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乙女ゲームのヒロインに転生したのに、死亡ルートしかない  作者: 春野スミレ


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NO.8 命に代えても

 会談が終わっても、すぐに誰かが立ち上がることはなかった。

 重い沈黙だけが、部屋の中に落ちている。


 たった今、自分のこれからが決まったというのに、あまりにもあっけなかった。


 たった数分前までは、同じ卓についているだけでも異様だったはずなのに。

 今はもう、リヴィアがベルティーニ邸に行くことが決定されている。


 リヴィアは膝の上で指先を重ねたまま、視線を落としていた。

 怖くないわけではない。

 

 ダンテのもとへ行き、敵の懐に入る。  

 それがどういうことか、分かっていないほど子どもではない。


 けれど。

 自分で受け入れた以上、今さら怖気づくわけにはいかなかった。


「では、話はついたな」


 最初に沈黙を破ったのはアルドだった。

 相変わらず穏やかな声。

 けれど、その目には少しの緩みもない。

 ダンテは椅子の背にもたれたまま、軽く顎を引く。


「ああ」

「お互い、無駄なことは嫌いだろう」


 どこか余裕のある声音だった。

 それが癇に障るのに、不思議と品を失わない。

 こういう男なのだと、リヴィアは改めて思う。

 アルドは鼻で笑った。


「お前の場合は、自分勝手なだけだ」


「そうとも言う」


 リヴィアは二人のやり取りを見ながら、ようやく息を吐いた。


 共同戦線。

 言葉にすれば簡単だった。

 けれど、その土台はひどく不安定だ。


「行くぞ」


 アルドが短く言う。


 椅子が引かれる音。

 部下たちのわずかな気配。

 止まっていた時間が、ようやく流れ出す。


 リヴィアもゆっくりと立ち上がった。

 その瞬間、背後にあったルカの気配が、わずかに近づく。

 けれど、振り返ることはしない。


 いつも通り、後ろに存在を感じる。

 何も変わっていないはずなのに、今だけはその距離が寂しい気がした。


 個室の扉が開く。

 先にベルティーニの部下が出ていき、そのあとにダンテが続く。


 すれ違いざま、ダンテはふと足を止めた。

 そして、視線だけをリヴィアに向ける。


「取り消すなら、今のうちだぞ」


 その声には、明らかなからかいが含まれている。

 リヴィアはその目を正面から見つめ返した。


「自分で受けた条件です」

「今さら取り消す気はありません」


 短く返す。

 ダンテは一瞬だけ黙ったあと、ふっと口元を緩めた。


「そうか」


 それだけ言って、先に廊下へ出ていく。

 筋肉質な背中は広く、隙がない。


 リヴィアはその背を見送り、遅れて歩き出す。

 廊下には落ち着いた明かりが灯り、足元に長い影を作っている。


 来た時と同じ道のはずなのに、今はまるで別の場所に思えた。

 視線の少し先に、闇に溶けてしまいそうな漆黒の車体が二つ。


 そのどちらに乗るかは、もう決まっている。


 外へ出ると、夜気がひやりと肌に触れた。

 レストランの裏口はひっそりとしている。

 大通りの喧騒は遠く、聞こえるのは車のエンジン音と、誰かの靴音だけだった。


 リヴィアは足を止める。

 胸の奥が、静かに波打った。


 本当に行くのだ。

 このまま、敵だった男の屋敷に。

 担保として。


 分かっていたはずなのに、いざ車に乗り込むとなると足がすくむ。


「リヴィア」


 アルドの声だった。

 振り向くと、アルドはいつも通りの顔をしていた。

 穏やかで、底が見えない目。


「任せた」


 迷いなく、ファミリーのために動くボスの瞳。

 リヴィアは小さく頷く。


「ええ」


 それから、ゆっくりと足を動かした。

 その一歩一歩が、やけに重い。  


 リヴィアは無意識にルカを見つめていた。

 彼は何も言わない。

 けれど、その瞳ははっきりと揺れていた。


 心配。

 焦り。

 そして、押し殺した感情。

 リヴィアはほんの少しだけ目を細めた。


「大丈夫」


 小さく、そう言う。

 ルカの喉がわずかに動く。

 返事はすぐにはこなかった。

 ほんの一瞬の沈黙のあと、低い声が落ちる。


「……必ず」


 それが何の約束なのか、言葉にはならない。

 リヴィアはそれ以上何も言わず、車へ向き直る。


 ベルティーニの部下が無言で扉を開けた。

 ダンテはすでに中にいる。

 乗り込む直前、リヴィアは一度だけ後ろを振り返った。


 アルドは動かない。

 ルカも、そこに立ったままだ。

 けれど、二人とも見ていた。

 自分がこの車に乗る瞬間を。


 リヴィアは唇を引き結ぶ。

 そして、そのまま車に足をかけた。


 扉が静かに閉まる。

 外の空気が途切れ、車内にこもった革と煙草の残り香がわずかに鼻をかすめた。


 ダンテはリムジンの奥の座席に座っていた。

 足を組み、片腕を肘掛けに預けている。


「まあ、座れよ」

 

 リヴィアは黙って少し離れた所に腰を下ろす。

 それを合図にするように、車が静かに走り出した。


 レストランの裏口はすぐに遠ざかり、見慣れた街並みも少しずつ色を変えていく。


 窓の外を流れる灯りを見ながら、ふとルカのことを思い出した。


 “亡霊”を追った最後の掃討戦で拾われた子ども。

 ダンテの言葉が、頭の中に残っている。


 町医者のところで見た男の姿が脳裏をよぎる。

 焦点の合わない目。  

 壊れたような声。

 “命令”という言葉に怯えていた、あの反応。


——ルカも。

 あんなふうに扱われていたのだろうか。

 まるで、道具のように。

 そう考えた瞬間、胸の奥がひどく冷えた。


 いつも通りの顔をして、何も言わずリヴィアの側に居てくれた。

 

