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乙女ゲームのヒロインに転生したのに、死亡ルートしかない  作者: 春野スミレ


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7/16

NO.7 担保

 夜だった。

 車窓の向こうを流れていく街の灯りは静かで、何も知らない顔をしている。


 リヴィアは膝の上で指先を重ね、窓の外を見ていた。

 今夜はベルティーニとの会談がある。

 共同戦線を張るための話し合い。


 言葉にすれば簡単だ。

 けれど、本当にそんな単純なものではないことくらい分かっている。


 ヴァレンティーノとベルティーニは、長いあいだ犬猿の仲だった。

 今さら一つの卓についたからといって、すぐに信じ合えるはずがない。


「……お嬢様」


 低い声が落ちた。

 顔を上げると、向かいに座るルカがこちらを見ていた。


「何?」


「……いえ、なんでもありません」


「……?」


 ルカはそれ以上何も言わなかった。


 彼のまとう空気が、いつも以上に張りつめている気がした。

 何かを押し込めているような、息を潜めているような、そんな静けさだった。


 車が速度を落とす。

 やがて止まり、扉が開いた。

 外へ出ると、夜気が肌を撫でた。


 目の前にあるのは、控えめな灯りを掲げたレストランだった。

 大通りから少し外れた場所にあり、表向きは落ち着いた高級店に見える。


 裏口から中に案内される。

 長い廊下を抜け、奥の個室へ向かう。


 足音と、布の擦れる音だけが細く響いた。

 案内された部屋は広かった。


 重厚な木の机と、深い色の椅子。

 壁には控えめな絵画が掛けられ、灯りも落ち着いている。


 すでにアルドは先に席についていた。

 椅子に深く腰を下ろし、片肘をついている。

 表情はいつも通り穏やかだが、その目は少しも緩んでいなかった。


「来たな」


 リヴィアは頷き、指定された席につく。

 その少し後ろに、ルカが立った。

 いつもよりほんの少し、動きが硬く見えた。


 アルドは時計に目をやり、ふっと鼻で笑う。


「相変わらずだな」

「待たせるのが礼儀だと思っているらしい」


 嫌味というより、呆れに近い。

 だが、その奥にはわずかな愉快さも混じっていた。


 リヴィアは何も言わず、背筋を伸ばした。

 相手はダンテ・ベルティーニ。


 その名前を思い浮かべるたびに、冷たい記憶が顔を出す。


 暗い水面。

 身体を包む冷たさ。

 見下ろす影。


 リヴィアは指先に力を込めた。

 視線を上げる。


 扉の向こうは静かだった。

 部屋の中には、ただただ重たい沈黙だけが漂っていた。


 しばらくして、扉が開いた。

 最初に入ってきたのは、ベルティーニ側の部下だった。


 その後ろから、ゆっくりと男が姿を見せる。

 ダンテ・ベルティーニ。


 背が高く、無駄のない体つき。

 短く整えられた髪と、こちらを見下ろす深い紺の瞳。

 派手さはないのに、部屋に入った瞬間に空気が変わった。

 遅れてきたはずなのに、まるで気にする素振りもない。


 視線が上がる。

 その目が、まずアルドを捉え。

 次に、リヴィアへ流れた。


 その一瞬だけで、背筋がひやりとした。

 アルドとはまた違う、冷酷なボスの瞳。

 ダンテは席に着く前に、口元をわずかに緩めた。


「待たせたか?」


 落ち着いているのに、どこか相手を食ったような響きがある。

 アルドは鼻で笑う。


「随分と余裕だな」

「国が燃えるには、まだ早いと思っていたが」


 ダンテはその嫌味を真正面から受けるでもなく、肩をすくめた。


「歓迎されているようで何よりだ」


 さらりと言って、向かいの席へ腰を下ろす。


「お前がそこまで俺を待つとは思わなかった」


 リヴィアは息を呑んだ。

 二人とも表情は穏やかなのに、空気が硬く張りつめていた。


 ダンテの視線が、もう一度リヴィアへ向く。


