第四十三章 出雲大社(いずものおおやしろ)
宮は——一ヶ月で建った。
人が建てたのではない。高天原が建てた。約束通りに。
建御雷神が残したガラスの円を中心にして——空から柱が降りてきた。一本目は朝に。二本目は昼に。三本目は夕方に。毎日三本ずつ。金色の柱が大地に刺さっていった。
柱は巨大だった。一本の太さが——大人が十人手を繋いでも囲めないほど。高さは雲に届いた。
村人が見上げていた。
「……でかい」
でかかった。天の御舎と同じ大きさという約束だから——天の宮殿と同じ大きさだ。地上にあるどの建物よりも大きい。人間の尺度を超えている。
柱が立ち終わると——梁が渡された。壁が張られた。屋根がかかった。全て空から降りてくる材料で。人の手は一切触れていない。
しかし——一箇所だけ、人の手が入った。
階段だった。
宮の入口までの階段。長い階段。地上から宮の入口まで——何百段もある。
その階段を——村人が作った。
「大国主さまが登る階段だ。——天の奴らには作らせない」
老人が言った。鍬を持った老人。あの老人が言い出して、村人が動いた。石を運んだ。並べた。磨いた。
一段ずつ。
宮の本体は空が作ったが、階段だけは人が作った。大地の石で。人の手で。
「……いいのか。体が」
「体なんぞ後でどうにでもなる。——大国主さまの足が踏む石だ。ちゃんとしたものを敷く」
断れなかった。
一ヶ月。
宮が完成した。
巨大だった。出雲の平野から見ると——山と同じ高さの建物が浜辺に立っている。異様だった。しかし——美しかった。金色の屋根が朝日を受けて光っていた。
完成した朝。
宮の前に——出雲の者たちが集まっていた。
三十柱の小さな神。増えてはいなかった。しかし減ってもいなかった。一ヶ月の間に——散っていた者が何柱か戻ってきた。宮が建つと聞いて。
村人。老人。若者。子供。
木俣が——宮を見上げていた。
「……大きい」
「ああ」
「この中に——住むの?」
「住む」
「……二人で?」
「二人で」
「…………広すぎない?」
広すぎる。二人で住むには。しかし——天と同じ大きさという約束だ。天が大きいのだから、仕方がない。
「……お父さん」
「何だ」
「私は——」
「お前はここに残る」
木俣が——俺を見た。八上比売の真っすぐな目で。
「……残る、って。ここに?」
「ああ。地上に。——幽冥にはお前は来ない」
「なんで」
「お前は生きている。生きている者は——目に見える世界にいるべきだ」
「お母さんは行くのに」
「須勢理毘売は俺と一緒に幽冥を治める。あいつは——暗闘の中でも」
「…………」
「暗闇。だ」
「……噛んだ」
「噛んでない」
「噛みました。お母さんから聞いた。お父さんは大事な場面で噛むって」
「…………須勢理毘売め」
木俣が笑った。しかし——すぐに笑いが消えた。
「……会えなくなるの」
「…………」
「お父さんにも。お母さんにも」
「——見えなくなる。しかしいなくなるわけじゃない。幽冥は目に見えない世界だ。見えないだけで——ここにある。お前の足の下に。祈りの中に」
「祈ったら——聞こえる?」
「……聞こえるようにする」
「約束?」
「約束」
木俣の目が——潤んだ。しかし泣かなかった。唇を噛んで、堪えた。十五歳の娘が。
「……建御名方に——伝えて」
「何を」
「姉ちゃんが元気でやってるって。——信濃は寒いだろうから、体を冷やすなって」
「……お前が直接伝えろ。会いに行けばいい」
「…………行っていいの?」
「お前の足だ。好きなところへ行け。——道は俺が作った。道はまだ覚えている。壊されても、道だった場所は覚えている」
木俣が——泣いた。
堪えようとした。しかし堪えきれなかった。声を上げて泣いた。子供のように。十五歳の体が——五歳のときと同じように泣いた。建御名方を叱っていた姉が。母を支えていた娘が。
抱きしめた。
木俣の体は温かかった。八上比売と同じ温度だった。真っすぐで温かい体。
「……お父さんの方が泣きそうな顔してる」
「泣いてない」
「嘘」
「泣いてない。——目が光っているだけだ」
「嘘つき」
「…………ああ。嘘だ」
泣いていた。俺も。
離した。木俣の肩を持って——顔を見た。涙で濡れた顔。八上比売の目。須勢理毘売に育てられた口元。
「お前は——二人の母親の子だ。どっちの良いところも持っている。だから——大丈夫だ」
「……大丈夫って根拠は」
「ない。——しかし大丈夫だと言う。親だから」
「…………それでいいの?」
「いい。親はそういうものだ。——根拠なく子供を信じる。それしかできない」
木俣が——目を拭いた。袖で。乱暴に。
「……分かった。——大丈夫にする。根拠は私が作る」
「ああ。頼む」
アメノホヒが——近づいてきた。
「大国主。——俺はこの宮に残る」
「残る?」
「宮の番をする。——お前が幽冥に行った後、この宮を守る者がいるだろう。地上の側から。俺がやる」
「……お前は高天原の者だ。帰るべきだろう」
「帰る場所は自分で決める。——出雲の握り飯がうまいから、ここにいる。それだけだ」
「…………」
「十年前にお前を見張れと言われて来た。見張るうちに——見張る必要がなくなった。お前は見張らなくても真っすぐだったから。つまらない任務だった。しかし——握り飯はうまかった」
