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無難に生きるのが俺のモットーです。  作者: よにー
序章 異世界来訪編
13/52

another 1 さがして

今回は別視点のanother回です。

誰の視点なのかは見たら一発で分かります(ニコ……

あと結構長いので休みながらお読みくださいませ。

これからもちょくちょくanother回を挟んでいこうと思っています。(大体10話毎にだすかも? もしかしたらもっと早いかもです)


それと非常に申し訳ないのですが少し書きだめを行いたいので次の投稿を少し先にさせてください。

許してください!



 気になる人がいた。


 その人は別にかっこよくもないし目立っている訳でもない。いつも隅っこにいて誰かと話してる時は相槌をうって無理やり話を合わせている。


 意識をしなければほんとうに視界に映らないほど影が薄い人。


 いつもボサボサの髪で眼は虚ろなのに、身なりは清潔だったからか不思議と嫌悪感がしなかった。


 そんな人を気がつけば目で追っている自分がいた。


 関わり合いもなく、同じクラスにもなった事がなかったのに。名前すら知らなかった人を今では何でも知りたいと思えていた。


 何故だろう。


 その疑問の答えはきっとあの時の彼が教えてくれたんだと思う。




―――――――――――――――――――――――――――




 何気ない昼下がり、午前の授業を終え、生徒の各々が昼食の準備に取り掛かる時間。


 そんな中、机を合わせ囲いあっている私たちの会話は恋愛トークで盛り上がっていた。


「ねぇ紫苑って好きな人いないの?」


 先程までどんなタイプが好みかという話だったのに急な話の転換をしてきたのは今机を囲っている私を含めた四人のうち、私の真正面に座っている朋子(ともこ)だった。


 明るい茶色の髪を下げた彼女はキラキラとした視線を私に送ってくる。


「好きな人はいないかな」


 ごく正直に答えたつもりだが朋子の反応は芳しくなく、「えー」とつまらなさそうな声を出して私に抗議していた。


 本当にいないのだから困ったものだ。


「紫苑の場合は向こうから好きになる人の方が多いから選り取りみどりでしょ」


 こう言いつつ横で気怠そうにお弁当をゆっくり食べているのは(かすみ)だ。大好きな卵焼きをちまちまと味わっている姿はまるでリスのようだった。彼女の動きに合わせて、後頭部で結った丸いお団子が可愛らしく揺れている。


 このお団子、解くとかなり長いのよね。確か霞の膝裏まであったんじゃなかったかな?


「そうそう! この前だって野球部の先輩に告られたんでしょー! あの人エースでしょー! さっすが紫苑ね!」


 元気溌剌に私を褒めているのは朝香(あさか)で陸上部に所属している元気っ子。ショートの短髪から彼女の活力があふれでている。この子の元気は尽きることを知らない。おかげさまで毎日が明るく過ごせている。


 朋子と朝香は私に返事はどうしたのかとご飯を口に詰め込みながら見つめてくる。ちゃんと飲み込んでから話そうね。


「でも断ったんでしょ?」


 どうしたものかと困っている私にまるで告白の現場を見ていたかのように霞が告げる。霞はよく周りを見ているからこういう時とても助かる。


「……うん」

「えー!? なんでなんで?! もったいない!」


 朝香がありえないと机をバンッ!と叩き、反射的に立ち上がる。


 突然の騒音に周囲の生徒たちが「何事?」と一斉にこちらの方を向くが「なんだ……また久野か……」とすぐに視線が霧散していく。


「とりあえず朝香座りなよ、あと机を叩かない」

「ご、ごめんよぉ……」

「でもあの先輩すっごい人気なのよ? 紫苑ならお似合いだと思うし断る理由がないと思うけどな〜」


 そうは言われても私からしたらその人のことをあまり知らなかったからどうにも困ってしまい、それとなくやんわりと断ったのだ。


「だって、全然知らない人だったし……。しかも初めて話したのがその告白の時だったから……」

「えっ?! うっそ?!」

「いやでも結構アプローチしてたとおもうけどなー?」

「まぁ紫苑だしね、あんなにかっこいい先輩を振るなんて向かうところ敵無しとはこの事か……」

「敵無しって……ただそういうのを作るつもりがないから……」


 友人たちは腕を組んで私の顔を一斉に見つめてくる。断ったことがそんなにおかしいのか。


 確かに先輩はかっこよかったけども何だか私を見ていない気がした。それはあの人は私の目は見ずにずっと違うところを見ていたからだ。


 あの視線はいつも私が浴びている好奇の視線だ。まるで自分の体を舐めまわすように見てくる。とても気持ち悪かった……。


 先輩には悪いがひと目で私のことを好きだと言う人はあまり信用出来ない。どうにも私のことをなにかアクセサリかなにかと勘違いしてるんじゃないのか。


「えー、じゃあ今は誰かと付き合うつもりは無いの?」

「うん」

「余裕があっていいなー! ウチにもくれよ!」

「紫苑の場合あっちから来てくれるんだから何も焦る必要ないんじゃない? じっくり選んだらいいんだよ」


 思春期真っ只中の中学生とは思えないような発言が霞から飛んでくる。この子だけ人生一周してるのかしら?


