表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/40

第二十七章 一人ではない

 天若日子あめわかひこが出雲に留まって二ヶ月目の朝——客が来た。


 最初は一人だった。


 東の村の小さな神。川を守っている神。俺が道を繋いだ村の、名もない守り神。


「……大国主おおくにぬしさま。空から使者が来たと——聞きました」


「ああ。来た」


「戦になりますか」


「……分からない。まだ」


「分からなくても——来ました。何かあれば」


 帰っていった。


 翌日。二人来た。北の海辺の神と、南の山の神。


 三日目。五人。


 一週間で——二十を超えた。


 出雲の周囲の村から。道が繋がっている村から。言霊式ことだましき結縁けつえんで結んだ村から。


 神々が集まってきた。


 大きな神はいなかった。全員——小さな神だった。川の守り神。丘の守り神。森の端の守り神。名前のある者もいれば、名前のない者もいた。力も大きくはない。一柱では何もできない規模の神々。


 しかし——来た。


「なぜ来る」


 聞いた。東の川の神に。


「あなたが道を繋いでくれたからです。道がなければ——ここに来られなかった」


 南の山の神に聞いた。


「水路を引いてくれたからです。あの水路のおかげで——田が実った。恩がある」


 西の浜の神に聞いた。


「子供を治してくれたからです。あなたが少名毘古那すくなびこなの薬を使って——うちの子供の熱を下げてくれた」


 全員が——俺が何かをした村から来ていた。道を繋いだ。水路を引いた。病人を治した。種を蒔いた。その縁が——人の形をして帰ってきた。


「……ここにいるから来た。——そう言ってくれた神がいた。だから俺も——ここにいるから来た」


 東の川の神が言った。


 ——ここにいるから来た。


 白兎に言った言葉。野ネズミが返してくれた言葉。俺の言葉が——国中に広がって、別の口から戻ってきている。


 一ヶ月で——五十を超えた。


 小さな神の群れ。一柱では何もできない。しかし五十柱が集まれば——何かになる。


 俺は一人ではなかった。


 そして——


 ある朝。大地が揺れた。


 小さな揺れではなかった。出雲の地面全体が振動した。井戸の水が波打った。木の葉が落ちた。


 西の方角から——来た。


 大きかった。


 四本の腕。土の体。黄色い——いや、琥珀色の目。


 枯野かれのだった。


 あの枯れた大地の神。俺が水脈を繋ぎ直した神。殴られて肋骨にひびが入った相手。


 しかし——変わっていた。


 体が違った。あのときは乾いた灰色の土だった。今は——湿った茶色の土。ひび割れが減っていた。体の表面に——草が生えていた。緑の草。小さな花まで咲いている。


 水が戻った大地の神。三年かけて——回復した姿。


 枯野かれのが——俺の前で止まった。四本の腕を地面に突いて、姿勢を低くした。


挿絵(By みてみん)


