表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
乙女ゲームのヒロインに転生したのに、死亡ルートしかない  作者: 春野スミレ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/16

NO.11 地図室

 ダンテが去った後、リヴィアは一人荷物の中身を見ていた。


 読みかけの本。

 使い慣れた筆記具。

 小さな香水瓶。


 ルカが選んで持ってきたという事実だけで胸が温かくなる。


 けれど同時に、こんな事をしていても意味がないと思った。


 私は今、ベルティーニの屋敷にいる。

 客人として。

 そして、担保として。


 窓の外へ視線を向ける。

 朝の光はもう高く、整えられた庭を静かに照らしていた。


 リヴィアはゆっくりと息を吐く。

 ——守られているだけでは、意味がない。


 会談の席で、自分は確かに口にしたのだ。

 亡霊とカタをつけてもらわなければ困る、と。


 なら、自分が動かないわけにはいかなかった。


***


 ベルティーニの屋敷の廊下は、昼になっても静かだった。


 リヴィアは一人、長い廊下を歩いていた。

 向かう先は、ダンテの書斎。


 先ほど使用人に行き先を尋ねた時、相手はほんの少しだけ目を瞬かせた。

 客人の娘が、自分から当主を訪ねるとは思っていなかったのだろう。

 それでも止められはしなかった。

 