「ほんとほんと! ウチもあっちから来てくれるのを待ってるだけだからね!」

「いや、この話は紫苑だけに適用されるものだから私たちは論外なんだよ、死ぬ気で頑張らないと行き遅れになるぞ」

「怖いこと言わないでよ!!!」


 朝香が白目をむいて青ざめていた。年頃の女の子がしたらいけない表情してる……。


 フッと笑って彼女たちは自分の置かれた状況を端的に話しているけど、まだ私たちは中学二年生なんだから時間沢山あると思うんだけど……。


「紫苑以外は自分から行って選ばないと灰色の学生生活を送る羽目になるからね、お前ら死ぬ気で頑張れよ」


 霞が鼻で笑ってへらへらしながらまた卵焼きを頬張る、そんな霞の膨れた頬を朝香が人差し指で突っつき始めた。


「ちょ、ばか、やめろ」

「そういう霞だって彼氏いないくせに何余裕ぶってるんだー!」


 怒りの超連打が霞のぷにぷにほっぺを襲う。限りなく鬱陶しいと霞が眼で朝香に訴えていたが彼女にそんなアイコンタクトは無意味だった。


 霞と朝香による攻防戦を微笑ましく眺めていると朋子がおもむろに口を開きはじめた。


「でも選ぶったって同年代の男子はてんでダメだよね〜。どれもいまいちなのよね。まぁマシなのはいくらかいるけど」

「そうなの?」


 同年代の男の子はみんな同じ眼で私を見てくるからどの子も同じに見えてきてしまう。今日も話しかけてきた男子は沢山いたけどあまり顔を覚えていない。


「紫苑……あんたちょっと他人に興味無さすぎじゃない? あんたの将来が心配だよ……」


 霞が横目で若干引きながら私を見る。同年代の子からお母さんみたいな事を言われてしまった。


 事実、私は他人に対してこれと言った興味が湧かない。


 野球部の先輩も普通の人なら告白されたらそのまま付き合ってお互いを知っていくんだと思うけど、私は付き合ってもきっと相手のことを知るのを放棄するだろう。


 それは付き合ったとしてもきっと彼が私を見る目を変えないと思うからだ。


 現にああいうタイプは苦手と言うよりは嫌いの部類になる。


「同年代男子の中でも特にさ、オニツカって子知ってる?」


 話を戻すために「そうそう」と朋子は付け足して私たちに聞いてきた。しかし朋子以外のみんなは知らないとばかりに首を振る。もちろん私も知らない人だ。


 朋子が話に出すってことは同学年じゃ有名なのかな?


「なんかアイツさ、ずっとヘラヘラしててムカつくんだよね〜」

「いや、悪口かい」

「そんなにムカつくの?」


 急に何を言い出すかと思えばオニツカという子の悪口が始まった。


 霞が即座にツッコミを入れるが朋子は気にせずにそのまま続けた。


「前に三組との合同体育の時間があったじゃん、バレーボールの授業だったんだよね。それでそのオニツカと同じチームになったんだけどアイツくっそ下手でさ、ほとんどあいつのミスで点数が取られてたんだよ。それなのにずっとヘラヘラして軽く謝るばっかりで滅茶苦茶ムカついたんだよね」

「……純粋にバレーボールが苦手だっただけじゃない?」

「えー? それでもあそこまで下手なのはどうかと思うわー」

「弱っちいから集中的に狙われたんだよ! ちゃんとフォローしてあげなきゃ!」

「私も運動全般はゴミだからその子に同情する」


 朋子以外のメンバーはその時間、違うチームでバレーボールをしていたから実際の状況は分からない。オニツカくんという子がどんな人かは知らないけど陰口は感心しない。


 あと朝香のはフォローになってるのかな? むしろ貶してない?


「みんなめっちゃ庇うじゃん」

「うーん、だってねぇ」

「知らない子だし!」


 皆が同調してくれることを期待していたからか、霞と朝香の芳しくない反応を見ると朋子は明らかに不機嫌そうにした。


「いや、絶対みんなもイライラしてくるってほんとだって」


 それでもやはりオニツカという人物を知らないため私たち三人は「うーん」と唸り困ってしまった。


 唇をへの字にして「むむむ」と朋子が考え込んでいると、まるで頭の上に豆電球が光ったようにパァと顔を明るくさせたと思いきや何かを企んだような凄く悪そうな顔でニヒヒと笑いだした。


 その様子を見ていた私たちは普通に引いていた。


「そういえばあのオニツカって確か好きな人がいるって噂を聞いたことあったんだよね」

「へぇ」


 霞は心底興味がなさそうにしてペットボトルに入ったお茶を喉に流し込んでいた。


 私と朝香も「ふーん」としか反応せず、各々食を進め始める。


「どーせ紫苑でしょ!」


 「正解なんて聞く必要ないね!」と自信満々に朝香が残り少ないパンを一気にほうばってもぐもぐと口を動かす。だから飲み込んでからにしなさいって。


 それを聞いた瞬間、朋子の口元がニタァと笑い、目も嬉しそうにする。


「ところがぎっちょん! 違うんだな〜」

「えー!!」


 思った通りの反応が帰ってきたことに気分を良くしたのかムフーと満足そうに胸を張った。


 そんな中、我関せずと言いたげに霞はお茶を飲んでしまおうとペットボトルを高く上げてグビグビと喉を鳴らしていた。


 しかし次の瞬間、爆弾が投下される。


「実はオニツカの想い人は霞なんだよねー!」



ぶーーーーーーーっ!!!!!!



