ep.2 村の少年②
父さんは、しばらく森を見つめていた。
僕も窓から外を見ている。
けれど、見えるのは月明かりに照らされた森の木々だけ。
「父さん……」
「レイヴェル」
父さんが振り返った。
「窓から離れろ」
「でも……」
「いいから」
いつもと違う。
その声を聞いて、僕は素直に窓から離れた。
「何があったの?」
母さんが尋ねる。
「まだ分からん」
「魔獣?」
「……分からん」
父さんは短く答えた。
その手には剣が握られている。
普段なら、夜に剣を持って外へ出ることなんてない。
「父さん」
「なんだ?」
「森の中を見てくるの?」
「ああ」
「僕も行く」
「駄目だ」
「でも――」
「駄目だ」
今度は、はっきりと言われた。
「お前はここにいろ」
「……分かった」
父さんは母さんを見る。
「ノエラ」
「ええ」
「戸締まりをしておいてくれ」
「分かったわ」
父さんはもう一度、外を見た。
「何かあれば、すぐに村の中央へ行け」
「ええ、グレンも気をつけて」
「ああ」
父さんは家を出ていった。
扉が閉まる。
その音が、やけに大きく聞こえた。
「……母さん」
「大丈夫よ」
母さんが笑った。
けれど。
その笑顔は、いつもより少しだけ固かった。
「父さん、大丈夫かな」
「グレンなら大丈夫」
「でも……」
「昔から、あの人は無茶するでしょう?」
「そうだけど」
「だから、あなたが心配しすぎなくていいの」
母さんはそう言って、僕の頭に手を置いた。
「今日はもう寝なさい」
「眠れるかな」
「眠れなくても、横になってなさい」
「……うん」
僕は頷いた。
けれど。
その夜、なかなか眠ることはできなかった。
* * *
どれくらい経ったのか。
外から、声が聞こえた。
「グレン、居るか!」
僕は目を開けた。
まだ夜だった。
隣の部屋から母さんが起き上がる気配がする。
「誰?」
「ダリルの声だ」
父さんが答えた。
僕もベッドから出る。
「レイヴェル?」
「母さん、僕も行く」
「待ちなさい」
母さんと一緒に部屋を出る。
玄関を開けると、そこにはダリルさんが立っていた。
その手には槍が握られている。
「ダリルさん……?」
「起こしたか」
「何かあったんですか?」
ダリルさんが答えた。
「村の西側で、家畜が騒いでる」
「家畜が?」
「ああ」
ダリルさんが森の方を見る。
「それだけじゃない」
「何か見たの?」
「足跡があった」
僕は息を呑んだ。
「足跡?」
「ああ」
ダリルさんが頷く。
「村の外から、森の方へ続いていた」
「魔獣なの?」
「まだ分からん」
父さんが言った。
「だが、何かがいるのは間違いない」
その言葉を聞いた瞬間。
村のどこかから、鐘の音が鳴った。
――カン、カン、カン。
夜の村に響き渡る。
「……何?」
僕が呟く。
「警戒の鐘だ」
ダリルさんが答えた。
「村長が鳴らしたんだろう」
窓の外を見る。
少しずつ、村人たちが家から出てきていた。
「何があったんだ?」
「魔獣が出たのか?」
「森の方じゃないか?」
「子供を家に戻せ!」
不安そうな声が、あちこちから聞こえてくる。
いつもの静かな村が、少しずつ騒がしくなっていった。
「ノエラ」
「ええ」
「レイヴェルを頼む」
「分かってるわ」
父さんが剣を握り直す。
「俺とダリルで村の周囲を確認する」
「私も行く」
「フィオナ?」
いつの間にか、ルイナの母さんが来ていた。
その後ろにはルイナもいる。
「私も弓を持ってきたわ」
「危険だぞ」
「分かってる」
フィオナさんは静かに答えた。
「でも、村のためでしょう?」
父さんは少し黙った。
「……分かった」
「お父さん」
ルイナが声をかける。
「私も行く」
「お前は駄目だ」
「でも弓なら――」
「駄目だ」
「……」
「子供たちを守ってくれ」
「子供?」
「ああ」
父さんが村の中央を見る。
そこには、何人かの村人が集まり始めていた。
「もし何かあったら、子供たちを村の中央へ集めるんだ」
「……分かった」
ルイナは頷いた。
「レイヴェル」
「ん?」
「私たちも行こう」
「うん」
僕たちは村の中央へ向かった。
* * *
村の中央には、次々と人が集まっていた。
大人たちは武器を持っている。
農具を手にしている人もいた。
子供たちは、不安そうな顔で親にしがみついている。
「何が起きてるの?」
「分からない」
「魔獣なの?」
「まだ決まったわけじゃない」
そんな声が飛び交っていた。
僕は森の方を見る。
暗い。
何も見えない。
ただ、さっきから妙に静かだった。
虫の声すら聞こえない。
「……静かすぎる」
僕が呟くと、ルイナが隣を見る。
「え?」
「森」
「……本当だ」
ルイナも森を見る。
「さっきまで虫の声がしてたのに」
「うん」
僕は木剣を握った。
家を出る時、持ってきたものだ。
父さんに持ってくるよう言われたわけじゃない。
ただ。
何となく、持っていた。
「怖い?」
ルイナが聞いた。
「……うん」
「私も」
ルイナは少し笑った。
「でも、大丈夫」
「どうして?」
「だって、お父さんたちがいるから」
「そうだね」
僕も笑った。
その時だった。
村の入り口の方から、大きな声が聞こえた。
「グレン!」
僕たちは一斉に振り返った。
誰かが走ってくる。
父さんだった。
「どうしたの?」
村人たちが集まる。
父さんは息を整えながら言った。
「村の外に、何かいる」
「何かって?」
「分からん」
「魔獣じゃないのか?」
「……まだ姿は見ていない」
父さんが森を見る。
「だが、近づいてきている」
その言葉に、村が静まり返った。
「近づいて……?」
誰かが呟いた。
父さんは頷いた。
僕は森を見つめた。
何も見えない。
なのに。
胸の奥が、嫌な感じにざわついていた。
その時。
森の中から。
――枝が折れる音がした。
パキッ。
小さな音だった。
けれど。
村にいた全員が、その音を聞いていた。
誰も喋らない。
誰も動かない。
森の奥を見つめる。
もう一度。
パキッ。
今度は、少し近い。
ルイナが弓を構えた。
父さんが剣を抜く。
ダリルさんも槍を構える。
僕は木剣を握り直した。
そして。
森の奥で。
何かが、ゆっくりと動いた。
月明かりの下。
木々の間に。
何かがいる。
まだ、その姿は見えない。
けれど。
確かに。
こちらを見ている。
僕は息を止めた。
次の瞬間。
森の奥から――
低い唸り声が響いた。




