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乙女ゲームのヒロインに転生したのに、死亡ルートしかない  作者: 春野スミレ


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13/16

NO.13 追跡

 翌朝、ベルティーニ邸の空気はひどく静かだった。


 リヴィアは鏡の前に立ったまま、自分の姿を見つめていた。

 落ち着いた色のワンピース。

 つばの広い帽子。

 肩までの茶色いウィッグに手袋。


 街に紛れるための、どこにでもいそうな女の格好。

 それでも、赤い瞳だけはどうしても隠しきれなかった。

 鏡の中の自分と、数秒だけ視線がぶつかる。


――そして。

 昨日の会議の後の話を思い出す。


***


「尾行にはお前も同行してもらう」


 ダンテは当たり前だという態度で言った。


「……私も?」


 薄々一緒に行くとは思っていたが、聞き返さずには居られなかった。

 もちろん、ロベルトのことは心配だし、糸口が見つかるなら自分で確かめたい気持ちもある。


 しかし、危険な現場である事に変わりはない。

 心を奮い立たせるには、逃げられない理由が欲しかった。


 ダンテはそんなリヴィアの心を知ってか知らずか続けた。


「俺はこの辺りじゃ顔が割れてるし、一人で歩いてると目立つ」

「だから連れがいた方が自然だ」


 もっともな理由だった。

 自分にしかできないような。

 ただひとつ、疑問が湧く。


「……私も顔割れてそうだけど…??」


 ダンテはリヴィアの顔をまじまじとみつめる。


「ウィッグでもかぶればいいだろ。あと帽子」


 その言い草があまりにも他人事ですこし呆れた。

 だが、緊張感の無い返事に少しだけ心が軽くなった。


***


 今日、見張るのはロベルト・サンナ。

 ベルティーニの下で荷運びをしている、ごく平凡な男。

 そして、おそらく次に亡霊に攫われる可能性が最も高い人間。


 何も知らないまま働く一人の男を、囮にする。

 正しいのだと頭では分かっている。 

 けれど、その正しさは冷たくて、どうしても気分が悪かった。


 控えめなノックの音が響く。


「ご準備が整いました」


 外から、使用人の落ち着いた声がした。


「分かったわ」


 最後に帽子の位置を整え、リヴィアは部屋を出る。


 長い廊下を歩きながら、無意識に指先を握る。

 ベルティーニ邸は今日も変わらず整っている。磨かれた床も、静かな足音も、落ち着いた照明も。


 だが、そこに流れている空気だけが、いつもより少し張っていた。


 玄関ホールへ出ると、すでにダンテがいた。


 黒い上着に、いつもより少し軽い装い。

 けれど、短く整えられた髪も、姿勢も、相変わらず隙がない。

 彼はリヴィアの姿を見ると、ほんの一瞬だけ視線を止めた。


「悪くない」


 開口一番、それだった。

 リヴィアは眉を寄せる。


「どういう意味ですか」


「俺の隣にいても見劣らない」


 何とも自分に自身があるような言い方にムッとしたのと、そんな言い方でも褒められたことに不覚にも喜んでしまった。


「そうですか」


 何も気にしていないように、わざと淡々と返す。

 ダンテはそれ以上からかうこともなく、視線をずらした。


 少し離れた場所には、マルコが立っている。

 今日は昨日よりもさらに目立たない服装だった。

 地味な上着に、荷運びの監督にも見える落ち着いた出で立ち。

 表向きは別行動を取るのだろう。


「配置は予定通りです」


 マルコが低く告げる。


「ロベルトは朝の荷受けに出たあと、港の南側を中心に動きます。監視は最小限に。露骨な見張りにはしていません」


 玄関の外には、黒塗りの車が待っていた。

 冷えた朝の空気の中、車体だけが鈍く光っている。


 ダンテが先に車に乗り込み、リヴィアもそれに続く。


 車が走り出すと、窓の外を朝の街が流れていった。

 まだ人の数は多くない。店を開ける者、荷を引く者、道端で短く言葉を交わす者。


 どれも平和な日常の断片に見えるのに、今日はそのどこかに亡霊の手が潜んでいる気がした。


 車はやがて港の近くへ入っていく。

 道幅が少し広くなり、倉庫が増え、潮の匂いが微かに混ざり始めた。


 ロベルトの尾行が始まる。

 何かあったとき、自分は上手く立ち回れるだろうか。

 リヴィアは帽子のつばにそっと触れた。


「着くぞ」