 それを聞いた途端、霞は今まで飲んでいたお茶の分をも出したのではないのかと錯覚するくらい盛大に吹き出した。


 霞の向かい側に座っていた朝香はというと、とんでもない被害を受けていた。


 顔全面に小さな水滴が飛び散り、前髪は重く垂れて眼はキュッと力強くつむられていた。


 その反面、霞はというとむせりながら息を吸おうと必死だった。


「げほっ、ごほっ……」

「かすみぃ〜……」

「いや、ほんとごめん……急に変な事言うからつい……朋子、冗談だろ?」


 ハンカチを朝香に渡しながらジロリと霞は朋子をにらみつける。元からジト目な霞が目を細めるとちょっと怖い。


 朝香も遠慮なく霞のハンカチで顔をゴシゴシと拭いていた。


「嘘じゃないって! マジで聞いたんだって!」


 朋子は両手を振って情報が真実だと訴えかける。霞は呆れ果てて大きくため息をついた。


「なんで私なの」


 その声は少し怒気を含んでいたようにも感じられた。


「え? いや知らないよ?」


 そんな霞に対し、朋子はキョトンとした表情でさも知らないのが当たり前だと首を傾げる。


 朋子の答えに霞は苛立ちを加速させた。


「はぁ? ったく……私のどこに惹かれたんだか……オニツカは人を見る目が無いな」


 ブツブツと文句を垂れながらお弁当の中身を忙しなく食べ始める彼女の姿はまるで話を早く終わらせたいような気さえする。


 でもなぜ霞が怒っているのか分からなかった。あんなに興味無いと一点張りだったのにここまで意識しているのはいささか疑問が残る。


「それは霞がオニツカににてるからじゃない? ほら、霞って結構インドア派じゃん! バレーボール苦手なとこも同じだし!」

「バレーはともかく私はオニツカと喋ったことなんて一度もないんだけど?」

「それはあれよ、遠くから一方的に眺めていたからじゃない?」

「あはは!! ストーカーじゃん!」


 ゲラゲラと大きく口を開け、朝香は手を叩きながら笑う。それにつられて朋子も笑いだしお互いが共鳴しあって笑い声が段々と大きくなってゆく。


「で、何がしたいんだ」


 二人の笑い声をものともせず霞は淡々と要件を朋子に聞いた。わざわざこんな話を引っ張り出してくるくらいだからろくな事じゃないことは確かだ。


「霞、オニツカに告白しなよ」

「……はぁ?」


 突拍子もないことを言われ流石の霞も意味が分からないと口をへの字に曲げている。


「なんで」

「別に本気でしろなんて言わないわよ。ドッキリ告白よ。それすれば霞は変に好かれることもないし私は美味しいご飯が食べれる、それだけよ」

「自分でやれよ」


 至極もっともな意見だ。


「あたしじゃ意味ないでしょ! 想い人である霞だからこそあいつにダメージがあるってものなのよ!」

「だからって私を使うな、変なことに巻き込むなよ」

「ちょっとぐらい良いじゃん」


 徐々に霞が不機嫌になり、それに合わせて朋子も苛立ちを見せ始める。


 なんだか空気がひりついてきて私と朝香はお互いの顔を見てどうしたものかと考えていた。


「そもそもオニツカってやつが私のことをどう思ってるかは良いとして、あんたの憂さ晴らしに私が付き合う義理は無いんだけど?」

「だってあたしが嘘の告白したってあいつも本気にならないじゃん」

「それこそ私が告白なんかしたら絶対何かあるって勘ぐるだろ」

「恋は盲目なんだから実際にされたらそんなこと考える余裕ないって」

「そんな理屈で納得できるか。そもそも私はそういうのは嫌いなんだよ。他所でやれって」


 落としどころのない喧嘩が始まり、意地の張り合いが続く。朋子の隣で朝香がハラハラしながら眼で二人の顔を交互に見る。そして助けを求めるような視線を私に投げかけてきた。


