ドス黒い鳥居の向こう側から這い出した無数の触手は、まるで意思を持つ蛇の群れのように、うねりながら四方八方から四人へと言葉なき殺意を向けて迫ってきた。
島全体を覆う怨念の波動は先ほどよりも一段と密度を増し、呼吸をするだけで肺の奥が焼けるような錯覚に囚われる。
「来るぞ! 一斉に攻撃を仕掛け、奴らの懐に飛び込む隙を作るんだ!」
甲斐吽が仕込み杖の黄金色の光を鋭くきらめかせ、目前に迫った巨大な触手を一閃の下に両断した。
しかし、断ち切られた断面からはどす黒い粘液が噴き出し、すぐにまた新しい触手へと再生していく。
物理的な斬撃だけでは、この底知れぬ怨念の奔流を完全に断ち切ることはできない。
「みんな、下がってちゃダメだ! 俺たちがこの隙を作る!」
橘翔平は荒い息を吐き出しながら、小型艇の装備品から持って来た丈夫な鉄パイプを力強く握り締めた。
彼の持つその道具には、仲間を守りたいという強い意志が霊気となって宿り、淡い白銀色の輝きを放っている。
翔平は正面から突っ込んできた太い触手に向かって踏み込み、全身全霊を込めて殴りつけた。
ガキン、と硬質な衝突音が響き、翔平の渾身の一撃が触手の勢いを一時的に押し戻す。
「すげえ手応えだ……! だが、硬すぎる!」
「翔平、油断するな! 相手は一つじゃないぞ!」
柏木湊がすぐさま翔平の背後に回り込み、祖父の形見である護身用の古びた御守りを掲げた。
その御守りから放たれた微かな神気が、翔平の周囲に薄い光の膜を張り巡らせ、側面から忍び寄る別の触手の奇襲を防ぎ切る。
湊の額には冷や汗がにじみ、その手は微かに震えていたが、その瞳には決して引かないという固い決意が宿っていた。
「大丈夫だ翔平、俺が背中を護る。二人でこの防衛線を絶対に維持するんだ!」
「おう、頼むぜ湊!」
二人の連携は見事で、甲斐吽と弘恵を後ろから支える強固な盾となっていた。
しかし、相手は太古からの怨念が結晶化した異形の存在である。
人間の体力や精神力がどれほど強靭であっても、この過酷な環境下で無限に湧き出る敵を相手にし続けることには、おのずと限界があった。
島に満ち満ちていた澱みがさらに濃くなり、湊と翔平の足元を這う黒い粘液が、まるで生きた蔦のように彼らの足首へと絡みついていく。
「なっ……足が、動かない……!?」
湊がバランスを崩しそうになり、それを支えようと翔平が手を伸ばした瞬間、背後から別の触手が音もなく忍び寄った。
「翔平、湊、危ない!」
弘恵の鋭い叫び声と同時に、彼女は神楽鈴を激しく打ち鳴らし、白き聖域の光を二人の足元へと浴びせた。
ジリリリッという清浄な音が響き渡り、絡みついていた粘液が焼き払われるように消滅する。
しかし、その代償として、弘恵自身が放っていた聖域の光が急激に弱まり、彼女の顔色からサーッと血の気が引いていった。
連続して神楽鈴を振り続け、自身の霊力を極限まで削り取っていたせいで、彼女の身体はすでに限界を迎えていたのだ。
「弘恵さん……!」
「私は……大丈夫よ。まだ、まだ戦えるわ……!」
強がりを言いながらも、弘恵の膝がガクリと揺らぎ、その場に崩れそうになる。
彼女をかばうように甲斐吽が一歩前に出ようとしたその隙を、怨念の化身は見逃さなかった。
頭上を覆う闇の渦から、ひと際巨大で鋭い漆黒の槍のような触手が、凄まじい速度で弘恵めがけて突き刺さってきた。
「弘恵さん、危ない!」
「っ……!」
直撃の瞬間、弘恵の身代わりとなるように、身を挺して飛び込んだのは橘翔平だった。
翔平の背中にその黒い槍が激突し、鈍い衝撃音と共に彼は盛大に吹き飛ばされた。
「翔平――っ!」
湊が絶叫しながら翔平の元へと駆け寄る。
翔平は地面に叩きつけられ、苦しそうにうめき声を上げると、そのまま意識を失ってピクリとも動かなくなってしまった。
背中からは僅かに霊的な呪いが立ち込め、彼の呼吸はみるみるうちに浅くなっている。
「翔平! しっかりしろ、翔平……!」
「……くっ、よくも……!」
仲間の負傷を目の当たりにした湊の顔に、激しい怒りと絶望の影が入り混じる。
しかし、その隙を突くように、今度は湊の足元から噴き出した黒い泥のうねりが、彼の身体を一気に絡め取った。
「うわあ……っ!」
湊は体制を立て直す間もなく、強力な呪的吸引力に引きずり込まれ、地面に強く打ち付けられた。
祖父から受け継いだ御守りの光もここで完全に砕け散り、湊は激しい頭痛と倦怠感に襲われて意識の糸を断ち切られたようにその場に崩れ落ちた。
「湊くんっ……!」
弘恵が必死に這い上がり、倒れ込んだ湊の肩を抱き起こそうとするが、彼女自身の体力もすでに底をつきかけていた。
連続する激しい戦闘と、圧倒的な怨念の重圧が、神楽坂の血筋である彼女の精神をじわじわと蝕んでいたのだ。
「もう……これまでな……の……」
弘恵の手から神楽鈴がポロリとこぼれ落ち、黒い岩肌に乾いた音を立てた。
彼女を守っていた白き聖域の光が完全に消え去り、周囲を包んでいた闇が津波のように二人の意識を飲み込もうと迫ってくる。
「弘恵……!」
一瞬にして二人の仲間が倒れ、そして弘恵までもが力尽きかけた光景を目の当たりにし、甲斐吽の心に怒涛のような感情が渦巻いた。
だが、彼は決して絶望に屈しはしない。
むしろ、その瞳の奥の黄金色の輝きは、かつてないほど激しく、狂おしいほどの熱を帯びて燃え上がっていた。
「よくも……私の仲間たちを傷つけてくれたな」
甲斐吽は仕込み杖の柄を両手でしっかりと握り直し、倒れた弘恵、そして気絶した翔平と湊を背後に庇うようにして、一人で巨大な怨念の化身の正面へと歩み出た。
敵は嘲笑うかのように、無数の触手をさらに肥大化させ、甲斐吽を押し潰さんとばかりに一斉に襲いかかる。
だが、阿門甲斐吽の闘志は、この絶望的な状況においてこそ、最も鋭く研ぎ澄まされていた。
全ての防衛線が崩れ去り、誰もが終わりを予感する極限の静寂の中、たった一人で闇に立ち向かう甲斐吽の反撃の太刀が、夜の闇を裂いて今まさに振り下ろされようとしていた。
第29話(完)