 重たい扉の前で、足を止める。

 呼吸を一つ、整えた。

 リヴィアは扉をノックする。


「入れ」


 低い声が、間を置かずに返ってきた。

 扉を開ける。


 中は広かった。

 壁一面の書棚。

 重厚な机。

 窓辺に置かれた長椅子。


 ベルティーニの屋敷らしく、必要なものだけを美しく揃えた部屋だった。

 ダンテは机に向かったまま、書類に目を落としていた。

 リヴィアが数歩中へ入ると、ようやく視線を上げる。


 深い紺の瞳。

 こちらを見ても驚いたような顔はしない。

 ただ、ほんのわずかに目を細めた。


「どうした」


 落ち着いた声。

 そのまま続ける。


「客人は部屋で大人しくしているものかと思っていた」


 皮肉とも取れる言い方だった。

 けれど、露骨ではない。

 リヴィアはまっすぐダンテを見る。


「私は置物になるつもりはありません」


 彼の眉が、わずかに動く。


「ベルティーニ側で掴んでいる情報を見せてください」 


 部屋の空気が、少しだけ変わった。

 ダンテはすぐには答えない。

 数秒の沈黙のあと、椅子の背にもたれ、口元をわずかに歪めた。


「昨日の今日で、ずいぶん働く気になったものだな」


「昨日まで何も知らなかっただけです」


 リヴィアは返す。


「知ってしまった以上、何もしないままではいられません」


 ダンテはその言葉を黙って聞いていた。

 視線は逸れない。

 値踏みするようでいて、ただ見下すだけの目でもない。

 やがて、小さく息を吐く。


「……いいだろう」


 机の上に積まれていた書類の束から、いくつかを抜き出す。

 それを無造作に机の端へ置いた。


「働くと言うなら見てみろ」


 リヴィアは一歩近づき、その書類に目を落とした。

 失踪者のリストだった。


 名前、年齢、顔写真、所属、最後の目撃情報。

 簡単な家族構成。

 そして、聞き込みの記録。


 思っていたより、量が多い。


「……ここまで調べていたのね」


 思わず零すと、ダンテは淡々と答えた。


「お前が思っているほど、ベルティーニはポンコツじゃないさ」


 リヴィアは視線だけを静かに返し、資料を手に取る。

 一枚、また一枚。


 年齢も、失踪場所も、職業も違う。

 だが、どの人間もノアの言っていたように目立たない者たちだった。

 消えたところで騒ぎになりにくいような。


 リヴィアは眉を寄せる。

 身寄りのない者が多い。

 だが、ある一枚で、手が止まった。


 家族構成の欄。

 そこには小さく「母あり」と書かれている。

 さらに資料をめくると、兄や妹がある者もいた。


「……この人たち」


 リヴィアは小さく呟く。


「家族がいるのね」


 ダンテが机の端に寄りかかるようにして答えた。


「遠方に親族がいる者はいる」

「だが、こちらで当たったのは居住地周辺までだ」


 その答えに、リヴィアはもう一度資料へ目を落とす。

 遠くに家族がいる。

 疎遠ではあるけれど、完全に切れているわけではない。


 指先が、資料の文字をなぞる。

 聞き取り記録。

 仲間内や職場では「急に来なくなった」「連絡が取れなくなった」とある。


 そこまでは、失踪の記録として自然だった。

 けれど、資料の端で視線が止まる。


 端に小さく追記された聞き取りの断片。

 母は死亡したと認識。記憶曖昧。情報源不明。噂話の可能性。


 リヴィアは目を細める。

 死亡したと認識。

 そこだけが、妙に引っかかった。


「……待って」


 気づけば、声に出ていた。

 ダンテの視線が上がる。


「どうした」


 リヴィアはその一枚から目を離さないまま、ゆっくりと口を開いた。


「この母親……どうして息子が“死んだ”と思っているの?」


 ダンテの視線が、リヴィアの手元へ落ちる。


「それか」


 低い声だった。

 彼は机の端に軽く寄りかかるようにして、淡々と続ける。


「失踪した男の母親だ。高齢でな。記憶が曖昧らしい」

「誰に聞いたのかもはっきりしない。ただ、息子は死んだと思い込んでいる」


 リヴィアは顔を上げた。


「思い込み?」


「ああ」


 ダンテは短く頷いた。


「男の死体は出ていない」

「こちらでは、風の噂でも拾ったんだろうと処理した」

「年を取れば、記憶なんていくらでも混ざる」


 リヴィアはもう一度、その紙へ目を落とす。

 何故かは分からないが、妙に引っかかる。


「遺体が無いのに何故死んだと簡単に信じたのかしら」

「母親だったら、信じられず捜索願でも出しそうなものだけど」


 部屋が静かになる。

 ダンテはすぐには答えなかった。

 数秒、考えるように目を細める。

 それから、低く言った。


「……確かに」


「他のご家族は??」


「家族に聞き取りを行なったのはその男だけだ」


 まだ確信ではない。

 けれど、この違和感を逃がしてはいけない気がした。


「では追加で調べられないかしら」

「それと、戸籍や死亡記録、転出記録も確認したいわ」


 ダンテの目が、わずかに細くなる。


「戸籍?」


「消えた人達が、記録ではどうなっているのか知りたいの」

「なんだか……嫌な予感がするのよね」


 リヴィアはダンテを見た。

 しばらく沈黙が続く。

 

 やがて、ダンテがゆっくりと身体を起こす。


「……わかった」


 短く言うと、机の上の呼び鈴を鳴らした。

 ほどなくして部下が入ってくる。


「追加で当たれ」


 ダンテが命じる。


「親族への聞き取りを広げろ」

「戸籍、死亡記録、転出記録も拾えるだけ拾え」


 部下は一瞬だけリヴィアに目を向けた。

 その視線に意味を感じる暇もなく、すぐに頭を下げる。


「かしこまりました」


 扉が閉じる。

 部屋の中に、また静けさが戻る。


 リヴィアは小さく息を吐いた。

 自分の違和感ひとつで、ベルティーニが動いた。

 それが少しだけ現実味のないことのように思える。


「お前の勘は頼りになるか?」


 不意に、ダンテが言った。

 リヴィアは顔を上げる。


「当たるかどうかは分かりませんが、答えに近づく可能性があるのなら、どんなことでもやるべきです」


 紺の瞳が、まっすぐこちらを見ていた。


 もし彼らが助けを求めているのなら。

 かつてのルカを想い指先を握りしめる。


 ダンテは何も言わない。

 ただ、ほんの少しだけ目を細めた。

 その視線が、さっきまでとは違っていた。


 興味深い人間を見るような、静かな熱のある視線。


「……面倒なことを言う女だな」


 呆れたような声音だった。

 リヴィアは小さく息をつく。


「あなたに言われたくありません」


 それに対して、ダンテはほんのわずかに口元を上げた。

 空気が少しだけ緩む。

 そして。


「来い」


 短い一言。

 リヴィアは瞬きをした。


「どこへ?」


 ダンテはそれに答えない。

 机の脇を抜け、部屋の奥へ向かった。


 リヴィアの場所からは見えなかったが、書斎の奥には、もう一つ扉があった。  

 壁と一体化した重たい扉。

 ダンテはその取っ手に手をかけ、振り返りもせずに言う。


「やってみろと言った以上、少しは見せてやる」


 扉が開く。

 リヴィアはその向こうを見て、息を呑んだ。


 そこは、もう一つの書斎だった。

 けれど、先ほどの整えられた部屋とはまるで違う。


 壁一面に貼られた地図。

 机の上に広げられた見取り図と書類。

 無数の印、線、書き込み。

 港湾地区、貧民街、ベルティーニの縄張り、運搬路、失踪地点。

 街そのものが、この部屋の中に切り取られていた。


 リヴィアは一歩、部屋の中へ足を踏み入れる。

 その瞬間だった。


 ――見覚えがある。

 胸がどきりと鳴る。


 壁際の大きな地図。

 窓の位置。

 中央の長机。

 灯りの落ち方まで、どこか覚えていた。


 ゲームだ。

 ダンテルートの中盤。

 彼が限られた相手にだけ見せる、本当の仕事場。


 警戒心の塊みたいな男が、ようやく主人公を“対等に近い位置”へ引き上げる時に起こるイベント。


 ――でも、早すぎない?

