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乙女ゲームのヒロインに転生したのに、死亡ルートしかない  作者: 春野スミレ


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12/16

NO.12 偽りの死

 翌朝、ベルティーニ邸の玄関にはすでに車が用意されていた。

 磨かれた黒塗りの車体が、薄い朝の光を鈍く反射している。


 空は晴れていたが、空気はひどく冷たかった。

 春先の名残のような風が、石畳の上を静かに流れていく。

 リヴィアが階段を下りると、車の前には二人の男が立っていた。


 ダンテ。

 そして、その少し後ろに控える、見慣れない男。


 ダンテは今日も黒を基調とした装いだった。

 整えられた短い髪。

 朝の光の下でも深く沈んで見える紺の瞳。

 ただそこに立っているだけで、この場の空気が彼を中心に回っているような感じがする。


 その隣の男は、ダンテより少しだけ年上に見えた。

 灰みを帯びたブロンドの髪をきっちりと撫でつけ、無駄のない黒のスーツを着ている。

 表情は薄い。だが、目だけはよく周囲を見ていた。

 リヴィアが近づくと、男は一歩下がって静かに一礼する。


「マルコ・ヴィエリです」


 低く落ち着いた声だった。


「本日の調査に同行します」


 必要なことだけを、淡々と告げる。

 その口調に媚びも敵意もない。

 ただ、ダンテの側近らしい静かな鋭さだけがあった。

 リヴィアは小さく頷く。


「よろしく」


 マルコはそれ以上何も言わず、元の位置へ戻った。

 ダンテがリヴィアを一瞥する。


「期待している」


 リヴィアは表情を崩さず答える。


「努力します」


 ダンテは満足そうな笑みを浮かべる。

 それから自分で後部座席の扉を開く。


「乗れ」


 リヴィアは一瞬だけその手元を見た。

 敵のボスにエスコートされたことに、少しだけ驚いた。


 扉が閉まると、外の冷気が切り離される。

 車内には革と煙草の残り香が薄く混ざっていた。


 静かなまま、車が動き出す。

 ベルティーニ邸の門を抜けると、朝の街がゆっくりと流れ始めた。

 しばらくしてマルコが口を開く。


「本日向かうのは、旧市街の外れです」

「男の母親には、私が聞き取りをしました」

「その時は、高齢で記憶が曖昧だと判断して深追いしませんでしたが……」


「今回は違う」


 ダンテが低く言う。

 マルコは余計な言葉を足さず、静かに頷く。

 

