神楽坂弘恵の力強い言葉を受けて、阿門甲斐吽の心にあった孤独な重圧は確かな決意へと変わっていた。
先祖代々から受け継いできた南九州の守護という使命。
それを一人で背負い込むのではなく、霧島の神域を守る神楽坂の血を引く彼女と共に立ち向かう。
二人の絆が重なり合うことで、この未曾有の危機に立ち向かうための強固な霊力の結びつきがようやく整った瞬間だった。
「分かった。時間はない。霧島の神域と鹿児島湾を繋ぐ霊脈が完全に断ち切られる前に、私たちの手でその源を断つ。準備はいいな、弘恵」
甲斐吽が改めて問いかけると、弘恵は迷いのない瞳で力強く頷いた。
「いつだってできているわ。行きましょう、甲斐吽様!」
二人はすぐさま室内の霊具一式を改め、それぞれの役割を確認し合った。
甲斐吽は神棚に祀ってあった阿門家に代々伝わる仕込み杖と、強力な呪詛を打ち破るための数多の御札を懐に収める。
一方の弘恵は、白と朱の巫女装束の裾をしっかりと結び直し、神聖な鈴の音を響かせる神楽鈴と、邪悪な魔を断ち切るための破邪の神剣を携えた。
阿門の術と神楽坂の神楽。
この二つの血脈が揃うことで初めて発動できる特別な神域の結界の準備を整え、彼らは夜の街へと踏み出す決意を固めた。
しかし、外へ出る前に、現在の鹿児島の状態がどのように変化しているのかを正確に把握しておかなければならない。
敵がどこから侵食し、どの霊脈を狙っているのかを知るための「星辰の導き」を授かる必要があった。
「出発する前に、まずは現在の霊気潮流の正確な位置を特定する。私に続け」
甲斐吽は円卓の中央にずっしりとした重みを持つ青銅製の器を据えた。
器の内側には、霧島の神域から汲み上げられた清らかな神水がたっぷりと張られており、波一つない水面が蝋燭の光を静かに反射している。
弘恵は円卓の対面に立ち、手に持った神楽鈴をそっと鳴らした。
チリン、という清らかな鈴の音が空間の澱みを震わせ、外から忍び寄る不穏な黒い気配を一時的に押し返す。
「神楽坂の神域の波動と、甲斐吽様の術を同調させます。夜空の星々の配置と、地下を流れる霊脈の共鳴点をこの水鏡に映し出してください」
弘恵の言葉に合わせて、甲斐吽は青銅の器の縁にそっと指先を添え、真言を低く唱えた。
その指先から注がれた霊力が水面に波紋を広げ、静まり返った水鏡の中には夜空の星の動きと連動するように、鹿児島市内の立体的な地図が幻想的な光として浮かび上がってきた。
その光の地図を凝視すると、天文館の華やかな街並みの地下、そして鹿児島湾に面した古い岸壁の周辺に、無数の呪詛と思われるノイズが走っているのがはっきりと分かった。
特に、桜島の裾野から海中へ向かって伸びる一本の太い霊脈が、何者かによって激しく締め付けられ、黒い粘液のような影に侵食されている。
「ここだ……。鹿児島湾の海底深く、かつて大地の急所とされていた地層の亀裂。そこに外部からの強烈な負の波動が集中している」
甲斐吽が鋭く指先で水鏡の一点を指し示すと、弘恵はその場所をしっかりと目に焼き付けた。
「霧島の峰々から流れ出す清らかな霊道が、まさにその海底の亀裂でせき止められ、逆流させられているわね。だから、街のあちこちで人々が幻聴を聞いたり、異常な恐怖心に襲われたりしているのよ」
原因の特定は済んだ。
だが、そこに向かうまでの道のりすら、すでに呪詛に気配に満ちているはずだった。
「この騒ぎを起こした何者かは私たちの動きを察知している可能性が高い。現地に赴くまでの間、少しの油断も命取りになる。互いの気配をしっかりと結びつけ、結界の盾を張りながら進むぞ」
「ええ、分かっているわ。私の神楽鈴の音が届く範囲であれば、どんな悪霊や呪詛であっても近づけることはないわ」
二人は深く息を吸い込み、精神を極限まで統一させた。
阿門家の血脈が持つ冷静な分析力と、神楽坂家の血脈が持つ清浄な巫女の力。
その二つが完全に融合したとき、周囲の空間には目に見えない強固な防壁が展開された。
準備は整った。
これ以上、この美しい鹿児島の大地と人々を、正体不明の黒き災いに蹂躙させるわけにはいかない。
甲斐吽は円卓の上の水鏡から手を放し仕込み杖をしっかりと握りしめた。
弘恵もまた、神楽鈴を胸元に抱え込み、まっすぐに引き戸を見据える。
「行くぞ、弘恵」
「ええ、参りましょう、甲斐吽様!」
二人は並んで木製の引き戸を開け放った。
外に広がるのは、星の輝きが薄れつつある不穏な初夏の夜気だったが、彼らの足元には、失われかけていた神話の結界を立て直すための確かな光が宿っていた。
血脈の絆を胸に、闇の源流へと向かう二人の背中が、静まり返った路地裏の闇の中に溶け込んでいった。
第25話(完)