 リヴィアは無意識に唇を引き結んだ。


 本来なら、こんな状況で入れる部屋じゃない。


 好感度なんて上がる要素も無かった。

 自分が使える人間だと判断されたからなのだろうか?


「どうした」


 ダンテの声で、意識が現実に引き戻される。


「……いえ」


 リヴィアは首を振る。


「思ったより、ずっと……本格的だったので」


 嘘ではない。

 全部は言っていないだけだ。

 ダンテはそれ以上追及せず、部屋の中央へ進んだ。


「ここに入れる人間は少ない」


 その一言に、リヴィアの胸がわずかにざわつく。

 ゲームの中でも、よく似た台詞があった。

 ただしもっと誇らしさと、甘さを含んでいた気がする。


 今の彼の声には、そんなものは欠片もない。

 実務的な、淡々とした声音だった。


 ダンテは長机の上に広げられた地図へ視線を落とす。

 リヴィアも、その隣へ歩み寄った。


 薄暗い室内のせいか、妙に距離が近く感じる。

 ダンテが指先で一つの印を叩く。


「ここが、失踪者が最後に確認された地点の一つだ」


 赤い印。


「こっちは港の荷の流れ」

「こっちは薬の流通が濃い場所」


 彼は地図をなぞりながら、記号の意味を説明する。

 リヴィアは地図の上へ身を乗り出した。


「この辺り……」


 港湾地区の端。

 貧民街へ抜ける細い道。

 その周辺に印が重なっている。


「失踪地点が少し偏っていますね」


「そうだ」


 ダンテの声が、すぐ近くで落ちる。

 次の瞬間、彼の腕がリヴィアの肩越しに伸びた。

 指先が、地図の一点を指す。


「こっちもだ」


 息が止まりそうになる。

 近すぎる。

 けれど、ダンテはそんなことを気にも留めていない。

 ただ地図だけを見ている。


 リヴィアは一瞬だけ呼吸を浅くしたまま、彼の指先の先を追った。


 ――ここ、本当なら。

 ゲームの記憶がよぎる。


 本来なら、ここで選択肢が出たはずだ。

 ダンテが背後から手を伸ばし、主人公が振り向くか、そのまま話を聞くか。

 そんな、よくある接近イベント。


 でも今は、そんなものは出ない。

 選択肢も、効果音も、好感度表示もない。


 リヴィアはわずかに指先を握り、机の上の地図から視線を逸らさずにいた。


 必死で心を落ち着ける。

 あの時の胸の高鳴りを、今持ち出してる場合ではない。


「聞いているか?」


 ダンテの声でリヴィアははっとする。


「いいえ」

「少し、考えていただけです」


 ダンテはそれを深く追わない。

 指先を地図から離し、今度は別の資料を机の上に広げた。


「消えた人間の生活圏と、荷の流れを重ねたものだ」


 リヴィアは資料へ目を落とす。

 たしかに、完全に一致はしない。

 けれど、いくつかの線が妙に重なる場所がある。


 気を取り直してリヴィアは言う。


「……攫われた地点、生活圏からすこしはずれています」

「目撃証言では、特に変わった様子もなく歩いていたというものがほとんどですが」


 ダンテはちらりとこちらを見る。


「続けろ」


「つまり、攫われた人々は、自分自身で“その地点”まで向かっていた可能性はありませんか?」


 彼は地図を真っ直ぐ見つめていた。


「なるほど」

「人気のない所で襲ったのではなく、人気のない所まで誘導したということか」


 リヴィアは小さく頷く。


「ええ」

「何らかの方法で」


 ダンテはしばらく黙っていた。

 それから、低く言う。


「確かにあり得る」

「思ったよりも役に立つな」


 紺色の瞳がリヴィアに向く。


「褒め言葉として受け取っておきます」


 その瞳があまりにも鋭くて、思わず視線を逸らした。

 ダンテは気にせず続ける。


「明日、例の男の母親の元に行く」

「お前も来い」


 静かな声だった。


「……私も?」


 思わず聞き返す。

 ダンテは当然のように答えた。


「お前の目は案外使える」


 相変わらず物のような言い草に腹が立ったが、気になるのも事実だ。


「行きます」


 ダンテはそれを聞いて、ほんの少しだけ目を細めた。

 まるで、その答えを最初から知っていたように。


 地図室の中は静かだった。

 壁一面に広がる街の輪郭。

 そこに刻まれた印の数々。


 まだ、分からないことだらけだ。

 それでも。


 確実に、答えに近づいている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