第14話 閉じた庭の文化祭
文化祭が近づくと、真壁からのLINEメッセージが増えた。
〈筑駒の友達連れてっていい?〉
路沙は既読をつけてから、少し悩んで返した。
〈たぶん無理〉
〈は、なんで〉
〈男子の一般入場、原則無理だから〉
〈厳しすぎん?〉
〈ミッションスクールなめんな〉
既読がついてすぐ、また返信が来た。
〈じゃあ俺は〉
〈一応、親戚って言って文化祭実行委員に名簿に入れてもらった〉
〈俺だけかよ〉
〈うん〉
〈友達がっかりするだろうな〉
〈知らない〉
実際のところ、雙葉の文化祭は外から見ると意外なほど閉じている。
一般公開はしているけれど、対象は在校生の家族、それから受験を考えている小学生とその保護者同伴に限られる。成人男性が一人でふらっと入れる文化祭ではない。掲示板にも、来場は事前予約制で身分確認あり、と大きく書いてある。
真壁の友達たちは「厳しすぎる」「時代錯誤」と口を揃えて笑ったらしいけれど、路沙はそのことに、そんなに違和感がなかった。
むしろ、この閉じ方が、路沙は嫌いではない。
誰でも入れる文化祭は賑やかで楽しいのだろう。でも、身内だけの、少し行儀のいい文化祭には、それとは別の落ち着きがある。知らない人の目を気にしなくていい時間。校内の空気がそのまま保たれている時間。
真壁にそう説明したら、真壁は爆笑スタンプを返してきた。
「それ、ただの温室育ちの言い訳じゃねえの」
「温室で悪い?」
「悪くはない。
でも、俺の友達にはわかんねえだろうな、その良さ。」
「わからなくていい」
路沙は、案外あっさりそう言った自分に少し驚いた。
*
文化祭当日、校舎はいつもと違う匂いがした。
教室の飾りつけ、廊下に貼られた案内、生花の匂いと軽食の匂い。制服姿の生徒たちが、いつもより少しだけ緊張した顔で立っている。
有馬は、数学研究会の展示室にいた。
黒板いっぱいに、数学オリンピックの過去問と、その解法の別解が三通り書かれている。
「これ、有馬さんが解いたの?」
路沙が覗くと、有馬は少しだけ得意そうな顔をした。珍しい表情だった。
「別解は二つで十分だと思っていたのだけれど、後輩が三つ目を見つけたの」
「悔しい?」
「少し」
その「少し」の言い方が、いつもの落ち着きとは違って、妙に人間らしかった。
展示を見に来た小学生の親子が、黒板の図形を見て「これは何ですか」と聞くと、有馬は表情を戻して、丁寧に説明を始めた。切り替えの速さが、有馬らしいといえば有馬らしい。
*
文芸部の展示は、教室の後ろの棚に、部員それぞれの作品が並べられる形式だった。
路沙は今回、短編SFを出していた。
題は「観測者」。
神を、量子力学における観測者に喩える話だった。誰にも観測されていない状態は、確定していない状態でもある。世界が確定するのは、見られたときだけだ。ならば、あらゆるものを見ている存在がいるとしたら――それは、量子力学でいう観測者の、極限の姿ではないか。
書きながら、これはミッションスクールの文芸部で出していい内容なのか、路沙は何度も迷った。
神を、物理の道具立てで喩えるということ。それは信仰への冒涜と取られてもおかしくない。
迷った末に、路沙はそのまま提出した。
止められなかったら、それでいい。止められたら、そのとき考える。そう思っていた。
展示の当日、シスター・マグダレナが文芸部の教室に立ち寄った。
普段は生徒指導や倫理の授業を持っている、割合厳しい先生として知られている。
棚の作品を順番に眺めていたシスターの手が、「観測者」の前で止まった。
路沙は、少し離れた場所からそれを見ていた。心臓が少しだけ速くなる。
シスターは、最初のページを読み、次のページをめくり、表情を変えないまま最後まで読んだ。
読み終えると、シスターは顔を上げて、教室の中を見渡した。
「これを書いたのは」
路沙は、手を挙げるべきかどうか、一瞬迷った。
「……私です」
シスターは、しばらく路沙を見た。
その沈黙が、いつもより長く感じられた。
「観測されることで世界が確定する、というのは、面白い喩えね」
まだ、どちらとも取れない言い方だった。
「神様を、量子力学の道具立てで語ることに、抵抗はなかったの?」
「……ありました」
路沙は正直に答えた。
「でも、神様が何かを見ている、というのは、聖書の中にもよく出てくる言い方だと思ったので」
「見られている、ということと、見ている、ということは、少し違うけれど」
シスターは静かに言った。
「――でも、その違いに気づいて書いているなら、悪くないと思うわ」
教室の空気が、少しだけ緩んだ。
「神学を物理の比喩に落とし込むのは危険なことでもあるの。喩えは、いつも半分しか正しくない」
「はい」
「でも、その半分の正しさに自分で気づいていて、それでも書く。それは、ちゃんとした態度だと思います」
シスターは、それだけ言うと、棚の次の作品に目を移した。
路沙は、しばらくその場から動けなかった。
叱られなかった。それどころか、褒められた。
でも、それ以上に、シスターが読んで、考えて、まっすぐに返してくれたこと自体が、路沙には少し嬉しかった。
*
放課後、正門の外に、真壁が立っていた。
受付で家族はいいけど、親戚はダメと断られて、駅ビルのPAULで一人ランチでパンを食べまくってたらしい。
終わる時間に合わせて、外の道の端で、時々スマホを見ながら待っていたという。
「どうだった、シスター」
「なんで知ってるの」
「さっきLINEで言ってただろ、緊張するって」
「褒められた」
「へえ」
「神様の話、量子力学で喩えたやつ」
「ハルヒかよ」
「ちょっと違う。光あれという言葉で光を意識したから光が生まれた、みたいな。わからなくていい」
「さっきも同じこと言われた」
「言われすぎ?」
「いや」
真壁は少し笑った。
「それでいいんじゃねえの、お前は」
正門の中と外。真壁が入れない場所と、路沙が今日、一歩だけ踏み込んだ場所。
その境界線の上で、路沙はしばらく、真壁と話していた。
有馬が来た。
「親戚って言っても入れなかったんだってね。残念。
数学オリンピックの問題、真壁がいたら楽しかったのに。」
三人で予備校に向かった。学園祭の日も普通に予備校の授業はある。




