカーのような拠れた首輪を片手に契約書を丸めて筒に入れた。どれだけ隷従の首輪にこだわりがあるのだろうか。心底分からない。
……再利用なんて出来たのアレ。まぁどうせすぐに解除するだろうしどうでもいいか。
と思っていると、不意に聞き覚えのある低い声が私の背中を逆撫でた。
「探しているの物はコレかぁ? 旦那ァ……?」
ゾゾッと身の毛がよだち、私は一瞬硬直してしまう。するとふと私の首に何か付けられた。
見えないが、反射的にその首に取り付けられたものに指先を当てた。この不快な感触、覚えがある。
私の首にはあのおぞましく煩わしい首輪がまた取り付けられていた。
「ッ!?」
私は咄嗟にその場から離れて自分の背後を取っていた人物を見据える。そこには昨日と同じように不敵な笑みを浮かべたドレイクが佇んでいた。
「……遅かったか」
「旦那ァ、もう少し気を付けた方が良いぞ? こんな少し探せば人目に着くような場所をとっちゃあダメだろう?」
手のひらをひらひらさせてドレイクはにんまりと笑い、まるで獲物を追いつめた時のような口角の吊り上がった笑顔を私たちに見せつける。
「しかもその女の首輪、取れてたところを見るに、もしかして買い手が見つかったのかぁ? てぇことはあの小僧か?」
ニヤニヤと薄気味悪い笑みを浮かべるドレイクとは正反対にギルバザークは表情ひとつ崩さない。思っていた反応と違ったのか、ドレイクは目を細める。
「にしても俺ってば運がいいよなぁ? こうして隷従の首輪を丁度付け替えられたり、あのめんどくせぇ小僧がいなかったりしてよぉ」
えらく上機嫌でドレイクはペラペラと喋り続ける。そんな上機嫌な奴とは裏腹に私の心はいつもよりザワついていた。
また私の首にコレがつけられた……。しかもこの男に……。
私は首につけられた隷従の首輪に手を当てる。忌まわしいこの首輪とはおさらば出来ると思っていたのに……。もう誰かに取り付けられてしまっては自分で外すことなんてできない。
そんな苦悶の表情を浮かべる私にギルバザークがこちらの方へ寄ってくると、ドレイクの前に立ち塞がった。
「今すぐこれを持ってコーキ殿のもとへ行け。契約さえしてしまえば奴が主になることは無い。この契約書にコーキ殿の魔力と貴様の血を注げば完了する」
そう言ってギルバザークは後ろ手で私にコーキのサインと血判が押された奴隷契約書を差し出してきた。
ギルバザークの言う通り、つけられた時点ではまだ首輪は主人が決まっておらず今から彼のもとへ向かえば契約することが出来る。そして契約さえしてしまえばその後の解除も可能ということだ。
「……分かったわ」
私はすぐに契約書を手に取り踵を返して駆け出した。しかしそう容易く見逃してくれるほど優しい相手じゃないのを私はすっかり忘れていた。
「二度目はねぇぞ」
低くドスの効いた声でドレイクは自分の頭よりも大きい火球を手のひらに作ると私に向けて射ち放った。火球は高く飛び上がり、ギルバザークの頭上を易々と飛び越える。
そして火球は私が走るよりも速く、空を切って槍のように降って襲いかかってきた。
「くっ……あっ!」
その速さに焦ってしまった。反応に足がついていけず、もつれて地面に擦りながら倒れ込む。
(しまっ……)
倒れた私に追い打ちをかけるかのように火球は無慈悲に私を捉えて加速する。
待って、火は……。火だけは、ダメ…………!
恐怖で強ばる身体は言うことを聞かず、迫りくる火球を前に私は思わず目を閉じて顔を逸らした。もうただただその時を待つしかできない。
しかしその時は訪れなかった。
すぐさまギルバザークが私と火球の間に割って入り、自身か作り出した炎を火球に思い切りぶつけた。
ドゴォォオン!!!
