NO.15 先生
ベルティーニからの使いが来たのは、昼を少し回った頃だった。
ルカはアルドの執務室に呼ばれた。
そこには、見慣れた執事と、ベルティーニ側の使いの男が立っている。
男は必要最低限の礼だけをして、簡潔に告げた。
「ダンテ様よりお伝えします」
「亡霊側の人間を一人、生きたまま確保しました」
「尋問を続けています」
「確認したいようでしたら、お越しくださいとのことです」
アルドは動かず、瞳だけを男に向ける。
「ほう、捕らえたか」
「だがずいぶん生意気な呼び出しだ」
そのままルカに視線を向けた。
「ベルティーニ邸に向かう」
「用意しろ」
「承知しました」
ルカは一礼して執務室を後にする。
表情はいつもと変わらない。
だが、内心は穏やかではなかった。
亡霊側の人間と接触。
一体どうやって生け捕りにしたのか。
お嬢様は、無事なのか。
はやる足をおさえ、自室への廊下を進んだ。
***
ベルティーニ邸へ着くと、案内はすぐだった。
応接室の前まで無言で導かれる。
足音が廊下へ吸い込まれていく。
扉が開いた。
先に見えたのは、ダンテだった。
窓際に立ち、こちらへ振り返る。
相変わらず隙のない男だ。
その隣にはマルコ、そして。
ルカの視線が、その少し後ろで止まった。
リヴィアがいた。
彼女の顔を見ただけで、胸の奥に固く張っていたものがわずかに緩む。
けれど、次の瞬間。
腕に巻かれた包帯に目が留まる。
一瞬、息を呑む。
ルカは出来るだけ冷静なふりをした。
初めに口を開いたのはアルドだった。
「生け捕りにしたか」
「思っていたより仕事ができる」
ダンテはいつもの軽い笑みを浮かべて返す。
「まあな、あんたと違って俺は若い」
「これくらい朝飯前だ。……と言いたいところだが」
「今回の功労者はお前の娘だ」
そう言ってリヴィアに視線を移す。
部屋の全員が彼女を見た。
ダンテは続ける。
「この女、自害しようとする男の口に自分の腕を突っ込みやがった」
「さすがに俺の想像を超えていて止められなかったがな」
リヴィアは少し気まずそうな顔をして下を向いていた。
「担保の女を傷物にしたことは詫びよう」
「この収穫は、お前の娘あってこそだ」
そこまで聞いてようやくアルドは口を開いた。
「さすがは私の娘だな」
「いつの間にそこまで成長したのか、肝が座っている」
彼は少し呆れたような、それでいて嬉しそうな表情をしていた。
だがルカは違った。
護衛である自分に、ここで挟む言葉などない。
ただ、腕に巻かれた包帯から目を離せなかった。
自分がいないところで、お嬢様が傷を負った。
その事実が、許せない。
ダンテはその空気を気にも留めず、淡々と話を進めた。
「回収したのは、薬液アンプル、自害用の毒、紙片が一枚」
「尋問で出た言葉は二つだ」
「西の倉庫」
「それから、“先生”」
その二文字が落ちた瞬間、全身の血の気が引く。
あまりにも一瞬のことだった。
喉の奥が狭くなり、指先が僅かに強張る。
意味は思い出せないのに、とてつもなく不快だった。
アルドが、静かにルカを見る。
「“先生”に覚えはあるか」
即答できなかった。
ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
「……覚えていません」
「ただ……恐ろしかった記憶だけはあります」
部屋が、しんと静まり返る。
ダンテの目が細くなった。
「そうか」
ルカは間違いなく“先生”を知っている。
その記憶が戻れば或いは。
「可能な限り思い出せ」
ダンテが踵を返す。
「拘束した男は地下にいる」
「気になる事は直接聞け」
一行はダンテに続いて歩きだした。
やがて、地下の一室の前で足が止まる。
マルコが鍵を外し、重たい扉を開いた。
小さな明かり窓から、わずかに昼の残りが差し込んでいる。
中央で椅子に拘束されている男は、虚ろな目で前を見つめていた。
だが、ルカが部屋へ足を踏み入れた瞬間。
その目の色が、変わる。
「……ッ」
男の喉が引きつる。
目が見開かれ、血走った視線がルカに突き刺さる。
男の唇が、痙攣するように動いた。
「……そいつ……」
部屋の空気が、一瞬で張りつめた。
男は呼吸を乱しながら、さらに絞り出すように言った。
「見つけたら……連れて来いって……」
「先生が……」
その言葉が落ちた瞬間、ルカの心臓が凍りついた。
