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第三十八章 仲間の死

 空が光った。


 稲光ではなかった。もっと鋭い。もっと速い。もっと——意志がある。狙っている光。


 建御名方たけみなかたに向かって。


 偵察兵の三体を追って、手を伸ばした瞬間——空の一点から、白い光が一直線に落ちてきた。雷だった。しかし自然の雷ではない。標的がある雷。十一歳の子供を狙った雷。


 建御名方たけみなかたは気づいていなかった。前しか見ていなかった。偵察兵の背中しか見ていなかった。怒りが——空を見る余裕を奪っていた。


 偵察兵の三体が——止まった。


 振り向いた。鏡面の顔に建御名方たけみなかたが映っていた。


 笑った。


「——遅い。」


 上を見ろ、という意味だった。


 建御名方たけみなかたが顔を上げた。白い光が——もう、目の前に来ていた。


 避けられない。速すぎる。光の速さだとアメノホヒは言った。光に近い速さ。十一歳の体は速くなったが——光には追いつけない。


 ——二本の腕が、建御名方たけみなかたを横に押した。


 枯野かれのだった。


 二本の腕で。胸に空洞を抱えた体で。追いついていた。大地の神は大地の上で速い。建御名方たけみなかたより速く。光よりは遅く。


 しかし——間に合った。


 建御名方たけみなかたを押しのけて——枯野かれのが、雷の落下点に立った。


 白い光が——枯野かれのの頭上に落ちた。


 音がなかった。


 雷なのに——音がなかった。静かな光。白い、静かな、容赦のない光。


 枯野かれのの体を——貫いた。


 頭から。胸の空洞を通り抜けて。足元の大地まで。白い光が枯野かれのを縦に裂いた。


 土の体が——割れた。


 左右に。真ん中から。枯野かれのの体が——開いていった。


 偵察兵の三体が——空に昇っていった。鏡面の体が光に溶けて、消えた。役目を終えて。帰っていった。


 光が——消えた。


 浜に——枯野かれのの体が、散らばっていた。


 土の塊。草の残骸。琥珀色の目が——まだ、開いていた。


枯野かれの!」


 走った。膝をついた。散らばった土の塊のそばに。


 枯野かれのの顔があった。頭部だけが原形を留めていた。琥珀色の目が——俺を見ていた。


「……大国主おおくにぬし


「喋るな——動くな——」


「動けない。——見ての通りだ」


 見ての通りだった。体がない。頭と、二本の腕の片方が残っているだけだ。


 建御名方たけみなかたが——這ってきた。押しのけられて砂浜に倒れていた。起き上がって、枯野かれのの頭部のそばに来た。


枯野かれのさん——枯野かれのさん——なんで——」


「うるさいぞ。——泣くな。地面が揺れる」


「だって——俺が——俺が追いかけたから——」


「追いかけたのはお前だ。庇ったのは俺だ。——お前のせいにするな。俺が決めた」


 枯野かれのの目が——建御名方たけみなかたを見ていた。十一歳の、泣いている子供を。


「……泣くな——と言いたいが——いや。泣け。泣いていい。しかし——地面を揺らすな。畑が壊れる」


「…………」


 建御名方たけみなかたが——歯を食いしばった。泣いていた。しかし声を殺していた。地面が——かすかに震えていた。かすかにだけ。制御していた。泣きながら。


「……いい子だ。——制御できている。泣きながら——制御できる奴は強い」


枯野かれのさん——」


大国主おおくにぬし。」


「……ここにいる」


「お前に——渡すものがある」


「渡すもの——」


 枯野かれのの体の残骸から——何かが伸びてきた。


 蔓だった。


 枯野かれのの土の体の中に——蔓が残っていた。荒ぶる神を鎮めたとき、森に蔓を張り巡らせていた神がいた。あの蔓と同じ力。枯野かれのの体の奥に、小さな蔓が生き続けていた。