 ダンテの声で、意識が引き戻される。

 車がゆっくりと速度を落とした。


 窓の向こうには、港へ続く石畳の通り。

 朝の仕事が本格的に回り始めた気配がある。


 荷を運ぶ男たち。

 帳簿を抱えた商人。

 道端で煙草をふかす作業員。

 人が多く、紛れるには最適だ。


「ここからは別行動です」


 マルコが助手席から振り返る。


「私は裏から回ります。お二人は表の通りを」


 ダンテは頷いた。

 車が止まる。


 先にマルコが降りた。

 その背中は、人混みに入るとすぐ見失えそうなほど自然だった。

 リヴィアはそれを見送りながら、小さく息を整える。


「行くぞ」


 ダンテが短く言う。

 扉が開くと、外の空気が一気に流れ込んできた。

 石畳の上に足をつけた瞬間、胸の奥の緊張が少しだけ輪郭を持つ。


 港のざわめきの中、ダンテが歩き出す。

 リヴィアはその隣に立ち、周囲へ視線を巡らせた。


 通りに面した小さな喫茶店へ入る。

 開け放たれた窓からは、港へ続く石畳の道がよく見えた。


 店内の客は多くない。

 仕事の合間に立ち寄ったらしい男が二人、カウンターで短く言葉を交わしているだけだ。


 外から見えづらいが、視界は遮られないような窓際の席を選ぶ。

 ダンテが椅子を引き、リヴィアを自然にエスコートする。

 そんな場合ではないのに、慣れない扱いに少しだけ緊張した。


 店の女が水を運んでくる。

 ダンテは適当に紅茶を二つ注文し、それきり視線を窓の外へ戻した。


「ロベルトはどこ?」


 声を潜めて尋ねると、ダンテは顎を少しだけ動かした。

 視線を辿る。

 通りの向こう、倉庫の入口近くで荷の確認をしている男がいた。


 痩せた体つき。色褪せた上着。

 何度見ても、どこにでもいそうな顔だ。


 ロベルト・サンナ。

 本人は何も知らない。ただ、いつも通り働いているだけだ。  

 その事実が、かえって不安を煽る。


 しばらくは何も起こらなかった。

 荷が運ばれ、帳簿が開かれ、ロベルトは二人の男と短く話し、また別の荷へ向かう。

 ごく普通の朝だ。何も知らなければ、誰もそこに目を留めないだろう。


 リヴィアは窓の外を見つめたまま、小さく息をつく。

 その時だった。


 視界の端に、妙な引っかかりが生まれる。

 通りの角に立つ男。

 作業着を着ているのに、手が綺麗すぎる。


 その少し先には、物売り風の女がいた。籠を持ち、通りに立っているのに、一度も声を出さずに周囲を見ている。


 さらに、ロベルトの方へ歩いていく一人の男。

 役所の使いを思わせる地味な服装。腕には書類らしき紙束。

 胸の奥が、ゆっくりと強張っていく。


 ダンテの目が細くなった。


「ビンゴだ」


 低い声。

 リヴィアはわずかに頷く。


「三人いるな」


 その一言で、空気が変わる。

 リヴィアはカップに触れたまま、窓の向こうを見つめた。

 役所風の男がロベルトに近づき、穏やかな調子で何かを話しかけている。

 ロベルトは怪訝そうな顔をしながらも、手元の紙を覗き込んだ。


 作業着の男は、角から動かない。

 物売りの女もまた、何事もない顔で通りの端に立っていた。


 何も知らない朝が、少しずつ歪み始めていた。


 ダンテはカップを置いた。


「動くぞ」


 それだけ言って、先に立ち上がる。

 リヴィアもすぐに後を追った。席を立つ動作まで、なるべく自然に。

 ここで急げば、彼らに気づかれかねない。


 店を出ると、港の匂いがいっそう濃くなった。

 潮と、木箱の埃と、積まれた荷の油っぽい臭い。

 朝の光はまだ高いのに、倉庫の影がところどころ道を切り取っている。


 ロベルトはすでに役所風の男の後ろを歩き始めていた。

 怪訝そうな顔はしている。けれど、足は止まらない。

 差し出された紙に何か気を取られているのか、時折視線を落としながら、ゆっくりと南側の倉庫通りへ入っていく。


 作業着の男は少し離れて角から動かず、物売りの女は別の側から歩き出していた。


 ダンテは足を緩めない。

 人混みに紛れる速度で進みながら、視線だけで前と左右を測っている。


 リヴィアもその隣を歩いた。

 近すぎず、遠すぎず。


 南側の倉庫通りは、表の道より人が少なかった。

 荷車が通り、裏口から木箱が出入りし、酒場の裏手では樽が積まれている。

 雑多なのに、どこか見通しが悪い。人目があるようで、肝心なところは死角が多い場所だった。


 その時、物売りの女がふとこちらを見た。