 リヴィアは膝の上で指先を重ねる。

 昨日の違和感。

 遺体もない。失踪しただけ。

 それなのに、なぜ母親は“死んだ”と信じていたのか。

 その一点だけが、今も胸の奥に引っかかっていた。


 街の景色が少しずつ変わっていく。

 石造りの建物が増え、道幅が狭くなる。

 洗濯物の揺れる路地。色褪せた看板。壁際に並ぶ小さな鉢植え。

 旧市街の外れらしい、古びた静けさがあった。


「この先です」


 マルコが短く告げる。

 やがて車は、ひっそりとした通りの端で止まった。


 リヴィアは窓の外を見る。

 古い家々が肩を寄せ合うように並んでいる。

 その中の一軒。白かったはずの壁はところどころ剥がれ、窓枠の塗装も褪せていた。

 だが、小さな庭先の鉢だけはきちんと手入れされている。


 車を降りると、冷えた風が頬を撫でた。

 ダンテは無言のまま家を見上げ、マルコが先に扉の前へ立つ。

 古びた風鈴が、玄関脇でかすかに揺れていた。


 マルコが扉を叩く。

 返事はない。


 少し間を置いて、もう一度。

 今度は、家の奥で何かが軋むような音がした。ゆっくりとした足音。

 床を擦るような、頼りない気配。


「……どなたかね」


 年老いた女の声だった。

 マルコが落ち着いた声で名乗る。


「マルコ・ヴィエリと申します。先日訪ねた件で、もう一度お話を伺いたいのです」


 鍵の開く音。

 重たい扉が、ゆっくりと外側へ開いた。


 そこに立っていたのは、小柄な老女だった。

 髪は白く、背は少し曲がっている。

 深く静かな色をした瞳が、まずマルコを見て、次にダンテ、最後にリヴィアのところで止まる。


「……あんたたち、また来たのかい」


 掠れた声だった。


「先日は失礼しました」


 マルコが一歩前に出る。


「もう一度だけ、お話を伺いたくて」


 老女はすぐには頷かなかった。

 戸口に手を添えたまま、三人の顔をゆっくりと見回す。


「もう話すことなんてないよ」


 その声音に、疲れと諦めが混ざっていた。

 リヴィアは静かに口を開く。


「息子さんのことで、少し確認したいことがあるんです」


 老女の目が、リヴィアへ向く。

 若い娘が混じっていることが意外だったのかもしれない。


「……あの子は、もう死んだよ」


 迷いのない言い方だった。

 リヴィアは表情を変えないよう努めながら続ける。


「ご遺体は見つかっていないと聞きました」

「それでも、そう思ったんですか?」


 老女は戸惑うように眉を寄せた。


「何を言ってるんだい」

「ちゃんと知らせが来たんだよ」


 リヴィアの胸の奥で、何かが小さく音を立てる。


「知らせ?」


「ええ」


 老女は当然のことのように答えた。


「書類だよ」

「役所みたいな……そういうのが来たんだ」


 マルコの目がわずかに鋭くなる。

 リヴィアは一歩だけ近づいた。


「その書類、まだありますか」


 老女はすぐには答えない。

 だが、しばらく考えたあと、ゆっくりと身を引いた。


「散らかってるけどね」


 家の中は狭かった。

 古い木の匂い。少し湿った空気。

 窓際には鉢植えが並び、壁には色褪せた家族写真がいくつか飾られている。


 老女は呟きながら、視線を棚の方へ向ける。


「たしか……どこかに」


 リヴィアも部屋の中を見回した。

 古い棚。薬瓶。縫いかけの布。積まれた紙束。

 その中で、棚の端に挟まった茶色い封筒が目に止まる。


「……あれですか?」


 老女が振り返る。


「どれだい」


「その、棚の端の封筒です」


 老女は目を細めた。


「ああ……あれかもしれないねぇ」


 老女より先に、マルコが動く。


「失礼します」


 封筒をそっと取り、机の上へ置く。

 紙は古く、端が少し潰れていた。何度か開いた跡がある。

 老女はその封筒を見つめながら、小さく言った。


「男が持ってきたんだよ」

「役人のようだと思ったけどねぇ……」


 マルコが中身を取り出す。

 折り目のついた一枚の紙だった。

 死亡通知書のように見えた。


 だが、マルコの指先がわずかに止まり、ダンテも紙に視線を落としたまま動かない。

 空気が変わる。


 リヴィアには、まだ細かい異常までは分からない。

 けれど、二人の反応だけで十分だった。


「……どうかしたのかい?」


 老女が不安そうに尋ねる。

 マルコは紙から目を離さず、低く言った。


「……本物ではありません」


 その一言が、狭い部屋に静かに落ちた。

 老女が目を見開く。


「え?」


 老女の声はかすれていた。


「それ……どういう意味だい」


 誰もすぐには答えなかった。

 軽々しく希望を持たせるわけにはいかないし、かといって、このまま誤魔化すこともできない。

 リヴィアは老女を見て、静かに言う。


