まばゆい青白い閃光が視界を埋め尽くした瞬間、激しい耳鳴りとともに、頭の芯がぐらりと揺さぶられた。
足元にあったはずの古い木造家屋の床板の感触は消え失せ、代わりに皮膚を刺すのは、湿り気を帯びた重たい夜気と、どこか煤けたアスファルトの冷たさだった。
「……っ、なんだ……ここは……?」
柏木湊が荒い息を吐きながら身体を起こすと、そこは先ほどの路地裏とは似ても似つかない、しかし見覚えのあるような、どこか歪んだ景色の広がる空間だった。
街灯の光は黄色く濁り、通りを行き交う人々の姿はどこか影のようにぼやけている。
そして遠くに見えるはずの桜島のシルエットは、不気味なほど黒く、まるで巨大な壁のように聳え立っていた。
「ここは、鹿児島市内の……しかし、今の時代ではないな」
低い声で呟きながら立ち上がったのは、阿門甲斐吽だった。
その黒い衣は静まり返った闇に溶け込み、周囲の異質な気配を鋭い眼光で見据えている。
「阿門さん、それに……一体、何が起きたんだよここは!」
少し離れた場所から、橘翔平も戸惑いながら立ち上がり、周囲の景色を見回して息を呑んだ。
翔平は元々の相談者としてこの場に居合わせたはずが、湊に巻き込まれる形で、時空の歪みの中心へと引きずり込まれてしまったのだ。
「私たちが足を踏み入れたのは、柏木湊の祖父がかつて生き、そして大きな選択を誤った『過去の記憶の残骸』が澱となって渦巻く世界です。現実の時空から切り離された、因果の迷宮と言ってもいい」
甲斐吽は冷静に状況を分析しながら、懐中時計の光を放ち続ける湊に視線を向けた。
「俺の祖父の……過去の記憶、だと? どういうことだよ。俺のじいさんは普通の職人だったはずだ。こんなおかしな世界に関わっていたなんて聞いたこともない!」
湊は信じられないといった面持ちで声を荒げたが、その手に握られた懐中時計の針は、相変わらず不気味なスピードで逆回転を続けている。
時計の光が脈打つたびに、周囲の景色が波打つようにゆがみ、遠くから何者かの足音や、押し殺したような話し声が聞こえてくるような錯覚に襲われた。
「祖父が隠した秘密、そして彼がこの街で果たせなかった『やり直しの選択』。それがこの時計に刻まれている。それを解きほぐさなければ、あなたも、そしてこの街の現在も、永遠にその歪みから逃れることはできません」
甲斐吽の言葉に、湊はぐっと歯を食いしばった。
恐怖心は消えていないが、自分が背負い込んでしまった因果の重さが、逃げ場を塞いでいることを本能で理解していた。
「……分かったよ。やるしかないんだろ、この過去の幻とやらに向き合えばいいんだろう!」
湊が覚悟を決めたように叫んだその時、濁った街灯の光の向こうから、一筋の人影がすうっと姿を現した。
古びた作業着に身を包み、疲労の色が濃くにじんだ顔をした初老の男。
その手には、湊が今握りしめているものと全く同じ、しかし光を失った古い懐中時計が握られていた。
「……あれは……祖父……なのか?」
湊の声が震える。
目の前に現れた男の姿は、湊の記憶にある晩年の祖父よりもはるかに若く、しかしその表情には、すべてを諦めかけたような絶望的な暗さが漂っていた。
「柏木……お前が選んだその道は、本当に正しかったのか……?」
幻影の祖父が、誰とも知れぬ誰かに向かって、あるいは自分自身に向けて、掠れた声で呟く。
その言葉が発せられた瞬間、周囲の空間の温度が急激に低下し、冷たい風が吹き抜けた。
「過去の記憶が、あの日の後悔を再現しようとしています。湊、あの男が過去の選択を誤った瞬間を放置すれば、その因果が現在のあなたを飲み込み、すべてを無かったことにしてしまうでしょう」
甲斐吽が鋭い警告を発する。
翔平は湊の肩にそっと手を置き、力強くうなずいた。
「柏木さん、逃げちゃダメだ。あの人が抱えた後悔の正体を突き止めて、あんたがその連鎖を断ち切るんだ!」
湊は深く息を吸い込み、目の前に立つ祖父の幻影へと一歩、また一歩と歩み出した。
懐中時計の青白い光が、まるで彼の背中を押すように激しく明滅を繰り返す。
歪んだ時間の迷宮の中で、過去の亡霊と現代の青年が対峙する。
鹿児島を揺るがす時空の試練は、今まさに最も深い核心へと突入しようとしていた。
第16話(完)