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意識だけが目覚めてから、もうどれくらい時間が経ったのかわからない。身動きできないせいで、時間感覚を失っているからだ。
ふたりの会話が一段落して、怜がいつものように自分の全身を頭に思い浮かべて動かそうとしたときのことだった。いままでとはなにかが違う──ふいに、そう強く思えてきた。
頭の先から全身に神経を張り巡らせるように、怜は体の各所に向かって、『動け』と指令を送っていった。頭から顔、首から腕を伝って、手首、手の甲、そして指先まで指令を伝えていく。右手の親指、人差し指、中指、薬指、小指──やはり動かない。
次いで、左手の親指を──
『え?』
動く? ほんの僅かだけど、親指が動いた気がする。
『ティア……』
そっと友人の名を呼んだ。
〝どうしたの、レイ?〟
『いま……指先が動いた気がする。左手の親指が』
〝本当?〟
『もういちど試してみるよ』
怜は、さっきと同じ手順をくり返してみる。まずは、頭の先から──
『やっぱり動いた!』
さっきのは気のせいではなかった。今回は左手の親指だけではなく、人差し指も動かすことができた。それをティアに報告する。
〝わたしのほうは、まったく駄目だわ。わたし自身に仮死状態になる禁術がかけられているから、きっと動かすことができないのね。でも、あなたの魂には術がかけられていないから、わたしに代わって体を動かすことができるんだと思う。他人の体を動かすのって大変だろうけど、慣れてしまえば自由に動かせるようになるはずよ〟
魔法とかのことはまったくわからないけれど、この世界で暮らすティアが言うのだから、そのとおりなのだろう。それなら、まずはこの体を動かせるようになり、なんとかティアの術が解けるようにしないと。
『どうすれば、ティアの術は解けるのかな』
〝そうね。考えられる方法はふたつあるわ……〟
方法を言わないまま、ティアが沈黙した。
『その方法って難しいの?』
〝いまのわたしには、とても難しいと言えるわね。だって、そのうちのひとつは、術をかけた相手を殺すことだもの〟
『──! こ、殺す!?』
幼さを残すティアの口調から飛び出た『殺す』という言葉に、怜は驚くしかなかった。なにしろ、平和な日本で普通の高校生だった怜にとって、誰かを殺すなど考えたこともなかったからだ。
『も、もうひとつは……?』
それも、誰かを害するような方法なのだろうかと、おそるおそる訊ねる。
〝もうひとつは、術を解く魔法を学ぶことよ〟
よかった。それなら、誰かを傷つけたり迷惑をかける恐れはなさそうだ。
『どうすれば、その魔法を学べるの?』
〝簡単とは言えないわよ。だって、誰かを仮死状態にする魔法は禁術よ。それを解く術が簡単に見つけられるわけがないもの〟
『でも、見つけないかぎり、ティアはずっと動けないままだし、今後、おれだってどうすればいいかわからない。とりあえず、なんとかおれがティアの体を動かせるようになって、術を解く魔法を探しにいくのを目標にしないか?』
〝うん、それがいいかもしれない。このままここで身動きできずにずっと過ごすのはいやだもの。それに、まだレイの体がどうなっているかはわからないし、そっちもどうすればいいか、一緒に方法を探さないと!〟
『ありがとう』
真っ暗な世界で意識だけが目覚め、心細さでどうにかなってしまうかと思っていた。そこに声をかけてくれたティアのおかげで、いまの怜はなんだってできるだろうという勇気をもらえた気がする。きっと、ふたりの力を合わせればなんとかなる! そう信じて、怜はふたたび体を動かす努力を続けた。
*
レイが親指を動かせるようになると、ティアは心配になってきた。なぜなら、ティアの体がレイに動かされたことによって、これからじょじょに、さまざまな生理現象に見舞われるはずだからだ。
たぶん、いまいる場所に空気はある。たとえ仮死状態にされているとはいえ、万が一のことを考えて、アナイリスには魔力の供給源であるティアを窒息死させるつもりはないはずだ。
でも、目覚めてしまえば、喉の渇きや空腹を感じてしまう。いまはまだいい。けれど、感じはじめるのはそれほど先のことではない。それに、いままで飲まず食わずでいたとはいえ、尿意だって感じるかもしれない。
だからこそ、少しでも早く体を動かせるようになって、自由に行動できるようにならなければいけない。
まずは、自分たちの置かれた状況を把握したい。
〝ねえ、レイ。目を開けることはできない?〟
『何度か試してて、さっきまぶたがぴくっと動いた気がするんだ』
〝レイを不安にさせたいわけじゃないけど、わたしの体が覚醒しはじめたことで、きっともうすぐお腹が空いたり、喉が渇いたり、トイレに行きたくなったりしてくると思うの。だから、できるだけ頑張ってほしい〟
同じ体を共有しているから、ティアは自分のなかの不安をレイと共有することにした。
『うん、そうだね。おれもそのことが心配だった。ティアがどれくらいの間この状態だったかはわからないけど、ぼくのせいで体が覚醒しちゃったんだもんね。だから、頑張るよ』