指先に力が入る。
ダンテはルカを一瞥すると、男の正面へ一歩進み出た。
「……お前らはこいつを探しているのか?」
男は何も答えない。
「また注射でも打たれたいのか?」
少し怒気をはらんだ声でダンテが言う。
男は一瞬だけ躊躇ったが、ぽつりぽつりと話しだした。
「……そいつ、連れ戻せば」
「先生が……、褒めてくれる……」
アルドがそこでようやく口を開く。
「こいつを連れ帰ってどうする」
「そいつ、使える……」
「“ノクス”」
その言葉を聞いた瞬間、ルカの表情が明らかに変わった。
胸元を握りしめて浅い呼吸を繰り返す。
足元がふらつき、立っているのもままならないほどに。
リヴィアはその様子を見て、すぐさま彼に駆け寄る。
「ルカ!?」
「大丈夫??」
ルカの肩に触れると、驚く程に震えていた。
彼はゆっくりとその場にしゃがみ込む。
「……すみません」
「大丈夫です」
そう言って、リヴィアの肩に触れた手を制する。
だが間違い無く大丈夫ではない。
マルコもそばに来てルカに手を貸す。
「ひとまず別室に移りましょう」
ルカは一瞬だけ迷ったが、素直に手を借りて立ち上がった。
「すみません」
その言葉はとてもか細かった。
そのまま二人は地下室を後にする。
残された3人は、ただその様子を見つめていた。
沈黙を破ったのはアルドだった。
拘束された男に向き直る。
そして懐から銃を取り出すと男の肩口に当てた。
「おい、お前らはあいつに何する気だ」
その声は今まで聞いたことのないほど怒りに満ちていた。
いつも冷静なアルドの声とは思えないほどに。
ダンテは黙ってその様子を見つめている。
「お前もどうせ、駒にされた人間だろう。今後の人生は保証してやる。知ってることを話せばな」
男は今までと違う空気に口をぱくぱくさせていた。
「話さなければ撃つ。腕から順番に」
突きつけた銃からカチリと音がする。
男はようやく状況を理解する。
そしてガタガタと椅子を揺らして言った。
「なにも……!ほんとに知らない…!!」
「では質問を変える」
「先生とは誰だ?何をしようとしている?」
ダンテが尋問を行っている時も、リヴィアは恐ろしいと思った。
だが、アルドのそれを見ているとそれ以上の気迫がある。
彼もまた、自分と同じように怒っているのだ。
ルカを狙う奴らに。
男は答える。
「先生は……、薬を作ってる」
「人を攫って、兵士にする……!」
アルドは瞳を逸らさない。
真っ直ぐに男を見る。
「西の倉庫はどう関係が?」
「……出荷する、人を箱詰めにして……」
「置いておく場所……」
ダンテの眉がピクリと動く。
人間を箱詰めにするとは。
「置いておくってことは、集荷はすぐではないのか」
「次はいつだ」
男はもう抵抗する気は無いようだ。
段々と錯乱状態から戻っている。
「明日の夜…、船が来る」
「では最後だ」
「“ノクス”とは?」
ルカが、立っていることすらできないほど動揺していた言葉。
男が掠れた声で言う。
「……あいつの名前、先生がそう呼んでいた……」
アルドはそこまで聞くと、男に突きつけていた銃を懐に戻した。
男は静かにうなだれている。
そして小さく言った。
「……おれを、たすけて」
その声に、言葉を返すものはいなかった。
そしてリヴィアたちは地下室を後にした。
***
部屋を出るとダンテが一番に口を開いた。
「アルド・ヴァレンティーノの尋問はなかなか痺れたな」
「おかげでやるべきことが見えてきた」
口調はふざけているが、瞳は真剣だった。
アルドは先程までの怒りに満ちた顔を完全に消して、いつもの穏やかな余裕のある表情に戻っている。
「まだまだ現役だからな」
「今後の作戦を立てるぞ」
ダンテは小さく頷き歩き出す。
「ああ、俺の執務室を使おう」
「ついて来い」
アルドとリヴィアは黙ってダンテの後をついていく。
そこでようやく、リヴィアは肺に溜まっていた空気を吐き出した。
アルドの威圧感でまともに息ができなかったのだ。
だがまだ気は抜けない。
これから人がまた連れ去られようとしている。
それに、ルカのことも心配だ。
彼があんなに取り乱す姿を見たことが無かった。
執務室に着くと、マルコが待っていた。
短く一礼をして言う。
「ルカさんは医務室で休んでもらっています」
「取り調べはいかがでしたか」
ダンテはアルドに視線を向けてから要点だけを簡潔に伝えた。