「……それは任務とは関係ないだろう」
「関係ない。だから残る。任務ではなく——ここにいたいから」
ここにいたいから。
俺と同じことを言う男がいた。高天原の使者が。
「……分かった。頼む」
「任された」
アメノホヒが——金色の目で宮を見上げた。
「立派な宮だ。——掃除が大変そうだが」
「掃除は村人に手伝ってもらえ」
「大国主さまの宮だ! 俺たちが掃除する!」
老人が叫んだ。鍬を振り上げて。元気だった。一ヶ月前に座り込んでいた老人が——元気だった。人は立ち直る。国が壊されても、宮が建てば掃除の心配をする。生きているとはそういうことだ。
「……小さな神たち」
呼んだ。三十柱が——俺を見た。
「お前たちは——散れ」
「散る?」
「出雲だけにいるな。——この国の、全部に散れ。山に。森に。川に。浜に。人がいる場所に、お前たちがいろ。俺が繋いだ道は壊されたが——道は何度でも作れる。お前たちがいる場所が、次の道になる」
「…………」
「小さくていい。弱くていい。——ここにいると言えるなら、それでいい。俺がそうだったように」
小さな神たちが——顔を見合わせた。
一柱が言った。東の川の神。
「……大国主さまが——いなくなっても?」
「いなくならない。見えなくなるだけだ。——お前たちが祈れば、俺は聞いている。幽冥から。ずっと」
「…………」
「散れ。——そして、ここにいろ。矛盾しているが——散って、それぞれの場所で、ここにいろ」
小さな神たちが——頷いた。
一柱ずつ。浜を離れていった。東に。西に。南に。北に。
去り際に——振り返る者がいた。
「大国主さま」
「何だ」
「——ありがとうございました」
短かった。しかし——重かった。
昼を過ぎた。
浜に残ったのは——俺と須勢理毘売と木俣とアメノホヒと、村人だけだった。
須勢理毘売は歩けるようになっていた。一ヶ月で——ある程度は回復した。護はまだ使えない。しかし立って、歩いて、笑える。それで十分だ。
宮の階段の前に立った。
村人が磨いた石の階段。一段目に足をかけた。
——温かかった。
石が。人の手が触れた石が。太陽に温められた石が。
「……いい石だ」
「当然だ! 俺たちが選んだ石だからな!」
老人が胸を張った。
登り始めた。
須勢理毘売が隣にいた。一段ずつ。ゆっくり。
「……多いですね。階段」
「天と同じ高さだから」
「……聞いてはいましたが。実際に登ると」
「疲れるか」
「疲れます」
「背負おうか」
「……結構です。自分の足で入ります。——幽冥の主の妻が、背負われて入ったら格好がつかない」
「格好を気にするのか」
「少しは」
登った。一段ずつ。長かった。
途中で振り返った。
下に——出雲が見えた。
壊された出雲。道のない大地。田のない平野。水路のない畑。
しかし——人がいた。上を見ていた。手を振っている者がいた。泣いている者がいた。
木俣が——見上げていた。両手を振っていた。
「お父さーん! お母さーん!」
声が小さかった。高すぎて。遠すぎて。
しかし聞こえた。
手を振った。振り返した。
須勢理毘売も手を振った。小さく。
「……あの子は——大丈夫でしょうか」
「大丈夫だ」
「根拠は」
「ない」
「…………あなたらしい」
登った。
最後の一段を踏んだ。
宮の入口に立った。
振り返った。最後に。
出雲の全てが見えた。壊された大地。残った清い川。焼けた砂の上のガラスの光。遠くの山。海。空。
足の裏の国魂が——全てを感じていた。壊された場所も。生きている場所も。人がいる場所も。神が散っていった場所も。
——全部、俺の中にある。
全部、持っていく。幽冥に。
荷物持ちだった。兄たちの荷物を持って歩いた。重かった。しかし持った。
今は——国の重さを持っている。目に見えない国の重さを。道の記憶。田の記憶。人の祈りの記憶。全部——荷物だ。俺が持つ荷物。
重い。しかし——持てる。
隣に——須勢理毘売がいた。
「行くか」
「行きましょう」
宮に入った。
二人で。
扉が——閉まった。
光が消えた。
暗闇だった。
根の堅洲国と同じ暗闇。目が見えない。何も見えない。
「…………」
「怖いですか」
須勢理毘売の声がした。暗闇の中から。慣れた声。暗闇に慣れた声。
「怖くない」
「嘘ですね」
「……少し怖い」
「少しだけ?」
「……だいぶ怖い」
「正直ですね。——手を出してください」
手を出した。冷たい手が握った。
「案内します。——暗闇は私の庭ですから」
「……お前が先か」
「私が先です。——根の堅洲国で先に歩いたように。ここでも」
手を引かれた。暗闘の中を——
……暗闇の中を。
もう噛まなかった。
歩いた。暗闇の中を。冷たい手に導かれて。
しばらく歩いた。どのくらい歩いたか分からなかった。暗闘の中では——
暗闇の中では、時間の感覚がなくなる。
足の裏に——感覚があった。国魂。暗闇の中でも。大地の感覚。出雲の全体。人の祈り。神の声。
聞こえる。見えなくても。
——ここにいる。
目に見えない世界で。足の裏の大地を通じて。祈りを通じて。
ここにいる。
——ずっと。
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