「まだ分かりません」


 それでも、言葉ははっきりと続けた。


「でも、確かめます」

「私たちが」


 老女はしばらく何も言わなかった。

 やがて、その皺だらけの手が膝の上で小さく震えた。


「……お願いするよ」


 その声はひどく弱かった。

 マルコが紙を封筒へ戻す。

 その動きは、さっきまでよりもずっと慎重だった。


 家を出ると、外の光が思っていたより強かった。

 古びた家の中に満ちていた薄暗さのせいか、昼の明るさがやけに現実味を失って見える。

 風が吹き、玄関脇の風鈴がかすかに鳴った。


 半開きの扉の向こうでは、老女がまだこちらを見ていた。

 不安そうな顔。

 けれど、その奥に消しきれない期待が残っている。


 リヴィアは視線を逸らせなかった。

 あの人は、ずっと息子は死んだと信じていた。

 もしそれが偽物の書類一枚で作られた虚実だとしたら。


 胸の奥が、鈍く重くなる。

 車へ戻る前に、ダンテが足を止めた。


「マルコ」


 短く呼ぶ。

 マルコはすぐに封筒から紙を取り出した。

 日差しの下で見ると、さっきよりもさらに粗が目につくようだった。


 リヴィアには細かい違いまでは分からない。

 だが、マルコの目つきが完全に変わっていることだけははっきり分かった。


「どう?」


 リヴィアが尋ねると、マルコは紙を指先でめくりながら低く答えた。


「正式書類に似せていますが、本物ではありません」


 背筋がひやりとする。


「断言できるの?」


 マルコは頷いた。


「ええ」

「この手の書類の扱いには詳しいもので」


 ダンテが紙を覗き込み、鼻先で小さく息を吐く。


「年寄りには十分だな」


 マルコは淡々と続けた。


「知らない者が見れば、正式な死亡通知だと信じても不思議ではありません」


 リヴィアはただ紙を見つめていた。

 偽の書類をでっち上げてまで、親族からの捜査を逃れようとしている。

 敵は相当に用心深い。


 マルコが書類を封筒に戻し言った。


「そろそろ戻りましょう」

「追加で回していた調査も、そろそろ結果が揃うはずです」


 車へ乗り込んでも、誰も口を開かなかった。

 それぞれが事態の雲行きを案じている。

 旧市街の古びた通りが、ゆっくりと後ろへ流れていった。


***


 ベルティーニ邸へ戻ると、リヴィアたちはそのまま地図室へ通された。


 部屋にはすでに数人の部下が待っていた。

 マルコが入ると同時に、一番手前に立っていた男が一歩進み出る。


「報告を」


 マルコが短く促す。

 男は一礼し、手元の紙を開いた。


「失踪者のうち、現時点で記録を辿れたのはニ十七人です」


 机の上に紙が並べられる。


「記録を辿れた者たちには、全て親族が居ました」

「親族への聞き取り調査を行ったところ、死亡通知書や転出届けが届いていたようです」


 リヴィア達は並べられた紙を見下ろしていた。

 ダンテが腕を組んだまま言う。


「辿れなかった者たちは?」


「はい」

「……実は、彼らについてですが、“戸籍登録すら”無かったんです」


 リヴィアは思わずダンテの方に振り返った。

 視線が合う。

 彼はすぐにマルコの方に向き直った。


「そんなに多くの人間の戸籍が未登録ということはあり得るか?」


 マルコは答える


「いえ、まずありえません」

「この国では、生まれた瞬間から、移民でさえ戸籍登録を行います」

「七十人近くの人間の戸籍が紛失しているとなると、何者かが介入している可能性があります」


 部屋の中が静まり返る。

 長机の上の資料を見つめながら、リヴィアは小さく言った。


「つまり、役人のような国の中枢にも敵のスパイが入り込んでいるってこと?」


 誰も答えない。

 その沈黙が答えだった。


 敵はもう既に、この国の深いところまで根を張っているのかもしれない。

 このままでは確実にやられる。

 先手を打たなくては。


「……このまま一件ずつ追っていても、キリがないわ」


 ダンテは何も言わない。

 ただ、続きを待つようにこちらを見る。

 リヴィアは指先をゆっくりと握る。


「消えた人を追うんじゃなくて」

「これから狙われる人を、先に見つけられないかしら」


 部屋の空気が変わった。

 マルコがわずかに目を細める。

 ダンテは机にもたれたまま、静かにリヴィアを見ていた。


「条件はもう見えているはずです」


 リヴィアは机の上の紙を指先で押さえる。


「独り身、親族と疎遠、生活導線が単純、人目の少ない場所を通る仕事」

「そういう人をマークすれば、亡霊の手がかりが掴めるかも」


 マルコが一歩前へ出る。


「ベルティーニの下にも、条件に合う者がいるか洗います」


 返答は早かった。

 すでに考え始めていたのだろう。

 ダンテが短く頷く。