「……来たのか」


「来た。——覚えていると言った」


「覚えていた。——名前を。大国主おおくにぬし


「…………」


「お前が俺の水脈を繋いだ。枯れかけた大地に——水を戻した。俺たちの場所を作った。——だから来た」


 ここにいるから来た。枯野かれのも——同じ言葉を。


「……戦えるのか。お前は」


「俺は大地だ。大地は——踏まれるためにある。しかし——踏む者を選ぶ権利はある」


 踏む者を選ぶ。高天原たかまがはらに踏まれるか、大国主おおくにぬしの国として踏まれるか。枯野かれのは——後者を選んだ。


 須勢理毘売すせりびめ枯野かれのを見ていた。初めて見る荒ぶる神。四本の腕。巨大な体。


「……あなたが——大国主おおくにぬしの肋骨を折った神ですか」


「ひびだ。折ってはいない」


「三本ひびを入れた神ですね」


「…………ああ」


「覚えておきます」


 須勢理毘売すせりびめの声が冷たかった。枯野かれのが——少しだけ後ずさった。四本の腕を持つ巨大な神が、白い肌の女の一言で後ずさった。


「……須勢理毘売すせりびめ。味方だ。許してやれ」


「許してはいます。——覚えているだけです」


 ——この女は怖い。味方にとっても。


 天若日子あめわかひこが——集まった神々を見ていた。


 館の端から。弓を膝に置いて。金色の目で。


 五十柱の小さな神と、一柱の大きな神。そして大国主おおくにぬし須勢理毘売すせりびめとアメノホヒ。


 寄せ集めだ。高天原たかまがはらの軍勢に比べれば——小さい。しかし——いる。ここにいる。


 天若日子あめわかひこが——立ち上がった。


 俺の前に来た。


「……大国主おおくにぬし


「何だ」


「これが——お前の国か」


「ああ。これが俺の国だ」


「小さな神の寄せ集めだな」


「寄せ集めだ。——しかし、来てくれた」


「…………」


 天若日子あめわかひこが——神々を見ていた。川の神。山の神。森の神。名もない神。枯れた大地から回復した神。


「……高天原たかまがはらの軍は——これの十倍はいる」


「知っている」


「武器も——比べものにならない」


「知っている」


「それでも——戦うのか」


「戦いたくはない。しかし渡すこともできない。——この国は、来てくれた者たちの場所でもある。俺一人の判断で渡していい国ではなくなった」


 天若日子あめわかひこが——黙った。


 長い沈黙。金色の目が揺れていた。川辺の夜より——大きく。


「……報告する。——高天原たかまがはらに」


「何と報告する」


「『渡さない』と。——大国主おおくにぬしは渡さないと」


「…………それは——お前の答えか」


「俺の答えではない。お前の答えだ。——俺は使者だ。答えを持ち帰るだけだ」


「……お前自身は——どう思う」


 天若日子あめわかひこが——俺を見た。


「……この国は——いい国だ。高天原たかまがはらにはないものがある。虫の声がある。川の音がある。空の色が変わる」


「慣れたか」


「……慣れたくなかった。——慣れた」


 慣れてしまった。二ヶ月で。出雲の音に。出雲の匂いに。出雲の水に。


「慣れたから——報告する。もう——止めていられない。俺が止めていても——いずれ来る。ならば——俺の口から言う方がいい」


「……お前は——どちら側だ」


 二度目の問い。川辺で聞いたのと同じ問い。


 天若日子あめわかひこが——答えなかった。


 代わりに——弓を見た。膝の上の天羽々あめのはばやを。殺すための弓矢を。


「……この弓は——高天原たかまがはらのものだ。俺は——高天原たかまがはらの者だ。それは変わらない」


「…………」


「しかし——この国を壊したくはない」


 壊したくはない。「守りたい」とは言わなかった。「壊したくない」と言った。守ることと壊さないことは——似ているが違う。守るは能動だ。壊さないは消極的な抵抗だ。


 天若日子あめわかひこは——能動的に守る覚悟までは持てなかった。しかし——壊さないという一線は引いた。


「報告は——明日出す。空に向けて」


「ああ」


「報告を出したら——高天原たかまがはらは動く。備えろ」


「……ああ」


 天若日子あめわかひこが去っていった。西の方角に。空に向けて報告を送るために。


 俺は——集まった神々を見た。


 小さな神の群れ。枯野かれのの大きな体。須勢理毘売すせりびめの白い横顔。アメノホヒの金色の目。


 一人ではない。


 一人ではないが——十分ではない。高天原たかまがはらの十倍に対して。


 しかし——ここにいる。来てくれた。「ここにいるから来た」と言って。


 須勢理毘売すせりびめが隣に立った。


「……始まりますね」


「ああ」


「……歌を——一つ、覚えました」


「歌を」


少名毘古那すくなびこなの書き残しの中にあった。言霊式ことだましきの——別の形。結縁けつえんではない。まもりの歌」


「護」


「守りの言霊ことだま。——私が歌えば、あなたたちを守る壁になる」


 須勢理毘売すせりびめが——言霊式ことだましきを覚えていた。少名毘古那すくなびこなの書き残しから。文字が読める須勢理毘売すせりびめだけが——あの小さな神の最後の贈り物を受け取っていた。


「……少名毘古那すくなびこなが——残してくれたのか」


「はい。——あの方は、去る前に全部書き残していた。あなたが文字を読めないことも、私が読めることも、全部——計算して」


 最後まで頭を動かす神だった。去ってなお——俺たちを守っている。


「……言霊式ことだましきまもり。——名前をつけろ」


「つけました」


「何と」


言霊式ことだましきまもり。——そのままです」


「……そのままか」


「凝った名前は要りません。守る歌は——護。それだけで十分です」


 須勢理毘売すせりびめらしかった。最短距離。無駄がない。


 夕空を見た。オレンジから紫に変わっていく空。天若日子あめわかひこが慣れてしまった空。


 明日——報告が出る。高天原たかまがはらに届く。「渡さない」と。


 そして——空から、何かが来る。


 来てくれた者たちを——守れるのか。


 分からない。しかし——ここにいる。ここにいるから——守る。

ご拝読いただきありがとうございました!

作者のモチベアップのために少しのお手間ですが、ご協力いただけると大変ありがたいです!


「続きをチェックしたい!」

→ 【ブックマークに追加】をポチッと!


「面白かった!」「続きに期待!」

→ 下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】に!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