 視線が合う。

 ほんの一瞬。


 彼の名を呼ぶより早く、ダンテの手が伸びた。

 ぐっと腰を引き寄せられる。


 驚いて顔を上げた瞬間、彼の顔がすぐ目の前にあった。

 息が触れそうなくらい近い。


 リヴィアの身体が一瞬だけ強張る。

 だが、ダンテの目は自分ではなく、その向こうを見ていた。


「動くな」


 唇が触れる寸前の距離で、低い声が落ちる。


「見られてる」


 一瞬で理解した。

 キスするふり。

 リヴィアは息を呑んだまま、身じろぎもできなかった。


 ダンテの手が腰を支えている。手袋越しなのに、熱だけが妙に鮮明だった。

帽子の影の中で、彼の睫毛の影まで見える。


 通りの向こうで、作業着の男がこちらを一瞥し、興味を失ったように視線を逸らす。

 物売りの女も、もうこちらを見ていない。


「……もういい」


 ダンテがそう言って、ようやく身体を離す。

 腰に回っていた手が離れた瞬間、逆に少しだけ足元が心もとなくなった。


「先に言ってください」


 小声で言うと、ダンテは平然としている。


「言えば不自然に固まるだろう」


 全然悪びれない。

 それが腹立たしいのに、今はそれ以上言う余裕もなかった。

 ダンテは視線をロベルトの方へ戻す。


「まだだ」


 役所風の男がロベルトを連れて、さらに奥へ進む。

 表通りの喧騒が少しずつ遠ざかり、倉庫の壁が音を吸っていく。

 背後の作業着の男と女も、ゆっくりとロベルトに近づいていく。


 通りはさらに細くなる。

 倉庫の裏手へ回る、石畳の荒れた道。表通りの喧騒が一気に遠のいた。


 その時だった。

 役所風の男が立ち止まった。

 何かを言ってロベルトを振り返らせる。


 その一瞬。

 男の手が、素早く動いた。


「……っ」


 首筋。

 針のようなものが、一瞬だけ光った。

 ロベルトの身体がびくりと震える。


「ダンテ!」


 叫ぶより早く、ダンテはもう走っていた。

 同時に、別方向からマルコが飛び出す。

 いつの間にそこにいたのか分からないほど速い。


 物売りの女が舌打ちし、身を翻す。

 後方で、通りの角にいた男も一気に動いた。

 全員が散る。


 ロベルトは二、三歩よろめき、そのまま崩れかける。

 役所風の男が腕を掴み、引きずるように奥へ向かおうとした。

 だが、その肩をダンテが後ろから叩き落とした。


 鈍い音。

 男の身体が石壁へ激しくぶつかる。


 一方でマルコは、物売りの女へ迷いなく飛びかかっていた。

 女は素早く身をかわし、荷箱を蹴って視界を塞ぐ。

 木箱が崩れる音。ばら撒かれる麻袋。


 その影で、もう一人の男が裏路地へ走る。

 マルコは一瞬だけ視線を走らせたあと、女の足を撃った。

 振り返りざま、逃げた男の足にもう一発。


 マルコが女を捕縛しようと近づこうとした、その時。

 女の身体がびくりと跳ね、全身の力が抜けた。

 男の方に視線を向けると、女と同様動かなくなっていた。


 リヴィアは倒れかけたロベルトへ駆け寄った。


「ロベルト!」


 肩を掴む。

 目の焦点が合っていない。意識はある。

 けれど、足に力が入っていない。

 唇がかすかに動く。


「……な、に……」


 背筋が冷える。

 その背後で、ダンテが役所風の男を酒樽の上へねじ伏せていた。

 次の瞬間、男の顎がわずかに動いた。

 酒場の、あの男が脳裏をよぎる。


「だめ!」


 リヴィアは反射で飛び出していた。

 ダンテが押さえ込んでいる男の顎を掴む。

 そのまま腕を口元へ押し込んだ。


「……っ!」


 鋭い痛みが走る。

 布越しでも分かる、歯が食い込む感触。袖口に血が滲む。


「何やってる!」


 ダンテの怒声が落ちた。

 けれど、その間にも男は口内に仕込んだ毒を噛み砕こうとしている。

 リヴィアは腕を引かず、必死に顎を押し上げる。


「死ぬ気だわ!」


 その声と同時に、マルコが戻ってきた。

 女ともう一人の男は死んだと、その目で分かった。


 荒い息ひとつ見せず、マルコは懐から布を抜く。

 男の口元へねじ込み、後ろから顎ごと締め上げる。

 別の手で首の後ろを打つと、男の身体から一瞬だけ力が抜けた。


「もう大丈夫です」


 次の瞬間、リヴィアの腕が強く引かれる。

 ダンテだった。

 乱暴なくらいの勢いで自分の方へ引き寄せられ、男から引き剥がされる。


 その顔を見た瞬間、リヴィアは一瞬だけ言葉を失った。

 紺の瞳から、いつもの余裕が消えていた。


