第三十章 出雲が荒れていた
帰ってみると——壊れていた。
田が荒らされていた。踏み潰されていた。穂が折れ、水路が埋まり、畦道が崩れていた。少名毘古那が設計し、俺が耕した田。三年かけて育てた稲が——倒れていた。
道が——切れていた。言霊式・結縁で繋いだ道が、何箇所も寸断されていた。大地に深い溝が走っている。何かが暴れた跡。爪痕のような溝が道を横切って、道を道でなくしていた。
橋が落ちていた。井戸が埋まっていた。家の壁が崩れていた。
村人が——逃げていた。
残っているのは老人と子供だけ。若い者は山に逃げた。枯野が立っていた。四本の腕を地面につけて——体の一部が欠けていた。土の体の右腕が——折れていた。
「……枯野。——何があった」
「荒ぶる神だ。——北から三柱。お前たちがいない間に——降りてきた」
「三柱」
「山の荒ぶる神だ。高天原の使者ではない。——地上の、野の神。力だけがあって行き場がない奴らだ」
高天原とは関係ない。天若日子の死とも関係ない。ただ——大国主が出雲を離れた隙に、暴れに来た荒ぶる神。
国が大きくなれば——狙われる。当然のことだ。田が実れば奪いに来る者がいる。道が繋がれば壊しに来る者がいる。
分かっていた。分かっていたが——見ると、違った。
頭で分かることと、目で見ることは違う。壊された田を見て、折れた穂を手に取って——腹の底から何かが湧いてきた。
怒りではなかった。もっと——重いもの。
守れなかった。
留守にしている間に。根の堅洲国にいる間に。守るべきものが壊された。
「……枯野。お前は——」
「止めようとした。——三柱は強かった。俺一柱では」
右腕が折れている。止めようとして——折られた。四本あるうちの一本を失って、それでも立っている。
「小さな神たちも戦った。しかし——散らされた。西と南に逃げた」
集まってくれた五十柱の小さな神たち。散らされた。
アメノホヒが来た。
「大国主——三柱は北の山に退いている。追い払ったのではなく——飽きたから退いただけだ。また来る」
「分かっている」
須勢理毘売が——田の中を歩いていた。倒れた稲に手を触れていた。冷たい指が、折れた穂を拾い上げた。
「……これは——あなたが蒔いた種ですか」
「ああ。三年前に」
「…………」
何も言わなかった。穂を地面に戻した。
子供が——走ってきた。
「おっきい人——おっきい人——」
泣いていた。
「畑がめちゃくちゃ——家がこわれた——」
抱き上げた。小さな体。震えている。
「……大丈夫だ。——直す」
「直せるの」
「直す。何度でも」
何度でも。
壊されたら直す。それが国を作るということだ。作って、壊されて、また作る。少名毘古那がいなくても。一人でも。
しかし——直すだけでは足りない。壊す者がいる限り——壊され続ける。壊す者を止めなければ。
夜。
清い川のそばで座っていた。川だけは無事だった。荒ぶる神も——この川には触れなかったらしい。スサノオの残した力が、まだ川を守っている。
光った。
川面が——金色に光った。
大物主。
三諸山から——光が来ていた。大地を通じて。金色の光が川面に浮かんでいた。
「——見たか。」
声が大地から来た。低い声。俺の魂の半分の声。
「見た。——壊された」
「荒ぶる神は——この国のどこにでもいる。山に、森に、荒れ地に。お前が道を繋げば繋ぐほど——道を壊す者も集まる」
「分かっている」
「お前一人では守れない。——結縁は繋ぐ力だ。壊す者を止める力ではない」
「……ああ」
「幸魂・奇魂の力がいる。——俺の力が」
「お前の力」
「俺はお前の魂の半分だ。三諸山に祀られて——大地に根を張った。この大地の力を、お前に渡せる」
「……渡す、とは」
「国魂だ。大地そのものの力。大地を動かし、地形を変え、山を割り、川を曲げる。——国を守るための最大の力」
国魂。大地の力。
「……条件があるのか」
「ある。——荒ぶる神を鎮めろ。三柱全て。お前自身の手で」
「俺の手で」
「鎮めたら——幸魂・奇魂を完全にお前に渡す。国魂として」
「……鎮める、か。殺すのではなく」
「お前は殺さない男だろう」
「…………」
「枯野を殺さなかった。水を繋いで鎮めた。——同じことを、三柱にやれ」
枯野を鎮めたときは——水脈を繋ぎ直した。枯れた大地に水を戻した。
三柱の荒ぶる神を——同じように鎮められるのか。
「……やる」
「覚悟はいいか」
「いい。——国を壊されたまま放っておけない」
「……いい答えだ。」
光が消えた。川面が暗くなった。
須勢理毘売が隣に来た。
「……聞いていました」
「ああ」
「三柱。——枯野が折られた相手」
「ああ」
「一人で行くのですか」
「…………」
「一人で行くな——と、言っていいですか」
「……いい」
「一人で行かないでください。——私も行きます」
「お前の言霊式・護は——守りの歌だ。攻撃には向かない」
「守りがなければ——あなたが壊れます。枯野のときのように」
肋骨を三本。あの傷が——まだ須勢理毘売の中に残っている。二日走って駆けつけた記憶が。
「……分かった。一緒に行く」
「はい」
「枯野にも声をかける。腕が折れているが——」
「枯野は来ます。——あの神は、自分の場所を壊された恨みがある」
そうだ。枯野自身もかつて荒ぶる神だった。水脈を繋がれて鎮まった。今度は——鎮まった者として、荒ぶる者を止める側に立つ。
朝が来た。
壊された田を見た。折れた穂を見た。埋まった水路を見た。
直す。全部直す。しかしその前に——壊す者を止める。
生太刀を腰に帯びた。生弓矢を背に負った。
北の山に向かって——歩き出した。
須勢理毘売が隣にいた。枯野が後ろから来た。折れた右腕を引きずりながら。三本の腕で。
三柱の荒ぶる神が——北にいる。
鎮める。殺さない。繋ぐ。それが——俺のやり方だ。
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