「……それで」


 わずかに目を細める。


「今日は娘まで連れてきたのか」


 アルドは椅子に深く腰を下ろしたまま、鼻で笑う。


「お前に怯えて家に閉じ込めておくほど、甘やかしてはいない」


 ダンテは肩をすくめた。


「それは知らなかった」

「バンビーナだと思ってたぜ」


 ダンテの視線が一瞬だけこちらをなぞる。

 値踏みするように。


「無駄話をするために呼んだわけじゃない」


 アルドが仕切り直すように言う。


「最近のファミリーの動き、貴様の方でも妙だと感じているはずだ」


 ダンテはすぐには答えない。

 指先でグラスに触れ、それから静かに言った。


「酒場の事件か」


「それだけじゃない」


 アルドは続ける。


「下の連中が消えて、薬や武器がばら撒かれている」

「そちらもおなじだろう」


 ダンテの口元から、わずかに笑みが消える。


「そうだな」


 部屋が静まり返る。


「で?」


 ダンテは顎を上げた。


「お前がわざわざ俺を呼びつけたのは、その確認だけか」


「いや」

「今後の話だ」


 そう言って、リヴィアに視線を向ける。


「今回の件で、実際消えた男と接触が出来た」

「娘がな」


 ダンテの目が細くなる。

 その視線が、ゆっくりとリヴィアへ移った。


「話してみろ」


 リヴィアは一度だけ息を吸い、ゆっくりと喋り出した。


「ヴァレンティーノの元構成員の男です」

「彼は正気を失い、酷く怯えていました」


 ダンテの指先が、わずかに止まる。

 リヴィアは続けた。


「“命令”という言葉に、異常な反応を示したんです」

「精神的支配があったと思われます」


 ダンテはわずかに顎を引いた。

 肯定とも否定とも取れない仕草。


「面白いな」

「お前一人で行ったのか?」

 

 だが、その響きに愉快さはなかった。


「いえ。護衛のルカと一緒に」


 ダンテはルカを一瞥してから言った。


「お前の娘は、思ったより行動力と観察眼があるらしい」


 アルドは鼻で笑う。


「自慢の一つくらい、あってもいいだろう」


 ダンテはそれを好意的に受け取ったように、口元だけで笑った。


「そうか」

「なら少しは使えるかもしれないな」


 使える。

 その言い方に、リヴィアは一瞬だけ眉を寄せかける。


「こちらのシマで押収した武器に、あの刻印があった」


 不意に、ダンテが言った。

 部屋の空気がひやりとする。


「お前のとろこからも出ているだろう?」


 ダンテとアルドの視線がぶつかる。

 重苦しい沈黙が落ちた。

 しばらくして、アルドの方から口を開く。


「ああ」


 短い一言。

 それだけで満足したようにダンテが続けた。


「間違いなく“奴ら”が絡んでいるな」


 リヴィアはその言葉に、自然と視線を向けた。

 アルドは表情を変えない。


「やはりお前もそこに辿り着いたか」


 ダンテは軽く肩をすくめる。


「嫌でもな」

「こんな胸糞悪いやり方、他に知らん」


 そこで初めて、リヴィアは気づいた。

 この二人は今、同じものを見ている。


「ベルティーニも“彼ら”を知っているの?」


 思わず、言葉が零れる。

 アルドとダンテ、両方の視線がこちらに向いた。

 しまった、と思うより先に、ダンテがふっと笑う。


「どこまで知っている」


「……昔、ヴァレンティーノが潰した相手だと……」


 リヴィアは視線を逸らさずに返す。

 ダンテの口角がぐっと上がる。


「ヴァレンティーノと、ベルティーニが、だ」


 思わずアルドの方を向く。


「昔の話だ」


 それ以外、彼の口からは何もなかった。

 代わりにダンテが続ける。


「昔、俺らのファミリーは協力関係にあった」

「この事件をきっかけに、仲違いしてしまったがな」


 アルドが口を開くより先に、ダンテの視線が動いた。

 ゆっくりと。

 部屋の後方へ。

 ルカへ。


「……まだそいつ使ってるんだな」


 わずかに目を細める。

 