「……血が出てる」


 低く押し殺した声だった。

 白い袖口に、赤い色が滲んでいる。


「かすり傷です」


 ダンテの眉間に皺が刻まれる。

 リヴィアが「大丈夫」と言おうと口を開くより先に、彼は自分のハンカチを抜いた。


「動くな」


 有無を言わせない声。

 手首を取られる。

 その動きは乱暴なのに、布を巻く手つきだけ妙に丁寧だった。

 それが、かえって胸の奥をざわつかせる。


「……大したことないわ」


「黙ってろ」


 遮るような声音。

 だが、その直後に触れた指先は、ほんの一瞬だけ震えた気がした。

 リヴィアは小さく息を呑む。


「腕なんか突っ込むな」


「死なせるわけにはいかなかったの」


 そう言うと、ダンテは一瞬だけ黙る。

 否定はしない。けれど、賛成もしたくない。そんな沈黙だった。


「だからって、お前が怪我していい理由にはならない」


 怒っているようでいて、その下に別のものが滲んでいる。

 その間にも、ロベルトは石壁にもたれたまま荒い息をしていた。

 瞳は半分ほど閉じかけ、焦点は揺れている。

 

「……く、るしい……」


 呻くような声。

 周囲に控えていた部下たちが集まってくる。

 その様子をリヴィア達は見つめていた。


「生きてる」


 小さく呟くと、ダンテが短く答える。


「ああ」


 マルコが取り押さえた男の手首を縛りながら言う。


「残りの二人は自害しました」

「こいつだけでも、生きたまま確保できたのは大きい」


 男はぐったりと動かない。

 その上着を探ると、注射器のようなものと、薬液アンプル。

 小さな錠剤が入った袋が転がり落ちる。


 さらに、内ポケットから折り畳まれた紙切れが出てきた。

 マルコがそれを広げる。

 3−E。 紙にはそう書かれている。

 ダンテの目が細くなる。


「……やっと糸口が見えた」


 マルコが薬液アンプルと錠剤を拾い上げる。

 ダンテはそれを一瞥して命じた。


「これの成分も調べておけ」


 リヴィアは傷を押さえたまま、息を整えた。

 ダンテが確保した男を見下ろし、低く言う。


「……口を割らせる相手ができたな」


 その声は冷たかった。

 マルコが手際よく状況を確認し、部下たちに簡潔に指示を出す。


「ロベルトは歩けない」

「担架代わりのものの手配を」

「この男は拘束したまま屋敷まで連れて行け」


「はい」


 部下たちが素早く動く。


 ロベルトは半分意識を失いかけながら、低く呻いている。

 目はまだ定まらず、呼吸も浅い。けれど、生きている。

 それだけで十分だった。


 狭い路地に、靴音と布の擦れる音だけが短く響いた。

 その間にも、遠くでは港のざわめきが続いている。

 たった一本路地を入っただけで、こんなことが起きているなんて、誰も知らないまま。


 リヴィアは息を整えながら、崩れた木箱や転がった薬液アンプルを見つめた。


「……最低ね」


 思わず漏れた言葉に、ダンテがわずかに視線を寄越した。


「今さらか?」


「目の当たりにするまで、信じられないくらい嫌な手口だから……」


 ダンテは何も言わない。

 ただ、その返事を聞いてから視線を外した。


「行くぞ」


 ダンテが短く言った。

 リヴィアは頷き彼のあとをついていく。


 今回の作戦で、亡霊に繋がる手がかりを得た。

 生きたまま捕らえた男。

 薬液アンプル。3−Eと記された紙。


 車の前まで来ると、マルコがすでに扉を開けて待っていた。

 表情はいつも通り薄いが、その目には静かな緊張が残っている。


 ダンテはリヴィアを先に車へ乗せると、自分もその隣へ腰を下ろした。


 リヴィアは包帯代わりのハンカチに巻かれた腕を見下ろした。

 じわじわと痛む。

 けれど、不思議と後悔はなかった。

 ダンテが窓の外を見たまま言う。


「戻ったら、傷の手当てをする」


 命令のような口調だった。

 リヴィアは少しだけ顔を上げる。


「尋問が先じゃないんですか」


「お前が先だ」


 迷いのない答えだった。

 車がゆっくりと動き出す。


 前方では、ロベルトを乗せた車が先に港を離れていくのが見えた。

 リヴィアは小さく息を吐き、背もたれに体を預ける。

 ようやく、ほんの少しだけ力が抜けた。


 まだ分からないことはたくさんある。

 それでも、確実に真実に近づいている。

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