けたたましい音を轟かせ、強烈な爆風を煙と共に吹き放つ。お互いの炎がぶつかり合い威力を相殺したのだ。
煙幕が辺りを包み込み視界が灰色で埋もれ、吹き荒れる熱が私の肌をジリジリと焼いていく。これ以上この熱を受けるのは危険だ。氷人族は熱に弱い。このままこの熱風を受け続けると文字通り皮膚が溶けてしまう。
「今のうちに行けッ!」
「っ………!!」
ギルバザークは声を荒げて肩越しに私を見下ろす。その瞳はいつもの淡々としたものではなく焦りが滲み出ていた。
あのギルバザークが私を庇った。何を思ってそうしたのかは不明だ。だが恐らく私を助けるためじゃない。きっと私が契約上コーキの物になるからだ。
新しく私の主となったコーキとの契約を無事に終わらせるためにドレイクの前に立ちはだかったのだろう。つくつぐ嫌味な男だ。
けれど今はそれがありがたい。この時間を上手く使って彼のもとにさえたどり着ければ……。
震える身体を無理やり起こし、一縷の望みを賭けて立ち上がろうとする。しかし、そんな朝露のように一時の夢のような願いは容易く打ち砕かれてしまうものなのを、私は忘れていた。
「だからよ……二度目はねぇって……」
黒煙の向こう側から小さくポツリと不満げに漏れる声が嫌に耳へ届いてしまう。
「言ってんじゃねぇかァァァ!!!」
芯の底から震えるような怒声と共に、雲を引き裂く竜のごとく高熱の黒煙の中をドレイクの手が真っ直ぐと突き抜ける。
「何ッ!?」
ギルバザークもこれは予想していなかったのか直ぐに反応出来ず、ドレイクの無骨な左手はギルバザークの首もとを強引に鷲掴んだ。
首根っこを掴まれたギルバザークはすぐさまドレイクの腕を振り払おうとするが、それよりも早くドレイクが動いた。
「一介の奴隷商人ごときに、遅れをとるわきゃねぇだろぉが!!!」
野太い叫びとともにギルバザークの首を掴んだ手から燃えるような輝きが発せられかと思いきや、その輝きは耳を劈くような音を鳴り響かせて爆発した。
ドォォォオオン!!
「グハッ………!!!」
首もとを爆破され、痛みと衝撃でギルバザークは一瞬、意識を失う。しかしそれで終わりではなく、無情にもドレイクは容赦なく追撃を仕掛けた。
「さっさとくたばっときな、旦那ァ……」
ドレイクは素早く腰に下げた鞘から剣を抜くと、まるで過去にしたことがあるように慣れた手つきでギルバザークの身体を鋭い刃が貫いた。
「グッ……!?」
激痛が遠のいていたギルバザークの意識を無理やり引き戻す。しかし、またすぐに痛みで意識に靄がかかり始めていく。そして……。
「とどめだ」
ギルバザークの身体を貫いていた剣が瞬く間に熱を帯び始める。焼け焦げた臭いと共にギルバザークから悲痛な叫び声が響き渡る。
「ぐあああああああああああ!!!」
「じゃあな」
別れの言葉を告げてドレイクは剣に纏わせた熱を基に発火させて、爆発させた。
ドパンッ!!!