 ルカは動かない。

 ダンテはそのまま視線を外さず、ゆっくりと口を開いた。


「“奴ら”を追った最後の掃討戦で拾ったガキだろう」

「始末しろと先代に言われたはずだ」


 リヴィアの呼吸が止まる。

 アルドは椅子に深く腰を下ろしたまま、鼻で笑った。


「捨て駒にするには惜しかっただけだ」


 軽い口調だった。

 ダンテは口元だけで笑う。


「そうか」

「相変わらず、お前は拾い物が好きだな」


 アルドはわずかに目を細める。


「お前みたいに、片っ端から壊す趣味はない」


 静かな応酬。

 その一言で、過去の火種がまだ死んでいないことが分かった。

 リヴィアは喉の奥がひやりとするのを感じた。


 亡霊。

 昔、両陣営が協力して潰した組織。

 そして、その時にルカを拾った。


 それが、今の対立のきっかけになったということ?

 話が、頭の中でゆっくりと繋がっていく。


 けれど。

 その中心にいるのが、黙って立っているルカだという事実だけが、うまく飲み込めなかった。


「……ルカが」


 思わず零れた声は、自分でも驚くほど小さかった。

 ダンテはようやくリヴィアへ視線を戻す。


「知らされていなかったか」


 その言い方は淡々としている。

 責めるでも、嘲るでもない。


「やはり過保護だな」


 リヴィアは答えられない。

 知らなかった。

 知らなかったことに、少しだけ腹が立った。


 誰に対してかは分からない。

 アルドか。

 ルカか。

 それとも、自分か。


「今さら掘り返す話でもない」


 アルドの声が落ちる。


「そうか?」


 彼は相変わらず、飄々としていた。


「俺は今だからこそ重要だと思うがな」

「そいつが原因で、俺たちは割れた」


 部屋の中が静まり返る。

 ルカは何も言わない。

 弁解も否定もしない。


「過去の話だ」


 アルドは短く言い切る。


「今は亡霊を叩く方が先だ」


「その通りだ」


 ダンテはあっさり頷いた。

 同意したのに、なぜか空気は和らがない。


「だからこそだ」


 ダンテの目が、再びルカへ向く。


「そいつがいつ裏切るか分からない」


 言葉は静かだった。

 けれど、刃のように鋭かった。

 リヴィアの指先がわずかに震える。

 その一言で、頭の奥に別の光景がよぎる。


 雨の夜。

 逃げる足音。

 首に回る腕。

 こめかみに当たる銃口。

 ルカに、殺された記憶。


 誰かが叫んだ――。

 “裏切り者”という声。


 リヴィアはその記憶を必死に振り払う。

 いつだって彼女を守ってくれたのはルカだった。


 考えがまとまるより先に、ダンテの声が落ちた。


「共同戦線を張るのは構わん」


 リヴィアは顔を上げる。


「亡霊が動いているなら、こちらも黙ってはいられない」

「国ごと食われる趣味はないからな」


「ただし」


 ダンテは肘をつき、ゆっくりと視線を細めた。


「言葉だけで信用しろと言うなら、話にならん」


 アルドは表情を変えない。


「何が欲しい」


 即答だった。

 リヴィアの胸の奥がざわつく。

 まるで、最初からこの流れを想定していたみたいに。


 ダンテの視線が、アルドを外れる。

 ゆっくりと。

 静かに。

 そして、リヴィアのところで止まった。

 その瞬間、背筋を冷たいものが這い上がる。


「担保を置け」


 短い言葉。

 けれど、それだけで意味は十分すぎるほど伝わった。

 部屋の空気が変わる。


 リヴィアは動けない。

 何を言われるのか、分かってしまったから。


「そいつを連れている以上、お前らがいつ裏切るか分からない」


 ダンテの視線が、一瞬だけルカへ滑る。


「過去に一度、それで割れた」

「協力を仰ぐなら、今度はお前が差し出せ」