 そろそろやめさせないとこのままじゃ取り返しのつかないことになりそうだ。


 私が口を開きかけた瞬間、朋子のひとことが状況を一変させた。


「何? オニツカとはいえ想い寄せられて満更でもないって? もしかして霞、嬉しいんでしょ」

「あ?」


 嘲笑を含んだ言い様が霞の精神を逆なでする。霞はギロリと朋子を睨み眉間にしわを寄せた。対する朋子も言った手前、後には引けなくなったのか怯むことなく霞を見据える。


 どうしてこんなことになったのか。


「ちょ、ちょっと二人とも……」


 今にも爆発しそうな二人を何とか宥めようと朝香が間に入るが一瞥もせず睨み合う二人に尻込みしてしまった。


 あまりにも見ていられない。


「朋子も霞もいい加減にして。朝香が可哀そうでしょ」


 語気を強めた私の言葉に二人はピクッと反応して朝香の方を見やる。当の本人は叱られたあとの犬みたくシュンとしていた。


「「………」」 


 互いに目配せをして二人はヒリついた空気を解くようにため息をついた。


「馬鹿らし、やめやめ」

「……」


 霞が重い空気を振り払うかのように手を振って終戦の合図を送る。しかし朋子はまだ黙ったままだった。


「朋子?」

「……うん」


 様子が気になり、朋子に声をかける。変な間を置いてから私の声に反応したので少し心配だ。


 そうこうしている間に五限目の予鈴が鳴った。昼食の時間が終わりを告げる。机に拡がった空の弁当箱を片付け、向かい合わせにした机を元の位置に戻していく。


 その間、朋子と霞は一言も喋ることが無かった。終始、朝香が小声で私に泣きついてきたが困っているのは私も同じだ。


 普段から何かと衝突があった二人だけどここまで後を引くのは珍しかった。


 そのまま何事もなく午後の授業を終えて放課後を迎えた。


「霞、帰りましょ」

「ん」


 昼休みと比べて落ち着きを取り戻した霞は元の気怠いオーラを発していた。朝香はホームルームが終わったあと、即部活へと直行したので今はもう教室に居ない。


 帰り支度を整えて霞が鞄を手に取り席を立とうとした時、不意に呼び止める声がした。


「霞」


 声の主は朋子だった。その顔は少し申し訳なさそうにしていて昼の喧嘩を謝りに来ていた。


「昼はごめん。それでさ、後で屋上まで来て欲しいの」

「……なんで屋上に?」

「ちょっと話があって……」


 ここで話せば良いのにわざわざ屋上まで呼び出す必要があるのだろうか。なにか引っかかる。


 霞も同じ疑問を持っていたみたいだが、朋子の申し訳なさそうな態度を見てこれ以上問い詰めることはなかった。


「いいよ。わかった」


 声を明るくして霞は朋子の願いを聞き入れる。その答えに朋子も顔を明るくしてお礼を言っていた。霞の手を取り、ギュッと握って嬉しそうにする。


 いざこざがあってもちゃんと仲直りが出来る素晴らしい青春群像劇が目の前で繰り広げられる。心温まるエピソードにこれを見た視聴者は感動を覚えるだろう。


 だけど私にはそれが心の底から喜んでいるようには見えなかった。


「ごめん紫苑、ちょっと待ってて」


 手を握られながら霞は照れくさそうにして私にここで待つよう言い残す。


「あたしもすぐ行くから」


 朋子はそう言って一人教室を飛び出して行った。


「ん、先行ってる」


 霞も鞄を持って席を立ち、教室から出ていってしまった。


 ひとり教室に取り残された私は忽然と立ちすくんでいた。


 二人のやり取りは一見すればなんでもないはずなのに何故か心がざわつく。表面上は仲直りをしているようでも水面下では冷戦が繰り広げられてるようだった。


「……行ってみよう」


 私は気づかれないよう静かに霞の後を追っていった。




―――――――――――――――――――――――




 屋上までの道のりは長く、進めば進むほど人も少なくなっていき、辿り着く頃には私の息遣いだけが煩く聞こえていた。


 放課後だからか屋上を使う人はほとんどおらず、入り組んだ廊下は手入れが行き届いていないのか寂れたように感じられる。


 その中を先を往く霞の足音だけが一定のリズムでコツコツと音を鳴らしていた。


 霞の後ろ姿をチラチラと確認しながら私はあちこちにある廊下の角や掃除用具、はたまた消火器まで使って身を隠しながら尾行していた。


 ……流石に消火器は無理かな。顔の部分は鞄で隠せばなんとかなるかな。


 とはいえ、後をつける私のことは全く気がついていないのか霞は一度も振り返ること無く廊下を進んで行く。


 あの子一見鋭そうに見えて案外鈍感なのかしら?


 内心、霞の警戒心の薄さに友人として若干の危機感を覚える今日このころ。周囲に対しては何かと気配りができる彼女だけど自分のこととなると途端に疎くなるのはいかがなものか。今度から私がしっかりと霞に教えていかないといけない。


 こそこそと霞の背後を付け回していたら、いつの間にか屋上へと続く階段が見え始めていた。


 迷うこともなく霞は膝上まであげたスカートをひらひらと揺らしながら階段を昇る。ちょうど踊り場で折り返して昇っていくタイミングで私も階段に足をかける。


 一定の距離を保ちつつ、階段を静かに上がっていく。ふと耳を澄ませてみれば霞の陽気な鼻歌が聞こえてくる。いつもは鼻歌なんてしないのに……。


 そんな霞は最上階の踊り場までまでたどり着くとそのままドアを開いて外へと出ていった。放り出されたドアが反動を付けてそのままひとりでに閉まる。


 少し遅れて私は閉じられた屋上のドアを外がほんの少し見えるくらいに開いて様子を伺う。


 屋上には霞だけで他には誰もいなかった。暇そうにして霞はポケットからスマホを取り出していじり出していた。


 ただそこにいるだけなのに彼女の立ち振る舞いは何故か大人っぽくてとても中学生とは思えない落ち着きを放っていた。たしか身長も私とそこまで変わらないよね? 百五十五センチくらいのはずなのに妙に色っぽい……。どうしてかしら。


 不思議なオーラを持つ霞に見とれてつい時間を忘れかけてしまう。時間を見るためスマホを開くと気づけばもう十五分ほどは経っていた。


 朋子は何をしているのだろう。屋上までの道のりが長いとはいえ少しかかりすぎな気がする。


 物思いに耽っていると不意に足音が響いてきた。その音にハッとして私は踊り場の吹き抜けから下の方を覗く。そこには見知らぬ誰かの影が伸びていて段々と足先の方まで見え始めていた。


 その影の主は一つ下の階で止まることはなくそのまま屋上へと向かっていた。


 朋子じゃない!