「頼んだ」


「はい」


 マルコはすぐに部下へ視線を向け、必要な指示を低く飛ばし始めた。

 部屋の空気が、一気に動き出す。


 部下たちは指示を受けるとすぐに散り、それぞれの持ち場へ戻っていった。


***


 リヴィアはしばらく机の上の資料を見つめたまま動かなかった。

 窓の外では、昼の光が少しだけ傾き始めている。

 その間にも、どこかでまた誰かが目をつけられているのかもしれない。


 二人はただ黙って、マルコたちが戻るのを待っていた。


 ダンテは壁際の棚から新しい紙巻煙草を一本取り出して、火をつけた。

 部屋の中に煙が漂っていく。

 二本目の煙草が吸い終わるころ、扉を叩く音が沈黙を破った。


「入れ」


 マルコが戻ってきた。

 手には新しくまとめられたらしい書類の束がある。


「候補を絞りました」


 その一言で、リヴィアの指先がぴくりと動く。

 ダンテは机の端にもたれたまま顎を引いた。


「続けろ」


 マルコは紙を三枚、長机の上へ並べた。


「条件に合う者は三名」

「いずれもベルティーニファミリーの構成員です」


 リヴィアも机へ近づき、紙へ目を落とす。


 名前、年齢、所属、住まい、親族関係、普段の生活導線。

 どれも簡潔だが、必要なことだけが無駄なく記されていた。


「一人目は工場の夜番。独身。父母ともに他界。住まいと職場の往復のみ」


 マルコの指先が一枚目を軽く叩く。


「二人目は酒の運搬補助。兄はいますが、七年前に関係が切れています。ここ数年、交流の記録はありません」


 そして三枚目へ移る。


「三人目が、ロベルト・サンナ」


 その名前で、ダンテの視線がわずかに止まった。


「港の荷運びと夜の運搬補助を回しています。独り暮らし。父親は消息不明、母親は他国で再婚。兄弟なし」


 マルコが紙を少し手前へ寄せる。

 リヴィアはそこに添えられた写真を見た。


 痩せた体つき、地味な顔立ち。

 人混みに紛れれば、すぐに輪郭を失ってしまいそうな男だった。


「彼は他の二人に比べて、人付き合いも悪く、いつもの一人で行動しています」


 マルコが続ける。


「仕事の性質上、人目の少ない道を通ることが多い」


 リヴィアは写真を見つめたまま、小さく息を呑んだ。

 マルコは表情を変えない。

 ダンテもまた、感情を挟まずに三枚の紙を順に見ていた。


「優先はロベルトだな」


 やがて、ダンテが言う。

 マルコが頷いた。


「私も同意見です」


 マルコは別の紙を引き寄せる。

 短い聞き取り記録だった。


「最近、彼の持ち場の周辺で、妙な人間が出入りしているという報告があります」


 リヴィアはその文を読み取る。

 港の荷場近く、夜の搬出路。

 見慣れない顔、短時間の滞在、詳細不明。


「……目をつけられているかもしれないってことですか」


「かもしれない、じゃない」


 ダンテの声は低かった。


「十中八九、そうだ」


 地図室の空気がまた少し冷える。

 リヴィアはロベルト・サンナという名前を見つめた。

 

「本人には?」


 尋ねると、マルコは即座に答えた。


「まだ何も」


「伝えないの?」


 思わず声が固くなる。

 ダンテがようやくリヴィアを見た。


「今伝えれば、敵が気づく可能性がある」


 短い一言だった。


「こいつが助かっても、別の誰かが居なくなるだけだ」


 正論だった。

 だからこそ、反論が苦しい。

 リヴィアは唇を引き結ぶ。


「じゃあ……」

「この人を、囮にするってことですね……」


 ダンテは一瞬だけ黙り、それから静かに言った。


「そうしなければ、元を辿れない」


 マルコが補足する。


「気づかれないように監視をつけます」

「我々も側で動向を確認予定です」


 リヴィアは机の端を指先で押さえる。

 胸の奥がざわつく。


 正しいのは分かる。

 だが、もし助けが遅れたら、この男も町医者のところにいた彼のようになるかもしれない。

 あるいは、二度と戻らないかもしれない。


「……助けられるなら、助けたいです」


 小さく言う。

 ダンテはそれを正面から受けた。


「そのためにも、今は泳がせる」


 その瞳には、ファミリーのボス故の合理的な、決意に満ちた輝きがあった。


 マルコが新しい紙を一枚、ロベルトの写真の横へ置く。

 明日の勤務経路や立ち寄り先。

 人目の少なくなる時間帯が記されている。


「調べはついています」

「明日にもで追跡可能です」


 その報告に、ダンテは迷いなく頷いた。


「なら決まりだ」


 部屋の中が静まり返る。

 もう覚悟を決めるしかない。

 彼を助けるためにも、最善を尽くす。

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