 そして。


「その娘を、こちらに置け」


 言葉が落ちた瞬間、部屋の中の何かが凍りついた。

 リヴィアは息を呑む。


 証言者として。

 現場を見た人間として。

 この場に参加する意味は、たしかにあった。


 けれど、それだけではなかった。

 最初から自分は、この要求を受けるためにここへ連れてこられたのだ。

 その理解が、遅れて胸の奥に沈んでいく。


 後ろで、ほんの一瞬、気配が揺れた。

 ルカの指先が動く。

 だが、彼が口を開くことはない。

 護衛に、発言権はない。


「構わん」


 アルドは、躊躇いもなく言った。

 リヴィアの胸が、ひどく静かに冷える。


「こちらも、口先だけで来たわけではない」


 最初からそのつもりだったのだと、はっきり分かった。

 ダンテは、わずかに口元を緩める。


「話が早いな」


 アルドは鼻で笑う。


「お前がそこを突いてくるくらい、分かる」


 淡々とした声。

 リヴィアは何も言えない。

 ただ、指先だけが冷えていく。


 視線を上げると、ダンテが真っ直ぐに自分を見ていた。

 試すように。

 測るように。


 その目の前で、リヴィアはようやく理解する。

 自分は駒だ。

 証言者であり。

 担保であり。

 そして——ルカを巡る不信の代償でもある。


 喉が乾く。

 それでも、条件を飲まないわけには行かなかった。

 

 アルドも、それを分かっていて自分をここへ連れてきた。

 悔しさはある。

 最初からそのつもりだったのかと、言ってしまいたい気持ちもあった。


 ダンテのもとで生活するなんて、危険に決まっている。


 それでも、何もせずにこの火種が大きくなるところを見ているわけには行かない。

 リヴィアはゆっくりと顔を上げた。


「分かりました」


 声は、自分で思っていたよりも落ち着いていた。

 ダンテの目が、わずかに細くなる。

 アルドは何も言わない。


「私がベルティーニ側に行けばいいのですね」


 言葉にした瞬間、胸の奥がひどく静かになった。

 怖くないわけではない。

 けれど、不思議と足はすくまなかった。


「ただし」


 一拍。

 ダンテの視線を真っ直ぐ受ける。


「私を担保とするならば、必ず“亡霊”とカタをつけていただきます」


 ダンテはしばらく黙っていた。

 やがて、ふっと口元を緩める。


「大した娘だな」


 感心したようにも、面白がっているようにも聞こえる声だった。


「アルド、お前の育て方にしては上出来じゃないか」


 アルドは鼻で笑う。


「貴様に褒められても嬉しくない」


 いつもの調子だ。

 けれど、その声の奥にわずかに滲んだものを、リヴィアは聞き逃さなかった。


 後ろで、気配が揺れる。

 ルカだった。

 視線を向けなくても分かる。


 それでもリヴィアは振り返らない。

 今は、前だけを見ていればいい。

 ダンテが椅子の背にもたれ、指先で机を軽く叩く。


「いいだろう」


 低い声。


「預かるだけだ」

「余計な真似をしなければ、こちらも手荒なことはしない」


 その言い方に、一切の甘さはない。

 アルドが短く言う。


「決まりだな」


 あまりにも簡単に自分の行動が決められる。

 リヴィアはそれが可笑しかった。


 けれど、だからこそ理解する。

 ここはマフィアの世界で、常に交渉には対価がいる。


 そして自分も、もうその中にいる。

 リヴィアは静かに息を吸った。


 怖い。

 怖いに決まっている。


 けれど。

 それでも、前に進むしかない。

 たとえ、そのために敵の懐に入ることになっても。


 それが今、自分にできる唯一の抵抗だった。


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