↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
空(くう)は空(そら)ではない  作者: はまゆう


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/17

第14話 閉じた庭の文化祭

 文化祭が近づくと、真壁からのLINEメッセージが増えた。

〈筑駒の友達連れてっていい?〉

 路沙は既読をつけてから、少し悩んで返した。

〈たぶん無理〉

〈は、なんで〉

〈男子の一般入場、原則無理だから〉

〈厳しすぎん?〉

〈ミッションスクールなめんな〉

 既読がついてすぐ、また返信が来た。

〈じゃあ俺は〉

〈一応、親戚って言って文化祭実行委員に名簿に入れてもらった〉

〈俺だけかよ〉

〈うん〉

〈友達がっかりするだろうな〉

〈知らない〉


 実際のところ、雙葉の文化祭は外から見ると意外なほど閉じている。

 一般公開はしているけれど、対象は在校生の家族、それから受験を考えている小学生とその保護者同伴に限られる。成人男性が一人でふらっと入れる文化祭ではない。掲示板にも、来場は事前予約制で身分確認あり、と大きく書いてある。

 真壁の友達たちは「厳しすぎる」「時代錯誤」と口を揃えて笑ったらしいけれど、路沙はそのことに、そんなに違和感がなかった。

 むしろ、この閉じ方が、路沙は嫌いではない。

 誰でも入れる文化祭は賑やかで楽しいのだろう。でも、身内だけの、少し行儀のいい文化祭には、それとは別の落ち着きがある。知らない人の目を気にしなくていい時間。校内の空気がそのまま保たれている時間。

 真壁にそう説明したら、真壁は爆笑スタンプを返してきた。

「それ、ただの温室育ちの言い訳じゃねえの」

「温室で悪い?」

「悪くはない。

でも、俺の友達にはわかんねえだろうな、その良さ。」

「わからなくていい」

 路沙は、案外あっさりそう言った自分に少し驚いた。


     *


 文化祭当日、校舎はいつもと違う匂いがした。

 教室の飾りつけ、廊下に貼られた案内、生花の匂いと軽食の匂い。制服姿の生徒たちが、いつもより少しだけ緊張した顔で立っている。

 有馬は、数学研究会の展示室にいた。

 黒板いっぱいに、数学オリンピックの過去問と、その解法の別解が三通り書かれている。

「これ、有馬さんが解いたの?」

 路沙が覗くと、有馬は少しだけ得意そうな顔をした。珍しい表情だった。

「別解は二つで十分だと思っていたのだけれど、後輩が三つ目を見つけたの」

「悔しい?」

「少し」

 その「少し」の言い方が、いつもの落ち着きとは違って、妙に人間らしかった。

 展示を見に来た小学生の親子が、黒板の図形を見て「これは何ですか」と聞くと、有馬は表情を戻して、丁寧に説明を始めた。切り替えの速さが、有馬らしいといえば有馬らしい。


     *


 文芸部の展示は、教室の後ろの棚に、部員それぞれの作品が並べられる形式だった。

 路沙は今回、短編SFを出していた。

 題は「観測者」。

 神を、量子力学における観測者に喩える話だった。誰にも観測されていない状態は、確定していない状態でもある。世界が確定するのは、見られたときだけだ。ならば、あらゆるものを見ている存在がいるとしたら――それは、量子力学でいう観測者の、極限の姿ではないか。

 書きながら、これはミッションスクールの文芸部で出していい内容なのか、路沙は何度も迷った。

 神を、物理の道具立てで喩えるということ。それは信仰への冒涜と取られてもおかしくない。

 迷った末に、路沙はそのまま提出した。

 止められなかったら、それでいい。止められたら、そのとき考える。そう思っていた。


 展示の当日、シスター・マグダレナが文芸部の教室に立ち寄った。

 普段は生徒指導や倫理の授業を持っている、割合厳しい先生として知られている。

 棚の作品を順番に眺めていたシスターの手が、「観測者」の前で止まった。

 路沙は、少し離れた場所からそれを見ていた。心臓が少しだけ速くなる。

 シスターは、最初のページを読み、次のページをめくり、表情を変えないまま最後まで読んだ。

 読み終えると、シスターは顔を上げて、教室の中を見渡した。

「これを書いたのは」

 路沙は、手を挙げるべきかどうか、一瞬迷った。

「……私です」

 シスターは、しばらく路沙を見た。

 その沈黙が、いつもより長く感じられた。

「観測されることで世界が確定する、というのは、面白い喩えね」

 まだ、どちらとも取れない言い方だった。

「神様を、量子力学の道具立てで語ることに、抵抗はなかったの?」

「……ありました」

 路沙は正直に答えた。

「でも、神様が何かを見ている、というのは、聖書の中にもよく出てくる言い方だと思ったので」

「見られている、ということと、見ている、ということは、少し違うけれど」

 シスターは静かに言った。

「――でも、その違いに気づいて書いているなら、悪くないと思うわ」

 教室の空気が、少しだけ緩んだ。

「神学を物理の比喩に落とし込むのは危険なことでもあるの。喩えは、いつも半分しか正しくない」

「はい」

「でも、その半分の正しさに自分で気づいていて、それでも書く。それは、ちゃんとした態度だと思います」

 シスターは、それだけ言うと、棚の次の作品に目を移した。

 路沙は、しばらくその場から動けなかった。

 叱られなかった。それどころか、褒められた。

 でも、それ以上に、シスターが読んで、考えて、まっすぐに返してくれたこと自体が、路沙には少し嬉しかった。


     *


 放課後、正門の外に、真壁が立っていた。

 受付で家族はいいけど、親戚はダメと断られて、駅ビルのPAULで一人ランチでパンを食べまくってたらしい。

終わる時間に合わせて、外の道の端で、時々スマホを見ながら待っていたという。

「どうだった、シスター」

「なんで知ってるの」

「さっきLINEで言ってただろ、緊張するって」

「褒められた」

「へえ」

「神様の話、量子力学で喩えたやつ」

「ハルヒかよ」

「ちょっと違う。光あれという言葉で光を意識したから光が生まれた、みたいな。わからなくていい」

「さっきも同じこと言われた」

「言われすぎ?」

「いや」

 真壁は少し笑った。

「それでいいんじゃねえの、お前は」

 正門の中と外。真壁が入れない場所と、路沙が今日、一歩だけ踏み込んだ場所。

 その境界線の上で、路沙はしばらく、真壁と話していた。

有馬が来た。

「親戚って言っても入れなかったんだってね。残念。

数学オリンピックの問題、真壁がいたら楽しかったのに。」


三人で予備校に向かった。学園祭の日も普通に予備校の授業はある。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。