 如何わしいことをしているつもりは無いけど何故か焦ってしまい周りをキョロキョロと見渡す。


 すると扉のすぐ側にある掃除用具用のロッカーに目に止まり、足早にロッカーの扉を開ける。


 中は一本のモップとバケツしか入っておらず、人ひとりが入れるほどの十分なスペースを持っていた。


 ここしかない!


 そう思った私は咄嗟に鞄を用具入れに投げ込み、自分も入り込んで扉の音を立てないよう静かに閉める。


 入れるとは言ったけど窮屈に変わりはなく、育ち盛りの身体が中からロッカーの壁を圧迫して軋ませていた。


 そして、必要かどうか分からないけど何故かこのロッカーには細い線のような通気口が何本か並んでいてそこから外の様子も確認することが出来た。


 そのまま息を潜めて通気孔から漏れる光を拾うようにじっと待っていると足音がもうすぐそばまで近づいていた。


 変な緊張感が私の精神を刺激しているせいか、心臓がせわしなく動き固唾を呑んで呼吸のリズムが狂い始める。


 脂汗が額に浮き出て目が無意識に見開かれる。


 その瞬間、通気孔から漏れていた光が遮られた。


 光を失って外の様子が分からなくなり、つい通気孔に目を近づけた。


 そこに映ったのは、死んだ魚の目だった。


(ひっ!!!)


 咄嗟に仰け反って得体の知れないものから目を無理やり引き剥がす。声が外に聞こえないよう自分の口を手で覆い、ぷるぷると私の肩は震えていた。隠れているからか恐怖が少し増しているような気がする。


「っふー……。よし」


 しかし、目の前の人物が独りでに喋りだしたことでようやく冷静さを取り戻した。高くもなく低くもない、中性的な声音は声変わりをしかけていることを教えてくれていた。


 落ち着いて外をよく観察すると男の子が掃除用具ロッカーの前で何やら身なりを正していた。制服の裾をしっかりと伸ばし、ズボンを腰上までグイッとあげてネクタイを締め直したりしていた。


 まるでこれから一世一代の大勝負を仕掛けるような、そんな気概さえ感じる。


(この子、何してるんだろ?)


 私の疑問など当然ながら彼には届かず、顔をパンッ!と叩いて気合いを入れているみたいだった。


 こんな屋上の階段の踊り場で一人でなにやってるのか。しかも掃除用具入れを相手にして。


 至って彼は真面目だろうが、状況が可笑しくて私は少し笑ってしまった。しかし直ぐにハッとして口を抑える。


(聞こえてないよね?)


 彼の様子を窺うと目を閉じてなにか瞑想をしているようで私の心配は杞憂に終わった。

 

「っし、行くぞ」


 自分に喝を入れたのか彼の声音が少し緊張しているように感じる。その先を進んでも霞しかいないのに……。


 そう思った瞬間、ふと頭の中で様々な要素が矢継ぎ早に流れていく。今日の朋子たちの会話や教室のざわめき、色んな場所の景色が脳裏に甦る。


 あれ? この状況どこかで……。


 自分でもなにか既視感のある光景に心の中でわだかまって絡み合っていたものがどんどん解けてゆく。


 そして、頭の中にあるたったひとつの映像が私の前に映し出された。


 これは、あの野球部の先輩が私に告白してきた映像。


 はにかんだ笑顔で手を差し伸べ、顔も耳も真っ赤にさせて私に愛の告白をしてきた映像。


『烏丸ちゃん、君のことが好きだ。一目惚れだ。俺と付き合ってくれないか?』


 映像と共に彼の声が録音されたICレコーダーの音声のように流れる。きっと勇気を振り絞って私に伝えたであろうその文字列は、私にとってはごくありふれた構文の一種でしか無かった。何度同じ台詞をこの耳で聞いたのだろうか。


 そして、私の声が彼の花咲く笑顔に暗い暗い影を落とす。


『すみません。私、誰とも付き合うつもりがないので……。ごめんなさい』


 声に生気が無く、まるで拒絶すらしていないような声が響く。詫びれる様子もフォローする様子も一切ない。取り付く島がない、そんな言葉がぴったりと言えるほどに私はこの人に関心を持たなかった。


 その後、何度か彼が食い下がってくるがあまりにも必死で私のことを見ていないというのがなんとなしに伝わってくる。彼が欲しがってるのは私じゃなくて、烏丸紫苑という校内で有名な女子生徒を彼女にした英雄的存在位置だろう。


 それは私の幸せになるのか? 彼自身は満足だろうけど私はそうじゃない。私の容姿に惚れるというのは、美しいものを欲しがるという衝動と同じことだと思う。自分だけがそれを愛でていたいんだろう。