 蔓が——建御名方たけみなかたの手に触れた。


 巻きついた。手首に。指に。腕に。蔓が建御名方たけみなかたの肌の上を這って——沈んだ。肌の下に。建御名方たけみなかたの体の中に入っていった。


「……俺の蔓だ。大地に根を張る力。——あの子にやる」


枯野かれの——」


「お前にじゃない。——あの子にだ。あの子は力が大きすぎる。大地に根を張る蔓があれば——力が大地を通じて逃げられる。溢れなくなる。制御がもっと楽になる」


 蔓が——全て建御名方たけみなかたの体に入った。建御名方たけみなかたの腕に、うっすらと蔓の模様が浮かんだ。皮膚の下で——蔓が根を張っている。


「……枯野かれのさん。——ありがとう」


「礼はいらない。——お前の父親と同じことを言うな。あいつも礼を言うのが下手だった」


「…………」


大国主おおくにぬし。」


「ここにいる」


「次に——渡せ」


「…………」


「俺はお前に水脈を繋がれた。枯れかけた大地に水が戻った。お前のおかげだ。——俺がもらったものを、次に渡す。蔓を、あの子に。大地の力を、次の世代に」


「……渡す、か」


「お前もいずれ——渡す。国を。力を。守ってきたものを。——守れている間に渡せ。守れなくなってから渡すのは——遅い」


 守れている間に渡せ。


 スサノオが——坂の下から叫んだ言葉を思い出した。「大国主!!」と名を叫んで、武器を持って行けと言った。あれも——渡すことだった。守れている間に。嵐が枯れる前に。


「……枯野かれの。——お前は」


「俺は——もう渡した。渡すものは渡した。——だから」


 琥珀色の目が——空を見た。


「いい空だな。——この空のために走ってきた甲斐があった」


 目が——閉じた。


 枯野かれのの体が——崩れた。土が砂になった。草が灰になった。風が——吹いて、砂と灰を浜に散らした。


 残ったのは——琥珀色の石が一つだけだった。目の色をした、小さな石。


 消えた。


 枯野かれのが——消えた。


 大地の神が——大地に還った。


 建御名方たけみなかたが——声を上げて泣いた。


 地面が揺れた。——大きく。しかし壊れなかった。蔓が——建御名方たけみなかたの力を大地に逃がしていた。枯野かれのがくれた蔓が。泣いても、叫んでも、大地が割れなくなっていた。


 枯野かれのの最後の贈り物が——もう、効いていた。


 俺は——琥珀色の石を拾った。


 温かかった。大地の温度。枯野かれのの温度。


 懐に入れた。粟の穂の隣に。少名毘古那すくなびこなが残した穂と、枯野かれのが残した石。二つの遺品が——懐の中で並んだ。


 須勢理毘売すせりびめが来た。息を切らして。走ってきた。木俣このまたが後ろにいた。事代主ことしろぬしがいた。アメノホヒがいた。


 全員が——浜に散った砂と灰を見ていた。


「…………」


 誰も何も言わなかった。


 須勢理毘売すせりびめが——建御名方たけみなかたのそばにしゃがんだ。泣いている息子を——抱いた。冷たい腕で。


「……泣きなさい。——今は」


枯野かれのさんが——俺のせいで——」


「あなたのせいではない。——あの人が決めた」


「でも——俺が追いかけなければ——」


「追いかけた。そして——庇われた。忘れないでいなさい。それだけでいい」


 木俣このまたが——建御名方たけみなかたの背中に手を置いた。姉の手。温かい手。


「みなかた。——泣いていいよ」


「姉さん——」


枯野かれのさんに——ありがとうって言った?」


「……言った」


「なら——大丈夫。聞こえたから」


 事代主ことしろぬしが——浜の端に立っていた。空を見ていた。


「……あの雷は——試し撃ちです」


「…………」


建御雷神たけみかづちの力の一端。——本気ではない。偵察兵を回収しただけだ。しかし——力は見せた」


「……ああ」


「あの雷が本気で落ちたら——出雲が消える」


「…………」


「次は——本物が来ます」


 事代主ことしろぬしの声が——震えていなかった。穏やかだった。恐怖がないのではない。恐怖の上に——冷静さが乗っている。


 浜に夕日が沈んでいった。枯野かれのがいた場所に——水が染みていた。波が砂を洗って、灰を海に運んでいった。


 大地の神が大地に還った。


 四本の腕で殴りかかってきた神。水脈を繋がれて涙を流した神。三本になっても立った神。二本になっても走った神。胸に穴が空いても子供を守った神。


 ——いなくなった。


 稲佐の浜に——天若日子あめわかひこの墓がある。今日——枯野かれのの石を、その隣に埋めた。


 どちらでもなかった男の隣に。全部だった神の石を。


 歌った。


 弔いの歌。言霊式ことだましきで。天若日子あめわかひこのときと同じ——送る歌。繋ぐのではなく、手放す歌。


 二度目だった。


 二度目の弔いは——一度目より重かった。

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