第六章 地の底の姫
蛇の室に向かう通路で、白いものが見えた。
生物発光の緑でも、菌類の青白でもない。もっと——人間に近い白。肌の白。
暗闇の中に、白い肌が浮かんでいた。
女だった。
闇から浮かび上がるように立っていた。真白い肌。光を知らない白さ。地の底で、太陽の一筋も浴びずに育った肌。透けるほど白い。青白い菌類の光を受けて、肌そのものが発光しているように見えた。
腰まで届く黒髪。黒い神衣。そして——目。深い藍色の目。暗闇の中で、目だけがかすかに光っていた。
細い体だった。華奢という言葉が似合うが、華奢とは少し違う。地の底の食べ物だけで育った体だ。地上の果実も穀物も肉も知らない。この世界にあるものだけで作られた体。
美しかった。
地上の美しさとは違った。八上比売は明るい美しさだった。見定める目。赤い衣。茶色の肌。太陽の下で輝く女。この女は——暗闇の中で輝いている。太陽がなくても光る。いや、太陽がないから光る。
目が合った。
藍色の目が、俺を見ていた。
「——あなたと契りを交わしたい。」
名乗る前に——そう言った。
「…………」
何と返せばいい。
返し方が分からなかった。名前を聞かれたら答える。求婚されたら考える。しかし初対面で「契りを交わしたい」と言われた経験がない。八上比売でさえ、まず選んで、それから来た。この女は——選ぶ前に、来ている。
「……名前は」
「須勢理毘売。」
「俺は——」
「大穴牟遅。二度死んで蘇った神。知っています。」
知っている。名前を知っているならなぜ先に名乗らなかった。あるいは——名前など重要ではないと思っているのか。この女にとっては「契りを交わす」が先で、名前は後なのか。
順番がおかしい。しかし——この場所では、おかしくないのかもしれない。地の底には地の底の順番がある。
「……なぜ俺と」
「目がいいから。」
八上比売と同じことを言った。しかし意味が違った。八上比売は「自分以外を見ている目」を選んだ。須勢理毘売は——何を見て「いい」と言っているのか。
「二度死んだ目は——底が抜けている。」
「……父上と同じことを言うな」
「父が先に言いましたか。」
口元が——動いた。
笑った。のだと思う。口角が持ち上がった。しかし目は変わらなかった。藍色の光が、同じ温度で、同じ角度で、俺を見ている。口だけが笑って、目は笑っていない。
少し怖かった。
怖いと思ったのは死んでからこちら二度目だった。一度目は「怖くないことが怖い」。二度目は——この女の笑い方が怖い。
「試練が終わったら——」
須勢理毘売が、一歩近づいた。
「この方は私のものです。」
俺に言ったのではなかった。背後に——いつの間にかスサノオが立っていた。
父に向かって、娘が宣言していた。この男は私のもの。まだ名前を交わして数十秒しか経っていない。契りも交わしていない。それなのに「私のもの」と言い切った。
スサノオが——娘を見ていた。老いた目に、何かが浮かんでいた。怒りではなかった。呆れでもなかった。もっと——奥の方の感情。この老いた神にも、かつて誰かに「私のもの」と言われたことがあるのかもしれない。あるいは——誰かを「俺のもの」と思ったことが。
「……娘と契りを交わしたければ」
スサノオが俺を見た。
「試練を乗り越えてみろ。」
「試練」
「蛇の室で一晩眠れ。それが最初だ。」
最初。ということは二つ目もあるのか。三つ目も。
「生きていたら——次を出す。」
スサノオが去った。老いた嵐が通路の奥に消えていく。
須勢理毘売と二人になった。
通路の暗闇の中で。生物発光の薄緑の光だけが二人を照らしている。
「……お前は——いつもあんなふうに言うのか」
「あんなふうとは。」
「初対面で——契りを交わしたいと」
「初めてです。あなたが初めて。」
「……なぜ俺に」
「ここにいたから。」
また、だった。「ここにいたから」。俺が白兎に言った言葉が、この地の底で返ってきた。
「ここにいたから——来た。見た。決めた。」