 自分がナルシストみたいで嫌になるけど、実際のところ私に告白してくる男の人は本当に後を絶たない。毎日毎日色物を見る目でこちらを覗き、隙があれば懐に飛び込んでくる。


 そんな人とどうして恋仲にならないといけないのか。


 私はアクセサリーでも人形でもない。人として私を見て欲しかった。


 私の願いは届かない。


 だけど今は私のことなんてどうでもいい。この経験が私にこれから起こることを教えてくれていた。


 貧相な掃除用具入れの前で気合いを入れている男の子は私じゃない他の誰かを見ている。それだけで私は興味を惹かれたんだ。


 そして、恐らくこの後……。


 意を決した彼が屋上の扉を開けて外へと出ていき、ドアはあちらの世界とこちらの世界を分断するかのようにガチャリと強く静かに閉じられた。


 もうこの時点で大体の事情は察してきた。犯人は絶対に朋子だ。となるとあの男の子は件のオニツカくんで間違いないだろう。


 朋子が遅い理由はそういうことだと思う。


 ……ここから先を私は見てもいいのだろうか。どんな結末が待っていようとあそこには霞とオニツカくんしかおらず、二人だけの世界だ。出歯亀なんて良くない。


 だけど、私は理性に従わなかった。好奇心がはやり、有無を言わさず私の身体を乗っ取った。


 気づけば身体が勝手に屋上のドアノブに手をかけて、そっと少しだけ開く。


 見つかったら絶対に怒られる。でもそのリスクを背負ってでも見たかった。


 私じゃなくて、霞を選んだ彼の勇姿を。


「……?」


 奥にいる霞が出入口から入ってきた人をチラリと見やる。その人物が朋子じゃないと分かるやいなや直ぐに視線をスマホに戻した。


 そんな霞に怯まず、オニツカくんはゆっくりと霞に、確実に一歩ずつ近づいていく。


「……えっえっ」


 ずんずんと迷いなく一直線に近寄るオニツカくんを見て霞は狼狽えていた。まさか自分に用があるとは思っていなかったのか珍しく間抜けな声を出して霞はずるずると後ずさっていく。


「あの」

「は、はい」


 不意に声をかけられて霞は声が裏返っていた。オニツカくんの真剣な眼差しに霞は戸惑い、目を合わせられずにいる。


 見たことない霞の姿に思わず笑いが込み上げてくる。笑っちゃいけない雰囲気なのは重々承知なんだけどあの普段だらけてばかりの無気力少女が空気に飲まれて自分を保てていないのがすごく新鮮だった。


 ほんの数秒、沈黙が訪れる。


 その間で霞はいつもの冷静さを取り戻したのか強ばった表情がほぐれていった。


「椎名さん」

「……はい」


 それに反し、オニツカくんの出している緊張感を敏感に察知した霞はこれが何の話なのかをだんだんと理解し始めていた。


「手紙すっごく嬉しかったです」

「手紙?」


 身に覚えのないことを唐突に言われて霞の頭の上にはハテナマークがポンポンポンと浮かび上がる。


「これ、本当に嬉しかったです。まさか椎名さんから来るとは思わなくて」

「え、ちょ、ちょ」


 説明を求める霞をよそにオニツカくんがポケットから大事そうにして一通の折りたたまれた便箋を取り出す。私からじゃなんて書かれているのかは全く見えない。でも何となく想像はついた。


「俺もその、前から椎名さんのこと……」

「ちょっとまって、それ見せて」

「え? は、はい」


 突然霞がオニツカくんに駆け寄り、彼の手から手紙をひったくる。急に霞が近寄ったことでオニツカくんはわたわたして行き場のない手を上へとやった。


 またもや少しの間、沈黙が場を包んだ。


 すると静寂を切り裂くように霞が深い深いため息を漏らした。


「はぁ〜〜〜〜〜〜〜……」

「え、えっと……」


 戸惑うオニツカくんに霞は見直して鋭い睨みをきかす。


 意味がわからないとばかりにオニツカくんは眉を寄せて霞の眼を見た。


「オニツカくんさ、これホントだと思ったわけ?」

「えっ」


 開いて出た言葉にオニツカくんは困惑した表情をして、細い声で鳴く。


「こんなさ、あからさまに連ねに連ねた言葉をさ、信じたわけ?」

「…………」


 静かな怒気を含んだ霞の声はオニツカくんを鋭利な刃物のごとく突き刺していく。


「大体さ、本当に私のことが好きだったら私がどんな人間か知ってるんじゃないの」


 黙ったまま俯き、霞の文句を粛々と聞き続けるオニツカくんに対して霞は今日あったことへの苛立ちをぶつけるかのように続けた。


「それなのに何この甘い言葉ばっかりの文章は? 私のことなんてまるで見えてないだろ」


 ……この空気の重さに私まで押しつぶされそうだ。普段から物言いのきつい霞だけどここまで本気のものは聞いているだけの私でも精神的にくる。


 だけど、全部オニツカくんのせいじゃないと頭では理解しているのか霞は震える手を鎮めようとしていた。


「ほんっっと、あったまくる」


 やり場のない怒りの矛先は元凶である一通の手紙へと集中させられる。


 その手紙を霞はオニツカくんの目の前で思いっきり破った。


 破れた手紙を形が残るのも嫌なのか霞はこれでもかと言う程にビリビリに破り始める。


 一部始終をオニツカくんは黙って見続ける。彼の背中がなんとも言えない哀愁を漂わせていた。


 そしてまるで土にでも還れと言いたげに霞はバラバラに破り去った手紙を葬った。ヒラヒラとちぎられた花弁のように宙を舞う紙くずは儚げに風の中へと散っていった。


(霞ってばやりすぎよ……)