決意を感じさせるようにレイが断言してからは、あっという間だった。指先を動かせたことで勘をつかんだのか、ゆっくりと手足を動かせるようになった。
『ティア……』
手足を動かせるといって喜んでいたのも束の間、レイが不安そうに言った。
〝どうしたの?〟
『こんなことを言うとティアを不安にさせちゃうと思うけど、どうやらおれたち、狭い箱のなかにいるみたいだ。手を伸ばした先は、すぐ壁みたいだから……』
そう言ったレイから、パニックのような『助けて!』という叫びが伝わってくる。
〝落ち着いて、レイ。わたしたちがどこにいるのか、だいたいわかったから〟
『ど、どこにいるんだ?』
言えば、ますますレイは不安に思うかもしれない。けれど、ひとつの体を共有しているのだから、情報も共有すべきとティアは判断した。
〝たぶん、わたしたちは棺のなかにいるんだと思うわ〟
『ひ、棺──!? おれたちは、地中にいるのか?』
どうやらレイの認識では、棺は地中に埋められるものらしい。ひどく衝撃を受けた様子で、しきりに『苦しい』や『怖い』といった悲鳴にも似た叫びをくり返している。魔法のない平和な世界から来たレイにとって、仮死状態にさせられたり棺に閉じこめられたりするのは、とても恐ろしいに違いない。もちろん、ティアだって怖い。けれど、レイの恐怖が伝わってきたからこそ、少し冷静になることができた。
〝安心して。この世界での棺は、土の中に埋められているわけではないの。霊廟のなかに安置されているのよ〟
しばらくすると、レイが静かになった。
『ごめん、ティア。おれより年下のきみの前で、パニックになっちゃって。きみは妹と同じ年なのに、恥ずかしいよ。凛がここにいたら、情けないって大笑いされてるな』
〝大丈夫よ、レイ。まったく異なる世界から来たのに、あなたはじゅうぶんうまくやってる。わたしがあなたの世界に行ったら、もっとパニックになっちゃいそう〟
レイから聞いた便利な道具の数々を思い浮かべ、ティアは言った。目にするものすべてに驚きすぎて、きっとおかしくなってしまうだろう。
『いつかティアに、おれの世界を見てもらいたいな』
〝うん、見てみたい。今後の目標に、レイの世界に行くっていうのも追加しようかな〟
『そうしよう!』
どこまで願いが叶えられるかはわからないけれど、たとえゆっくりとした歩みでも、一歩ずつ前に進むしか道はない。何もできない自分をもどかしく思いながら、いまできることはなにかをティアは必死に考えた。
*
手足が動いたことで、自分たちが棺のなかにいると知った怜はパニックになったが、妹と同い年のティアに情けない姿は見せられないと思い、なんとか心を落ち着けることができた。
パニックになってる暇があったら、さっさと自由に動けるようになるほうがいい。そう気持ちを切り替え、怜は体を動かすのと同時に、目も開ける努力をした。さっきまぶたが動いたのだから、きっともうすぐ開くはずだ。
いままで目の開閉など無意識にしてきたから、こうして意識して目を開けようとするとよけいに難しく感じられるのかもしれない。朝目覚めたときのように、意識しないで開けばいい。自然に……。
『あ……』
いままで上まぶたと下まぶたがくっついていたみたいだったのに、怜の目がうっすらと開いた。開いたといってもあたりは真っ暗でなにも見えない。そうだった、自分たちは棺のなかにいるのだから、明かりがあるわけがない。だからといって、パニックには絶対にならない! そう誓って、より大きく目を開こうとしているうちに、うっすらとまわりが見えるようになってきた。
『あれ、見える?』
自分たちが狭い箱のなかにいるのが、ぼんやりと見える。
〝うん、見える!〟
ティアも視界を共有しているらしく、驚きの声があがった。
〝もし万が一、わたしが意識を取り戻したときに窒息死させないよう、きっと棺のどこかに空気穴が開けられてるんだわ。だから、少しだけど明かりが入ってくるんだと思う〟
『そうか、ティアを陥れた人は、ティアの魔力が必要なんだよね。うっかり死なせちゃ駄目なやつだ』
それにしても、ティアの友人は、なんとひどいことをするのだろう。いくら魔力が欲しくたって、他人を仮死状態にして棺に入れるなんて正気とは思えない。かなりいかれている。
早くティアを自由にしてあげたい。それには、もっと頑張らないと。怜は動くようになった手で棺の蓋を持ち上げようとしてみた。
『……お、重い』
いったい何年、眠っていたのかわからない。ティアの腕にはまったく力が入ってくれない。
〝ひょっとしたら、蓋は釘かなにかで打ちつけられているかもしれない〟
怜の何度目かの挑戦のあと、ティアが言った。
『えぇ!? もしそうなら、絶対に開けられないよ』
絶望感が一気に胸中に押し寄せる。
〝レイ、大丈夫よ。魔法があるんだから〟
『ティアは、仮死状態でも魔法を使えるの?』
微かな希望に縋るようにレイが問う。
〝わたしが使うんじゃないわ。レイが魔法を使うの〟
『おれが魔法を──!?』
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