須勢理毘売が近づいた。暗闇の中で白い肌がさらに近くなった。手が伸びてきた。冷たかった。地の底の冷たさ。指先が俺の手に触れた。
「——試練を乗り越えてください。」
「乗り越えなかったら」
「死にます。」
「死んだら——お前はどうする」
「……別の人を待ちます。」
嘘だった。
目が笑っていないのに、口元がわずかに震えていた。「別の人を待つ」のは嘘だ。この女は——俺が死んだら、たぶん誰も待たない。
なぜ分かるかと言えば——理屈ではない。二度死んだ目は、嘘が見える。嘘は温度が違う。本当の言葉と嘘の言葉は、温度が違う。八上比売の「あなたを選ぶ」は温かかった。須勢理毘売の「別の人を待ちます」は——冷たかった。冷たすぎた。
「……乗り越える」
「はい。」
「契りは——その後でいいか」
「……いい。」
少しだけ——間があった。「いい」の前に。この女の間は珍しかった。初対面で「契りを交わしたい」と言えるほど迷わない女が、「いい」の前に間を置いた。
何かを——感じたのかもしれない。俺が嘘を見抜いたことを。
手が離れた。冷たさが消えた。
「これを。」
須勢理毘売が——布を差し出した。薄い布。菌類の青白い光に照らされて、絹のような質感が見えた。比礼。
「三回払えば蛇は退きます。」
「……なぜ助ける。試練は——一人で乗り越えるものではないのか」
「一人で乗り越えろとは——父は言っていません。」
正しかった。スサノオは「蛇の室で一晩眠れ」と言った。「一人で」とは言わなかった。助けを使うなとも言わなかった。
比礼を受け取った。
「……ありがたい」
「お礼はいいです。乗り越えたら——言ってください。」
蛇の室に向かった。
暗い。
完全に暗い。生物発光もない。菌類もない。光が一切ない部屋。音だけがある。
ずるり。ずるり。ずるり。
床を蛇が這っている。壁を蛇が這っている。天井にも蛇がいる。全方向から——蛇の音が来ている。何匹いるか分からない。十匹か。百匹か。
目が使えない。暗すぎて何も見えない。耳だけが頼り。
比礼を——振った。一回。
蛇の音が少し止まった。
二回。
後退する音が聞こえた。ずるり、ではなく——すっ、と。退いている。
三回。
静かになった。
蛇が——退いた。部屋の隅に集まって、動かなくなった。比礼の効果が空間を覆っている。
横になった。蛇の室の床に。石の床が冷たかった。須勢理毘売の指より冷たかった。
目を閉じた。
暗闇の中で、暗闇に目を閉じる。二重の暗闇。何も見えない。何も見えないが——安全だった。比礼が蛇を退けている。
須勢理毘売の顔を思い出した。白い肌。藍色の目。口だけが笑う顔。「この方は私のもの」と父に宣言した声。
怖い女だ。
怖いが——嫌ではない。
二度死んだ後で、怖いものが一つ増えた。蛇でも死でもなく——あの笑い方が怖い。しかし嫌ではない。
嫌ではないことが——何を意味するか。
考える前に、眠った。地の底の蛇の室で、比礼に守られて、眠った。
朝——朝はないが——目を覚ました。
生きていた。蛇は隅にいた。動かない。比礼が光っていた。薄い布が青白く発光していた。須勢理毘売の力が布に宿っていたのだろう。
蛇の室を出た。
通路にスサノオが立っていた。老いた体で腕を組んで、壁にもたれていた。
「——生きていたか。」
「ああ」
スサノオが俺の手を見た。比礼を持っている手を。
「……縁か。」
「……何だ」
「縁が助けた。娘の比礼がなければ——死んでいただろう。」
「……ああ。助けてもらった」
「お前は——力で乗り越えたのではない。縁で乗り越えた。」
スサノオが何かを考えていた。老いた目の奥で、何かが動いていた。
「俺とは違う守護の形だ。」
小さな声だった。独り言のように。俺に向けた言葉ではなく——自分に向けた確認のように聞こえた。
「次だ。ムカデと蜂の室に入れ。」
まだ続くのか。
通路の向こうで——白い肌が見えた。須勢理毘売が壁の陰から覗いている。口元が動いていた。たぶん笑っている。
目は——変わらなかった。