くぐもった奇怪な爆発音が私の耳の中を反芻する。
そして肉の焦げる臭いが私の鼻腔に入り、ギルバザークの生暖かい血飛沫が顔に飛びついた。
その瞬間、昔の記憶がフラッシュバックした。
自分の故郷が火の海に飲まれ、仲間たちが蹂躙されていく光景が。頭の中で数多の悲鳴がこだまして私の精神を徐々にすり減らし、苛んでくる。
そうなるともう私の理性は正気を保つことができず、その場で蹲ってしまった。
「う……ぁ……」
ドクドクと心臓から送り出される血の音がけたたましい。息も上がって眩暈のせいで感覚が狂っていき、汗も溢れ、意識していないのに瞳が勝手に見開いていく。
「お? んだぁ……?」
倒れたまま蹲る私を見てドレイクは不思議そうに眺める。
「まぁいいか。逃げねぇんならちょうどいいしな」
ドレイクは動かなくなったギルバザークを邪魔だとばかりに足蹴にして荷馬車へと歩みを向ける。するとさっきからずっと怯えていたギルバザークの馬を見るや否や何も言わずに首を切り落とした。
「こいつずっと俺に懐かなかったんだよなぁ」
そんな哀愁を漂わせるようなことを言いながらなんの躊躇いもなく手を下した男の声には、感情が何も感じられなかった。
「懐いていたらこのままこいつに乗ってウランドラスに向かったりできたんだけどなぁ」
悔やみ節を垂れつつ、ドレイクは荷馬車の中へ入って荷物を漁り始める。
「お、あったあった」
何かを見つけたのかドレイクは意気揚々と荷馬車の中から出てくるとその手にはギルバザークの持っていた奴隷契約書と同じものがあった。
「これに垂らせばいいんだな」
するとドレイクは指先を噛んで血を指先に滲ませ、契約書に血をべったりと擦り付けた。
「それとあー……あの女の血と俺の魔力がいるんだっけな?」
軽い足取りでドレイクは蹲る私に近づいてきた。まだかすかに理性を保っていた私はその顔を下から見上げる。その表情に私は既視感を覚えた。
あの日、薄れゆく意識の中、燃え盛る景色を後ろに私の父を切り捨て、生首を掲げてこちらを嘲り笑うその姿に。
そっくりだ。
いや、記憶とまったく一緒だ。
「お……まえ。あの……時の」
「なんだ? ようやく思い出したのかよ……。思い出してくれて嬉しいぜ? メルーストの氷人族さんよぉ」
ニタァといやらしく口角を釣り上げてドレイクはどこか嬉しそうに私の故郷の名を口にした。
あの頃は何も考えられず、記憶も混濁していた。だけど皮肉なことに、今やっと記憶が鮮明になった。こいつはあの時、私の家族を殺した傭兵部隊の一員だ。
「くそ……絶対……許さない……」
震える唇を戦慄かせながら、憎悪に溢れた恨みを吐き出す。しかし、ドレイクはそれがおかしいのかヘラっと笑い飛ばしてきた。
「そうかい。だがもうお前には一生復讐の機会なんて訪れないけどな」
「うぁ……っ!!」
グッとドレイクは私の髪を鷲掴むと無理やり自分の顔の前へ近づけた。乱暴に引っ張られる痛みで反射的にうめき声が口から漏れる。
するとドレイクは突然、私の頬についたギルバザークの血を舌で舐めとった。
「っ……や……ぁ……」
気持ち悪さと悪寒でただでさえ震えていたのに、背筋が痙攣し始める。その反応を見てドレイクは満足げに鼻を鳴らして、私に耳打ちした。
「これからは俺の道具として生きていくんだから、楽しませてくれよぉ……?」
そしてドレイクは私の耳元で小さい火球を作り出すと、軽く爆ぜさせた。すると後からとてつもない衝撃が私の脳を揺らした。
「う……ぁあ……」
「じゃ、次目覚める時は俺のベッドの上だな。それまでゆっくり寝ておけよ」
ぐわんぐわんと頭の中が揺れ動いてぐるぐると視界が歪む。
もう……私は彼のもとには……戻れないの……?
ちゃんとお礼……言わないと……いけないのに……。
薄れゆく意識の中で、私は目つきの悪い彼の顔を思い出す。その時、私は自覚した。
彼の笑顔に安らぎを感じていたことを。彼の言う冗談に安心を覚えていたことを。
そして……彼の優しさに救われていたことを。
声もあげれず、ひとりでに閉じていく瞼の先、ぼやけてゆく景色を映しながら、私は叶わないだろう願いを心に漏らす。
たすけて……紅桔…………。
ドレイクの不敵な笑みを最後に、恐怖と憎悪、そして悲壮が渦巻く中、私の意識は乖離を選択した。
次回投稿は1月21日予定になります。




