第十四章 少名毘古那(すくなびこな)
国を作る、と言ったはいいが——何をすればいいか分からなかった。
国とは何だ。人が住んでいる。田がある。畑がある。家がある。道がある。出雲にはそれが全部ある。すでに国ではないのか。
「全然違う」
少名毘古那が言った。俺の肩の上から。
この小さな神は、俺の肩に座るのが好きだった。手のひらサイズの体で、俺の肩を椅子にして、偉そうに指示を出す。重さはほとんどないが、存在感だけは八十神の全員分くらいある。
「国というのは——繋がりだ。村と村が道で繋がる。田と畑が水路で繋がる。人と人が言葉で繋がる。出雲にあるのは村だ。国じゃない」
「……村ではだめなのか」
「だめだ。村は小さい。外から来る敵に耐えられない。国になれば——大きくなる。大きくなれば守れる」
「守る、か」
「お前の得意分野だろう。守ること」
得意かどうかは分からない。しかし——やることは分かった。繋げることだ。道を作り、水路を引き、村と村を結ぶ。
歩き始めた。出雲から。
少名毘古那は医術と知恵の神だった。小さい体に——凄まじい量の知識が詰まっていた。
「この草は薬になる」
「この土は稲に向いている」
「この虫は害虫だ。あっちの虫は益虫だ。食うな」
「……食おうとしていない」
「お前の顔は何でも食いそうな顔だ」
失礼な神だった。しかし知識は本物だった。少名毘古那が言う通りに草を集め、土を耕し、種を蒔くと——芽が出た。少名毘古那が教える通りに傷を洗い、薬草を塗ると——傷が治った。
医術。農業。この二つが国の土台だ。
俺は手を動かした。少名毘古那が頭を動かした。手と頭。体のでかい神と、体の小さい知恵の神。補い合っていた。
「お前は——何もできないくせに何でもやろうとする」
「何もできないからやるしかない」
「……嫌いじゃないぞ、そういうの」
褒めているのか。褒めているらしい。この神は褒めるときに貶す言い方をする。
出雲の村を回った。道を直した。井戸を掘った。田の水路を整えた。壊れた橋を架け直した。少名毘古那が設計し、俺が力仕事をした。
村人が集まってきた。
「大国主さま」
呼ばれるようになった。八十神を追い払った神。道を直す神。井戸を掘る神。
「……さまは要らない」
「しかし——」
「大国主でいい」
少名毘古那が肩の上で鼻を鳴らした。
「謙虚か偉いか分からんな」
「どちらでもない。名前に慣れていないだけだ」
大国主。その名前をもらって——まだ日が浅い。荷物持ちの大穴牟遅の方がしっくりくる。しかしスサノオが叫んだ名前を——返すわけにはいかない。
問題は——家だった。
出雲に戻って、俺と須勢理毘売と少名毘古那は、一つの家に暮らし始めた。老人が空いた家を貸してくれた。
最初の夜。
「寝る場所を分ける」
須勢理毘売が言った。
「……分けるのか」
「あの虫と同じ部屋で寝る気はありません」
「虫じゃない」
少名毘古那が反論した。梁の上から。小さい体で梁に座っている。
「小さいだけだ。虫扱いするな」
「虫より小さい」
「虫より賢い」
「虫も自分でそう思っている」
俺は二人の間に立っていた。文字通り。須勢理毘売が部屋の右端、少名毘古那が梁の上。俺がその間の床に立っている。
「……仲良くしてくれと言ったはずだが」
「無理です」
「無理だ」
同時だった。意見が合うのは「合わない」という一点だけだった。
結局——少名毘古那は梁の上で寝ることになった。小さい分だけ場所を取らない。須勢理毘売は部屋の奥。俺は真ん中。
夜。
須勢理毘売が——寄ってきた。暗くなると近づいてくる。地の底の姫は暗闇が庭だ。
「……寒い」
「地上は根の堅洲国より寒いのか」
「違う。寒くなったり温かくなったりする。それが——落ち着かない」
温度が変わる。それに慣れていない。地の底は常に一定の冷たさだった。地上は——朝は冷え、昼は温まり、夜はまた冷える。この変化が、須勢理毘売には落ち着かない。
「……来い」
隣に。温かい方に。
須勢理毘売が寄ってきた。冷たい体が俺の体に触れた。温度が移っていく。いつものように。
梁の上から——小さな咳払いが聞こえた。
「……聞こえているからな」
「…………」
「聞こえているし見えているからな。俺は目がいい」
「……寝ろ」
「お前らこそ寝ろ」
三人の暮らしが——始まった。
国作りは、思ったより地味だった。
戦いではない。英雄譚でもない。道を直す。田を耕す。水路を引く。病人を診る。揉め事を仲裁する。子供に文字を教える——は少名毘古那がやった。俺は文字を知らない。
「お前、文字が読めないのか」
「荷物持ちに文字は要らなかった」
「国の主が文字を読めなくてどうする」
「お前が読めればいい」
「…………一理ある。しかし一理しかない」
少名毘古那は厳しかったが——的確だった。この小さな神がいなければ、国作りは何倍も時間がかかっただろう。
須勢理毘売は——別の形で役に立っていた。
村人が最初、白い肌の姫を怖がった。「お化け」と言った子供は正直だった。しかし須勢理毘売が畑で土に触れ、井戸の水を汲み、子供と並んで座るようになると——怖がる者はいなくなった。
須勢理毘売は地上のことを何も知らない。だから何でも聞く。「これは何ですか」「あれは何ですか」「なぜ空の色が変わるのですか」。子供と同じ質問をする。子供たちはそれが面白くて、須勢理毘売の周りに集まるようになった。
「おねえちゃん、これ知ってる?」
「知りません」
「トンボだよ!」
「……虫ですか」
「虫じゃないよ! トンボだよ!」
「虫と何が違うのですか」
「かっこいい!」
「…………なるほど」
納得していた。須勢理毘売は子供の論理を否定しない。「かっこいいから虫ではない」を受け入れる。地の底育ちだから——地上の分類に先入観がない。
ある夜、少名毘古那が言った。
「出雲だけでは国にならない。もっと広く行かなければ」
「どこに」
「東。西。北。南。出雲の外の村と繋がらなければ——国は小さいまま終わる」
「旅に出ろと」
「旅というか——巡ること。各地を回って、道を繋ぎ、村を結び、縁を広げる。お前の得意なやつだ」
縁を広げる。
白兎を助けた。八上比売に選ばれた。須勢理毘売に比礼をもらった。野ネズミに穴を開けてもらった。スサノオに名前をもらった。少名毘古那が来てくれた。
全部——縁だ。出雲の中だけでなく、外にも縁を広げろと。
「……行くか」
「行くぞ。明後日には出発だ」
「……早くないか」
「遅い方が問題だ。国は——作っている間に壊れることもある」
須勢理毘売に伝えた。
「旅に出る。各地を回って——国を繋ぐ」
「……いつ」
「明後日」
「……私は」
「留守を頼む。出雲を」
須勢理毘売の目が——暗くなった。藍色の光が沈んだ。
「……行くのですね」
「行って、戻る」
「…………」
「戻ると言ったら戻る。嘘はつかない」
「……知っています」
口元が動いた。笑ったのか——笑わなかったのか。暗くて分からなかった。
夜。隣で寝ている須勢理毘売の呼吸を聞いていた。冷たい呼吸。しかし少しだけ——地上に来てから温かくなった呼吸。
旅に出る。
各地を回る。出雲の外の世界を見る。
その旅で——俺は、もう一人の女に出会うことになる。
しかしそれは、まだ先の話だ。
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