 あそこまでしなくても良いと思うけれど霞の怒りが頂点まで達しているから本来被害者であるはずのオニツカくんが加害者のように見えてきてしまう。


「……えっと」


 牙を剥く霞に臆しつつも勇気を振り絞ってオニツカくんは声を漏らした。


 少しでも扱いを間違えれば危険な代物になった霞はオニツカくんに反応せず、鞄を肩にかけ直して歩き出す。行先は屋上の扉だった。


「し、椎名さん!」


 この状況で無視されることに耐えられないのかオニツカくんは振り返って思わず霞の肩に手を置いた。


「触んな」

「あっ、すみません……」


 彼の方を見向きもせずにたった一言、鋭く冷たい独り言のような声がオニツカくんを萎縮させる。


 直ぐに手を引っ込めてオニツカくんは霞の様子を窺うが彼女の前に立つことが出来ないのか彼は静かに待ち続けた。


「……わかってると思うけど」


 そう口を開くと霞は肩越しに少しだけ顔を見せる。ほとんどオニツカくんは見えていないだろうけど見ずとも、彼の反応が読めているのかもしれない。


「私、あんたなんか興味無いから」


 言い放たれた言葉は残酷にオニツカくんの心を突き刺していく。唖然とした彼の顔は虚無を映し出していた。


 見開かれた彼の瞳には霞の後ろ姿が宿り、消え入るように小さくなっていく。


 呆然と立ち尽くすオニツカくんはその後ろ姿を遠くから眺めることしか出来なくなっていた。


(あっ! 隠れないと!)


 うつむく彼に集中しすぎて霞が一直線でこちらへ向かってきていることに気づかずぼーっとしてしまった。慌てて扉から離れ、飛び込むように掃除用具入れに駆け込んだ。焦りすぎて飛び込んだ勢いのままロッカーの扉を思いっきり閉めてしまった。


(…………)


 緊張と焦燥、そして動揺に背徳感が私を苛んで鼓動がすさまじいほどに早くなる。心臓の送り出す血液が濁流のごとく全身を駆け巡って体が熱くなってきた。脳もオーバーヒートを起こしてまともな思考ができず、ただただ声を殺して身を潜めるしかできない。


 お願い……バレないで……!!


「……?」


 踊り場へと戻ってきた霞は突然の物音に驚いていて、こちらを一瞥する。


(っ……!!)


 しかし何もしてこなかった。


(……あれ?)


 その一瞬、霞の様子がおかしいことに気が付いた。俯き気味のせいかいつもより前髪が垂れて顔色が窺えないけど、毛先の隙間から霞の異変が垣間見えて私の脳裏に焼き付けられる。


 頬や鼻先を紅潮させ、潤んだ霞の目元が淡く儚げに光っていた。


(……泣いてるの?)


 衝撃だった。あんなに怒っていたからもっと怖い表情をしてるものだと思っていたけど、私の予想とは全くの逆だった。


 確かに怒っていたようにも見えたけど、どこかしら寂しそうにも感じられた。


(霞……)


 声をかけたい。だけど今出ていけばもっと彼女を傷つけてしまう。


 そんなことはできない。


 今はただ見守ることしかできなかった。


「だ、大丈夫ですか?」


 不意に屋上の扉からオニツカくんが現れる。ビクッと霞は肩を跳ねさせて、彼から逃げるようにしてすぐさま階段を駆け下りる。


「あ……」


 蚊の鳴くような彼の呟きは取り残された静けさにかき消され、遠ざかってゆく足音だけが二人の距離を表しているようだった。


 今更だけど朋子が言っていたことは本当だったみたい。見た限りじゃオニツカくんは本当に霞のことが好きだったようだ。その恋がこんな形で終わってしまった。


 勝手に覗いた身としては罪悪感で胸が張り裂けそうだった。今ならオニツカくんの気持ちが分かる……気がする。あの野球部の先輩もこんな気持ちだったのか。状況が違うから何とも言えない。


