02 アカデミーでの兄。
三月の初め。まだ長期休暇真っ只中なアカデミーだが、校舎は休みの人は思えないほど人で溢れていた。なので、仕方のないことであることは重々承知だが、周りからの視線に些か居心地の悪さというものを感じていた。
――おはようございます。アシェル様
――ご機嫌麗しゅうございまし。アシェル様!
いつもの事だ、とでも言うようにさらりと受け流して行く兄に哀れみのような視線を向けてしまう。
(大変そう……)
ひしひしと感じるのは、国の柱であるプリマヴェールとなんとか繋がりを持とうという滲み出た野心。特に、ご令嬢からの圧は強烈である。
因みに、アシェルと同等ほどに注目を浴びそうな容姿の持ち主なリオンとは少し前にお別れしていた。と言うのも、道中で出会した教員に連行されたからだ。
彼を連行した教員は、なんというか少し強面なお顔をしていたので、レティシアは密かに合掌してしまった。かなりご立腹な様子が窺えたが、一体リオンは何をしたのだろうか。
「まずは手続きを済ませよう」
終始注目を浴びながら賑やかな廊下を抜けて、アシェル付添の元、レティシアは喧騒から遠ざかった敷地の少し外れにある古い木造校舎へ足を運んだ。
(つ、ついた……)
ここまで来るだけでも、体力をごっそり削られたかのような疲労を感じていた。
「まずは手続きを済ませよう」
木造校舎の教室はほとんどが物置部屋と化していて、室名札がかけられているのは最奥の事務員室のみ。
ルキウスがスライド式の扉に手をかける。
部屋を入ってすぐそこは、区分するようにカウンターがあった。
(学生はカウンターまで。ここから先は、職員のみ。ってことかしら)
職員の陣地には、更にカーテンで目隠しのように区切られた場所があった。
「マージェリーさん。いるかな?」
アシェルの声かけに対して、応答や物音は一つとしてしない。
「今日は一人かな」
カウンターの上には、『御用の際はこちらのベルをお鳴らし下さい』との添え書きがされた一枚の紙と、ハンドベルが置かれていた。
「彼女、少し耳が遠いんだ」
首を傾げたレティシアにニコリと笑ったアシェルが勝手知ったるというようにハンドベルを鳴らす。
リンリンを小気味良い音が部屋に響いた。
「あらあら、アシェルさん」
「今いいかな?」
「大丈夫ですよ」
緩やかに腰が曲がった老齢の女性が奥の席を立ち、カウンターまで赴いてくれる。
(い、いたの?! 全然見えてなかったわ……)
「この前の手続きに何か不備でもありましたか」
「ああいや、それは全然問題なくてね。今日の用事は僕ではなくて、その時話した――」
兄からの視線を感じたレティシアが言葉を引き継ぎ、自己紹介を済ます。
「レティシア・ロザートです。入学の手続きを行いに参りました」
「まぁまぁまぁまぁ!!!!!!!」
カウンターを出ない低めの身長の少女を遅れて見つけたマージェリーが気色満面の笑みを浮かべた。
「アシェルさんとよく似た美しいお嬢さんねぇ! 妹さん? 愛らしいわぁ」
コロコロと笑うその姿はなんだか母を彷彿とさせ、親近感が湧く。
「入学手続きね? 書類を持ってくるわ」
ーーーーーーー
無事に手続きを終わらせて、準備は整った。
あとは、入学式の日を待つのみだ。
とてつもなく広い校内を案内してくれるというアシェルの後を、レティシアは鳥のヒナのようについて歩く。
「わぁ……」
「ここは礼拝堂だ。基本的には朝の礼拝で来るんだけど、レティシアは……入学して早々に中に入ることになるよ」
「あっ! アシェル様、おはようございます!」
屋根のある外廊下を進んでいると、前方から来た制服を着た女性がアシェルへ声をかける。
随分と親しげだ。
「おはようございまます。ガーネット先輩」
「まぁ、よして下さい。これからは同級になるのです。どうか、ガーネットと。け、敬語も結構ですわ。――ここは身分など及ばない学舎なんですもの」
ガーネットと名乗る少女の態度に不快感を示すでもなく、アシェルも普通に接している。回帰前にしても回帰後の今にしても、親しい女性がいた記憶は無かったからすごく新鮮に感じる。
(うーん。………………あ……!)