 彼はあの時、何を思っていたのだろう。

 あるいはあの酒場で。

 銃の刻印をみた時に、一瞬だけ揺らいだ瞳の中で。


 どれだけのものを抱えたまま、あそこにいたのだろう。


 リヴィアは小さく指先を握る。

 ルカは何も言わなかった。

 それが少しだけ、苦しかった。


 車内は静かだった。

 ダンテは何も言わない。

 リヴィアは膝の上で指先を重ね、静かに背筋を伸ばした。


「……ずいぶん落ち着いているな」


 不意に、ダンテが言った。

 リヴィアは視線を上げる。


「そう見えますか」


「見える」

「もう少し青ざめるかと思った」


 その声音には、わずかに愉快そうな響きが混じっている。

 リヴィアは小さく息を吐いた。


「今さら取り乱しても、何も変わりません」


「そうか」


 ダンテはわずかに目を細めた。

 深い青の瞳。

 冷たいのに、妙に印象に残る色だった。


「敵の車に乗る気分はどうだ」


 からかうような問い。


「……最悪です」


 リヴィアは正直に答えた。

 ダンテが口元だけで笑う。


「素直だな」


「嘘をついても仕方ないでしょう」


「それもそうだ」


 車はひたすらに道路を走っている。

 このあたりはもうベルティーニの縄張りだろう。


 隣にいるのはルカでもアルドでもない。

 その事実だけが、じわじわと現実味を帯びてくる。


 窓の外に、より大きな灯りが見え始める。

 車がまた速度を落とした。

 ベルティーニの屋敷だ。


 ダンテは最後に一度だけ、こちらへ目を向けた。


「ここから先は、お前の態度次第だ」

「俺を退屈させるな」


 それだけ言って、車は止まる。

 扉の外に立った部下が、静かに開けた。

 冷たい夜気が流れ込む。


 リヴィアはゆっくりと息を吸う。

 そして、車を降りた。


***


 一方で、ヴァレンティーノ側の車内はひどく静かだった。

 扉が閉まってからしばらく、誰も口を開かなかった。


 窓の外には、数時間前と同じ夜の街が流れている。

 けれど、その景色はどこか違って見えた。


 リヴィアがいない。

 ただそれだけで、車内の空気が妙に広い。

 ルカは前を向いたまま、膝の上で手を組んでいた。


 表情はいつも通り無機質だ。

 だが、その沈黙の奥で何かを押し殺していることくらい、アルドには分かっていた。


 車がゆるやかに角を曲がる。

 しばらくして、アルドがようやく口を開いた。


「お前に初めて言った命令を覚えているか」


 ルカの指先が、ほんのわずかに動く。

 顔は上げない。

 だが、その声はすぐに返った。


「……命に代えても、お嬢様を守れと」


「そうだ」


 短い返答。

 そこに迷いはない。

 再び沈黙が落ちる。

 ルカは視線を落としたまま、言葉を待った。

 アルドは前を見たまま続ける。


「だが今回は、あいつにも戦ってもらう」


 ルカの喉がわずかに動く。

 返事はない。

 言葉の意味を、飲み込んでいるのだろう。


「あいつはもう、守られるだけの立場にはいない」


 アルドの声は静かだった。


「私の娘だが、ファミリーノ一員でもある」

「ならば、やるべきことは決まっている」


 ルカは目を少し伏せ、小さく息を吐いた。


「……俺がいなくなれば」


 押し殺したような、苦しい声。


「俺がいなくなれば、ベルティーニも納得したはずです」


 その言葉に、アルドは視線だけを動かした。


「馬鹿を言うな」


 そして続ける。


「私はお前に娘を守れと言った」

「命に代えても」

 

 その一言で、空気が変わる。

 ルカの指先が強く組まれる。


「だが」

「お前のことは私が守る」


 低く、はっきりとした声だった。


「命に代えても」


 ルカの目が、わずかに見開かれる。

 だがその変化は一瞬で、すぐに消えた。

 それでも、心は確かに温度をもつ。

 アルドは視線を戻し、静かに言い切る。


「それがファミリーのボスだ」


 車内が静まり返る。

 ルカはすぐには返事ができなかった。

 喉の奥に何かが引っかかる。

 

 やがて、ほんの少し遅れて、低い声が落ちた。


「……はい」


 アルドはそれ以上何も言わない。


 車は夜の道を滑るように走っていく。

 ルカは前を向いたまま、自分の腕に触れたい衝動を、じっと押さえ込んでいた。


 薔薇の下に残る過去も。

 亡霊の痕も。

 全部ひっくるめて、アルドは知っている。


 それでも守ると言った。

 その重さが、今さらのように胸へ落ちてくる。


 そして同時に、リヴィアの姿も浮かんだ。

 今ごろ、ベルティーニの屋敷に着いているはずだ。

 自分はいない。


 それでも、絶対に守る。

 ルカは静かに息を吐く。


 やることは、変わらない。

 ただ一つだけ、前よりはっきりしたことがある。


 自分はもう、命令だけでここにいるわけではない。

 車は夜の中を進んでいく。

 その先で、それぞれの長い夜が始まろうとしていた。


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