島の中央にそびえるドス黒い鳥居の向こう側から、世界そのものを飲み込まんとする破滅的な気配が津波のように押し寄せた。
橘翔平も柏木湊も意識を失い、神楽坂弘恵もまた神楽鈴を取り落としてその場に崩れ落ちている。
誰もが動けない絶望的な状況の中、阿門甲斐吽はたった一人で巨大な怨念の化身の前に立ち塞がっていた。
しかし、その肉体と精神にかかる負荷は、もはや人間の限界を遠く超えていた。
「ぐっ……!」
甲斐吽の喉元から熱いものがこみ上げ、黒い岩肌に鮮烈な紅い血が飛び散る。
連続する激しい攻防と、島全体を覆う重圧的な呪的エネルギーが、彼の内臓を内側から引き裂くように蝕んでいた。
全身の血管が浮き上がり、愛用の仕込み杖を握る両手の掌からはとめどなく血が流れ落ちている。
それだけではない。
人間が抗うことのできない巨大な異変は、この島だけでなく、鹿児島の大地そのものを根底から狂わせ始めていた。
ゴゴゴゴ……ッ! と、足元の黒い岩盤がすさまじい勢いで上下左右に激しく揺れ動き、立っていることすら困難なほどの強烈な地震が発生した。
湾を挟んでそびえ立つ桜島の山頂からも、突如として赤々とした不気味なマグマの閃光が夜空を焦がし、ドス黒い噴煙と膨大な火山灰が天を突くように噴き上がっている。
大正の大噴火の再来を思わせる凄まじい天変地異の前触れが、世界を終わりのない混沌へと引きずり込もうとしていた。
「これほどの……地脈の乱れと大地の悲鳴か……!」
甲斐吽は膝をつきかけながらも、気力を振り絞って仕込み杖の先端を地面に突き刺し、どうにか踏みとどまった。
空を覆う黒い雲は激しい稲妻を伴ってうねり、島全体がまるで生き物のように震えている。
深海の元凶と地表の結界が完全に崩壊しかけ、このままでは鹿児島一帯が文字通りマグマと怨念の底へと沈みかねない。
視界が歪み、意識が遠のいていく中、甲斐吽は決死の覚悟で阿門家に伝わる秘術の印を結んだ。
「――現れよ、霧島を統べる大霊脈の守護者、蒼き龍よ……!」
甲斐吽の叫びと共に、島を囲む黒い海面が激しく割れ、悠久の時を生きる巨大な蒼き龍の影が天を衝く勢いで顕現した。
龍の鱗は神々しく輝き、その巨体から放たれた圧倒的な神気が、周囲の瘴気を一瞬にして押し返す。
しかし、怨念の化身もただでは終わらなかった。
太古の絶望が結晶化したその怪物は、龍の出現に激昂するかのようにさらにその体積を倍以上に膨れ上がらせ、無数の触手を絡みつかせて反撃に出た。
「ぐああっ……!」
龍の力をもってしても、蓄積された呪いの奔流は底知れず、押し寄せる圧倒的な質量と呪縛の前に甲斐吽は少しずつ押し戻されていく。
龍の巨体が怨念の泥に絡め取られ、その神々しい光が次第にかき消されていくほどの凄まじい苦戦だった。
甲斐吽は全身に深い傷を負い、仕込み杖を持つ腕が痺れて感覚を失っていく。
(ここで終わるわけにはいかない……!)
絶望的な泥沼の攻防の中、奇跡はまさにその極限状態で起きた。
遠くで倒れていた弘恵が、微かに指先を動かして意識を取り戻した。
その清らかな鈴の音が再び闇夜に響き、さらに少し離れた場所で湊と翔平も荒い息を吐きながらゆっくりと体を起こした。
仲間たちの胸の内に宿る熱い光が共鳴し、四人の意識が空間を超えて一つに結びついた瞬間、世界を揺るがすほどの眩い奇跡の光が爆発的に広がる。
「みんなの力が……私に宿る……!」
弘恵の清めの波動、湊の祖父から受け継いだ加護、翔平のまっすぐな闘志、そして甲斐吽の霊気と龍の力が完璧に重なり合った。
四人の魂が一つに融和したその瞬間、蒼き龍の纏う光がまばゆい黄金色の神輝へと昇華し、怨念の化身を完全に包み込んだ。
「行くぞ……これが私たちの絆の力だ! 龍脈一閃――!」
甲斐吽が渾身の力を込めて振り下ろした太刀筋は、四人の力を束ねた不滅の光の刃となり、怨念の核を根本から両断した。
断末魔の叫びと共に化身は霧散し、鹿児島を揺るがしていた天変地異も急速に静まり、夜空には本来の美しい星々が穏やかな光を取り戻していったのだった。
第30話(完)