どこかで見たことあるような、ないような。目の前の少女に頭を捻ったレティシアは、彼女の正体にすぐ思い至る。
(ガーネット・ブランシェット……)
彼女の姿は回帰前の記憶の中に存在していた。
回帰前、プリマヴェールが断罪に遭ったあの場にいた人間のうちの一人である。
派閥はイルヴェント。
直接的な接点がなかったガーネットを覚えていた理由は、断罪された自分たちを見て彼女が顔面蒼白で今にも倒れそうであったからだ。
今のガーネットの子供らしく少し幼さがある容姿に、記憶の中の大人な彼女との共通点を見つけ確信する。
デコルテまである白に近いプラチナブロンドと、自身の名前の如く輝くガーネットの宝石眼を見間違える訳がない。
「ですね。――では、来年度からはクラスメイトとしてよろしく頼む、ガーネット」
「はい!」
嬉々としてアシェルと言葉を交わしたガーネットの視線が、流れるようにレティシアへと向かう。
「あの、ところで――」
その視線は微量の鋭さを含んでいた。
(敵を警戒するような、そんな感じ?)
ガーネットからはレティシアには隠しきれない明確なアシェルへの恋慕が伝わってきた。アシェルやルキウスのような美形のそばにいると、このような視線によく遭遇するレティシアには慣れたものである。
(この様子からして、あの時の視線の先はお兄様ね)
断罪の舞台を思い出し遠い目をするレティシアを置いて、その場の空気がどんどんと下がっていく。
「少々無礼では?」
睨みを効かせたガーネットからレティシアを庇うように、今まで空気に徹していたルキウスが前に進み出た。
今日はなんだか背に庇われることが多い日である。
「ッ!」
自分の言動を真正面から咎められた事に、ガーネットの頬に朱が刷られた。自分の言葉を遮った相手――ルキウスは見るからに貴族の格好ではないのだから、プライドが(多分)高い彼女が感じるその羞恥は相当のものであろう。
「し、使用人の方に、そんなことを言われる筋合いはありませんわ」
ルキウスの指摘にバツが悪そうに顔を背けてそう答える。しかし、アシェルを前にしてその回答はまずかった。
「ガーネット」
名を呼ばれたガーネットの肩が大きく跳ねる。
先程の和やかな会話とは打って変わって、あからさまに顔を顰めたアシェルが声のトーンを落として苦言を呈した。
「まず第一に、不躾な目線で我が妹を見た君がよくないし、ルキウスの指摘に対してその反応もどうかと思うよ? アカデミーでの『身分』の在り方ついて言及した君が、立場に関して貴族とその他に分けるような発言は些か見過ごせない」
「あ、アシェルさま……」
顔から血の気が引いたガーネットに、最後のトドメを刺すようにもう一つと付け足す。
「彼も今年度からここの生徒なのだから」
「ルキウスです。執事科の中等部に編入予定です。以後、お見知りおきを。モンタナ伯爵令嬢ガーネット様」
そう。
彼――ルキウスも、ディアヴァルム王立アカデミーに入学が決まっている。先ほどレティシアとともに入学の手続きも済ませたところだ。推薦人はレティシアの母、エストレラである。
入学する上での最低条件が【加護持ち】であるアカデミーへ、祝福なしのルキウスをどうねじ込んだのかはレティシアにはわかりかねたが、一つ言えることとして侯爵家夫人の発言力は強力であるという事だ。侯爵夫人恐るべし。
「申し訳ありません……でした。――し、失礼致します」
かなり堪えたようで、ガーネットの去る背中はとても沈んでいた。
(か、可哀想……)
レティシアはあまりガーネットに嫌悪感を抱かなかった。言葉の端端に刺々しさはあったものの、敵を排除しようとする女特有の怖さを感じなかったからだ。
だから、好きな人の容赦のない言葉の剣に貫かれた彼女に同情してしまう。
「中断されてしまったね。さて、どこを案内しようか?」
険しい表情でガーネットを姿が見えなくなるまで見送ったアシェルがその視線をレティシアに落とす。その瞳には愛しい妹を想う蜜しかない。
切り替えが早い兄にレティシアは少々引いた。
(怖いんだけど?)
先ほどの詰め方と言い、今の「もう興味がない」という態度と言い――。
見るからに、脈なしだ。
(ガーネットさん。ちょっと難易度高まったかもしれませんよ……)
何せ、アシェルはレティシアを大層大事にしている。 元々、妹に自分から見ても、恋愛ごとに疎いきらいがあるアシェルに対して、先程の応対は悪手であったと言えよう。
いくら第三者の目に彼女の言動が好きなものを取られまいと威嚇をする子猫のように映っていたとしても、当事者にもそう写っているとは限らない。今回の場合、むしろ、彼女の行動は裏目に、妹を脅かす危険な存在としてアシェルの胸に刻まれたことであろう事は明白だった。
(そうなると、俄然応援したくなるわね)
レティシアはガーネットが嫌いじゃない。
(むしろ、ちょっと好きかもしれない)
回帰前には交流がなかった人種だ。レティシアは彼女に興味が湧いた。
(素性を調べて良さそうだったら、奥さま候補として推薦してもイイかも?)
そうして、レティシアはガーネットを密かに推すことにしたのだった。