「明日の夜、西の倉庫から人間が出荷される」
「3−Eに繋がる場所を探し出せ」
マルコは何も聞かず頷いた。
「承知しました」
ダンテの視線が、ゆっくりとアルドに向く。
「あの拾い物、どうする?」
「狙われているなら囮にでもするか?それか隠しておくのか」
「万が一攫われて、もう一発薬漬けにされたら寝返る可能性もあるぞ」
リヴィアはダンテを睨みつける。
ルカのことを物のように言うなんて。
だがアルドは冷静だった。
「一人にするほうが危険だ」
「囮でも何でも、我々の側においておいたほうがいいだろう」
マルコが視線を上げる。
「ルカさんには当面、単独行動を避けてもらいます」
「亡霊が接触してくる可能性を前提に、見張りも増やします」
ダンテはしばらく黙っていた。
そして小さく頷く。
「それもそうだ」
「こちらの駒も多いほうがいい」
アルドが立ち上がる。
「明日の夜までに3−Eが何処なのか突き止めなくてはならない」
「一度我々は屋敷に戻る」
そう言ってマルコの方をみた。
彼は小さく頷き歩き出す。
「ルカさんの所にご案内します」
リヴィアは咄嗟に口を開いた。
「私も……!ご一緒させていただきます」
そして小走りに二人の後をついて行く。
ダンテは彼らが出ていくのをただ見つめていた。
***
医務室にはいくつかのベットが並んでいた。
扉が開く音を聞くと、ルカはすぐさま飛び起きた。
そして入口の方を見る。
マルコ、アルド、そしてリヴィア――。
急いで立ち上がろうとすると僅かに体制が崩れた。
咄嗟にリヴィアが駆け寄る。
マルコとアルドは、気を遣ったのかその場から動かなかった。
リヴィアの両手が、ルカの肩に触れる。
熱が伝わる。
思っていたよりもずっと、彼の身体は強張っていた。
今度は、その手を制されることはなかった。
ルカはただ、目を上げる。
近い距離で視線がぶつかる。
言いたいことが、山ほどあった。
どうして何も言わなかったのか。
どうして一人で抱え込むのか。
けれど、喉まで上がってきた言葉は、どれも形にならない。
先に口を開いたのは、リヴィアだった。
「ルカ。あなたは私の護衛よ」
「命令無しに、どこかに行くなんて許さない」
口に出してから、自分でも少し驚いた。
もっと気の利いた言葉があったかもしれないのに、出てきたのはひどく偉そうで、不器用なそれだった。
だが、ルカは笑わなかった。
ただ静かに、肩へ置かれたリヴィアの手へ、自分の手を重ねる。
包み込むように、そっと。
その指先はまだ少し冷えていたのに、触れられた場所だけがひどく熱い。
ルカはそのまま、彼女の手をゆっくりと持ち上げた。
まるで壊れものに触れるみたいな手つきだった。
そして、手の甲に静かに口づける。
「ミア・シニョーラ」
低く落ちた声は、いつもの「お嬢様」とはまるで違って聞こえた。
たった数秒。
ほんの少し、唇が触れただけ。
それなのに、その一点から伝わる熱は、あまりにも鮮烈だった。
指先が痺れるみたいに、じわりと広がっていく。
ルカが顔を上げる。
もう一度、視線が交わった。
その目の奥にあるものを、全部知りたいと思った。
けれど、今ここで問うことはできない。
時間が止まってくれたらいいのにと、本気で思う。
だが、私たちには止まっている暇なんてない。
ルカは名残を断ち切るように、そっとリヴィアの手を離した。
それから視線をアルドの方へ向け、きちんと立ち上がる。
「先程は取り乱してしまい、申し訳ございません」
「休ませていただいたおかげで、回復しました」
深く頭を下げる。
その声音はもういつものルカのものに戻っていたが、ほんの僅かに掠れていた。
アルドが軽く手を上げて答える。
「拘束していた男から追加の情報が出た」
「ひとまず屋敷に戻る。詳しくは車で話そう」
ルカは小さく頷く。
それから、もう一度だけリヴィアの方に向き直った。
「では、私たちはこれで失礼します」
一拍置いて、少しだけ声を落とす。
「……俺も」
「お嬢様から離れる気はありません」
その言葉は短かった。
けれど、何よりもまっすぐだった。
ルカは小さく一礼すると、アルドの方へ向かって歩いていく。
少し遅れて、リヴィアもその後に続いた。
「お見送りします」
そう言って歩き出した時も、指先にはまだ、たしかな熱が残っていた。
まるでそこだけ、彼がまだ触れているみたいに。