 オニツカくんは目を閉じて大きく鼻から息を吸い、今までの気持ちも想いも憧れさえもすべて織り交ぜたような深く重いため息を吐く。


 ロッカーの通気口から見えた彼の顔は後悔の色で染まっていた。なんともいたたまれない気持ちになってくる。


 すると突然、どこからともなく高い声が踊り場に響きだした。


「どうだった~? 私の用意したドッキリは? 楽しめた?」


 ひどく不愉快な笑い声が静かな階段の空気を震撼させる。当然その声は私の知る人物のものだった。コツコツと階段を上がってくる甲高い靴音は嫌に私の耳を劈いた。


 階段を昇りきり、踊り場にたどり着いた人物は私の予想通り、朋子だった。


 裂けそうなくらいに口角を釣り上げた朋子の黒く歪んだ瞳は愉しそうに嗤っている。


「……ドッキリ」


 と、オニツカくんは朋子の言葉を無意識に繰り返す。


「いい夢見れたんじゃない? 数分くらいだけど!」


 小気味良い足取りで彼をそこから逃がさないかのようにゆっくりとくるくる歩きながら朋子はクスクスと笑う。朋子が一つ言葉を並べる度にオニツカくんの表情が陰ってゆく。


 一周まわってオニツカくんの正面に止まると俯く彼の顔を拝まんとして朋子は下から覗いた。そんなオニツカくんの表情を見て朋子は満足そうに姿勢を戻し、鼻歌を歌いだす。


「あ~すっきりした! 霞もお前もこんな見え透いたドッキリに引っ掛かるんだし案外お似合いだったかもね~」

「……なんで椎名さんまで巻き込んだんだよ」


 声を震わせてオニツカくんは朋子を見据える。その視線は憎悪に満ちていた。


「ん~? だって霞ってばいっつもスかしててムカつくんだもん。お前みたいにね」


 はんっ鼻を鳴らし、口を尖らしてそれにと朋子は付け足す。


「お前がもっと賢くてこんな分かりやすいのに引っ掛からなければ大好きな霞が傷つくこともなかったのにね」


 それを聞いたオニツカくんの眼は見開かれ、瞳孔がキュッと丸くなる。小刻みに黒目が震えて彼の心情が顕著に表れていた。


 ここで一発反抗しないと責任転嫁をされて逃げられてしまう。しかしオニツカくんは先程のひとことで完全にノックアウトされてしまったのかわなわなと唇を震わせるばかりで何も言わない。


「じゃ、こういうことが起きるからこれからはあんま調子に乗らないでね」


 手をひらひらさせて朋子は背を向け、軽い足取りで階段を降りだした。ふわふわと一段降りるごと髪が浮いて彼女の上機嫌さが窺える。


 一方、そんなに握っては爪が食い込んで血が出るんじゃないかと思うほど彼は拳を握っていた。伏せられた目は前髪に隠れてしまい表情が読み取れない。


 そのまま朋子は振り返ることもなくこの場を去って行ってしまい、静かに彼女の立てる足音だけが反響していた。


 何かしでかすとは思っていたけど朋子がここまでするとは思わず、ちょっといじるくらいで済むと高を括っていた。これから霞と朋子はどうなっていくの……。二人とも昔からの付き合いだから心配で気が気でならない。


 一人掃除用具入れの中であわあわしていると、声を殺して鼻をすする音が聞こえてきた。ふとそちらを見やるとオニツカくんが歯を食いしばり呼吸を荒くしていた。


 俯いてすすり泣く彼の頬には涙が伝いぽろぽろと雫が滴る。顔なんてぐずぐずになってぐちゃぐちゃ。それが悔しさなのか悲しさなのか、彼のみが知る。


 そんな彼から私は目が離せなくなっていた。なぜか不思議と引っ張られる。


 彼が可哀そうだから? 彼が純粋だから? 彼が私以外を娘を見ていたから? オニツカくんのことを全く知らないのに? わからない。


 掃除用具入れの前で一人気合を入れたり、なんの疑いもなく偽の手紙の内容を信じて恋焦がれる相手と真正面から話したり、こうやって真実を知って泣いたり。


 自分のことで精一杯なはずなのに、自分と同じように騙された霞を気遣ったり。


 忙しい人。でもそれが羨ましい。

 

 ……羨ましい?


 改めて彼をじっと見据える。もうしゃっくりも混ぜ合わさって酷い泣き方になってる。その姿はまるで、欲しいものが手に入らなかった無邪気な子どもだ。……本当に霞のこと、好きだったんだ。


 それに気づくと灰色一色だった心の中に段々と鮮やかな色が滲み、広がり始めた。


 そっか。私、オニツカくんが羨ましいんだ。霞を本気で好きになって、実直にぶつかって、粉々に砕けて。


 せめて、これがちゃんとした告白だったらもしかすると……。


 それは可能性に過ぎない。霞のことだからやっぱり付き合わないってなるかもしれない。その時、彼の流す涙の意味は今よりずっと違っていたのかな。


 私には関係の無い話。遠い遠い、別世界の御伽噺を読んでいるかのような。でも、この物語に引き込まれた私がいる。彼らと同じ世界に立ってみたいと思えてしまった。


「っ……」


 ふと、オニツカくんが急に走り出して階段を駆け下りる。この空気のしがらみを振り解きたいのかそのままの勢いでがむしゃらに去って行った。


 そんなに走ったら危ないよ。


 心の中で呼びかける。これが、言えたなら。ここに私が隠れていなかったら。私が霞にちゃんと伝えてたら。


 霞もオニツカくんもきっと将来、笑い話にできたのかな。


 蝶番が軋む音を立てながら私はロッカーの扉を開けて出る。


 踊り場にはもう誰もいない。私だけがここに取り残されてしまっている。あの三人は私を置いて先に動き出してしまった。


 きっと霞と朋子は今までのような関係を保てないかも。霞とオニツカくんはこれから先も関わることがないかも。朋子とオニツカくんは互いに交わることを選ばないかも。


 なら、私はどうする。


 例え、霞と朋子の仲が直らなくても。霞とオニツカくんが意識し合わなくても。朋子とオニツカくんが会うことが無くなっても。


 何も変わらないかもしれない。


 また、霞はニヒルに笑って冗談を言うだろう。朋子は相変わらず恋愛絡みの話をするだろう。オニツカくんはひっそりと私達に知られることなく中学生活を送るだろう。


 ただ、そこに変化を与えるとするならそれは。


 私なのだろう。


 屋内のはずなのに、屋上の扉は閉まっているはずなのに、私の傍を風がひゅうと駆けて行った気がした。


 他人に興味のない自分を捨てて、私も変わりたい。動き出す理由が欲しい。自分の人生でちゃんと主人公をしたい。私の物語を紡ぎたい。


 なら、さがしてみよう。


 私もその御伽噺へ入れる方法を。

次回投稿は2月11日予定です。

楽しみしていただいている方、本当に申し訳ございません……。

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